【15】呪装顕現
──熱い、痛い、気持ち悪い。
尾刺棘に貫かれたテオは、高熱を出して寝込んだ時のことを思い出した。
ぶつりと皮膚を破って中に入り込んだ太い針が、赤黒い呪いをテオの中に注ぎ込む。
テオは残った力を振り絞って、尾刺棘を両手で掴んだ。テオが少しでも時間を稼げば、それだけアレンが動ける。倒れたオリビアを遠くへ逃がせる。
胸の傷が痛くて熱い。それなのに、体の中に流れ込んでくる呪いは酷く冷たかった。
(傷口から、氷水を流しこまれてるみたいだ)
穿たれた傷から流し込まれた呪いが、全身に広がっていくのが分かる。
心臓から順に、体が熱を失っていく。
死という概念を、液体にして流し込んだみたいだ。少しずつ全身が損なわれていく、蝕まれていく、奪われていく、「テオ」が死んでいく……その感覚が、不意に止まる。
──トクン、と心臓が跳ねた。
失われた熱が蘇る。心臓から全身に。
テオの心臓が、熱い血液が、冷たい呪いを押し返す。
(温かい………………心臓が熱い?)
テオの胸に刺さった尾刺棘が、ズルリと抜ける。
テオの胸の傷口から、血液ではなく、黒い何かがボタボタと零れ落ちる。呪魔に流し込まれた呪いだ。それが地面に落ちて、硬化していく。
テオは裂けたシャツの胸元を見た。ちょうど心臓の真上あたりに、黒い模様が浮かび上がっている。
(なんだ、これ……)
次の瞬間、その模様から黒い何かが一斉に飛び出した。
心臓が蒸気機関のように激しく動き、熱を送り出す。ドクドクドクドク、その鼓動に合わせて黒い何かが溢れ出す。
「あ、ああ、あ……が……っ」
テオの意思に応じるように、黒い何かが足下でグニャグニャとうねる。
テオは気づいた。自分の中から溢れ出したこの黒いドロドロは、テオの意思で動かせるのだ。
ただ、それをどうすれば良いのかが分からない。黒いドロドロが溢れ出し、足元で波打つ。
(僕は、呪魔になってしまったのか……?)
「テオ!」
アレンがテオに駆け寄る。その時テオは見た。アレンの背後で呪魔が尾刺棘を振るうのを。
(駄目だ、アレンを助けないと、アレン、アレン、アレン……!)
その時、テオの足下のグニャグニャがブワリと広がり、黒い壁になった。アレンを狙う尾刺棘の攻撃が、壁に阻まれ弾かれる。
アレンが驚愕に目を見開き、テオを見た。
(なんだこれ、気持ち悪い。なんで僕はこんなことができるんだ)
自分の体が未知の何かに支配され、作り替えられていく感覚がする。テオの心臓から滴る赤黒い呪いが、テオの恐怖に呼応するみたいに波打つ。
(もしかして、僕はこのまま 呪魔になってしまうのか?)
呪魔になった自分が尾刺棘を振るい、アレンやオリビアに襲いかかる光景が頭をよぎる。
(嫌だ、駄目だ、それだけは……!)
死よりもなお恐ろしい可能性に、テオが絶望したその時。
「──誓って!」
その声は、頭上で響いた。
見上げた先、赤黒い翼を広げた白髪の少女──灰色騎士のカルラが、テオに向かって叫んでいる。
「どう在りたいか、何になりたいか、強く、強く、心に誓って!」
複尾持ちが二本の尾刺棘を、上空のカルラに向けた。
カルラは旋回して回避し、大鎌を振るう。
ただ、膂力が足りないのだろう。切りつけることはできても、切断には至らない。
その間も、テオの心臓から流れ落ちた赤黒いドロドロは波打ち続けている。
「なるほどなぁ。歩く呪いだったのか」
場違いに飄々とした声は、テオの背後から聞こえた。
こちらに歩み寄ってくるのは、砂色の髪に褐色の肌の女──灰色騎士のベリルだ。
「呪印が体の中……おそらくは心臓にあったパターンか? 珍しいケースだな。そりゃ分からないわけだ」
呪魔の呪いを植え付けられた呪い憑き。
その中で、奇跡的に呪いの進行が止まり、呪いを自らの力とできるものが歩く呪い──歩く呪いは体のどこかに呪印があるから、すぐに分かる。
今、テオの胸には赤黒い呪印がある。だが、それは元々は心臓にあったものなのだ。おそらくは、五年前アレンに拾われる前から。
ベリルは巻きスカートのボタンを外した。露わになった両脚には、テオと同じ赤黒い呪印。
「歩く呪いの……灰色騎士団の戦い方を見せてやろう」
巻きスカートを地面に落とし、ベリルはショートブーツで地面を軽く蹴った。
その目が、赤く底光りする。
「『呪装顕現──夜を喰らう獣は駆ける』」
歌うように軽やかに、睦言のように甘やかに、ベリルがその言葉を口にすると、彼女の両脚の呪印から赤黒い呪いが溢れ出した。
それは明確な質量を伴ってベリルの両脚と両手を覆い、黒い獣の手足となる。
ベリルが地を蹴る。そのしなやかな体は、テオが生み出した不恰好な黒い壁を軽々と飛び越えた。
ベリル目掛けて、呪魔が二本の尾刺棘を振るう。それをベリルは両手の爪で切り裂いた。
「大事なのは言葉だ! 曖昧なものに名前をつけることで、存在を縛ることができる!」
テオは暴走する呪いに苦しみながら、それでもカルラとベリルの助言を汲み取るべく、頭を働かせた。
カルラは「誓って」と言った。何になりたいかを、どう在りたいかを。
ベリルは言葉を用いて、己の身に宿る呪いを意味ある形に固定した。
なら、テオはどういう言葉で、この曖昧な力を固定すれば良いのだろう。
焦るほどに呪いの力が暴走する。心臓が熱くて胸が焼けそうだ。吐く息が熱を帯びて、喉が痛い。それなのに骨の髄が冷えて寒気がする。
カルラが低空飛行に切り替え、地上に尾刺棘を惹きつけた。
そのタイミングに合わせて、ベリルが呪魔の体の上を走り、両手の爪で大蛇の体を斬りつける。二人は叫んだ。
「自分の頭に強く作用する言葉を──自分が何者かを声に出して!」
「なんか難しかったら、とりあえず自分の名前を叫べば良し!」
ベリルの助言が微妙に雑だったが、それでも何かが掴めた気がする。
(大事なのは、己の在り方を定めること……僕はテオ。オリビア母さんがつけてくれた名前)
僕は何なのだろう。その疑問はいつも、漠然とテオの頭にあった。
アレンと出会う前の記憶がなくて、影が薄くて、すぐに人から忘れられて、家族以外に名前を覚えてもらえなくて。
(でも、ようやく分かった。僕は歩く呪いだった。アレンと出会う前から呪われていた……聖騎士になんて、なれるはずがなかった)
アレンは心配そうにテオを見ていた。
胸の傷から呪いを垂れ流す、歩く呪いのテオを、まだ心配してくれている。
ほら、やっぱりアレンは優しい。
(でもさ、アレン……僕は聖騎士になれなくても……騎士でありたいんだよ)
心に影がさした時、口にする言葉はもう貰っている。
テオは呪いを垂れ流す己の心臓に手を当て、息を吸った。
「……『呪装顕現』」
そうして声を張り上げ、叫ぶ。
呪いという曖昧な力を固定するための言葉を。
「『──汝、騎士たれ!』」
足下で波打っていた黒いドロドロが、ピタリと動きを止める。
次の瞬間、テオの胸から溢れ出した赤黒い呪いは、一斉にテオのもとに集った。
──ずっと、思い描いていた姿がある。
右手に剣、左手に盾、足には拍車付きのブーツ、大きく広がるマント。そして相棒の白馬。
物語を読んで思い描いた、古い時代の騎士に憧れた。こうありたいと思った。
テオのもとに集う赤黒い呪いが、その理想をなぞるように形を変える。
赤黒い片手剣。テオの身の丈の半分ほどの大きさの盾。足を覆うブーツは踵に拍車付き。風になびくマントは布によく似た質感で柔らかいけれど、不思議とこれは頑丈だという確信がある。
(これが、ベリルさんの言う、呪装顕現……)
そして……。
「めう」
足下で鳴き声がした。
テオのブーツの辺りを白い毛玉が転がっている。大人の握り拳より、一回りか二回りは大きい毛玉だ。毛玉以外の何者でもない毛玉である。
「君も……えぇと、僕の中から出てきたのか?」
「めぁー」
毛玉は奇怪な声で鳴きながら、コロンコロンと左右に転がる。
その姿は、耳の短い子ウサギにも、太りすぎたネズミにも見えた。
(もしかして…………白馬?)
確かに相棒の白馬を願ったけれど、これはあまりにも別物すぎないだろうか。
とりあえず、放っておくと踏んづけそうで怖いので、テオは毛玉を拾い上げて、自身の服の中に放り込んだ。
「ここにいてくれよ」
「めぁー」
白馬のなり損ない(暫定)を服の中に隠し、テオは剣を構える。鮮やかな金髪の下で、翠目が赤く底光りした。
地面を踏み締める。信じられない力が湧いてきた。ベリルほど身軽にはなれないが、それでも今までで一番の速さで、テオは駆ける。
尾刺棘の一本が、テオ目掛けて繰り出された。テオはそれを左手の盾で防ぐ。
(盾なんて、今までは上手く扱えなかったのに)
尾刺棘の攻撃を盾で受け流し、右手の剣を振り下ろす。
今までは赫鋼の剣を両手で振り下ろして、やっと斬りつけられていたのに、赤黒い刃はザクリザクリと、呪魔の体を斬り裂いた。
大蛇の体がのたうちまわりながら、テオの体を地面に叩きつけようとする。テオは己の呪いで顕現した剣を振るい、強く念じた。
──忘却よ、在れ。
お前が何たるかを。何のためにここにいるかを。全て全て忘れてしまえ。
誰に説明されたでもないが、テオは己の中にある呪いの正体を理解した。
(僕の呪いは、きっと……忘却の呪いだ)
大陸の周囲には、呪いの海が広がっている。通称〈忘却の海〉。
海に出た者は皆、自分が何のために船を出したか忘れてしまうという。自分がどこから来たのかも、どこに向かうのかも──そうして全てを忘れている内に難破する。テオの呪いは、それと同じだ。
おそらく自分は無意識の内に、普段からその呪いを撒き散らしていたのだろう。そして今、力の扱い方を覚えつつあるテオは、意識的に忘却の力を呪魔に向けた。
剣の周囲に白い霧が生じる。その霧に触れた呪魔が動きを止めた。
それは人間に喩えるのなら、「ここはどこ? 私は誰?」だ。自分が何者かも、何故ここにいるのかも忘れた呪魔は、茫然自失の人間のように動かなくなる。
(今だ……!)
呪魔が動きを止めている今が、攻撃のチャンスだ。
だが、剣を振り上げようとして、テオは膝をついた。心臓に強い痛みが走ったのだ。
「カッ……ハッ、ハァッ……ガハッ!?」
テオは膝をついて胸を押さえる。心臓が杭を撃ち込まれたみたいに痛い。
今まで自分は、ずっと息を止めて全力疾走をしていたのではないか。そう錯覚するほどに、息が苦しい。吸った呼吸が体に上手く回っていかない。
膝をついたテオを押し潰そうと、呪魔が巨体で迫る。
それをカルラが大鎌で牽制し、獣の手足で飛び回っていたベリルが、素早くテオの体を小脇に抱えて退避した。
「目覚めたてなのに、それだけ大盤振る舞いしたら、体に反動も出るさ」
「ベリルさん……僕……」
「初めてでこれは上出来上出来。おねーさんが褒めてやろう」
「で、も……まだ、呪魔が……っ」
「大丈夫。テオが頑張ったおかげで、ほら、間に合った」
ベリルは獣の手を模した右手で、屋根の上を指し示す。
そこに佇むのは、淡い金髪をなびかせる英雄エルバート。右手に握られた長剣は、神の加護を受け、白く光り輝いている。
エルバートが剣を掲げると、上空に白い輝きが集い、白く光り輝く剣が十数本現れた。
宙に浮かぶ剣は雨のように降り注ぎ、大蛇の体を地面に穿つ。
エルバートの紫色の目が、ひたりと呪魔を見据えた。
「天使の加護に感謝を、神に背く者に粛清を」
厳かで、それでいて敵を憐れむ優しい声で告げ、エルバートが剣を振り下ろした。
呪魔は、体積が半分以下になると硬化して死ぬ。
エルバートの攻撃を受けた異形の大蛇はピキパキと音を立てて硬化し、動かなくなった。
(やっぱり、エルバート様はすごい)
その光景を目に焼き付けながら、テオは意識を手放す。
次に目を覚ました時にはもう、自分は今まで通りではいられないのだろう──そんな確信を抱きながら。




