第29話 『ポリシー』
「よお、随分と早かったな、坊主」
大泥棒はこちらに視線を向けず前を見ている。
彼の座るバーカウンターの向こうにはバーテンダーの代わりに一枚の絵画が置かれていた。
「立派な絵ですね」
「そうか? 盗んだ俺にはさっぱりだ」
肩透かしを食らう。絵の内容は罪人の処刑。
絞首刑に処される悪人の最期が描かれている。
どうやらこの絵画は盗んだ物らしい。
「どうしてこの絵を盗んだんですか?」
「俺の前世の最期に似ていたから、かな」
「前世?」
「ああ。根拠はないが、こんな最期らしいぜ」
根拠不明の前世のビジョンを見たと言う。
真意を計りかねていると、彼はグラスを煽る。
ロックグラスに入った琥珀色の液体を、酷く不味そうに嚥下して、酒臭い溜息を吐いた。
「それで、何しに来たんだ?」
「盗まれた記憶を、取り戻しに」
「別に来なくて良かったのによ。わざわざ嫌なことを思い出して、何になるんだ? えっ?」
大泥棒の口調からは、同情が感じられた。
嫌な記憶。それを返すのを渋っている様子。
その記憶の中には殺人の場面も含まれている。
けれどそれを含めても大切なものだった予感。
「全てが嫌な記憶とは限らないでしょう?」
「いや、糞みたいな半生だったよ」
俺の記憶を盗み覗いた大泥棒が、吐き捨てる。
糞みたいな半生。流石にむっとして反論する。
「覗き見した癖に、よくそんなこと言えるな」
「覗き見したからだよ。進んで見たかった訳じゃないけどな。盗んで正解だったと思ってる」
勝手なことを言う。盗みを正当化する気か?
「俺は記憶を盗めるが、好んで盗むようなことはしない。今回は依頼に応じた形だった」
「依頼?」
「ああ、昔世話になった依頼者だ。前世の原風景も、その人が見せてくれたものだ。だから、断りきれなかった。乗り気じゃなかったがね」
その人物に依頼されて、記憶を盗んだらしい。
彼は四天王の1人と聞く。そしてギルドの陰謀。
もしや、依頼主とは、ギルド・マスターか?
「ギルド・マスターが黒幕なのか?」
「俺らのボスは別な思惑で動いているようだが、黒幕って訳じゃない。もっと上の存在だ」
カラカラとグラスの氷を回す。嘲笑うように。
「さて、お喋りはこのくらいにして、本題だ」
会話の主導権を奪われた。いや、盗まれた。
「坊主には2つの選択肢がある」
こちらを見ずに、背中で語る。2つの選択肢。
「悪いことは言わん。このまま全てを忘れて、平和に平凡に普通に暮らせ。それが最善だ」
だいぶ押し付けがましい選択肢だ。
人の最善を勝手に決めないで貰いたい。
選択するとしても、吟味してからだ。
「もうひとつの選択肢は?」
「俺を吸い殺して、記憶を奪い返す」
「盗んだ記憶は返せないってことか?」
「返せるさ。俺はどこぞの人格破綻者の猛毒使いとは違う。だが、返したくないもんでね」
返せるが、返したくない。個人的な都合。
それを当たり前に口にできる大人のズルさ。
なんだか悔しくて、思わず口調が荒くなる。
「俺にあんたを殺せってのかよ?」
「嫌なら全てを忘れろ。今日1日で随分と仲の良い女友達が出来たみたいじゃねぇか。きっと、糞みたいな半生よりもずっとマシな人生を送れるぜ?」
仲の良い女友達。痛い子とダルっ子のことか。
確かに俺も、彼女達と接するのは、楽しい。
けれど、どうしても後ろ暗い。俺は殺人犯だ。
俺が記憶を取り戻したいのは、犯した罪の理由を知って、彼女らと向き合いたいからなのかも。
無論、許して貰うつもりも、許されるとも思ってはいないが、それでも状況は改善する筈だ。
そんな俺の希望的観測を、大泥棒は鼻で嗤い。
「記憶が戻ったら、取り返しがつかないぜ?」
「取り返しがつかない?」
「ああ。間違いなく、お前は不幸になる」
断言された。人の不幸を勝手に決めんな。
しかし、その声音には気遣いが含まれている。
なんとも勝手なおっさんだ。横柄な態度。
大人になれば、こんな態度が許されるのか?
なんにせよ、泥棒の指図なんか聞くかよ。
「俺は記憶を取り戻す。あんたを殺してでも」
「……そうか。悲しいねぇ。なら仕方ないな」
あっさりと選択を受け入れた大泥棒。
傍に置いたボストンバッグに手を伸ばす。
咄嗟に身構える。何をするつもりなんだ?
「先にこいつを返しておく。盗んで悪かった」
後ろにバックを放る。それを両手でキャッチ。
混乱する俺を尻目に、彼は酒を煽る。
警戒しつつも、バックのファスナーを開く。
すると、そこには、なんと。
「お、女物の、パンツ……?」
ギッチリ詰まった女物の下着。パンツばかり。
ブラは見当たらない。普通の衣服も多数ある。
ますます困惑。シリアスな雰囲気が台無しだ。
「あんた、下着ドロだったのか?」
「お人形の下着なんざ興味ねぇよ」
答えになってない。格好つけても駄目だから。
まったくこれだから変態はと憤りながらも、自然と下着を顔に近づけて、くんかくんか開始。
すると、今朝感じた、懐かしい香り。
物置だと思っていた空き部屋と同じ匂い。
またもや目頭が熱くなる。何なんだこれは。
「あれ? このヘッドホン、俺と同じ……」
下着に埋もれたヘッドホンを見つけた。
それは俺の物と同じ製品。奇妙な偶然。
だけど、それはとても偶然とは思えなくて。
匂いの正体含めて、記憶の奪還に踏み切る。
「もう一度頼む。記憶を返してくれ」
「嫌だね」
「子供かよ」
「大人だからだ。いいか、坊主。記憶を取り戻した後、俺のスキルが必要になる。必ず、な」
記憶を取り戻した後に必要になるスキル?
おっさんの泥棒のスキル。それが重要なのか?
わからない。わからないからこそ、知りたい。
「じゃあ、もう頼まねぇよ」
「ああ。ひと思いに……殺ってくれ」
お望み通り、ガブリとうなじ付近に噛み付く。
一切抵抗無し。その様子が逆に不可解だった。
噛まれたおっさんは身じろぎもせずに、懐からタバコとデュポンを取り出して、着火。
「最期に1本、吸っていいか?」
もう吸ってんじゃん。 本当にズルい大人だ。
泥棒のおっさんの整髪料と、高価そうなコロンと、酒とタバコが入り混じった、大人な香り。
味はともかく、素直に格好良いと思った。
そして記憶が流れ込んできた。洪水のように。
蘇る、神の声。そして、姉ちゃんの姿。
幼い頃のおぼろげな記憶。
小学校時代の失恋の記憶。
中学校時代の足掻いた記憶。
高校入学時の絶望した記憶。
そして、直近の陰惨な記憶。
始まりは図書室。
そこで俺は生徒会長に襲われ、彼女を殺した。
その過程で吸血鬼化した俺に待ち受けていたのは神の裏切りだった。姉ちゃんが、死んだ。
そうだ。これが理由だ。神への復讐が目的。
神と対峙するも、なす術なく、惨敗。
強くなろうと思った。神を殺す為に。
だから鉢合わせた担任教師を、殺した。
昇降口を出たところでクラスの男子を殺して。
帰宅後に誘拐され、誘拐犯の女生徒を殺害。
路地裏をうろつき、担任教師の娘も殺した。
喫茶店の猫娘を殺し、涙を流した。
そして痛い子とダルっ子に出会い、逃亡。
その途中で、新聞記者を殺害。
帰宅した後、泥棒に侵入され記憶を盗まれた。
そして場面は今朝へと戻る。
忘れていた事実に、愕然とした。
まさか、よもや、姉ちゃんまで忘れるとは。
姉ちゃんの死が、全ての理由だったのに。
記憶とは、なんと不確かなものなのだろう。
改めて、恐怖を覚える。そして、思い出す。
誰もいないあの台所で食ったナポリタンの味。
吸血しながら、わんわん泣いた。
悲しい、苦しい、切ない、辛い。
大泥棒は、まるで謝るように、長嘆を漏らす。
彼は俺のことを慮ってくれたのだろう。
今だからわかる。大泥棒の大人な優しさが。
それを知って、余計に涙が溢れる。罪悪感。
「いいか、坊主……よく聞け」
衰弱した大泥棒が、弱々しく諭す。
「俺たち犯罪者には、ポリシーが必要だ」
「ポリシー?」
「信念みたいなもんだ。要するに、意味もなく犯罪を犯すなってことだ。わかったか?」
ポリシー。信念。何となく、わかる。
俺は人を殺すのは吸血目的限定と定めた。
神を殺す為、姉ちゃんの仇を討つ為だけに、殺人を犯す。それを信念とすることを、誓う。
泥棒の手足が砂になっていく。彼は自嘲して。
「俺は最後に信念を曲げちまった。自分の盗みたい物だけを盗むと決めていたのに、人から頼まれて坊主の記憶を盗むなんざ、俺らしくもなかった。……ただな、後悔はしてねぇ。だから坊主もこの先、何があっても後悔だけはするな」
大泥棒の遺言に泣きながら頷く。彼は笑って。
「つーか、なんで裸なんだ? ホモなのか?」
「ぐすっ……もう、ホモでも、いいです」
「阿保か。ホモに殺される俺の身にもなれよ。んじゃあな、精々悔いのないように生きな」
そんな冗談を遺して、消滅した。殺した。
カウンターに降り積もる、砂の山。
全裸の俺は、そこに突っ伏して、彼を悼む。
ひとしきり泣いて、ふと顔を上げた。
店内から異臭がする。手足が痺れる。
辺りを見渡すと、壁の穴から漂う、紫の煙。
悲しみに暮れる間も無く、事態は急変する。
スキルの使用法を思い出し、燕尾服を纏う。
獣人化の第六感が、新たな敵を、告げていた。