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危険運転の末路  作者: リンダ


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朝6時45分のアクセル


『通学路の朝』


第一章 六時四十五分のアクセル(改稿)


山口県の、とある町。

海の匂いも山の匂いも、薄く混ざり合っているだけの場所。駅前の小さな商店と、通学路の看板、そして朝夕の列車の音が、町の心拍みたいに毎日同じリズムを刻む。


竹本弘毅は、そのリズムを嫌っていた。

同じ時間に同じ人間が同じように動く——その“同じ”のせいで、自分が遅れる。自分が縛られる。そう感じていた。


六時四十五分。

古いアパートの駐車場から軽自動車を出す。エンジンは小さいのに、踏み込む足だけがやけに強い。アクセルを踏んだ瞬間、彼の頭の中の苛立ちは一段クリアになる。


「……遅ぇんだよ、全部」


通学路の指定を受けた生活道路。制限速度30キロ。

左右には塀、電柱、狭い路側帯。朝は自転車と歩行者が増える。

それでも竹本は60、時に70まで踏む。


前方に白い普通車が現れる。

ブレーキのタイミングが早い。加速が鈍い。

竹本の胸の奥に、熱い何かが走った。


「おい、行けって」


車間距離を詰める。

詰めれば詰めるほど、相手の“迷い”が見える気がする。

その迷いを、竹本は弱さだと思い込む。


パッシング。一度、二度。

さらに蛇行。左に寄せては戻し、右に振っては戻す。

威嚇。見せつけ。自分の焦りを、相手の恐怖に変換する遊び。


「どけや、このノロマが」


狭い道に逃げ場はない。対向車は来る。

相手は避けたくても避けられない。

それがまた竹本を苛立たせる。——“思い通りにさせろ”という感情だけが膨らんでいく。



第二章 通報ボタンの赤


運転していた大塚恭一は、バックミラーの中の軽自動車を見て、胃の底が重くなるのを感じた。


またこいつか。

この道、この時間、この煽り方。

ここ数週間、何度も見ている。通学路の朝に、平気で速度を上げ、車間を詰め、パッシングと蛇行で前を退かせようとする男。


「危ないにも程があるぞ……」


駅が近い。六時五十分が近い。

列車が着く。人が出る。自転車が増える。

その時間帯に、この運転が混ざる——それは“事故の匂い”そのものだった。


大塚は焦ってはいけないと思った。

煽り運転の相手は、反応を餌にする。

イラついて急ブレーキでも踏めば、それを口実にさらに詰めてくる。

ただ、放置もできない。


大塚はナビの画面に視線を落とす時間を最小限にするため、左手を画面の縁に添えた。

タップする指が、わずかに汗で滑る。


緊急通報。

画面に赤い表示が出る。


(落ち着け。場所、状況、特徴。順番に言う)


スピーカーに切り替え、車内に小さな電子音が鳴った。


「110番です。事件ですか事故ですか」


大塚は前方から目を離さず、言葉を切った。

息を吸って、吐きながら、短く区切る。


「事故じゃないです。危険運転です。山口県〇〇市、〇〇小学校の脇の生活道路——通学路です。後続の軽自動車が、車間を極端に詰めて、蛇行、パッシングを繰り返してます。制限30の道で、明らかに60以上。今も——」


背後で、パッシングがまた光った。

ミラー越しに、竹本の車が左右に揺れる。

その光が、大塚の首筋を冷やした。


「車種は軽。色は——(くそ、日陰でわかりづらい)——濃いグレー系。ナンバーは今、確認します。安全優先で——」


言いかけた瞬間、竹本がさらに距離を詰めてきた。

大塚の車のリアガラスいっぱいに、軽自動車のフロントが広がる。

まるで、押し潰すつもりみたいに。


クラクションが短く鳴る。


大塚は一瞬、背中が冷たくなるのを感じた。

(こいつ……通報してるの、わかったら何するかわからん)


だがここで通話を切れば、町の朝が危険なままだ。


「今、駅方向へ向かっています。数分で自動車専用道路の入口へ入る可能性があります。こちらは前を走る被害車両です。私の車のドライブレコーダーには、煽りと蛇行が記録されています」


「わかりました。可能な範囲で安全を確保してください。車間は——」


「取れません。相手が詰めてきます。こちらは煽られていて、急な操作はできません」


大塚は、喉が乾くのを感じながらも、声だけは落ち着かせた。

恐怖は、声に乗る。声に乗った恐怖は、相手に届く。

それだけは避けたかった。


「ナンバー——見えました。山口〇〇、……」


言った瞬間、竹本の軽が左に膨らんだ。

歩道のない路側帯ギリギリをかすめ、対向車線へ鼻先を出す。


(やめろ、ここは駅前だ——)


大塚の目の前、駅へ向かう自転車が一台、路側帯をゆっくり走っている。

対向車も来ている。

竹本は、そんなのを見ても止まらない。



第三章 片側一車線の“逃げ場のない道”


やがて道は広くなり、生活道路は市南部へ抜ける幹線へ合流する。

駅前の喧騒が後方へ流れ、前方には片側一車線の自動車専用道路の入口が見えてきた。


合流レーン。

速度の流れ。

追い越し車線はない。

つまり——“正面から押しのけられない”タイプの道路だ。


なのに竹本の表情は、むしろ明るくなる。

ここは人が少ない。歩行者も自転車もいない。

速度を出せる。

そして、前の車を“支配”できる。


「ほら、ここからやろ。逃げれんぞ」


大塚は通話を続けたまま、合流のタイミングを計る。

速度を上げる。だが限界がある。流れがある。


竹本の車は合流直後からぴたりと貼りつき、ハイビームを断続的に点滅させる。

ミラーの中で光が跳ね、視界が刺されるように痛い。


大塚は思った。

この男は「早く行きたい」のではない。

「自分の前に車がいるのが許せない」のだ。

だから煽る。だから近づく。だから光で殴る。


前方に、やや遅い貨物車が見えた。

大塚は車間を保ちつつ追従する。

その瞬間、竹本が苛立ったように車体を左へ振った。


対向車線へ出る。

追い越しだ。


だが、自動車専用道路とはいえ片側一車線。

中央線は黄色の実線に近い状態で、見通しは完全ではない。

そして前方——カーブの向こうから、対向車のライトが見えた。


「——危ない!」


大塚の声が通話口に漏れる。


竹本はそれでも踏む。

軽自動車が貨物車の横に並び、加速する。

対向車が近づく。距離が一気に縮む。


ぎりぎりで追い越しを完了し、竹本は大塚の車の前へ割り込んだ。

ブレーキランプが一瞬点く。

わざとだ。 “お前の命は俺が握ってる”という合図。


大塚は反射的にブレーキを踏みそうになり、こらえた。

ここで急制動すれば、相手の思うつぼだ。


「……今、追い越ししました。危険な無理な追い越し。対向車が来てました。私の前に割り込み——ブレーキ踏みました」


大塚は、喉の奥が冷え切った感覚のまま、淡々と報告する。

声を落ち着かせるたび、指先の震えが増えるのがわかった。


竹本はさらに前へ行き、次の車を見つけては同じことを繰り返した。

詰める。光る。揺れる。出る。割り込む。

その一連の動きが、まるで日課のように滑らかだった。


(常習だ……)


町の朝は、今日も平然と回っている。

駅には学生が降り、工場には人が集まり、誰かが弁当を詰める。

その“普通”の中に、こういう異物が混ざっている。


そして異物は、たいてい——

一度で止まらない。



第四章 数ヶ月後、失う順番


その日、竹本は捕まらなかった。

事故も起こさなかった。

だから彼は、ますます自分を正当化していく。


「ほらな。何も起きんやろ」

「俺は運転うまいんよ」

「遅い奴が悪い」


同じことを、何度も繰り返す。

通学路でも。駅前でも。自動車専用道路でも。


だが、大塚のドラレコは残っていた。

通報記録も残っていた。

そして何より、町の人間の目と、記憶が残っていた。


数ヶ月後。

竹本弘毅は、ある朝、会社へ向かう途中でパトカーに止められる。

「運転者、竹本弘毅さんで間違いないですか」

淡々とした声。逃げ道のない確認。


そこから先、失う順番は早い。

免許。仕事。金。信用。

そして、たった一つ残るのは——

“自分がどれだけ多くの朝を怖がらせていたか”という事実だけだ。



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