【7】あなたの声が聞こえない
一度屋根から降りたテオは、呪装顕現を解除すると、煤と埃まみれになったレニーを回収した。その頃には既に、呪魔はロゼの手で残骸と化している。
惨状に絶句するテオの隣に、カルラが着地した。少し遅れてハルクも屋根から飛び降りる。
テオは震える声で訊ねた。
「ロゼさんって……いつも、あんな感じですか?」
「ううん」
カルラが首を横に振り、ポツリと付け足す。
「敵が少ないから、今日は控えめ」
ハルクが「だな」と頷いた。
戦斧を振り下ろすロゼの足下には、呪魔の残骸が散らばっている。そのどれもが硬化しており、既に呪魔が息絶えたのは明らかだ。
それなのに、ロゼは戦斧を振るうのをやめない。硬化した残骸を戦斧で砕き続けている。
ハルクが腕組みをし、鼻から息を吐いた。
「呪いの力に頼って戦い続けていると、精神汚染が起こるだろ? 幻覚見たり、意識が混濁したり」
「……はい」
レジルナの任務で、テオは呪装顕現の限界を超え、自分が何者か分からなくなってしまった。あれも精神汚染の一種なのだろう。
「チェリービューティーは精神汚染で幻覚を見たいから、すぐ戦場に飛び込むんだ。そのせいで、西の最果て の戦線でボロボロになっちまってな。一旦引っ込ませて、燃え滓邸で療養させてたんだよ」
テオやハルクの力でも砕くことができなかった呪魔の甲殻を、ロゼは軽々と打ち砕くことができる。
その怪力は、呪魔との戦闘における強みだ。小柄なテオやカルラだと、呪魔の胴体が太い場合、切断が難しく、端から少しずつ削らねばならない。
だがロゼなら、呪魔が巨体でも一刀両断にできるのだ。
それは、すごい。すごいのだが……。
「呪魔を振り回す必要はなかったのでは……?」
「精神汚染するぐらい力を使いたいんだろ」
だから、呪魔を倒した今も、ロゼは暴れ続けているのだ。
これ以上、ロゼに力を使わせてはいけない。テオはブーツ以外の武装を解除し、屋根を飛び降りて、ロゼに駆け寄る。
「ロゼさん、もうやめましょう! 勝負はつきました!」
「…………アァ?」
バサバサに乱れたピンクがかった髪の中、ドロリと淀んだ目がテオを見る。
「それ以上、力を使うのは体に悪いです。休みましょう」
ロゼはテオの方を向いたが、戦斧を振り下ろすのはやめない。
硬化呪魔が次々と砕けて、辺りに飛び散る。
「だって、頭がブッ壊れてないと……」
呪魔を砕く音の合間に、小さな呟きが聞こえた。
「シャルルの声が、聞こえない……」
シャルル。知らない人だ──否。どこかで見ている。
(そうだ。モラン夫人のレシピノート……!)
歴代の灰色騎士の好物を記録したノート。そこでテオはシャルルという名前を見ていた。
おそらくシャルルという人物は、かつて燃え滓邸にいた灰色騎士なのだ。
(アーチボルド管理官は、呪いから解放された灰色騎士は一人もいない、と断言していた……つまり、シャルルさんという人は……)
故人で、そして、ロゼにとって大切な人だったのだろう。
だからロゼは呪いの力に身を委ね、精神汚染の幻覚でシャルルの幻を見ようとしているのだ。
「ロゼさん、まだ任務は終わってないです。呪魔はもう一体いるんですよ!」
戦斧を振り下ろすロゼの手が止まる。
その時、南の方角から「おーい!」と聞き覚えのある声がした。カルラでもハルクでもない。
巻きスカートを脱いだ足を赤黒い獣の毛皮で覆い、屋根の上をピョンピョン飛び移っているのは、ベリルだ。その背中には、厳つい片眼鏡に白衣の女──ガートルードを背負っている。
それに気づいたカルラとハルクも、こちらに向かってきた。
ベリルはテオの前に身軽に飛び降りると、辺りを見回し、目を丸くする。
「わーお、すごい惨状。ロゼ、随分暴れたなー……で、これってどっち?」
逃亡した呪魔は二体。元々研究所が捕獲していた呪魔Aと、カルラの肉体に呪いを植えつけることで生まれた呪魔B。
この残骸はどちらのものかと訊ねるベリルに、ハルクが答えた。
「おそらく呪魔Aだ。元から研究所にいたやつだな」
「そっかそっかー……となると、向こうが超再生の呪魔Bか……うーん、やばそ」
ベリルが眉根を寄せて、ブツブツ呟いている。
その口調が、何やらわけ有りそうだったので、テオは訊ねた。
「ベリルさん、もう一体の呪魔の居場所が分かったんですか?」
「それについては、私から説明しよう」
そう言って自称呪魔博士のガートルードが、ベリルの背中から降りる。
ガートルードはアドコック研究所で呪魔が逃げた経緯を調べていたはずだ。その彼女がどうして、ここにいるのだろう。何だかとても嫌な予感がする。
「研究所を調べた私が、燃え滓邸に戻ったタイミングで、リチャード王太子殿下の遣いが来てねぇ……ティンバーガム小宮殿が呪魔に襲撃されたそうだ」
想像以上に悪い事態に、テオは絶句した。
ティンバーガム小宮殿は、首都 のやや東に位置する小さな宮殿だ。
政治の場から離れた、王族にとっての療養施設のようなもので、現在は病身の第二王子ジェームズが療養のため滞在しているという。
テオは震える声で言った。
「まさか、そこに呪魔Bが……」
「更に悪いことに、ティンバーガム小宮殿は、レイエル聖区から比較的近くてねぇ」
レイエル聖区、すなわち教皇庁と聖騎士団本部である。
テオは思い浮かんだ最悪の予想を口にした。
「まさか、小宮殿奪還のため、既に聖騎士団が動いている……?」
「その通り。我々はこれから、聖騎士と協力する振りをしつつ、彼らを出し抜き、呪魔を討つか、捕獲しなくてはならないんだ。難儀だねぇ」




