呼び出し
「柏木くんはこの後、職員室へ来て下さい」
今日は補習のない曜日で、早くホームルームを終わらせてさっさと帰るつもりでいた柏木祥太は、担任に名前を呼ばれてぽかんと口を開けた。
「へ?」
先生、今、俺の名前呼んだ?
何が起きたのか把握できていない。その合間にも委員長が号令をかけ、クラスメートたちは散っていく。
担任はプリント類を小脇に抱えると黙って出て行った。
「えーっ。マジでぇ?」
担任がいなくなって大きな声を張り上げたが、すでに先生はいない。
「おう、姫、何やらかしたんだ?」
祥太はぴくりと片眉を吊り上げた。
「うっせえ、姫って言うなっ」
「おお、こわー」
クラスメートが逃げていく。すると、今度は女子が小突いてきた。
「王子は助けに来ないのぉ?」
きゃははと下品に笑って去っていった。
「お、お前ら早く消えろっ」
クラスメートに怒鳴ったが、空しい事に全然迫力がない。というのも、祥太はそこらの女子よりもずっと愛らしいからであった。
言葉遣いとは裏腹に小柄な体はぷるぷると震え、くっきりした二重のつぶらな瞳は潤んでいた。
短く整えられた柔らかい髪、鼻筋も通っていて、唇は花びらで撫でたような淡いピンク色をしている。
一年生の頃は女子生徒と間違われて告白される事件が多々あったが、誤解が解けてもなお、その人気は衰えていない。
自己防衛のために言葉遣いを荒くしてみたが、あどけない表情はどうにもならない。華奢な腕を振り上げても女子でも避けられる。
「俺が何したって言うんだよ……」
小さく呟くと、
「元気出しや」
と、ぽんと肩を叩かれ横を見ると、親友の森竜之介が苦笑していた。
「竜之介…」
「ほら、はよ職員室いかんと奴が迎えに来るぞ」
奴と言うのは、先ほどから言われている王子の事である。
ちょっと変わり者の彼は、祥太を我が物にするために自らを王子と言い、祥太を姫だと称して触れ回っているのである。当の祥太は理解していないのだが。
祥太は慌てて教室を飛び出した。
職員室に向かいながら、呼び出された理由を考えてみた。思い当たるのは授業中、居眠りをして叱られた事くらいである。給食の後だったから、猛烈に眠くて我慢ができなかったのだ。
受験生なんだから別にいいじゃん、と祥太は口を膨らませた。
ぶつくさ言っているうちに職員室に着いた。
「失礼しまーすっ」
「柏木くん、こっちだよ」
イスに座っていた担任が手を振った。
祥太はのろのろとそばに寄って口を尖らせた。
「何だよコニちゃん、俺、忙しいんだけど……」
「ちゃんと先生って呼びなさいね」
担任の小西勝は祥太を軽くあしらうと、まあ、座ってと促した。
祥太は口を尖らせてイスに座ると足をぶらぶらさせた。それを見た小西が苦笑する。
「呼び出された理由、分かるよね」
「すみません……」
「ん?」
小西は目をぱちくりさせる。
「俺、あんまり寝ていなくて……。それで、授業中寝ちゃって…」
「授業中に居眠りはダメだよ」
小西が呆れたように言った。
「だって、夜食がうまくて……」
「夜食? 君は夜、勉強しているの? 偉いな」
小西は感心した。それからすぐに恐い顔をした。
「でも、授業中に眠ったらダメだよ。意味がないでしょ」
「でも、せっかく兄ちゃんが作ってくれるんだよ」
祥太は瞳をいっぱいに開いた。
小西はその潤んだ瞳を見て思わず、うっと言葉に詰まった。
「……そうか。お兄さんが作ってくれるんだ。もしかして、お兄さんに勉強を教わっているの?」
「ううん。兄ちゃんバカだから、中三の問題は解けないんだ」
小西は答えられずに、こほんと咳をした。
「でもさ、兄ちゃんの作ってくれる夜食は美味しいんだよ」
祥太が再び笑顔になる。
その笑顔を見て小西はほっとすると、手に持っていたプリントを眺めた。
「柏木くん、第一志望は東校だったよね」
「え? あ、はい」
突然、話が変わって祥太は目を瞬かせた。
「どうしてそこがいいの?」
小西は書面を見つめたまま聞く。
「宏人に誘われたから」
「宏人? ああ、隣のクラスの久遠くんか。幼なじみなんだって?」
「うん。近くに住んでるよ」
彼こそが祥太の王子である。
小西は、自ら王子と名乗る久遠宏人の目立つ容姿を思い浮かべた。
細身の長身で、女子生徒から絶大な人気を誇る少年だ。肌がつるりとしていて、綺麗な顔をしている。
小西は小さく息をつくと、
「柏木くん、とっても言いにくいんだけどね」
とプリントを机に置いた。
「何? 先生」
「この成績じゃ、東校は無理なんだ」
「えっ? 嘘っ」
祥太はびっくりして立ち上がった。
「そんなぁ困るよ。だって俺、中一の時から宏人に誘われていたんだ。兄ちゃんの行っていた高校に一緒に行こうって」
「そんな先から考えていたの? え? お兄さん東校? 頭いいじゃない」
「どうして宏人は行けるのに、俺は行けないんだ、先生っ」
小西は小さく息を吐いた。
「久遠くんは君の成績を知っているの?」
「知らねえよ。かっこ悪いもん」
「かっこ悪い?」
祥太はイスに座り直して、ぷいと顔を背けた。
「この間の中間テスト、俺は三桁だったのに、宏人は六番だって言うからそれで……」
「久遠くんは六番……。それで、君は何て言ったの?」
小西がおそるおそる訊ねる。
「五番だって言ってやった」
「五番っ」
小西は思わず仰け反って、あわわと口を押さえた。
「後ろから数えて五番の間違いじゃ……」
「先生っ」
「あっ、ごめんっ」
「ひどいよ」
泣きそうになると、小西は必死で謝った。
「じゃ、じゃあ、久遠くんは君の成績を知らないんだね」
「うん……」
「困ったな。残念だけど、久遠くんには本当の事を早く言った方がいいよ」
「何を?」
きょとんとして首を傾げる。
「一緒の高校には行けない……かもしれないって」
「えっ? 絶対に無理なのっ?」
「無理」
「そんなー、ひどいよ。先生っ」
「ごめんね」
何度も謝られ、現実なのだと気付いた。
小西が追い討ちをかけるように言った。
「早く本当の事を伝えるんだよ」
祥太には何も答えられない。
しょんぼりと肩を落とし、祥太は職員室を後にした。