現状・一人の時は孤独、二人の時は殺意
今回から、やや過激な表現を含むことがありますので、ご注意ください。
――ここはとても小さく、汚い部屋だ。
それは部屋というよりも、物置と呼んだほうがいいぐらいのところ。
部屋の最奥にはこれもまた小さな、子供用のベッドが無造作に置かれている。
しかもそれはとても古く、汚いものだった。
ボロボロで、中の羽毛がほとんど突き出ていて、デコボコの状態。
これで寝ても、決してよい夢は見られないようなベッド。
ベッドの上や床には無数の本と新聞が散乱していて、足の踏み場がないぐらいに散らかっている。
それらの物が散乱しているだけで、他に家具などはない。
ベッドを置くだけで部屋の約三分の一を占め、さらに新聞と本とで部屋がほぼ埋めつくされているので、他に置きようが無いともいえる。
窓も一切無い。
ベッドの真横、本来窓があったはずの場所には長方形のベニヤ板が釘で打ち付けられ、外を見ることは叶わない。
部屋の最北には扉があるが、唯一の出入り口であるそこは、ドアノブが取れて内側からは開かず、外からしか開けることはできない。
つまり、ここは閉め切られた部屋。
ここに入れば、外から開けられない限り、中に居る者は決して外に出られない部屋。
そんな部屋の中央に、わたしは居る。
視界が無くなるほどに髪が伸び、体も服もボロボロになって、そしてここから出られない。
それがわたしの現状だった。
「…………」
―――ガチャガチャ……
「―――っ!」
ふいに扉を開こうとする音が聞こえた。
「ううう……」
一人でいるなら、孤独を感じるだけですむ。
――ガチャリ……
その孤独も、二人になるなら消える。でも―――
「――帰ったぞ」
ついに、扉が乱暴に開かれると、一人の男が入ってくる。
年は二十代後半〜三十過ぎの、中背の少し痩せた男で、手には大小二つのビニール袋が握られている。
三十代にも見えるのは、所々に白髪混じりのボサボサ髪、シワができ始めている頬、口と顎に無精髭が目立つなど、清潔感とは縁遠い外見であると共に、顔の一部が中年のそれに近いからだ。
「お、お帰りなさい。おとう……さん」
顔を上げ、どうしてもぎこちない笑みになってしまうが、出迎えた。
男は「おう」と生返事を一つすると、無数に散乱している本と新聞を蹴飛ばして道を作り、わたしの前に腰を下ろした。
「ちゃんと勉強してたか?」
周囲にある本に目を向けながら訊いてくる。
「―――はい。今日は漢字の読み書きをしていました」
「そうか。じゃあ飯にするか」
男は小さいビニール袋を渡し、自分は大きい袋からコンビニ弁当を取り出した。
「……あ、あの、今は食欲がないので――後で食べてもいいですか?」
「……俺はお前と一緒に食べたいんだけどな」
「で、でも、お腹へってない……です。だから、後で……」
―――パン!
「―――っ!」
最後まで言うことはできなかった。
男に容赦なく頬をはたかれ、わたしはベッドに顔を突っ伏す形になって倒れる。
男はそれからもわたしに暴行を加える。
今度は頬に蹴りが飛び、口の中を切って出血する。
「あ……ぐ…………」
「お前にそんなこと言う権利なんてないんだよ!」
――ゴッ!
「―――か…………はっ!」
ベッドに押し倒され、仰向けになった腹部を踏みつけられる。
「お前が生きていられるのは誰のおかげだ?」
長い髪を掴まれ、顔を向かせつつ訊かれる。
「お……とう…………さんです……――げほっ! ごほっ!」
「なら、お父さんの言うことは聞かないとなあ!?」
「は……い」
「だったら飯食えよ」
「はい……」
手元に置いていた袋を開け、中に入っていたおにぎりを取り出し、血まみれになってしまった口で食べ始める。
男もわたしが食べ始めたのを見ると、コンビニ弁当を開けた。
ガツガツとものの十分程で食べ終わるとすぐに立ち上がり、狭い部屋の唯一の出入り口に向かった。
「じゃあ行ってくるぜ、志保」
「はい……」
「ちょっと遅くなるかもしれねえが、絶対帰ってくるからな。待っててくれ」
「……はい。待ってます」
―――二人になって、孤独が消えたとしても、その時は文字通り苦痛を伴う。
わたしはもう諦めていた。
男に逆らっても、殴られるだけ。
逃げようとしても、今は扉を開けることもできないうえに、男が帰ってきた時のすれ違い様に逃げるのではリスクがありすぎる。
それに、誘拐された当時のことを思い出すと、ここがわたしの家からどれだけ離れた場所なのかは明白だった。
縛られ、目隠しと猿轡をされた状態で車に乗せられ、そのままずっと走りっぱなしだった。
その後眠らされたのか、意識が失せて、目を覚ますとここにいた。
ただでさえその時は旅行で来ていただけだったのに、そこまでされていたら、家から相当離れた場所にいることは確実だった。
そんな場所なら、わたしが知っているわけもないうえに、ここは人が滅多に来ない場所のようだった。
この場所の周囲には人の気配が全然しない。
ごくまれに車が通るような音がするが、それ以外に人がいる気配は一切ない。
鳥や虫などの鳴声が聞こえるだけだった。
男によって、なぜか様々なことを教えられたり勉強もさせられていたので、自分の状況、どこにいるのかを考えられるようにはなった。
しかしそのせいで、わたしは自分が助かる可能性が非常に低いことが分かってしまうのだ。
「…………」
“――ち……しょ…………”
「―――!?」
それからしばらくすると、人通りがほとんどないはずの場所で、人の声が聞こえた。
声からするとあの男ではない。
“ちくしょう……!”
声が高く、かといって女性ほどの高さではない声は、声変わりをしていない少年のものか。
泣いているのか、その声はとても悲しそうで、周囲の建物を殴りつけるような音も聞こえた。
その声と音が段々とこちらに近づいてくる。
わたしは助けを求めようか迷ったが、やめておくことにした。
自分の喉からはかすれたような声しか出ない。
そして何より、助けを求めれば、その人まで危険にさらしてしまう。
そんなことは耐えられないことだった。
しかし、監禁されてからあの男以外の声を聞いたのは初めてだったので、わたしは好奇心から声の主を見てみたくなった。
が、部屋は閉め切られており、外を見ることなどできない。
当然と言えば当然だった。
何しろ、監禁された当時は血眼になって探して他の出口はおろか、隙間さえなかったのだから。
それでも、当時と違ったところがあった。
ベッドの左横、ベニヤ板に釘で打ち付けられている窓とは逆方向の壁に、ガムテープが無数に貼り付けられていて、取れかけていた。
それをはがすと、そこから子供一人がようやく通れるほどの、小さな窓が出てきた。
驚きながら窓を開けてみると、眩しいほどの、何年ぶりかの外の風景が飛び込んでくる。
その眩しさに目を閉じかける前に、先程の声の主だろう、窓の正面に男の人が立っており、そして彼もこちらを見ていたので、完全に目が合った。
泣いているのか、その涙が浮かんでいる端整な顔立ちから、わたしは何故かしばらく目をそらせなかった。
その目がとても澄んでいて綺麗だと思った。