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そのダンジョン事故、保険金は出ません。 〜元査定員の俺はログ鑑定で無謀な探索者の嘘を暴く〜  作者: 平八
第四章 その標準処理、査定対象です

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第47話 標準処理に従っただけですか

【当時処理担当者 聞き取り記録】


【対象:白浜臨時訓練場事故】


【処理担当:本庁事故処理班 補助査定員】


【初期回答】


【標準様式に従っただけです】


 画面の中央に、その一文が表示されていた。


 短い。


 弱い。


 だが、事故査定ではよく見る言葉だった。


 私は従っただけです。

 規定通りです。

 様式に沿って処理しました。

 上からそう聞いています。


 誰かが嘘をついているとは限らない。


 むしろ、多くの場合、本人は本当にそう思っている。


 問題は、その言葉が逃げになるか、記録になるかだ。


 真鍋課長が、画面を見たまま言った。


「若いのか」


『処理当時、二十九歳です』


 相沢が答えた。


『事故処理班配属三年目。KG系テンプレート導入後、主担当ではなく補助査定として処理に入っています』


「補助か」


『はい。最終承認者ではありません』


 真鍋課長は、胃薬の瓶を指で回した。


「責任を被せやすい位置だな」


 御園さんが、小さく息を吸った。


「本人に、悪意はあるんでしょうか」


「まだ分かりません」


 俺は答えた。


「だから聞きます」


 相沢が、聞き取り映像の音声を再生した。


 画面に、担当者の声だけが文字起こしされていく。


【聞き取り記録】


【質問:現場ログを確認しましたか】


【回答:確認しました】


【質問:階層環境圧および帰還石反応の異常を把握していましたか】


【回答:ログ上では見ました】


【質問:なぜ標準様式へ反映しなかったのですか】


【回答:反映欄がありませんでした】


 その答えに、言い訳の匂いは薄かった。


 むしろ、困惑に近い。


 担当者は、責められている理由をまだ正しく理解していない。


 相沢が次の部分を再生する。


【質問:自由記述欄への入力は検討しましたか】


【回答:検討はしました】


【質問:なぜ入力しなかったのですか】


【回答:入力すると、通常処理から外れると思いました】


【質問:外れると、どうなると認識していましたか】


【回答:滞留扱いになります】


 真鍋課長の指が止まった。


「出たな」


 相沢が、別窓を開いた。


【KG系テンプレート 担当者向け処理画面】


【標準処理完了見込:三分以内】


【確認待機発生時:滞留フラグ付与】


【自由記述追加時:上席確認へ回付】


【上席確認中:処理時間集計対象】


【処理目標:当日内支払移行】


 画面は、親切だった。


 次に押すボタンが分かる。


 余計な判断をしなくて済む。


 迷わないように、作られている。


 ただし、止まる選択肢だけが重い。


 御園さんが言った。


「自由記述を入れると、止まるんですね」


『はい』


 相沢が答えた。


『止まります。少なくとも、担当者にはそう見えます』


「そう見える?」


『実際には上席確認に回るだけです。ただ、画面上の表示は滞留フラグです』


 相沢は、該当部分を拡大した。


【自由記述追加】


【確認事項あり】


【処理状態:滞留】


 真鍋課長が、低く呟いた。


「確認事項あり、じゃないのか」


『内部仕様上は確認事項です』


「画面表示は」


『滞留です』


「嫌な設計だな」


『はい』


 相沢は即答した。


『嫌です』


 担当者の聞き取りが続く。


【質問:現場差異を記録しないことに不安はありませんでしたか】


【回答:ありました】


【質問:それでも標準処理を進めた理由は】


【回答:標準様式上、必須ではなかったので】


【質問:他に理由はありますか】


【回答:処理を止めると、支払が遅れると思いました】


【質問:それは誰かに指示されましたか】


【回答:直接は、されていません】


 直接は、されていない。


 この言葉もまた、事故査定ではよく見る。


 命令ではない。


 だが、そうするようにできている。


 御園さんが、担当者の回答を読み返していた。


「この人は、早く払った方がいいと思ったんですね」


「そうでしょう」


「現場差異を無視したかったわけではない」


「少なくとも、現時点の記録ではそう見えます」


 俺は、画面の三行を残した。


【反映欄がありませんでした】


【入力すると、通常処理から外れると思いました】


【処理を止めると、支払が遅れると思いました】


 悪意の記録ではない。


 判断停止の記録だった。


 画面上部に、本庁回線の接続表示が出た。


【教育訓練支援室 監理官室】


【上席監理官 久我:接続中】


 久我は、すでに聞き取り記録を読んでいた。


『担当者の聞き取りについて、確認しました』


 声は穏やかだった。


『現時点では、担当者が標準様式に従って処理したことは確認できます』


「はい」


『一方で、自由記述欄への入力を検討しながら入力しなかった。ここには、担当者の判断不足が含まれる可能性があります』


 久我は、逃げていない。


 だが、責任の置き場所を慎重に選んでいる。


 担当者の判断不足。


 その言葉は、間違いではない。


 担当者は見ていた。

 不安もあった。

 自由記述欄も存在した。

 それでも入力しなかった。


 個人の判断は、確かにあった。


 だが、それだけでは足りない。


「担当者の判断は確認します」


 俺は言った。


「ただし、個人判断として閉じません」


 久我は、わずかに目線を上げた。


『理由を伺います』


 相沢が、処理画面の操作ログを表示する。


【白浜臨時訓練場事故 処理操作ログ】


【現場ログ参照:あり】


【自由記述欄カーソル移動:あり】


【入力開始:なし】


【標準処理続行ボタン表示:強調】


【上席確認回付ボタン表示:折りたたみ内】


【処理完了ボタン押下:あり】


 相沢が、淡々と言った。


『カーソルは自由記述欄に移動しています』


「入力は」


『ありません』


「その後」


『標準処理続行ボタンを押しています』


 真鍋課長が眉を寄せた。


「迷ってるな」


『はい』


 相沢は、画面の秒数を示した。


【自由記述欄滞在:七秒】


【標準処理続行ボタン押下】


 七秒。


 長いとは言えない。


 だが、迷いがなかったとも言えない。


 担当者は、見た。


 迷った。


 そして、標準処理へ戻った。


 相沢が、処理画面をもう一つ出した。


【標準処理続行ボタン】


【表示色:強調】


【文言:支払処理へ進む】


【補足:当日内支払対象】


【上席確認回付】


【表示位置:折りたたみ内】


【文言:追加確認】


【補足:処理遅延の可能性あり】


 真鍋課長が、短く息を吐いた。


「そっちを押すわな」


「はい」


 俺は答えた。


「早く払うことが正しいと教えられていれば、押します」


 久我が口を開いた。


『迅速な支払を重視すること自体は、誤りではありません』


「誤りではありません」


『担当者は、救済を遅らせないために標準処理を進めた可能性がある』


「あります」


『であれば、担当者を責めることは慎重であるべきです』


「同意します」


 久我は、そこで一度止まった。


 こちらが同意したからだ。


 俺は続けた。


「だから、担当者だけを責めません」


 真鍋課長が、こちらを見た。


 御園さんも、相沢も黙っている。


 俺は、新しい所見欄を開いた。


【事故査定課 暫定所見】


【担当者は現場差異を認識していたが、標準様式上の必須反映項目がなく、自由記述入力により処理滞留となる表示を受けていた】


【当該画面設計および評価指標が、担当者に標準処理継続を選択させる方向へ作用した可能性】


 久我が、その文面を読んだ。


『標準処理が、担当者の判断停止を誘導していた可能性、という整理ですか』


「はい」


『重い表現です』


「軽くはありません」


『担当者の責任を、設計側へ移すものと受け取られる可能性があります』


「移すのではありません」


 俺は、聞き取り記録を表示した。


【標準様式に従っただけです】


「分けます」


 久我は、何も言わなかった。


「担当者が何を見たか。何を迷ったか。何を入力しなかったか。それは確認します」


 俺は、処理画面の表示を指した。


【自由記述追加時:上席確認へ回付】


【画面表示:滞留】


【標準処理続行ボタン:強調】


「同時に、何を押しやすく作っていたかも確認します」


 会議室の空気が、少しだけ重くなった。


 真鍋課長が、胃薬の瓶を開けた。


 だが、飲まない。


 錠剤を一粒、掌に出しただけだった。


「黒木」


「はい」


「それを入れると、担当者個人の聞き取りじゃ済まないぞ」


「はい」


「本庁の処理設計に行く」


「はい」


「胃に悪い」


「査定です」


「便利な返しにするなと言っただろ」


 真鍋課長は、掌の錠剤を見た。


 それから、机の上に戻した。


 まだ飲まない。


「通せ」


 俺は、確定キーを押した。


【事故査定課 暫定所見:確定】


 画面の表示が変わる。


【白浜臨時訓練場事故】


【担当者入力判断:個別確認】


   ↓


【担当者入力判断:個別確認】


【追加確認:画面設計および評価指標の影響】


【責任区分:個人判断に限定せず】


 担当者の責任が消えたわけではない。


 だが、担当者だけの責任ではなくなった。


 標準様式に従っただけです。


 その言葉は、逃げ道ではなくなった。


 設計を査定する入口になった。


 久我は、画面の向こうで静かに言った。


『事故査定課の所見として受理します』


 前話と同じ言葉だった。


 だが、今回はわずかに違った。


 受理した瞬間、久我式の中で、担当者教育という逃げ道が細くなった。


 久我はそれを分かっている。


『ただし、標準処理の目的は、担当者の判断負荷を下げることです』


「はい」


『判断負荷を下げた結果、判断停止が起きたと評価するなら、その線引きは極めて慎重に行う必要があります』


「承知しています」


『事故査定課がその線引きを担う、という理解でよろしいですか』


「はい」


 久我は、少しだけ黙った。


 通信環境のせいではない一拍だった。


『承知しました』


 真鍋課長が、低く笑った。


「担わされたな」


「担います」


「言い切るな。胃に来る」


「査定です」


「だから便利にするな」


 今度は、真鍋課長が胃薬を飲んだ。


 水なしで飲み込んで、少しだけ顔をしかめる。


「相沢」


『はい』


「同じ画面設計で処理された案件を出せ」


『抽出中です』


「早いな」


『言われると思いました』


 相沢の端末に、一覧が表示される。


【標準処理続行ボタン:強調】


【上席確認回付:折りたたみ内】


【自由記述入力時:滞留表示】


【一致案件:複数件】


 御園さんが、静かに言った。


「同じように、迷って戻った人がいるかもしれないんですね」


『はい』


 相沢は答えた。


『自由記述欄にカーソル移動後、入力せず標準処理へ戻った操作ログを抽出します』


 画面に、候補が並び始める。


【自由記述欄滞在:五秒】


【入力なし】


【標準処理続行】


【自由記述欄滞在:九秒】


【入力なし】


【標準処理続行】


【自由記述欄滞在:六秒】


【入力なし】


【標準処理続行】


 短い迷いが、数字になって並んでいた。


 それは、反抗ではない。


 告発でもない。


 担当者が、標準処理から外れる前に戻った跡だった。


 真鍋課長が、画面を見て言った。


「これを成果に入れるなら、あれだな」


「はい」


 俺は答えた。


「なら、その標準処理で黙った人数も、成果欄に書け」


 真鍋課長の声が、会議室に落ちた。


「現場負荷軽減の成果としてな」


 誰もすぐには返さなかった。


 久我も、相沢も、御園さんも。


 その言葉は、怒鳴り声ではなかった。


 だが、成果資料の白い余白に、黒い線を引くには十分だった。


 真鍋課長は、言い終えてから胃薬の瓶を閉めた。


 乾いた音が、会議卓の上で小さく鳴った。


 久我は、表情を変えない。


『真鍋課長のご指摘は、指標設計上の比喩として受け止めます』


「比喩で済めばいいがな」


 真鍋課長は、それ以上言わなかった。


 俺は、成果資料の追加確認欄を開いた。


【KG系テンプレート 運用成果報告】


【現場負荷軽減:評価対象】


【処理時間短縮:評価対象】


【担当者判断回避件数:未集計】


 相沢が、すぐに補助入力する。


【担当者判断回避件数:算出準備中】


 久我の視線が、その行で止まった。


 また一つ、成果資料の読み方が変わる。


 早く処理できた。


 迷わず進めた。


 負荷を下げた。


 その裏で、何件の判断が回避されたのか。


 まだ分からない。


 だが、集計項目になった。


 それだけで十分だった。


 俺は、担当者聞き取り記録を閉じなかった。


 この担当者を、免罪するためではない。


 処罰するためでもない。


 標準処理に従っただけです。


 その言葉が本当なら、次に見るべきは処理そのものだ。


 相沢の端末に、新しい通知が出る。


【教育訓練支援室 標準処理改善案】


【再確認フォームの標準組込について】


【提案者:久我】


 真鍋課長が、通知を見て目を細めた。


「早いな」


『早いです』


 相沢が言った。


『取り込む気です』


 久我は、画面の向こうで静かにこちらを見ていた。


 受け入れたのではない。


 次の形に変えようとしている。


 俺は通知を開かなかった。


 次に査定するのは、改善という言葉だった。

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