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忘却のカースナイト  作者: 依空 まつり
四章 暗躍の夜
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【3】歌姫リリーの事情


「なんで、あの女がここにいるんだ?」


 そう呟いて、ヒューゴが路地を出て広場に近づく。

 テオは慌ててヒューゴを追いかけた。


「ヒューゴ、知り合いなのか?」


「知り合いっつーか……お前も会ってるじゃん」


「……え?」


 その時、歌姫リリーがこちらを見て、目を見開いた。彼女は歌を中断すると、楽団に「ごめん、ちょっと抜ける」と断って、人の輪を飛び出す。


「テオ、追いかけるぞ!」


「え、あ、うん……?」


 今は任務中で、しかもハルクを待っている身。この場を離れるべきではないのは分かっているが、若い娘が日没後に一人で行動するのは看過できない。

 しかも、歌姫リリーが駆け込んだのは、いかにも治安が悪そうな細い道なのだ。

 テオはこの辺りの地理に詳しくはないが、治安の境界はなんとなく分かる。テオが育ったウォルグにも、そういう境界はあった。

 歌姫リリーが飛び込んだ道は「良くない」とテオの勘が告げている。


(すぐにリリーさんを連れ戻して、情報屋さんの前に戻る!)


 そう決めて、テオはヒューゴと共に細い道に飛び込んだ。

 道というよりは、道として使うことを想定していない、建物と建物の間にできた僅かな空間といった方が正しい。ガス灯の灯りが届かない上に、大きな木箱やゴミが散乱しているので、どうにも見通しが悪い。


(リリーさんはどこだ……?)


 見える範囲でリリーらしき人影はない。

 ヒューゴが心底嫌そうにぼやいた。


「だー、くそっ、働きたくねぇのに…………『呪装顕現──聖歌の奉仕を』」


 ヒューゴのチョーカーの下にある呪印から、ドロリ、ドロリと赤黒い呪いが滴り落ち、聖歌隊のガウンになる。

 最後の一塊を頭にペタリと貼り付け、帽子の形を整えたところで、ヒューゴは目を閉じた。


「ヒューゴ、何をする気だ?」


「お前、声でけーから、ちょっと黙ってろ…………あっちの方角、女の声。『離して』って言ってる……やばいぞこれ」


 呪装顕現すると身体能力が向上するが、ヒューゴの場合、それが聴力に割り振られているらしい。

 ヒューゴが「あっち」と指さした方向にあるのは、隣接する建物の扉だ。


「助けよう」


 テオが断言すると、ヒューゴは鼻白んだような顔をし、先輩面で命令した。


「じゃあ、俺が動き止めるから、お前は歌姫回収しろ」


「分かった」


「相手を懲らしめようとか思うなよ。騒ぎでかくなって、事情聴取受ける羽目になったら、死ぬほどめんどくせーぞ!」


 事情聴取は必要なことである。面倒臭い、という言い方には物申したいが、今、事情聴取を受けることになったら、任務どころではなくなるのも事実。


「うぐぅぅぅ、分かった……」


 不満を飲み込み、テオは扉に手をかけた。

 行くぞ、と視線で合図を送る。ヒューゴが幾らか声を抑えて歌い出す。


「『──神は天使を遣わし給う。民に糧を与え、苦しむ者を癒し、その雷をもって悪を退ける』」


 その一節が終わると同時に、室内でガタンと物音がした。

 おそらく、〈支配〉の影響を受けた者達が動きを止めたのだ。

 テオが扉を開けると、薄汚い部屋の中では中年の男二人が呆けていて、その足下で黒髪の歌姫リリーが倒れている。彼女のそばには、頑丈そうなロープが落ちていた。おそらく男達はリリーを取り押さえて、拘束しようとしたのだ。

 男達に一発くれてやりたい気持ちをグッと押さえ、テオは歌姫リリーを背負った。〈支配〉されている人間は、気絶している人間よりは幾らか背負いやすい。

 テオはリリーを背負って、外に飛び出す。ヒューゴも歌いながらそれに続いた。


「『天使は導きの書物を手に、人々を導く。豊穣の恵、慈悲の癒し、守護者の雷、そして祝福の海──全ては神の御許に』」


 さっきまで鼻の下を伸ばしていた男の歌声とは思えない、美しくも荘厳な歌声だ。

 こんな状況でなかったら、落ち着いて堪能したいほどである。

 一節を歌い終えたところで、ヒューゴは呪装顕現を解除した。

 ヒューゴの〈支配〉から解放された歌姫リリーが、テオの背中で声を上げる。


「ここは……? あ、貴方達は……っ!」


 歌姫リリーが身じろぎしたので、テオは焦った。暴れられたら、落っことしてしまう。

 とは言え、彼女が動揺して暴れるのも当然だ。ここはまず、こちらから名乗った方が良いだろう。


「リリーさん、落ち着いてください。僕達は決して怪しいものではなく……」


「自己紹介は別にいらねーだろ。昼に会ってんだから」


 ヒューゴの言葉に、テオは「え?」と目を丸くする。

 ヒューゴは皮肉っぽい表情で、歌姫リリーを見た。


「あんた、〈創造〉の聖女シェリル様のそばにいた妹だろ。確か……セシリーだっけ?」


 テオの背中で歌姫が黙り込む。

 やがて彼女は、小さな小さな声で言った。


「…………そうよ」



 * * *



 セシリー・ウォルフォードは教皇庁に多く人材を輩出しているウォルフォード家の次女として生を受けた。

 両親も、姉のシェリルと弟のキースも加護持ち(ブレスド)。そんな中、セシリーだけが何の加護も持っていない。

 おまけに姉と比べて、セシリーは地味で冴えない容姿だ。特別に秀でたものは何もない。

 姉や弟との関係は良好だったが、両親が自分に関心を持っていないことは明らかだった。

 姉弟の中で、セシリーだけが特別じゃない。いてもいなくても同じの、代用の利く存在だ。

 特別な何かになりたい、特別だと思われたい──神に仕える身に相応しくないと分かっていたけれど、その願いはずっとセシリーの胸にあった。


(せめて、もっと可愛かったら、みんなに気にしてもらえたかな)


 そんなことを考えながら覗き込んだ鏡の中、映る自分は卑屈な顔をしていて、酷いブスだと思った。





 ある日、セシリーは街の中で小さなぬいぐるみを拾った。手のひらにのるぐらい小さなウサギのぬいぐるみだ。


「あ、それアタシの! 拾ってくれたの? ありがとー!」


 そう言って駆け寄ってきたのは、セシリーと同じ年頃の少女だった。

 高い位置で二つ結びにした黒髪に短いスカート。絶対にセシリーがやらない格好で、それなのにその顔はセシリーにそっくりだった。

 びっくりして見つめあっていると、少女の連れらしき中年の男が「どうした、リリー」と声をかけた。その男もまた、セシリーの顔を見て目を丸くする。


「なんだお前ら、双子みたいにそっくりじゃないか」


 それが、リリーとの出会いだった。

 リリーはこの街で活動している芸人一座の人間らしい。踊りが得意で、歌や振り付けを考えるのも得意だが、少しばかり歌が苦手だった。

 一方、セシリーは歌が得意だ。物心ついた時から讃美歌の練習は日課だったから、同年代の少女より上手く歌える自信がある。

 リリーが作る歌は讃美歌とはまるで違っていて、いかにもセシリーの周りの大人達が顔をしかめそうな曲調と歌詞だった。

 だけど、それを作るリリーがあんまり楽しそうで、活き活きとしているものだから、一度だけ歌ってやったのだ。

 その歌声に、リリーも一座の大人達も驚き、盛大な拍手をくれた。

 拍手。そう、拍手だ。セシリー・ウォルフォードは多分、生まれて初めて、個人の力で拍手をもらったのだ。


「やっば……やばいよ、セシリー! ちょー歌上手いじゃん! ねっ、ねっ、アタシの代わりにさ一回だけ舞台に立ってみない? 一回だけ! 一回だけだから!」


 自分に向けられた称賛が、こんなに気持ち良いなんて知らなかった。こんなに胸を弾ませるなんて知らなかった。

 だから、一回だけと言い訳をして、セシリーは舞台に立つことを決めた。

 黒髪を高い位置で結い、短いスカートをはいた歌姫リリーとして。

 セシリーの髪を結い、化粧を施したリリーは、ウサギのぬいぐるみを衣装の腰にぶら下げて、満面の笑みで言った。


「アタシら、ちょー似てるじゃん! ほらほら! そっくり!」


 こんな髪型、淑女がするものじゃない。短いスカートもそう。セシリーの歳でこんなスカートをはいたら、布を買う金のない貧乏人か娼婦と馬鹿にされる。

 それなのに、セシリーは生まれて初めて、鏡に映る自分を可愛いと思えたのだ。


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