第1話 「無能は追放だ」――だから、すべての弱体化を解除した
「レクス、お前は今日限りで勇者パーティをクビにする。これまで三年間、よくもまあ何もせずに俺たちの功績へぶら下がってくれたな」
王都中央冒険者ギルドの酒場で、勇者ギルバートはわざわざ周囲によく聞こえる声を張り上げた。
今夜は魔王軍上級将軍ガルガディア討伐の祝勝会だった。長机には焼いた肉と酒が並び、つい先ほどまで冒険者たちは「さすが勇者様だ」と杯を掲げていたのだが、いまは別の見世物が始まったとばかりにこちらへ注目している。
俺は手をつけていなかった麦酒の杯を置き、向かいに立つギルバートを見た。
「クビというのは、パーティ契約の解除という意味でいいんだな?」
「ほら、それだよ。その妙に落ち着いた態度が昔から気に入らなかったんだ。自分がどれだけ役に立ってないのか、少しは恥じたらどうなんだ?」
ギルバートは腰の聖剣へ手を置いた。今夜だけで何度その柄を見せびらかしたか分からない。
「あのガルガディアを倒したのは俺だ。奴の大剣を受け止めたのはバルガス、魔法を叩き込んだのはセシリアだ。それなのにお前は何をしてた? 後ろで立ったまま、聞こえもしない声でブツブツ呟いていただけじゃないか」
「弱体術を使っていた」
「それが役に立ってねえって言ってるんだよ!」
机を叩いた音に、杯の中の酒が揺れる。
俺としては、少しだけ返答に困った。
ガルガディアは魔王軍でも五本の指に入る怪物だった。本来ならギルバートの剣が首筋へ届く前に、その腕ごと切断されていただろうし、バルガスが真正面から大剣を受ければ盾ごと二つに割られていたはずだ。
だから戦闘開始直後、俺はガルガディアの筋力、敏捷、防御力、魔力、知覚能力を九十九パーセント削った。異常な再生能力も止め、呪詛耐性も限界まで落とした。
結果として残ったのは、見た目だけが恐ろしい、ひどく鈍くて柔らかい魔族だった。
それでもギルバートが首を落としたこと自体は事実なので、討伐の手柄を自分のものだと思う気持ちは分からなくもない。
「私もね、前から少し疑問だったのよ」
魔術師セシリアが葡萄酒の杯を指先で回しながら口を挟んだ。
「黒魔導士なのに攻撃魔法が使えないなんて、普通なら欠陥職でしょう? 弱体魔法だって使っていると言うけれど、敵に何か目立った変化が起こるわけでもないし。これから魔王領の奥へ進むなら、もっと火力のある魔術師を入れた方がいいと思うわ」
「俺も反対はしねえな」
重戦士バルガスが骨付き肉を皿へ放った。
「最近の敵は歯応えがなさすぎる。今日のガルガディアだって、魔王軍の大物だって聞いて期待してたのに、俺の盾を一度もまともに弾けなかったじゃねえか。あれならレクスの小細工なんぞなくても変わらんだろ」
変わらないどころか、最初の一撃で死んでいたと思う。
ただ、それを今さら説明したところで、彼らには言い訳に聞こえるだけだろう。
周囲からも笑い声が上がった。
「まあ、確かに黒魔導士が戦ってるところなんて見たことねえな」
「勇者様のパーティにいるだけで報酬を四等分なら、羨ましい仕事だぜ」
「俺も後ろで突っ立って金をもらいてえよ」
こちらをよく知らない冒険者まで笑っている。中には遠征前に俺へ解毒を頼みに来た者の顔もあったが、わざわざ思い出させるほどのことでもない。
俺は三年間を頭の中でざっと数えた。
遠征では夜間の索敵結界を維持し、食事へ毒物が混じっていないか調べ、眠っている三人へ疲労軽減の術をかけ、戦闘になれば敵の能力を削る。ギルバートは朝が弱いため、夜明け前に魔物が接近した日は俺一人で追い返すことも珍しくなかった。
休暇らしい休暇は、たぶん一度もない。
そう考えると、怒りより先に別の感情が湧いてきた。
――ああ、これで寝られるのか。
妙に魅力的な話だった。
「分かった。契約解除を受け入れる」
「……は?」
ギルバートが目を瞬かせた。
もっと泣きつくと思っていたのだろうか。
「聞こえなかったか? 辞めると言ったんだ。ただし、一つだけ確認しておきたい」
俺は懐から冒険者証を出し、ギルバートたちとの共同契約解除を示すため受付へ返却するつもりで机の上へ置いた。
「俺が現在お前たちと装備に維持している支援術式、それから敵対対象へ自動で作用する弱体術式は、契約終了と同時に全部解除する。それで問題ないな?」
ギルバートは一瞬だけ怪訝そうな顔をしたが、すぐに鼻で笑った。
「最後まで恩着せがましい奴だな。好きにしろ。そんなもんがなくなったところで、俺たちは何も困らねえよ」
「念のため聞くけれど、本当に全部だ。索敵補助や疲労軽減も含むぞ」
「しつこい!」
ギルバートが苛立たしげに手を振った。
「役にも立たない魔法をかけてやったみたいに言うな。お前が消えた方が取り分も増えるし、強い魔術師も雇える。俺たちにとっちゃ得しかねえんだよ」
「そうか」
そこまで明言されたなら問題はない。
俺は右手の指を軽く鳴らした。
外から見れば何も起こっていない。
けれど俺には、三年間つなぎ続けてきた細い糸が次々と切れていく感覚があった。
バルガスの鎧へ定着させていた衝撃緩和。セシリアの杖へ組み込んだ魔力循環補助。ギルバートの聖剣へ重ねていた防御浸透。三人を対象にした毒、麻痺、呪詛への抵抗補助。そして戦闘時、彼らが敵意を向けた相手へ自動で弱体化を重ねる《深淵連鎖》。
全部、解除した。
「これで終わりだ。今まで世話になった」
立ち上がると、ギルバートは拍子抜けしたようだった。
「……本当に行くのか?」
「お前がクビにすると言ったんだろう」
「いや、だからって……まあいい。せいぜい一人で死なないようにな。勇者パーティにいたって経歴だけで食っていける店くらいはあるだろ」
「考えておくよ」
俺が背を向けると、また笑い声が起きた。
けれど扉を開けて夜風を浴びた瞬間、それまで肩へ乗っていた重さが嘘のように消えた。
三年間、次の遠征、次の討伐、次の警戒ばかり考えていた。
明日の予定がないというだけで、世界はずいぶん広く見える。
「まずは宿を探すか。いや、その前に……たまには王都の外で一人で寝るのも悪くないな」
誰からも夜番を押しつけられず、起こす相手もいない。
それは想像以上に楽しそうだった。
◇
翌朝、俺は王都から西へ延びる街道を歩いていた。
急いで目的地を決める必要もないので、気の向くまま進んでいる。朝露の残った草から青臭い匂いが漂い、遠くの森では鳥が鳴いていた。
勇者パーティにいた頃なら、こんな道でも周囲の魔力反応を数え、襲撃経路を予測し、三人分の体調まで気にしていた。
一人というのは、驚くほど静かだ。
その静けさを破ったのは、街道脇の低木だった。
枝をへし折りながら飛び出してきたのは、赤黒い毛皮を持つ巨大な熊型魔獣。額から二本の湾曲した角が伸び、立ち上がれば俺の倍以上の高さがある。
「ブラッドホーンベアか」
討伐推奨はAランク。
熟練冒険者でも五、六人で挑む相手だったはずだ。
魔獣は獲物が一人しかいないと見るや、迷うことなく地面を蹴った。重い巨体から想像できない速度で距離を詰め、爪が朝日を反射する。
俺は逃げず、右手を向けた。
「《深淵呪詛》」
黒い光が出るわけでも、雷鳴が轟くわけでもない。
ただ、それまで大地を揺らしていた魔獣の突進が、見る間に崩れた。
「グ、ォ……?」
ブラッドホーンベアは自分の身体に何が起こったのか理解できない様子で前脚をもつれさせ、そのまま街道へ転がった。起き上がろうとしても腕に力が入らず、牙を剥こうにも顎さえ満足に動かせない。
筋力、敏捷、防御力、生命力、知覚、呪詛抵抗。
すべて九十九パーセント低下。
「一人で戦うなら、仕留める手段も必要だな」
これまでは弱らせた後をギルバートたちへ任せていた。自分でとどめを刺す機会など、ほとんどなかったのだ。
そこで試しに、足元の小石を一つ拾った。
「《死告》を追加。発動条件は外傷」
軽く投げる。
小石はブラッドホーンベアの眉間へ当たり、毛皮に小さな傷をつけた。
次の瞬間、魔獣の身体から力が抜けた。
それきり動かない。
「……ずいぶん簡単だな」
Aランク魔獣は呪詛耐性も高いため、即死系統は実戦向きではないと言われている。けれど先に抵抗力そのものを九十九パーセント削れば、話は別らしい。
試しに落ちていた太めの枝を死骸の腹へ押し当てると、本来は鋼鉄の刃さえ滑らせる毛皮をあっさり貫いた。
俺は枝を抜きながら、少し考えた。
「もしかして、俺が思っていたより便利なのか、この魔法」
勇者パーティでは弱体化するのが俺の仕事であり、その後に誰かが派手な技で仕留めるのが当たり前だった。比較する機会がなかったので、自分の術がどこまで常識外れなのか真面目に考えたことすらない。
まあ、今すぐ答えを出す必要もない。
素材を売れば、しばらく宿代には困らないだろう。
「一人なら報酬も四分の一じゃないしな」
その事実に気づくと、思わず笑いが漏れた。
どうやら追放というのは、思っていたより悪くない。
◇
同じ日の昼過ぎ。
「今日は肩慣らしだ。ゴブリン程度、一撃で終わらせてさっさと帰るぞ」
王都近郊の森で、ギルバートは機嫌よく聖剣を抜いた。
レクスが抜けた穴には、いずれ有名な攻撃魔術師を入れるつもりだった。しかし、その前に三人だけでも何の問題もないと証明しておきたかった。
「五体いるわね。新人ならともかく、私たちが相手をする数じゃないわ」
セシリアも退屈そうに杖を構える。
バルガスは盾すら背負ったままだった。
「一匹くらい残しとけよ、ギルバート。最近は弱い奴ばっかで身体がなまってんだ」
「悪いが約束はできねえな。俺が剣を振ったら全部逃げ出すかもしれ――」
茂みから現れたゴブリンへ、ギルバートは笑いながら聖剣を振り下ろした。
いつもなら、それで終わる。
緑色の身体など紙のように裂け、剣は地面まで届くはずだった。
だが。
ガギィンッ!
「……え?」
腕へ痺れが走った。
聖剣が、ゴブリンの持つ粗末な短剣に止められている。
「おい、何をふざけてやがる!」
力任せに押し込もうとした瞬間、目の前にいたゴブリンの姿が消えた。
「ギルバート、右!」
セシリアの声に振り向く。
遅かった。
いつの間に回り込んだのか、ゴブリンの棍棒がすぐ横まで迫っている。
「なっ――速すぎるだろ!?」
ギルバートの顔から、初めて笑みが消えた。




