まじない
闇雲に走っていると、自分を呼ぶ声に立ち止った。
「探しとったんで、どこにおったんや?」
竜之介がのんびりした口調で歩いてくる。祥太は顔を伏せた。
「どうしたんや? なんか、あったんか?」
ただならぬ様子に竜之介が声をひそめた。
「な、何もないよっ」
「ケガしとるやんか」
竜之介が祥太の手首を持ち上げた。肘のあたりから、たらたらと血が流れている。
「大丈夫だよっ」
「大丈夫やない。ほら、来い」
顔を上げようとしない祥太を竜之介が引っ張った。
足ががくがくして、今にも膝から力が抜けそうだったが、竜之介が支えてくれた。
「痛いか?」
「大丈夫……」
祥太は顔を伏せたまま小さく頷いた。
「ほんまに痛くないか?」
何度も聞く竜之介に、祥太は答えようとして少しだけ顔を上げた。
「……痛くないよ」
「そうか。ならええけど」
笑おうとしたができなかった。
笑えばたぶん涙が出る。泣くのだけはどうしても嫌だった。
保健室の前で祥太を待たせて、竜之介はそっとドアを開けて中をのぞいた。
「良かった。先生おらんわ」
「うん…」
戸を開けて中に入ると、室内は薬品の臭いした。イスに腰かけると、
「祥太、嫌やろうけど、薬塗るから制服脱いでくれるか」
と、竜之介がすまなそうに言った。
「うん」
祥太は、震える手でゆっくりとボタンを外して制服を脱いだ。
背中は血で滲み、擦り傷ができていた。
学ランを着ていたから傷は軽傷ですんだが、夏場だったらもっとひどかったかもしれない。
「擦り傷だらけや」
顔をしかめながらちょんちょんと消毒薬をつけてくれる。
「かすり傷だよ」
「そうだな。唾つけといたらすぐに治るな」
竜之介がそう言って唾をつけようとしたので、祥太は慌てて体を引いた。
「やめろよっ」
思わず笑うと、竜之介も一緒に笑った。
「痛いの痛いの飛んでけーって、やってやろうか?」
「子どもじゃねえよ」
「おまじないはきくんやで」
竜之介が真面目に言う。
「本当かよ」
胡散臭そうな顔で竜之介を見ると、彼は真剣に頷いた。
「じゃあ、やって…」
ぼそっと言うと、よっしゃと勢いよく竜之介は言うと、
「痛いの痛いの飛んでいけー」
と大声で叫んだ。
「竜之介、声がでかいっ」
祥太が慌てると竜之介は首を振った。
「本気でやらんと意味がないからな」
そう言ってもう一度、
「痛いの痛いの飛んでいけー」
と、遠くの山へ飛んでいくようにぽーんと腕を振り上げる。
一生懸命おまじないを唱えながら、心の中で何度も祈った。
宏人にされた事、あれは夢だったのだ。
現実ではないのだと。このおまじないで遠くに飛んでいってしまえばいいのにと切実に祈った。