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そのダンジョン事故、保険金は出ません。 〜元査定員の俺はログ鑑定で無謀な探索者の嘘を暴く〜  作者: 平八
第五章 その現場ログ、標準様式に入りません

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第54話 現場を見ない標準処理

【白浜臨時訓練場】


【第三層北東訓練区画】


【現場確認開始】


 画面の中で見た第三層は、平面だった。


 実際の第三層は、音が歪んでいた。


 足音が、まっすぐ返ってこない。


 壁に当たって、少し遅れて、別の方向から戻ってくる。


 訓練場という名前が付いていても、ここはダンジョンだった。


 白い会議室の画面では、第三層北東区画は単なる枠線だった。


 南側連絡路も、通信結晶の配置も、退避誘導灯も、綺麗な線と丸で表示されていた。


 だが、現場に立つと、線は曲がる。


 丸は欠ける。


 届くはずのものが、届かなくなる。


 相沢が、携帯端末を開いた。


『現場座標、取得しました』


 御園さんは、北東区画の中央で周囲を見ている。


 訓練用の白い壁ではない。


 黒い玄武岩に似た岩壁が、第三層の北東側へ歪んで張り出していた。


 表面には、魔力焼けの細い筋が何本も残っている。


 黒い。


 ただの黒ではない。


 焼けた跡が、さらに黒く沈んでいる。


 相沢が、仕様書上の配置図を重ねた。


【白浜臨時訓練場 第三層通信仕様書】


【通信結晶配置:標準範囲内】


【第三層カバー率:基準値内】


【通信状態:良好】


【北東訓練区画:通信範囲内】


 資料上は、問題がない。


 通信結晶は標準範囲内に配置されている。


 第三層全体のカバー率も基準値内。


 北東区画も通信範囲内。


 だから、標準様式では通信状態は良好になる。


 真鍋課長の声が、遠隔回線から入った。


『見えてるか』


「見えています」


『胃に悪そうか』


「現場です」


『それは答えか』


「はい」


 真鍋課長は、それ以上言わなかった。


 相沢が、今度は現地測定の画面を開く。


【現地通信測定】


【測定地点:第三層北東訓練区画】


【仕様書上通信範囲:内】


【現地実測:不安定】


【反射ノイズ:高】


【魔力遮蔽:局所発生】


【通信欠落再現:あり】


 御園さんが、黒い岩壁を見上げた。


「これが、遮っているんですか」


『はい』


 相沢が、岩壁の形状データを読み込む。


【現場形状補正:未適用】


【通信カバーエリア:第三層北東区画を含む】


   ↓


【現場形状補正:適用】


【通信カバーエリア:北東区画一部欠落】


【当事者滞在位置:欠落域内】


 相沢は、いつもの声で言った。


『仕様書上は、届きます』


 画面に、円形のカバーエリアが表示される。


 綺麗な円だった。


 その円は、第三層北東区画を確かに覆っている。


 次に、現場形状補正が入る。


 仕様書の均一な真円を、いびつに突出した玄武岩の岩壁が物理的に両断した。


 通信範囲が、そこで欠けた。


『現場形状を入れると、届きません』


 御園さんが、何も言わずに測定端末を見た。


 俺も同じ画面を見ていた。


 仕様書上は、届く。


 現場形状を入れると、届かない。


 この一行だけで、標準様式の「通信状態:良好」は、そのままでは使えなくなる。


 相沢が、当事者の滞在位置を重ねる。


【当事者滞在位置】


【第三層北東訓練区画】


【帰還石第二起動要求時位置:推定一致】


【通信欠落区間:一致】


【現地測定死角:一致】


 真鍋課長の声が、少し低くなる。


『一致してるのか』


『推定一致です』


 相沢が訂正する。


『位置ログには誤差があります。ただし、通信死角内に入る可能性が高いです』


『高い、か』


『はい。確定ではありません』


「それでいい」


 俺は言った。


「確定できるところまで確認します」


 画面上部に、本庁回線が開いた。


【教育訓練支援室 監理官室】


【上席監理官 久我:接続中】


 久我は現場映像を見ていた。


 前話までの会議室ではなく、今回は俺たちの端末越しに第三層を見ている。


 黒い岩壁。


 魔力焼け。


 通信結晶。


 誘導灯。


 それらを、久我は静かに確認していた。


『現地測定値を確認しました』


 久我は言った。


『仕様書上のカバーエリアと、現場形状補正後の実測値に差異がありますね』


「はい」


『ただし、現時点では事故当時も同じ死角が発生していたとは断定できません』


「その通りです」


『階層環境は変動します。事故後の現場確認で通信死角が検出されたとしても、事故時点の通信不全を直接証明するものではありません』


「直接証明ではありません」


 久我は、崩れない。


 現場に出ても、画面の向こうから正確に線を引いてくる。


 事故後に死角がある。


 だから事故時も死角だった。


 そこまでは言えない。


 だが、標準様式の通信良好も、もうそのままでは言えない。


「事故時点の直接証明ではありません」


 俺は言った。


「ただし、標準仕様書上の通信良好判定が、現場形状を反映していなかったことは確認できます」


 久我は、短く黙った。


『その整理なら成立します』


 相沢が、仕様書の参照条件を出した。


【通信良好判定 参照条件】


【通信結晶設置座標:参照】


【標準カバー半径:参照】


【第三層平面図:参照】


【現場形状補正:参照なし】


【魔力反射係数:参照なし】


【突起岩壁遮蔽:参照なし】


【標準様式出力:通信状態良好】


 御園さんが、黒い岩壁に近づいた。


 手袋越しに、壁面の焼け跡を見ている。


「ここ、焦げています」


『魔力焼けです』


 相沢が答えた。


『通信波の反射痕と、階層環境圧乱流の痕が混じっています』


「事故の時のものですか」


『時刻特定はこれからです』


「これも、標準様式には」


『ありません』


 相沢が、現場痕跡の記録欄を出した。


【現場痕跡】


【北東岩壁:魔力焼け】


【通信波反射痕:あり】


【階層環境圧乱流痕:あり】


【標準様式反映欄:なし】


 また、反映欄なし。


 真鍋課長の回線から、短い息が聞こえた。


『またか』


「はい」


『胃に悪いな』


「現場です」


『それで押し切るな』


 御園さんは、北東区画の床面に膝をついた。


 そこは、当事者が滞在していた推定位置に近い。


 床には、薄い焦げ跡が残っている。


 戦闘痕ではない。


 大きな爆発跡でもない。


 小さな円形の魔力残滓。


 相沢が測定器を向ける。


【床面魔力残滓】


【位置:北東訓練区画】


【種別:帰還石起動残滓の可能性】


【強度:微弱】


【時刻照合:第二起動要求時刻帯と近似】


 御園さんが、静かに言った。


「ここで、帰ろうとした可能性がある」


「可能性です」


 俺は答えた。


「はい。可能性です」


 御園さんは、すぐに言い直した。


 前話から、彼女はその言葉を大事にしている。


 可能性でも、残す。


 断定ではなく、消さない。


 その違いで、人の過失は変わる。


 相沢が、南側連絡路へ端末を向ける。


 退避経路として指定されていた場所だ。


 会議室の平面図では、北東区画から南へ一本の線が伸びていた。


 実際には、線ではない。


 狭い。


 曲がっている。


 天井が低い。


 途中で壁面が削れ、黒い焦げ跡が斜めに走っている。


【南側連絡路 現場確認】


【圧力乱流痕:確認】


【退避誘導灯:一部欠損】


【床面亀裂:確認】


【通行幅:仕様書記載値より狭小】


【現地通過性:要再測定】


 真鍋課長が、低く言った。


『仕様書記載値より狭い?』


『現時点の測定では』


 相沢が答える。


『ただし、事故後の崩落の影響を除外する必要があります』


『そこも未確定か』


『はい』


「未確定でも、標準様式とは違う」


 俺は言った。


「それで十分です」


 久我が、回線越しに口を開いた。


『現場確認の目的を整理しましょう』


「お願いします」


『一、事故当時の通信死角を直接確定するものではない』


「はい」


『二、ただし、仕様書上の通信良好判定が現場形状補正を欠いていた可能性は確認できる』


「はい」


『三、南側連絡路についても、事故後変化の可能性を除外する必要がある』


「はい」


『四、それでも、標準様式上の単純な退避経路ありという扱いは再確認対象となる』


「同意します」


 久我は、こちらを助けているわけではない。


 だが、査定の範囲を正確にしている。


 その正確さが、逃げ道を狭める。


 相沢が、現場データを重ね合わせる。


【現場条件照合】


【当事者滞在位置:北東区画】


【通信死角:現地測定により検出】


【帰還石起動残滓:微弱検出】


【南側連絡路:圧力乱流痕あり】


【退避誘導灯:一部欠損】


【標準様式評価:通信良好/退避経路あり/第三層滞留】


 御園さんが、その画面を見ていた。


「画面上では、逃げ道があった」


「はい」


「現場では、どれも揺らいでいる」


「はい」


「通信は届きにくい。帰還石は戻らないかもしれない。南側は乱れている」


 御園さんは、言葉を切った。


 そして、所見欄を開く。


【治癒師補助所見】


【第三層北東区画において、通信死角、帰還石起動残滓、南側連絡路の圧力乱流痕が確認された】


【当該位置において通信欠落、魔力循環乱れ、帰還石起動失敗が重なっていた可能性がある】


【退避指示の認知、帰還石による退避および即時移動判断の成立は、現場条件を踏まえて再確認を要する】


 御園さんは、最後の一行を少し見た。


「強いでしょうか」


「強くありません」


 俺は言った。


「必要です」


 御園さんは、確定した。


【治癒師補助所見:確定】


 相沢が、通信結晶の設置位置を測り直す。


 壁際に置かれた通信結晶は、仕様書の座標から大きく外れてはいない。


 むしろ、許容範囲内だ。


 だから、本庁資料は「標準範囲内」とした。


 問題は、そこではなかった。


 相沢が、黒い岩壁を指した。


『通信結晶の位置だけなら、標準範囲内です』


「では、何が問題ですか」


『現場形状です』


 相沢は、端末の画面をこちらに向けた。


【通信結晶配置照合】


【設置座標:許容範囲内】


【仕様書上カバーエリア:北東区画を含む】


【現場形状補正:未実施】


【突起岩壁:遮蔽物として未登録】


【実測死角:北東区画一部】


 そして、短く言った。


『仕様書は、結晶だけを見ています』


「現場は」


『壁があります』


 真鍋課長が、回線越しに言った。


『壁は、あるな』


『あります』


「当たり前のことを言うな」


『当たり前のものが、仕様書にありません』


 その一言で、少しだけ空気が止まった。


 当たり前のものが、仕様書にない。


 壁。


 厚み。


 角度。


 反射。


 死角。


 現場に行けば見えるものが、平面図の上では消える。


 消えたものが、通信良好という評価になる。


 俺は、事故査定課の現場所見欄を開いた。


【事故査定課 現場所見】


【白浜臨時訓練場第三層北東区画において、仕様書上の通信カバーエリア内であるにもかかわらず、現地測定により通信死角を確認】


【通信結晶設置座標は許容範囲内である一方、突起岩壁および魔力反射による現場形状補正が標準仕様書に反映されていない可能性】


【標準様式上の「通信状態:良好」は、現場条件を踏まえて再確認を要する】


 久我が、その所見を読んだ。


『通信死角を確認、という表現は現地測定結果として妥当です』


「はい」


『事故時点の通信死角と断定しない形であれば、監理官室としても受理できます』


「その形で出します」


『ただし、標準仕様書の不備とするには、設計時点の地形データを確認する必要があります』


「承知しています」


 久我は、次章の扉を少しだけ開けた。


 設計時点の地形データ。


 通信結晶配置設計書。


 安全基準。


 そこへ行くのは、まだ少し先だ。


 今は、白浜事故の現場条件を戻す。


 俺は、確定キーを押した。


【事故査定課 現場所見:確定】


 画面の表示が変わる。


【白浜臨時訓練場事故】


【通信状態:良好】


   ↓


【通信死角:現場確認により検出】


【通信結晶配置:仕様書上のカバーエリアと地形死角の不一致】


【標準仕様書:再確認対象】


【第三層滞留理由:現場条件照合継続】


 標準様式の「通信良好」が、現場の壁で欠けた。


 派手な音はない。


 黒い岩壁は、ただそこにあるだけだ。


 だが、その存在が、標準様式の円を切り取った。


 御園さんが、岩壁を見上げた。


「画面では、なかった壁ですね」


「はい」


「でも、ここにはある」


「あります」


 御園さんは、短く頷いた。


「だから、来る必要があったんですね」


「はい」


 相沢が、現場条件を入れた仮照合を実行する。


【現場条件反映後 支払判定用要約仮照合】


【通信状態:良好】 → 【通信死角あり】


【帰還石使用なし】 → 【帰還石退避不成立可能性】


【退避指示あり】 → 【到達未確認】


【第三層滞留あり】 → 【滞留理由要照合】


【補助評価語:再計算中】


 数秒の沈黙。


 ダンジョンの中では、その数秒にも音がある。


 水が落ちる音。


 岩壁の奥で、魔力が低く擦れる音。


 通信端末の小さな警告音。


 やがて、相沢の端末に結果が出た。


【補助評価語:無謀行動あり】


   ↓


【補助評価語:生成されず】


 真鍋課長の声が、少し低くなる。


『出ないのか』


『現場条件を入れると、出ません』


 相沢が答えた。


『ただし、仮照合です』


「仮でいい」


 俺は言った。


「なぜ出なくなる」


『無謀行動の生成条件から、帰還石未使用、退避指示あり、通信良好、退避経路ありの前提が落ちるからです』


 御園さんが、小さく息を吐いた。


「前提が、違っていたんですね」


「違っていた可能性です」


「はい。可能性です」


 久我が、画面越しに言った。


『仮照合結果としては確認します』


「はい」


『ただし、本照合には評価語生成経路の確認が必要です』


「同意します」


 相沢が、次の画面を開いた。


【補助評価語:無謀行動あり】


【生成経路:照合開始】


【担当者閲覧画面:取得準備中】


【原ログ詳細表示条件:取得準備中】


 真鍋課長が、回線越しに言った。


『次は、無謀と書いたやつか』


「いえ」


 俺は答えた。


「無謀と表示した仕組みです」


 黒い岩壁の前で、端末の白い文字が光っていた。


 誰かがここで、無謀と叫んだわけではない。


 現場は、ただそこに残っている。


 黒い壁。


 歪んだ音。


 欠けた通信。


 焦げた床。


 そして、標準様式の上に出た一語。


【無謀行動あり】


 次に査定するのは、その言葉を書いた人間ではない。


 その言葉が、画面のどこで生まれたのかだ。

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