104.旅人ペレク
「私はペレクと申す。西の方から流れてきました」
と老いた旅人は名乗る。
帝都から見て北はエルフの国があり、東と南は海だ。
つまり旅人は基本的に西から来るのが一般的であり、ペレクは自己紹介をしたようでしていないとバルは判断する。
「ここに来る前はどこにいらっしゃったのですか?」
「都市国家群ですな。その前は聖国、さらに前は連邦にもいました」
バルの問いにペレクは何でもないように答えた。
都市国家群とは文字通り、ひとつの都市が国家並みの自治権と軍事力を持っている。
「都市国家か……あそこはよく分からんな。何でどこにも攻められないんだろ?」
バルの知人が首をひねった。
連邦と似たような関係だが、連邦ほど結束力はない。
それにも関わらず帝国以外にも聖国、連邦と隣接していながら戦火と無縁なのが、不思議のようだ。
「難しいでしょうよ」
ペレクが即座に応える。
「あそこは大国同士の緩衝帯のようなものです。どこかが侵攻すれば、さすがに団結するでしょうし、他の大国が警戒します。それでいて大国を警戒されてもよいほどの旨みがあるわけでもないですし」
リスクに見合ったリターンがないからだと老人は話した。
「唯一例外は帝国ですかね。帝国が本気を出せば連邦や聖国の援軍を蹴散らし、都市国家群を併呑することは可能でしょう」
「でも帝国はやらないでしょうな」
バルがのほほんとして言う。
当代皇帝は領土的野心などみじんもない男だと明言できる。
都市国家群を攻め落とさないかぎり解決しない問題を抱えているわけでもないとなれば、帝国が動く理由はなかった。
彼が玉座にいる間は、あるいはよほど特別な事態が発生しなければ、帝国軍が侵攻することはないだろう。
「そうですな。ただ、ゲスターン王国は滅ぼされてしまいましたが」
ペレクは声を低め、畏怖を込めて話す。
「あれは先代の時の話ですな」
バルは仕方ないという顔になる。
先代皇帝は血の気の多い激情家だったという。
ゲスターン王国と長年続く小競り合いや利権争いに我慢ができなくなり、当時八神輝筆頭だったユルゲンに出動を命じたのだ。
その結果、数百年続いた大国が滅び去るという結果に終わる。
そこまでは帝国としてはよかったかもしれないが、大陸中で反帝国の機運が高まってしまった。
八神輝への恐怖が高まり過ぎたと言ったほうが正確であろうか。
ユルゲンはあまりにも強すぎたのである。
慌てた帝国は懸命の外交攻勢で、何とか大陸対帝国という展開は避けることに成功した。
「八神輝を全員出せば勝てるかもしれないが、勝っても統治できるはずがない」と当時の宰相の言葉である。
大陸全土を統治する人員を出すなど、絵空事もいいところだった。
先代皇帝がいくら短気で好戦的な性格でも、さすがに大陸の大半を統治者不在の地域にするのはためらったらしい。
「というわけですな」
バルの知人のしめの言葉にペレクは「理性的で懸命な帝国人に乾杯」とつぶやいた。
そしてグラスを揺らして言う。
「情報料分話すはずが教わってしまいましたな。この分、色々とお答えしなければ」
「律儀な人ですね」
とバルは笑ったが、あまり信じていない。
「何か変わった話はご存じで?」
彼の質問にペレクは「期待に沿えるか分かりませんが」と前置きした上でしゃべる。
「聖国ではどうもきな臭い動きがあるようですよ。理由は分かりませんが、何でも最高神殿長が失脚したとか」
「へえ?」
知人は何のことか分からず適当な反応をしたが、バルは違う。
八神輝のたしなみとして、聖国の神殿についてある程度のことを知っている。
聖国の最高神殿長は死ぬか重病になるかしないかぎり、辞職することはない。
甘い汁を吸い放題の職で誰も辞めたがらないからで、失脚するのも非常に珍しいはずだ。
もちろん、帝国の二等エリアに住んでいる市民が知っている訳がない情報である。
「最高神殿長が失脚するのが、きな臭いことなんですか?」
バルは意味が分からないという表情でペレクにたずねた。




