第31話 『優しい魔王様』
「さて、ギルド本部ってのは、どこだ……?」
痛い子から奪った念力により、夜空に漂う。
ギルド・マスターはギルド本部にいる筈だ。
新聞記者から奪った千里眼にて周囲を捜索。
闇を見通す吸血鬼の眼が、該当物件を発見。
「なんだありゃ? まるで、魔王城だな」
郊外の路地裏には不釣り合いな西洋風の城だ。
屋根は尖った尖塔。黒い外壁が物々しい建物。
とはいえ、城壁はなく城自体もかなり小さい。
城の外観をした、大きめ一軒家って感じだ。
「怪しすぎるな。あそこがギルド本部かな?」
とにかく、行ってみよう。現地に向け、飛行。
「やっぱり、ここがギルド本部か」
地面に降り立ち、正面入り口を見上げる。
そこには大きな看板が掲げられていた。
【異能力者ギルド本部】
なんともわかりやすい。間違いない、ここだ。
「ごめんくださーい!」
大きな漆黒の両開きの鉄扉をガンガン叩く。
しかし、返事はない。誰もいないのか?
とりあえず、中に入ろうとするが。
「あれ? 鍵でもかかってんのかな?」
扉が開かない。これは困った。
渾身の力で押してもビクともしない。
おかしいな。獣人化の筋力でも駄目か。
「どうぞ、お入り下さいませ」
「お?」
しばらく試行錯誤していると、不意に開いた。
スーツ姿のサイドテールの美女が佇んでいる。
タイトスカートから伸びる美脚がセクシーだ。
彼女はぺこりとお辞儀をして、自己紹介した。
「どうも、こんばんは。ギルドの受付嬢です」
「あ、はい。こんばんは」
「貴方は吸血鬼様でございますね?」
「へっ? どうしてそれを?」
「許可がなければ扉を開けられないようでしたので。ちなみに、扉の鍵は開いていましたよ」
なるほど。吸血鬼の設定か。試されていた。
「さあ、どうぞこちらに」
「あ、お邪魔します」
エントランスを抜け、大きな広間に入る。
ホールの壁には依頼書が貼り付けてあった。
中は閑散としていて人の気配はない。静寂。
「奥の部屋でギルド・マスターがお待ちです」
「俺が来ることを知ってたんですか?」
「その為の刺客です。どうぞ、こちらに」
ギルド・マスターはこうなるよう仕向けた。
やはり黒幕なのか? だが大泥棒は否定した。
ギルド・マスターには、別な思惑があると。
ホールを横切り、最奥の扉の前で立ち止まる。
「こちらの部屋でございます」
「ああ、親切にどうもありがとう」
「ちなみに私はありとあらゆる言語を翻訳出来るスキルを有しております。必要ですか?」
「は?」
「このギルド本部には世界中から依頼人が訪れるので、私はその方々に応対しておりました。極めて地味な能力ですが必要でしたらどうぞ」
「えっ? えっ?」
唐突に自分のスキルを暴露する受付嬢。
意味がわからず困惑する。そら、欲しいけど。
怪訝な視線を送ると、彼女は哀しげに笑って。
「私には、もう生きている意味はないので」
その意味はわからないが、死にたいらしい。
翻訳のスキル。それが役に立つかは不明だ。
しかし、彼女の死を意味のある物にしたい。
「それなら、遠慮なく、頂きます」
「ありがとうございます。優しい吸血鬼様」
なし崩し的に、吸血をする。とても美味。
受付嬢は切ない吐息を漏らして、脱力した。
その細い肢体をこちらに預けて、遺言を呟く。
「ギルド・マスターは魔王と呼ばれています」
「魔王?」
「ええ。貴方と同じく、優しい魔王様です」
ギルド・マスターは優しい魔王様らしい。
「あの方のことを、よろしくお願いします」
それだけ言い遺して、消滅した。砂となった。
受付嬢はどうして死にたかったのだろうか。
その答えは、魔王様とやらが知っている筈だ。
最奥の扉を、ノックする。すると、返答が。
「入って、いいよ」
「ッ!?」
その声に、驚愕する。そんな、馬鹿な。
急かされるように扉を開ける。
すると、そこには、死んだ筈の姉ちゃんが。
「よく、ここまで、これたね」
「ね、姉ちゃん……?」
「また、会えて、嬉しい」
よろよろと、歩み寄る。
執務机に座っていた姉ちゃんが、立ち上がる。
何故か高校の制服を身に纏っている。
黒髪ショートカット。
無表情なクールビューティ。
声音も無機質で、姉ちゃんの喋り方。
しかし、決定的な違和感を感じて、尋ねる。
「……お前は、誰だ?」
「お姉ちゃん、だよ?」
「お前は姉ちゃんなんかじゃない」
「どうして、そんなこと、言うの?」
「俺の姉ちゃんはな、無乳なんだよ」
姉ちゃんとの唯一の相違点を指摘する。
細身の身体に不釣り合いな、大きな胸。
神ほどではないが、十分すぎる巨乳だ。
すると、姉ちゃんもどきは、にやりと嗤い。
「お気に召さないかね? サービスのつもりだったのだが……バレてしまっては、仕方ない」
制服の袖がまるで振袖のように広がる。
それで一瞬、顔を覆い隠し、次の瞬間には。
青みがかったプラチナブロンドの美女に変貌。
「改めて、私がギルド・マスターである」
気怠げな笑みを浮かべて、正体を明かした。
身に纏うのは、髪と同じ色の美しいドレス。
大胆に開いた胸元にくっきり刻まれた谷間。
先程とは異なる、涼やかな声音。まさに変身。
ついに現れたギルド・マスターに、詰問する。
「どうして姉ちゃんの姿を装った?」
「君が逢いたいだろうと思ってね。それと……」
「なんだよ?」
「私の能力を披露する良い機会だと思ってな」
悪びれもせず、青髪の美女はそう答えた。
執務机に座り直して、パイプに火をつける。
まるで探偵のようにプカプカ紫煙を燻らせる。
「さあ、こっちに来たまえ。説明しよう」
気怠げに手招きするギルド・マスター。
罠を警戒しつつも、歩み寄る。
すると、彼女はニヤニヤ笑い、手を取る。
「うわっ! 冷たっ!?」
「ふふっ。そんなに冷たいかね?」
そのひんやりとした感触に驚く。
そんな俺の手をすりすり撫でる美女。
なんのつもりだと思っていると、嬉しそうに。
「君は温かいな。どうだ? 少しはマシかね?」
「言われてみれば……温かくなったかも」
まるで体温が移ったように、仄かに熱を持つ。
不思議なギルド・マスターの柔らかな手。
そのまま手を引かれ、彼女の膝に座らされた。
「な、何すんだよっ!?」
「私はね、人肌が恋しいのだよ」
「はあっ!?」
もがく俺を両腕で抱えて、意味不明な発言。
困惑しつつ、その冷えた身体に体温が移る。
すぐに温かな常人の体温となった美女。
彼女は俺の耳元で、哀しげに尋ねてきた。
「受付嬢は君が殺してしまったのだろう?」
受付嬢の殺害の確認。俺は慎重に返答する。
「ああ。頼まれて、吸い殺した」
「そうか。残念だ」
ギルド・マスターは怒らなかった。
部下を殺されても、俺を責めない。
ただ悲しげに、俺を抱きしめた。
「どうしてあの人は死ぬつもりだったんだ?」
「それは私がこれから死ぬからだろうな」
「は?」
「まあ、それはさておき。本題を話そうか」
ゆらゆらと赤子をあやすように揺れる。
背中に大きな胸が当たり、ドキドキする。
側頭部に頬を押し付けて、耳元で囁かれた。
「私はね、スライムなのだよ」
「ス、スライム?」
「ああ、だから変幻自在なのだ」
いきなりのカミングアウト。
スライムの異能ってことか?
いや、そもそもこの人は人間ではないのか?
もしくは俺みたいに後から化け物になった?
混乱していると、彼女はくすくす笑い。
「私は生まれつきのスライムだ」
「それは、モンスターってことか?」
「そうとも言うが、その呼ばれ方は嫌いでね」
「あ、ごめんなさい」
慌てて謝ると、彼女はちょっと偉そうに。
「できれば魔王と呼んでくれたまえ。その方が、モンスターよりも格好が付くだろう?」
「ああ、わかった。すまん。無神経だったよ」
「いいさ。だから、私は体温を持たないのだ」
彼女はなんと、生まれつきのモンスター。
しかし、そう呼ばれるのは嫌いらしい。
それは、なんとなくわかる。
俺も化け物呼ばわりは、嫌いだ。
スライムだからこそ、こんなに冷たいのか。
「私は寒がりでね。受付嬢にはよく世話になったものだ。優しい人間は体温が高いからね」
側頭部に頬を擦り付けながら、そう語る。
寒がりなスライム。だから人肌が恋しいと。
俺はされるがまま、魔王に温もりを伝えた。
「もっとも、その際は少年の姿だったがね」
「へっ?」
背中の大きな胸が急速に萎んでいく。
驚いて、膝の上から立ち上がる。
振り向くと、そこには可愛らしいショタが。
「驚いたかね? 私には性別がないのだよ」
マジかよ。オカマ? いや、そうじゃないか。
とにかく、俺にわかるのは、ただひとつ。
あの美人な受付嬢もまた、ショタコンだった。
転移魔法の使い手といい、ショタコン多すぎ。
愕然としていると、パイプをプカプカ吹かし。
「今度は君が椅子に座りたまえ」
「な、なんで?」
「次は私が上に乗りたいからだ」
いや、それはちょっと。と、渋っていると。
「大丈夫だ。もうついてない」
「あ、それなら問題ないっす」
即座に着座した。座り心地の良い椅子だ。
背もたれに背を預けると、魔王が乗っかる。
背格好はショタのまま。だから色気はない。
けれど、乗り方が問題だ。何故正面なんだ?
「ふふっ。目が泳いでいるよ?」
「いや、近いって!」
「ただのスライムに、何を照れているのかね」
そのまま首に手を回されて、抱擁。
ひんやりした頬が、首筋に触れる。
ゾクゾクしていると、質問を促された。
「さて、君から何か聞きたいことはあるか?」
俺から聞きたいことなんざ、決まっている。
「どうして四天王を差し向けた?」
「それは君に会いたかったからだ」
「普通に呼んでくれたらいいだろうが」
「君は四天王の異能が欲しいと思ってね」
俺が欲しいからだと? 何を言ってんだ。
「仲間を切り捨てたのか?」
「どうせ皆、君に狩られる運命だった」
ギルド・マスターは悲しげにそう説明した。
俺に狩られる運命。それは間違いない。
神を殺す為に、俺は彼らを狩っただろう。
そう言われてしまっては、何も言えない。
四天王を皆殺しにしたのは、俺だ。だけど。
「俺の同級生を巻き込むなよ」
痛い子とダルっ子を襲った、猛毒使い。
それについては、やはり納得出来ない。
無論、最初から彼女らは吸い殺す予定だった。
我ながら酷いシナリオだ。しかし、それでも。
その際に、他の奴に邪魔をされたくなかった。
そんな自分勝手な俺の指摘に、魔王は答える。
「猛毒使いが、すまないことをした」
素直に謝られて、戸惑う。
首筋に回した細腕が、震えている。
魔王は本当に申し訳なさそうな声音で。
「彼には私も手を焼いていてね。失策だった」
「失策ってのは、どういう意味だ?」
「まさか君が協力者を同伴するとは思っていなかったのだよ。だから、配置を間違えた」
なるほど。単身で来ると踏んでいたのか。
人格破綻者のあの猛毒使いは、その能力の性質から後詰めに回さざるを得ないのだろう。
だから、あの時、運悪く2人に鉢合わせた。
もしかしたら、それは言い訳かも知れない。
けれど、結局殺したのは俺だ。俺が悪い。
だから、それ以上そのことを追求はしない。
「わかったよ。あんたの言い分を信じる」
「ありがとう。君は本当に、優しいのだな」
魔王はほっとした声音で、密着してくる。
どいつもこいつも、俺を優しいと言う。
そう言われる度に罪悪感が募り、吐き捨てる。
「俺はただの人殺しだ。クズ野郎だよ」
「うん。確かに君は吸血鬼には向いてないね」
「どういう意味だよ?」
「君は少しばかり真面目すぎる。化け物は怠惰でなくてはならない。この私のようにね」
幼子に言い聞かせるように、優しげな口調で。
「君のことは調べさせて貰ったよ」
「平凡な人生だっただろ?」
「ああ、平凡すぎる人生だ。それが良くない」
何故俺が吸血鬼に向いてないか、解説した。
「日常的に才能を渇望していた君に、突如降って湧いた異能の力。だから君は決して驕らず、真面目に能力に向き合い、努力してしまった」
「努力がいけないって言うのかよ?」
「君は努力しなくても十分強い。そんな強大な吸血鬼が努力などすれば、手が付けられない」
「俺には目的があった。だから、努力した」
「ほう? その目的とは、何かね?」
魔王が首筋から頬を離し、じっと見つめる。
その淡い水色の瞳が、とても透き通っていて。
俺は誤魔化すことはせずに、目的を口にした。
「神を、殺す為だ」
「神?」
「この世界のワールド・オーナーだ」
「ああ、なるほど。そう言うことか。君が何かの目的の為にスキルを集めていることは知っていたが、よもやそんな理由とは思わなんだ」
ふむふむと納得した様子の魔王。
「ようやく大泥棒の言葉の意味がわかったよ」
「なんて言ってたんだ?」
「あの坊主の未来はお先真っ暗だってね」
酷い言い様。眉を顰めると魔王は真剣な顔で。
「怒らないで、よく聞いて欲しい」
「なんだ?」
「その目的は諦めた方がいい」
「なんで?」
「それは、不可能だからだよ」
神を殺すことは不可能だと断言された。
今更そんなことを言われても困る。
それに俺には奥の手がある。その牙を見せて。
「この牙さえあれば、奴だって殺せる筈だ」
「そうだね。殺せるだろう」
「だったら!」
「その前に、君が殺されてしまう」
魔王ははっきり告げた。無謀であると。
「私はこれでもわりと長く生きていてね。不死ではないが、不老だ。その私から見ても、あのワールド・オーナーは規格外だ。炎使いの女の子にもそう言って止めたのだがね。しかし、結局聞く耳を持たなかった。その結果がこれだ」
炎使いの女の子。生徒会長のことか。
「少しだけ、昔話に付き合ってくれたまえ」
彼女は語る。ほんの十数年前の出来事を。
魔王曰く、十数年前までワールド・オーナーは別の人物とみなされていたらしい。
その人物は、とある孤島に存在する太古のダンジョンの最奥に、ボスとして鎮座していた。
ダンジョンのある孤島は、その溢れ出る強大な魔力によって変質して、周辺の海域にも影響が出ていた。それに対処するべく、遥か昔に異能力者ギルドが結成されたとのこと。
ちなみに魔王もそのダンジョンで産まれた魔物の1個体であったが、生まれつき高い知能を有しており、温かな体温を持つ人間を好きになり、彼らを手助けするようになった。
以来、魔王はそのギルド・マスターとして対応に当たっていた。ダンジョン内を攻略してボスを倒すのが最終的な目的だったのだが、しかし十数年前、そのダンジョンのある孤島と周辺海域はより強大な力によって制圧、封鎖された。
新たなワールド・オーナーの誕生である。
「いつも通り、ダンジョンに入ろうとしたら警告されてね。今日から立ち入り禁止だと。その警告に従わなかった者は、ことごとく返り討ちに遭った。無論、私もね。歯が立たなかった」
それが、現在のワールド・オーナーか。
というか、その孤島って、あの孤島だよな?
俺が最奥で、かわゆいボスを吸い殺した、あのバミューダ海域の孤島に違いあるまい。
しかし、驚いた。神が十数年前に現れたとは。
神とは一体何者なのか。思案に耽っていると。
「君、聞いているのかね?」
「へっ? ああ、悪い。なんだっけ?」
「だから、現在のワールド・オーナーはそれだけ規格外なのだよ。だから、君は勝てない」
「んなこと言われてもな……」
ギルドが束になっても勝てなかった存在。
あの神は規格外。それは知っている。
だから俺も規格外になろうとしたのだ。
それを今更諦めろと言われても、困る。
すると、魔王はやや躊躇いながら、告白した。
「私はね、君に殺されるつもりだったんだ」
「どういうことだ?」
魔王はこれまでの経緯を一気に語る。
「君が突然吸血鬼の異能に目覚め、大暴れして、私はその対応をしながら思った。きっとこの子には大きな目的があると。その予感が大泥棒の証言によって裏付けされて、私は懸賞金を取り下げた。大泥棒は多くは語らなかったけれど、少なくとも君が快楽殺人犯ではないことは察することができた。だから、助けたかった」
俺を助ける為に、死ぬつもりだったらしい。
「けれど、目的が余りに大きすぎる。無謀だ」
魔王は強い口調で窘めた。俺を抱きしめて。
「だから、悪いことは言わない。諦めたまえ」
「無理だ」
「どうしてそこまで……」
「あの神が、姉ちゃんの仇だからだ」
即座に拒否。それでも魔王は諦めずに。
「ならば私が君のお姉さんの代わりになろう」
姉ちゃんの姿を模して、姉ちゃんの口調で。
「私は、不老。この先ずっと一緒に生きれる」
今回は胸まで完璧な姉ちゃんだ。しかも不老。
受付嬢が言った通り、優しい魔王様だ。
優しすぎて、涙が出る。だけど、それでも。
「お前は俺の姉ちゃんじゃない」
いくら姿形を似せても、魔王は魔王だ。
それは胸の大きさではなく、根本的な違い。
なんど騙されようが、必ず俺は気づく。
魔王からは、姉ちゃんの匂いが、しないのだ。
「やれやれ。まったく、君は頑固だね」
魔王は姉ちゃんの真似をやめて、最初の姿となった。豊満なバストをこちらに押し付ける。
その水色のプラチナブロンドは、まるで透き通るような輝きを放っていて、とても美しい。
姉ちゃんを模倣せずとも、魔王は絶世の美女。
「結局、そのままの姿が一番似合ってるぜ」
素直にキザな台詞が口から出た。恥ずかしい。
すると、魔王は意外にも頬を染めて。
じとっとした目で、パイプを吹かして。
「ならば、この私と添い遂げたまえよ」
「残念ながら、それは出来ない相談だ」
「大馬鹿者め。私がこんなに頼んでいるのに」
ふぅっと、紫煙を吹きかけられる。
むっとした顔が、とても可愛らしい。
慣れない煙が目に染みて、咳き込むと。
「だったら私が……君を殺してやろうか?」
その一瞬の隙に、鼻と口を手で塞がれた。
いや、もはやそれは手とは呼べない。
粘性の強い、液体と個体の中間。スライムだ。
俺の膝の上に乗っている身体をスライム化させた魔王は、簡単にこちらを拘束した。早業だ。
呼吸が出来ずに、ただ魔王をじっと見つめる。
無論、窒息死程度なら問題ない。復活可能だ。
しかし、このまま捕食されたら、死ぬだろう。
それは本当の意味の死である。復活は不可能。
しかし、それでも俺は全く焦っていなかった。
「ふふっ。どうした? 抵抗はしないのか?」
嘲笑い、挑発してくる魔王を見つめ続ける。
その俺の視線に、彼女の水色の瞳が揺れた。
全身をスライムが覆い尽くす、その直前に。
「参ったよ……私の負けだ」
根負けしたように、あっさりと俺を解放した。
「どうして抵抗しなかったのだ?」
「あんたは俺を殺すつもりなんかなかった」
「何故そんなことが言い切れる?」
「なんとなく、そう思っただけだ」
「随分と不確かな根拠だな。甘すぎだぞ」
「あんたもな。それに……大人はズルいから」
脳裏にあの大泥棒の最期がよぎる。
大泥棒は、とてもズルい大人だった。
ズルくて、格好良くて、優しい大人だった。
そして、不老ゆえに長寿の魔王もまた、ズルくて、格好良くて、とても優しい大人だった。
「俺に殺される為に、わざと煽ったんだろ?」
「……そういうことは、黙っていたまえよ」
恥ずかしいなぁと、口を尖らせてぼやく魔王。
俺は大泥棒とのやりとりで、経験を積んだ。
大人はこうやって、子供に優しくすると。
わざと敵対して、俺の罪悪感を減らす算段。
それを見抜かれた魔王は、非常に悔しそうだ。
大きくパイプを吸って、ため息混じり吐く。
そしてそれを、執務机の上の台に置いて。
くたっと、柔らかな身体をこちらに預けた。
「ほら、さっさと血を吸いたまえよ」
「随分と投げやりだな」
「私の演出を無駄にした罰だ」
「もう少しさ……一緒に、居たいんだけど」
つい、漏れてしまった本音。俺は寂しかった。
「本当に、君は吸血鬼に向いていないな」
困ったような魔王の声。なんだか申し訳ない。
「私の目にはね、君はずっと迷子のように見えていたよ。大切な人を失い、独りぼっちで、不安で、それでも足掻いて、もがいて、抗って。そんな君を見ていて、そしてその理由を知って、とても切ない気持ちになった。だから、いくらでも甘やかしてあげたいと思うし、ずっと傍に居てやりたいのは山々なのだがね……」
優しく後ろ髪を梳きながら、魔王は俺を叱る。
「私の提案を君は拒否した。それが君の選んだ道だ。だから、立ち止まってはいけないのだ」
前に進めと、怒られた。ならば進むしかない。
「わかったよ。我儘言って、ごめんなさい」
「子供の我儘を聞くのも、大人の仕事だよ」
そんな優しい大人の魔王の首筋に、噛み付く。
スライムの彼女の血は、当然スライムであり。
その不思議な喉越しと、余りの美味さに陶酔。
一心不乱に吸い続ける俺に、魔王は語る。
「ワールド・オーナーは本当に得体の知れない人物だ。我々のような異能力者に前世のビジョンを見せて回っている。私も見せられたが、真偽は不明だ。これはあくまでも推測でしかないのだが、あの者は様々な世界を巡っているのかも知れない。異世界の放浪者の可能性がある」
その大胆な考察に驚き、吸血を中断する。
「異世界の放浪者?」
「そうだ。でなければ、あの保有スキルの量は説明出来ない。もちろん、根拠はないがな」
トントンと、優しく背中を叩かれる。
早く吸えと促されて、吸血を再開。
とにかく、今は吸血のことだけを考える。
じゃないと、この優しい魔王様に失礼だから。
「私も不老だから……寂しさは、よくわかる」
不老のスライムの魔王が、不死の俺を慰める。
「沢山の死を看取り……そして、沢山の……出会いがあった。だから……君にも、きっと……」
最期にぎゅっと抱きしめられて、消滅した。
水色の綺麗な砂が、俺の上に降り積もる。
執務室から照らす月灯りに、キラキラ光る。
主を失ったギルド本部は、とても静かだ。
どうしても寂しさが募る。また泣いた。
泣きながら、受付嬢に真意を察した。
きっと、残されるのが、嫌だったのだろう。
慕っていた魔王様を失うのが、怖かったのだ。
だから、先に俺に殺して欲しかった。
俺はいつも奪う側で、残る立場だ。
なるほど。確かに、吸血鬼に向いてない。
怠惰な吸血鬼なら、ただダラダラ生きるだけ。
奪いもせず、ひたすら惰眠を貪ればいい。
そうすればきっと、悲しくはない。
けれど、結局寂しいことには変わりない。
しかし、怠惰な吸血鬼は恐らく弱い。
奪っていなければ、ただの吸血鬼だ。
寝込みを襲えば、簡単に葬れるだろう。
ところが俺は、既にだいぶ奪っている。
もはや、俺を葬れる存在は、少ないだろう。
ふと考える。無敵の不死は、どうなるのか。
ずっと独りぼっちで孤独に生きるのだろうか。
わからない。けれど、まだ俺は孤独じゃない。
《よお。だいぶスキルが集まったようだな》
唐突に、頭に響く、神の声。
未だに俺を殺せる数少ない存在。
姉ちゃんの仇である、裏切り者の神。
こいつが生きている限り、俺は孤独じゃない。
《そろそろ、決着つけっか。図書室に来な》
一方的に告げて、交信は途絶えた。決着か。
「まったく……少しくらい、感傷に浸らせろよ」
ぼやきつつ、のそのそと椅子から立ち上がる。
水色の砂が舞い落ちる。その粒子を纏って。
念力で、部屋の窓を解放。夜風を浴びる。
「……よし、行くか」
そのまま窓から飛び出して、学校へ向かう。
俺の力がどこまで通用するかはわからない。
それでも、神に挑む。姉ちゃんの仇を討つ。
その為に沢山の犠牲を積み重ねてきたのだ。
その死を、罪を無駄にする事は許されない。
いよいよ、神との決着を、つける時がきた。




