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04.イタズラな風

 ルカの視界は最悪だった。深い霧が立ちこめて、一寸先も分からない様子だった。でも実際は霧などなく、世界は鮮明だった。ルカが見えないのは、少女に目をあげてしまったからだ。

 ルカは杖を手にして、足もとを確かめながら、ゆっくりと歩いた。

「ぼうや、目が見えないの?」

 ルカのことを気にした通りすがりの婦人が声をかけた。ルカは素直にうなずいた。

「うん。すごくボンヤリしてるんだ」

「かわいそうに。うちへいらっしゃい」

 親切に言われたので、ルカはついて行くことにした。すると婦人は食事や寝床を与えてくれた。

 婦人は一人暮らしで、家事は家政婦というのがやって来てする。結構なお金持ちらしい。しかし夫と早くに死に別れ、子供もなく、淋しい毎日を送っていた。

「ずっとぼうやがいてくれたら、おばさん嬉しいわ」

 婦人が言うので、ルカはずっといることにした。もちろん、いい子にしているつもりだ。過去にやった失敗は繰り返すまいと思っていたのだ。

 そして、視界が不鮮明ながらも家政婦の手伝いをしたり、婦人の手を引いて散歩したり、毎日を大切に過ごした。なので婦人はますますルカを気に入り、洋服を買い与えたり、本を読んだりしてやった。まるで本当の子のように、慈しんだのだ。

 あるとき家政婦は、婦人とこんな会話を交わした。

「目は悪いらしいけど、あんなに賢くて美しい子は見たことないですよ、奥様。よい子を引き取られました」

「ええ、本当に。私、あの子を愛しているわ。これからもずっと」

 物陰で聞いていたルカは、どこかくすぐったい気持ちと歓喜に震えた。

 それからも愛情をかけて育てられたルカは、少しずつ視力を取り戻していった。「目が見える」と言うと、婦人が自分のことにように喜んだので、ルカも嬉しかった。


 しかし、そんな幸福も束の間。立派な馬に乗った警備隊が現れて、ルカを連れて行くと言った。婦人は泣いてすがったが、警備隊は冷たく突き放した。

「この子はあなたの子ではなく、真実、身よりもない。生贄は身なしごから順に送るという決まりがあるのだから、諦めなさい」

 婦人はこの世の終わりのように泣き崩れ、嗚咽した。その姿はルカにとって衝撃だった。


 こんなはずじゃなかった。僕はこの人を幸せにしてあげたいと思っていた。いい子にしていれば、きっと良かったと思ってくれるに違いないと思っていた。でも違う。それは間違いだった。

 生贄になると誓ったのに、すっかり忘れてしまっていた。

 僕がもっと悪い子だったら、婦人はせいせいした顔で見送っただろうに。どうして、そうできなかったんだろう。結局、僕は自分の幸せしか考えてなかったのかな?

 大好きな人が悲しむのって、こんなに苦しいことなのに。


 ルカはそう思いながら、馬に揺られてある所へ着いた。最初、老婆に連れられて来た断崖絶壁だ。

「飛び込みなさい」

 と警備隊が言った。ルカは足がすくんだが、勇気を振り絞って飛び降りた。


***


 しばらくはボンヤリしていた。時々、天井を見上げて泣いたが、そうすると優しく誰かが抱き上げてくれるので落ち着いた。それからだんだん視界がハッキリして来ると、見た事のある人たちがチラホラ見えた。

「見て、この子の目。なんて綺麗なエメラルドグリーンかしら」

 嬉しそうに言ったのは、歳の離れた姉だった。

「おまえばっかりズルイぞ。僕にも抱っこさせてよ」

 兄が言うと、母が慌てて駆けつけた。

「おもちゃじゃないのよ! 優しくね!」

 兄は言われたとおり優しく抱っこすると、美しい金髪を揺らし、青い瞳でルカの目をのぞいた。

「目は母様にそっくりだね。でも大きくなったら、きっと父様みたいに立派になるよ」

 すると、やや遠い場所で父王が笑った。

「先におまえが立派にならねばな」

「ははは、やだな。僕は無理だよ。でもルカならきっとそうなるよ。そんな顔をしてるもの」

 新しく生まれた命に、ありったけの愛情を注ぐ家族。その様子を見て、ルカはおびえた。


 自分に愛情を注げば注ぐほど、やがて生贄となる時、彼らの悲しみは募るに違いない。心を引き裂かれて、魂の火が消えたように笑顔を失うに違いない。

 僕は今度こそ、憎まれなくてはならないのだ。失敗してはいけない。この愛を憎しみに変えてやらなきゃならない。でもそればかりじゃ僕がつらいから、憎しみも愛だと思わなくちゃいけない。そう言い聞かせていれば、どんなに嫌われても耐えられるはずだから。


***


 こうしてルカは、イタズラをしては大人たちを困らせ、イジワルをして人に嫌われていった。

 だが生まれた頃の記憶など忘れてしまっていたルカは、なぜ自分が人に嫌われることばかりするのか分からなかった。しかしどうしようもなく、そうしなければならないという衝動にかられた。


 僕はみんなを愛してる。でも愛されちゃいけない。なんだかよく分からないけど、これだけは絶対に守らなくちゃいけないんだ。


 そのとき一瞬、泣き崩れる婦人の姿がルカの脳裏をよぎった。


 ああ、あの人。誰だっけ? なんで泣いているのかな? どうして泣いたりするんだろう。僕のせいかな?


 ルカは胸の奥がキュッとなって、苦しくなった。


 ゴメンナサイ。ゴメンナサイ。


 そう何度も呟きながら、ルカは淋しい夕暮れの町を歩いていた。すると通りの角で手招きする老婆がいた。黒いフードつきの衣装をまとった怪しげな出で立ちだ。

「生贄をおよこし」

 老婆は言った。ルカはドキッとしたが、ふと、自分が生まれたことの意味を悟ってうなずいた。

「いいよ。僕がなる」

「本気かい?」

「うん。僕なら誰も悲しまなくていいもの。きっとみんな喜ぶよ」

 すがすがしく微笑んで言うルカの顔を、老婆は目を細めて眺めた。

「おまえは偉いね」

「え?」

「おまえの身体は愛で満ちている。こっちへおいで」

 ルカは老婆が手招きするままに、歩を進めた。

「僕は風になれる?」

「ああ、なれるさ。なんにだってなれる」

「魔物は降ってこない?」

「降ってこないよ」

「みんな幸せに暮らせる?」

「もちろんさ」


***


 それから、数年が過ぎた。

 突然いなくなった王子の行方を誰も追わなかったし、むしろみなホッとして平穏に暮らしていた。街には優しい風が吹くようになり、種と実りをもたらして、豊かな季節と恵みの雨を運んだ。城には立派な王と美しい王妃と、素晴らしい王子と王女が住まう。これまで以上の幸福が国には溢れていて、輝いていた。

「疫病神が去ったからだ」

 などと言う者もいたが、賛同して笑う者はいなかった。ルカの悪口を言うと、みなどこか奇妙な淋しさに襲われ、胸が痛んだのだ。

 逆にイタズラな風が吹くと、「ルカの風が吹いたよ」と言って、楽しそうに笑った。

 公園のベンチに腰かけて読書する人の、本のページを何枚もめくったり、立てかけていた桶を倒したり——ほんのちょっとの風のイタズラが、人々の瞳にルカを映したのだった。


 ルカはささやく。

〝見て、こんなに早く飛べるよ〟

 ルカは街の空を駆け回る。

〝僕、風になったんだ。自転車より早いよ。競争してみる?〟


 ルカは公園に降り立ち、日傘をさした婦人の横を通り過ぎた。ヒュッと音を立てて、落ち葉を巻き上げる。すると杖をつきながら歩いていた婦人が不意に日傘を傾けて、閉ざされたままのまぶたを空に向けた。

「ぼうや、走るのが得意なの? 本当に早いわね」

 ルカは驚いて振り向いた。

「おばさんは僕が見えるの?」

「あら……、そうね。普通のものが見えないせいかしら」

「じゃあ僕が手を引いてあげる」

 ルカが手を引くと、婦人は嬉しそうに微笑んだ。

「ありがとう。でも変ね。昔もこうして手を引いて歩いてくれる子がいたような気がするんだけど」

「そうだね。僕も昔、こうやって誰かの手を引いて歩いたような気がするよ」

「まあホント? よかったらうちに来ない? クッキーがあるの」

「うん、ありがとう」

グリーンベアが完結しましたので、息抜きに短編を載せてみました。いかがだったでしょうか? 短い話を書くのは苦手なので、あまり上手くありませんが、楽しんでいただけたなら幸いです。

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