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最終話:君の弁当が、俺の日常になった

 駅までの道を、小さく深呼吸しながら歩いていた。

 片手には少し大振りな紙袋。それを揺らさないよう大事に歩き、“とっておきのスペシャルなお弁当”を持ち運ぶ。いまだほんのりと温もりを持ったお弁当。中身は、これまで入れた中でも特に好評だったものを中心に詰めた――まさに古橋龍之介セレクションだ。

 絶対に間違いのない、お馴染みのお弁当。このお弁当を作る際、とっておきのスペシャルなお弁当と宣言をしたからには凄いものを作らなければいけないのでは?!と変に緊張をしていたけれど、一つ、また一つと作るたびに彼が言ってくれた美味しいという感想が緊張を解いてくれた。

お陰で出来上がった弁当は、これまでの中で最高傑作ともいえる仕上がりに。彩りも、味も、健康バランスもすべてが揃ったお弁当はまさにこれまでの集大成であった。


「……あ、いた」


 改札の近く、ベンチの影。

 いつも制服姿の彼が、ラフなシャツに身を包んで、手持ち無沙汰にスマホを見ていた。日に焼けた肌にもよく映える黒い帽子姿はなんだか新鮮で、携帯を向けて一枚写真を撮る。気づかれていないことをいいことに、その写真をLINEで送りつけるとすぐに既読がついて、キョロキョロと辺りを見回した。


――どこ

――こっちこっち、前見て


 私が可愛いスタンプを送ったところで私に気付いて立ちあがり、そしてゆっくりと近付いた。


「コラ、盗撮とは感心せんぞ」

「あはは、バレちゃった。私服の古橋くんは初めてだったから、つい」

「それを言うなら、俺も相沢を撮ってええことになるのう」


 言いながら、おもむろに携帯を向ける古橋くん。ニイと口端を吊り上げる姿はなんだか悪戯っ子のようで、お弁当の入った紙袋を持ったまま顔を隠す。


「事務所を通してもらって」

「お、芸能人気どりか?ずっこい奴じゃのう」


 こんなささやかなお遊びくんも、古橋くんは笑ってくれる。

 紙袋に近付くとさりげなくそれをひょいと持ち上げながら尋ねた。


「ん、これ弁当か?」

「あっ、ありがとう。……そうだよ、スペシャルなお弁当を作るっていったでしょ?」「言っとったし、まぁ期待もしとったが今日はえらいでかいのう」

「スペシャルだからね、乞うご期待だよ」

「ははっ、そりゃあ期待せんといかんな。……よし、じゃあこれは俺が大事に持って歩こう」

「重くない?」


 その回答に笑う古橋くん。二人分のお弁当が入っているのだから、それなりに重いはずなのに「全然」と続ける彼の声色は柔らかく、なんだかお腹がこそばゆい。

 ……お弁当が入った袋を渡すことも、彼が自分からもってくれることも、ある意味いつもと一緒なんだけどな。なんでこんなにくすぐったいんだろう。

 その答えは分かっているはずなのに、そうであると今ここで認めてしまうとこのあとのデートがぎこちなくなってしまいそうで、今はまだその時ではないと頭を振るう。


 それでも、水族館についたあと受付でカップルプランですか?と尋ねられるとどうしても意識してしまう。

 無料招待券を提示する私の指先は少しだけ熱を持っていたかもしれない。受付のお姉さんは申し訳なさそうにしていたけれど、無料招待券に本日消印のスタンプを押して端をもぎると古橋くんがよそ見をしているすきに頑張れってジェスチャーを送ってくれた。


「そういえば、水族館なんて小学生ぶりかも……あ、そういえば私のチケットラッコだ」


 半券を古橋君に渡しながら言う。

 

「俺のはマンボウじゃな……マンボウ……微妙じゃな……」

「マンボウ萌えはなかったかー」


 そんなことを言いながらも、古橋くんはそれを乱暴にポケットへ突っ込むわけでもなく、携帯のカバーの裏側に入れて携帯を戻すと、同じように頷いた。


「それで、水族館は……最後に行ったのは地区のバス旅行じゃなぁ……」

「バス旅行?」


 聞いたことのない単語だ。せっかく水族館のなかに入ったというのに、その単語が気になってしまって、人気の多い水族館のなかでもひときわ人の少ない、どこに魚がいるんだ?って海藻だけが揺れている水槽の前で足を止めた。


「こっちにはないんか?子供会で企画してくれるものでの、念に一度大型バスを借りてみんなで行くんじゃ」

「ごめん、子供会もよくわかんないかも」

「マジか、東京にもないものがあるんじゃな」

「あ……でも、その子供会で水族館に行くなんて楽しそうでいいねぇ」

「おお、それは友達と一緒じゃからな、特別なイベントって感じで俺も好きじゃったな。相沢も、親とは来たりしたんか」

「うちも年に一度くらいはいったかなー……今も子供の時に買った白イルカのぬいぐるみあるよ。のぺ太郎っていうの」


 携帯で“のぺ太郎”の写真をみせる。つぶらな瞳の白イルカで、のぺっとした顔立ちだからのぺ太郎。十年も前にかったのぺ太郎は買ったときよりも随分と痩せてしまったが、いまも現役の相棒だ。


「のぺ太郎……さては相沢、ぬいぐるみには名前を付ける派じゃな」

「ふふん、家族だからね」

「のぺ子、のぺすけ、のぺろうもおるんじゃろ」

「のぺ縛りをしてるわけじゃないけど?!というか名づけセンス悪いって思ってない?」

「ははは」

「ははは、じゃなくって!」


 言いながら流れに合わせて次の水槽へと向かう。

 悔しかったので、魚が泳ぐ水槽ではお互いにこの魚に名前をつけるとするならば、というお題で名前を言いあったけど「ギョタロー」とか「アジノスケ」とか古橋くんも結構適当で、最終的には定番のあの魚を料理するなら何にするというお題にすり替わっていた。


「あれは煮物が美味しいから煮物かなー」

「いや、前に刺身を食うたがうまかったぞ」

「でもヒラメを捌くのって難しそうじゃない?普通の魚と違いそうっていうか……平べったくて難しそう」

「俺、捌けるぞ」

「うっそ、本当に?ヒラメ捌いたことあるの?」

「おお、漁師町で育ったからのう」


 初めて聞いた地元の話。そういえば、古橋くんが自分から地元のことを話すのは初めてだ。あんまりにも自分から話さないから、地元で何かあったんじゃないかなと思って特に何も聞いてこなかったが――得意げに笑う彼を見ていると、自分から地元の事を話さないだけで、嫌いではないようだ。

 水槽の中で、自由に魚たちが泳ぎ、端の方ではウツボがハクハクと間抜けな顔で口を動かしている。私はそれを見て、古橋くんを見上げて言った。


「じゃあ、今度捌いたことのない魚が届いたら、古橋くんに頼まないとね」

「おん、任せろ。魚を捌くのは得意じゃからな」

「お、じゃあこっちのマグロは?」


 少し開けた先にある、マグロ専用の大型水槽。回遊魚とあってマグロは水槽の中をずうっとぐるぐると周回し続けており、銀色の肌にライトが当たってきらきらと金色に光っているように見える。


「マグロ、一回だけあるぞ。母方のじいちゃんが漁師で捌かせてもらったんじゃ」

「ええ、それは凄い!いいなぁ……マグロ、美味しかった?」

「おうおう、そこは捌く俺を褒める流れじゃろ。マグロに行くな」

「あはは」

「あははじゃのうて」


 遠くで、「そろそろマグロのスポットガイドが始まるよ」という声が聞こえる。気付けば大型水槽の後ろにあるベンチ席は全て埋まっており、立見席もちらほら出てきている。ともすれば今この水槽の前に立つのは邪魔かもしれない。


「あー……っと、退いた方がいいよね?」

「目立ちたいなら此処におってもえいと思うが」

「アウェーすぎるよ……」

「ははは、じゃあ今のうちに飯でも食いに行くか?」

「あ、それいいね。今なら人少なそう」


 古橋くんは、あくまで私に判断をゆだねていた。


「もう少し見たいものがあるなら、今の内に見るというのもアリじゃぞ」


 そう選択肢を増やす彼にお腹を擦ってみせると、彼は笑って、共に向かった食堂も、外のテラス席もガランと空いていた。


「おお……独占状態じゃな……」

「わが相沢グループが貸し切ったからね……」

「テラスと食堂だけ貸し切ったんか、一般客は困るじゃろうな~」

「あ、今のナシ」


 適当な事を言いながら席に座り、古橋くんがテーブルの上を軽く払ううちに弁当箱を取り出して並べる。いろんな具材や混ぜおにぎりと、沢庵を詰めたお弁当箱に、古橋くんが良い反応を見せていた古橋龍之介セレクションのお弁当箱。最後に大量消費のために作ったみかんゼリー。お弁当箱を開いた時の古橋くんといえば百点満点の反応で、


「っ俺の好きなものばっかりじゃ!」


 と喜ぶ声は、いつもよりもなんだか幼い。


「フフフ、とっておきのスペシャル弁当って言ったでしょ?今日はこれまで食べてくれたお弁当たちでとくに反応が良かったものを沢山詰めてみました」

「はぁ……いつかは腹いっぱいに食べたいと思っておったが……夢が叶ってしもうたのう」

「あはは、夢って」

「いやいや、本当じゃぞ?相沢の飯はうまいが、数個ずつしか入っとらんからな。たくさん食べたかったんじゃ」


 彼の言葉は、やっぱり真っ直ぐだった。

 こういう反応だから、私にとってもあの水曜日を続けられたんだろうな。

 紙皿と割りばしを渡して、一緒に食べ始めたお弁当。どれも私にとっては作り慣れたものばかりで、定番のものではあったけれど古橋くんが美味しいと笑ってくれると、なんだかいつもよりも美味しく感じて――そこで漏れた声は本心だったように思う。


「……やっぱり古橋くん……好きだなぁ」


 恋だとか愛だとか、まだまだそれが何たるかは分からないけど、もしもそういう言葉に何かをあてはめなければならないのなら、その相手は古橋君が良い。

 真っ直ぐで、正直な人だから、だから古橋くんがいいんだ。


「え?」


 沈黙。


「……え?声に……出てた?」

「お、おう……」


 思わず声が上ずる。

 あんまりに食いっぷりがいいものだから、ぼんやりとしすぎた……!

 一体どこからどこまで口に出たかは分からないけど、でも今私が考えていたことって、すべて告白ではないか!


 途端に熱湯を被ったように顔が熱くなって、箸で摘まんだから揚げが皿の上にポテンと落ちる。その動揺は凄まじいもので、必死に「いや、これは一緒に食べるのが好きだなっていうか」「古橋くんいっつも美味しいっていってくれるから」と弁明したけれど、弁明というよりも好きなところを羅列しているだけになっている。

 古橋くんはそれを見てフッと息を漏らすように笑うと――


「その答えの前に、わしからも聞いてほしいことがあるんじゃが……聞いてくれるか?」


 そう、小さく尋ねた。


「うん……」

「…………わしは、本当は水曜日が嫌いじゃったんじゃ」

「え?」


 間の抜けた返事。

 古橋くんは眉尻を下げて笑った後、呼吸を整えるようゆっくりと息を吐き出してから語らい始めた。


「……うちは小さい時に母さんが死んでしもうて、いわゆる父子家庭という奴でのう。広島じゃ父親と二人暮らしをしておったんじゃ」


 初めて知った事実。確かに、一緒に暮らしているおじいちゃんとおばあちゃんの話が出ても、これまでお母さんの話は出てきたことがなかった。でも、まだ話の答えや道筋は見えない。私は頷くにとどめ、先を待つ。

「……じゃが、俺が中学生の時……父さんに恋人が出来てのう」

「はじめは、一緒に暮らしとるわけじゃなかったし、俺も紹介されただけじゃった」

「でも、父さんの休日が水曜日と土曜日でのう、俺が学校でおらん水曜日に会ったり、家に招いておって……それがどうにも」


 言葉が濁る。それを誤魔化すように好きだといっていたあおさの卵焼きを一切れ食べる彼の顔は暗く沈んでおり、考えをまとめるよう咀嚼を繰り返して飲み込むと、続けるように言った。


「一年半前から、うちに住むようになってしもうてのう……部屋は母さんが使っておった部屋で……まぁ、といってもあそこは母さんが亡くなって以降だれも使っておらんかったから仕方ないと思うが……子供まで生まれると、どうにも疎外感が出てしもうた」

「子供……じゃあ古橋くんには弟さんか妹さんがいるんだね」

「ああ、双子でのう。男が響、女が奏じゃ。……そろそろ一歳になった頃かのう」


 お父さんと、その恋人の花さん。生まれた双子の奏くんと響きちゃん。

 一歳といえば結構なイベントごとで、優しい古橋くんなら喜んでお祝いをしてくれそうなものなのに。……それなのにそれすらもあやふやなのは、彼は家族に向き合えていないということなのかもしれない。


「薄情じゃと思うかもしれん。……しかし、自分の家であるはずなのに、血の繋がっておるのは父親だけ。それがどうにも居心地悪くて。……それに俺が家におるよりも家におらんほうがええと、そっちの方が花さんや――響や奏がのびのび出来るんじゃないかと、そうおもってこっちに出てきたんじゃ」

「………そっか」

「まぁ知ってのとおり、頭だけは良かったからのう。部活にも入っておらんかったし、大学のことを考えてもこの選択で良かったと思っとる」


 自虐めいた言葉。

 彼は軽い調子で笑っているが、その瞳は寂し気で、そのとき晃君が言っていた言葉を思い出した。


「千紗には千紗の悩みがあるし、古橋くんには古橋くんの。小田切ちゃんには小田切ちゃんの悩みがある。それを優劣つける必要なんて、どこにもないよ。そうだろ?」


 少しの沈黙が流れる。


「……だから、水曜日が、ずっと嫌いじゃった」

「部屋のドアを開けるのが、嫌になるくらい、今までの空気が違うてのう」

「何も言われとらんのに、居場所がないような気がして……」


 彼は苦笑いを浮かべて、これで暗い部分はおしまいと言うように軽く肩をすくめた。

 寂しそうだった顔はうって代わって、穏やかなものに。彼は一口分お茶を飲むと真っ直ぐに私を見つめて、言った。


「――でも、水曜日の弁当の日が始まって、ちょっとだけ、違うもんが見えてきたんじゃ」

「相沢の飯が、嬉しかった。こうやって好きなものを覚えてくれとったり、俺好みの味付けを考えてくれたり……その優しさに触れるたびに、ああ、誰かが、俺のこと考えてくれとるって、そう思えてな」

「水曜日にあった憂鬱な気持ちが、いつのまにか無くなっとったんじゃ」


 ……その言葉に、胸の奥がじんと熱くなる。

 誰かのために作ったお弁当が、こんなふうに誰かの心に届いていたなんて――


「……相沢、お前の飯を食べとると、満たされるんじゃ。食欲も、心も、幸福感も――全部」


 静かだけど、真っ直ぐな声だった。

 あまりにも真っ直ぐで、言葉のひとつひとつが胸にぽとりと落ちてくる。


「……だから、これからも……週一でもええ。いや、気が向いたときでいい。俺のために、また弁当を作ってくれんか?」


 その言葉に、思わず息を飲んだ。

 胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じながら、私はゆっくりと頷いた。


「……うん。作るよ。何度でも……古橋くんのために」


 言葉にするのが、こんなにあたたかいなんて思わなかった。

 あふれてくる想いをどうにか閉じ込めて、そっと笑って答えると――


 彼は箸をそっと置き、ふわりと目元を和らげた。

 それから、少し照れくさそうに目を伏せながらも、しっかりとこちらを見た。


「……おまえの弁当も、……相沢自身も、大好きじゃ」


 その一言に、胸の奥で何かがぱっと咲いた気がした。

 それはもう“好き”なんて言葉だけじゃ足りないくらい、優しくて、嬉しくて――でも、ちゃんと伝えなきゃって思った。


「……っうん、私も。私も古橋くんが好き」

「……おん」

「真っ直ぐで、ちょっと不器用で……でも、ちゃんと気持ちを返してくれる古橋くんが好き。それに、“美味しい”って言ってくれるたびに、私も、水曜日がもっともっと大切になってくの」


 気づけば、涙がひとしずく頬を伝っていた。

 でも、それすら温かく感じるくらい、心はふわふわに満たされている。


 食べ終わったお弁当箱を紙袋に戻して、少しだけ重くなった心を、そっと胸の中で抱きしめる。

 これからもきっと、水曜日は特別な曜日になる。

 小さく笑って彼の隣を歩くと、夕陽がふたりの影を重ねて伸ばしていた。


 水曜日が好きなふたりの物語は、まだ始まったばかりだ。


もうちょっとだけ続くんじゃ

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