116.温泉
バルとミーナはとある州に存在する温泉施設へとやって来ていた。
王族貴族もやってくる高級施設である。
彼らは八神輝の威光で無料で自由に利用することができた。
「八神輝は窮屈だが、こういう特権はすばらしいと思う」
「そうですね」
バルの言葉にミーナが相槌を打つ。
彼女の方は彼のつきあいで来ていると言った方が正しかった。
彼もそのことは承知しているが、いくらミーナと言えど本当に嫌なことにはつきあってくれない。
そのこともまた理解しているため、遠慮しないことにしている。
高級施設は一階に男女別の大浴場がひとつずつ、家族用浴場が三つあり、二階が食事用施設、三階からが宿泊施設だった。
彼らはそのうち家族用浴場の一つを貸し切りにしている。
「別に女風呂という手もあるわけだが」
バルが言うとミーナが即答した。
「バル様以外に肌を見られると殺したくなります」
「それはダメだ」
彼女は真顔だったため、彼は即座に説得をあきらめた。
温泉で阿鼻叫喚の地獄を作るわけにはいかなかったからである。
以来、二人で家族用の風呂に入ることにしていた。
ミーナはバルに見られる分には平気らしく、タオルで体を隠すこともない。
傷一つない美しい白い素肌を惜しげもなく披露されるのは、目の保養になるだろう。
(だが、裸目当てで誘っていると思われるのは不本意だ)
変なところで真面目なバルは、けっこう真剣に悩んでいた。
それでも結局「温泉に入りたい欲」に負けてしまうため、割と周囲の評価が気になるところである。
八神輝に聞けば舌打ちするか、あきれるか、苦笑いするかの三択なのは彼らを知っている者ならば納得するだろう。
「いい湯だな」
「ええ」
二人はゆっくりと温泉につかりながら目を閉じる。
第三者から見れば温泉混浴デートだとしか考えられない状況下でも、色気もへったくれもないコンビだった。
「……夜に来て、月でも見て酒を飲むという手もあるな」
「酒ですか。調達してきましょうか?」
バルのつぶやきを聞いたミーナが提案してくる。
「いや、上の階で仕入れればいいさ。貴族たちも来ている場所だけに、品ぞろえはいいからな」
彼は笑って答えた。
「分かりました」
二人はしばらくするとそろって出る。
脱衣室は無駄に広いため、二人くらいは余裕で利用できた。
「この後はどうしますか?」
「店に行って酒を飲んで、何か腹に入れてダラダラする。お前もダラダラしろ」
「かしこまりました」
八神輝の二人がそんなことをしてもいいのかと誰も言わない。
何かあれば魔術具で緊急連絡があるし、ミーナが一緒であればどこでもあっという間に帰還できる。
そのような理由があってこそのダラダラ旅行だ。
バルはちゃんと仮面を被って顔を隠す。
この施設には他の利用者もいて、素顔を出すわけにはいかなかった。
バルたちは二階の店に行って酒と料理を注文して、個室のカギを渡される。
貴族や富豪の利用者ばかりだからか、席は全て個室のうえに防音性も考慮されていた。
もっとも、ここで密談すれば逆に目立ってしまうため、ここで秘密の会合をおこなう者はいないという通説である。
バルにしてみればどうでもよい話だった。
「おっ?」
他の利用客はまずミーナの美貌に目を奪われる。
そしてエメラルドのような瞳から相手が「断罪の女神ヴィルへミーナ」だと思い当たり、慌てて目を逸らす。
ヴィルへミーナの容姿と実力、性格はかなり有名だったし、貴族や富豪となれば彼女に言い寄ろうとする勇者はもういない。
「この瞳もたまには役に立つものです」
ミーナは彼らの反応からおおよそのことを推測し、バルにだけ聞こえる声で言う。
怯えるような様子に対しては平然としていた。
有象無象にどう思われようが一切気にしないという態度は実に彼女らしい。
バルとしても揉めごとは避けられてありがたいという一面があるため、苦笑するだけにとどまる。
ミーナが一緒にいる仮面を被った人物というだけで、バルトロメウスだとバレバレなのだろうなとは思うのだが。




