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そのダンジョン事故、保険金は出ません。 〜元査定員の俺はログ鑑定で無謀な探索者の嘘を暴く〜  作者: 平八
第三章 その支払済み案件、まだ終わっていません

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第40話 その空白は、無ではありません

空白は、無ではない。


 何も書かれていないからといって、何も起きなかったことにはならない。


 記録が欠けている。


 音声がない。


 映像がない。


 担当者側の数秒が抜けている。


 それだけなら、ただの不備で済むかもしれない。


 だが。


 欠落の前には、同意がない。


 欠落の後には、異議なしがある。


 その二つが同じ線の上に並んだ時、空白は白紙ではなくなる。


 誰かが何かをした痕跡ではない。


 誰かが何かをしたはずの場所になる。








 ログ解析室の照明は、執務室よりも一段暗い。


 壁一面のモニターに、三件の欠落ログが同期表示されている。


 北杜総合実習事故。


 西苑訓練校事故。


 白浜臨時訓練場事故。


 三つの名前。


 三つの支払済み案件。


 三つの空白。


 相沢は別席の端末から、ログの整形画面を操作していた。


 御園さんは、朱ヶ丘の面談記録を閉じている。


 真鍋課長は、胃薬の瓶を開けていない。


 開けたら、たぶん終わりだと判断している顔だった。


 俺は、因果鑑定補助欄を開いた。


【因果鑑定補助】

【ログ・リプレイ準備】

【対象:担当者側処理ログ欠落三件】

【表示形式:前後ログおよび因果接続線】

【映像再構成:不可】

【理由:担当者側処理詳細ログ欠落/音声ログなし/環境視点情報不足】


 映像は出ない。


 過去の部屋も映らない。


 担当者の顔も、保護者の手元も、児童の呼吸も見えない。


 残っているのは、時刻と処理と接続だけだ。


 それで十分だった。


「相沢」


『はい』


「三件、同一秒数基準で並べてください」


『表示します』


 画面が切り替わる。


【北杜総合実習事故】

【T+00:38 確認猶予残り四秒】

【T+00:38 利用者側明示同意操作:なし】

【T+00:38 異議申立導線展開:なし】

【T+00:38 担当者側処理要求:検出】

【T+00:39〜T+00:43 担当者側処理詳細ログ欠落】

【T+00:44 説明済み処理完了】


【西苑訓練校事故】

【T+00:39 確認猶予残り三秒】

【T+00:39 利用者側明示同意操作:なし】

【T+00:39 異議申立導線展開:なし】

【T+00:39 担当者側処理要求:検出】

【T+00:40〜T+00:42 担当者側処理詳細ログ欠落】

【T+00:43 異議なし処理移行】


【白浜臨時訓練場事故】

【T+00:37 確認猶予残り五秒】

【T+00:37 利用者側明示同意操作:なし】

【T+00:37 異議申立導線展開:なし】

【T+00:37 担当者側処理要求:検出】

【T+00:38〜T+00:43 担当者側処理詳細ログ欠落】

【T+00:44 支払前説明ステータス完了】


 三つとも、形は同じだった。


 確認猶予が残っている。


 利用者側の明示同意操作はない。


 異議申立導線は開かれていない。


 その直後に、担当者側の処理要求がある。


 そこから、数秒だけ消えている。


 そして、説明済みになる。


 異議なしに移る。


 支払前説明が完了する。


 御園さんが、小さく言った。


「同意の前に、処理要求がある」


「はい」


「確認猶予は、まだ残っている」


「残っています」


「なのに、その後は説明済みになっている」


「記録上は」


 御園さんの指が、モニターの空白部分で止まった。


「ここで、何があったんですか」


「見えません」


 俺は答えた。


「欠けた記録は、再生できません」


「でも、何もなかったわけではない」


「はい」


 俺は、因果鑑定補助の起動欄に指を置いた。


「何をしたかは見えません。ですが、何もなかったとは扱えません」


 起動する。


【因果鑑定補助:起動】

【対象ログ:三件】

【処理:前後因果接続解析】

【映像再構成:不可】

【接続線表示:開始】


 モニターの上に、細い線が走った。


 白い線。


 利用者側画面表示から、確認猶予へ。


 確認猶予から、利用者側操作欄へ。


 そこまでは、つながっている。


 次の瞬間、線が途切れた。


【利用者側明示同意操作:なし】

【異議申立導線展開:なし】

【例外相談導線到達:なし】


 そこから先へ、線が伸びない。


 同意操作から説明済み処理へ。


 異議放棄操作から異議なし処理へ。


 本来なら存在するはずの接続が、何もない。


 代わりに、別の線が出た。


 赤い線だった。


【担当者側処理要求:検出】

   ───赤:因果接続候補───→

【説明済み処理完了】


 北杜の画面に、警告が出る。


【因果接続警告】

【利用者側明示同意操作】→【説明済み処理完了】

【接続根拠:不成立】


【因果接続候補】

【担当者側処理要求】→【説明済み処理完了】

【接続根拠:処理要求検出/詳細ログ欠落】


 西苑にも、同じ赤い線が走る。


【担当者側処理要求:検出】

   ───赤:因果接続候補───→

【異議なし処理移行】


【因果接続警告】

【利用者側異議放棄操作】→【異議なし処理移行】

【接続根拠:不成立】


【因果接続候補】

【担当者側処理要求】→【異議なし処理移行】

【接続根拠:処理要求検出/詳細ログ欠落】


 白浜にも。


【担当者側処理要求:検出】

   ───赤:因果接続候補───→

【支払前説明ステータス完了】


【因果接続警告】

【利用者側確認完了操作】→【支払前説明ステータス完了】

【接続根拠:不成立】


【因果接続候補】

【担当者側処理要求】→【支払前説明ステータス完了】

【接続根拠:処理要求検出/詳細ログ欠落】


 赤い線が、三本。


 綺麗に、同じ場所で途切れている。


 綺麗に、同じ場所からつながっている。


 気持ち悪いほど、同じだった。


 相沢が、通信越しに言った。


『前後ログだけを見る限り、利用者側の操作を起点にした接続は出ません』


「技術補佐としての見解は」


『担当者側処理要求が、説明済み処理への直前トリガーになっています。ただし、詳細ログが欠けているので、処理内容そのものは確定できません』


「十分です」


 俺は、画面を見る。


 確定できない。


 それは、本庁が使ってくる言葉だ。


 欠落している以上、何をしたかは分からない。


 だから問題とは言えない。


 そう言うだろう。


 だが、査定は逆だ。


 欠落している以上、根拠としては使えない。


 だから、成立したとは言えない。


「真鍋課長」


「言え」


「本庁は、欠落箇所について『確認不能』と返す可能性があります」


「だろうな」


「こちらの評価は逆です」


「どう逆だ」


「確認不能だから、成立根拠にできません」


 俺は、所見欄を開いた。


【黒木査定官所見案】

【三件の担当者側処理ログ欠落について、欠落箇所そのものの映像再構成および処理内容特定は不能】

【ただし、欠落前の利用者側ログには、明示同意操作、異議申立導線展開、例外相談導線到達、確認完了操作のいずれも確認されない】

【欠落前に担当者側処理要求が検出され、欠落後に説明済み処理完了、異議なし処理移行、支払前説明ステータス完了が記録されている】

【よって、利用者側操作を起点とする説明済み処理および異議なし処理の因果接続は成立しない】

【当該処理結果を成立させた根拠は、担当者側処理要求および欠落箇所に依存している】


 入力を止める。


 御園さんが、画面を見ていた。


「つまり」


「はい」


「同意したから説明済みになったんじゃない」


「ログ上は、その接続がありません」


「異議がなかったから異議なしになったんじゃない」


「異議放棄操作の接続もありません」


「担当者側の処理要求だけが残っていて、肝心な数秒が抜けている」


「その通りです」


 御園さんは、息を吐いた。


「それを、同意として扱っていたんですね」


「扱っていました」


「……ひどい」


 その一言は、ログにはならない。


 だが、俺は削らなかった。


 御園さんがその言葉を口にする場所は、ここでいい。


「感情論ではありません」


 俺は、赤い接続線を見た。


「同意操作が存在しない以上、これは手続き上の同意ではありません。処理結果だけが、同意の形をしているだけです」


 その上で、俺は書類に戻す。


【医療・面談補足反映】

【当該三件においては、利用者側が同意または異議放棄を行ったことを示す接続が確認できない】

【にもかかわらず、説明済み処理および異議なし処理へ移行しているため、当時の利用者が実質的な選択機会を有していたかについて、再確認が必要である】


 真鍋課長が、胃薬の瓶を開けた。


 今度は、飲まない。


 瓶を開けたまま、モニターを見ている。


「黒木」


「はい」


「短く言え」


「欠落は、根拠ではありません」


「もう一つ」


「空白を、同意の代わりにはできません」


 真鍋課長は、少しだけ目を閉じた。


「それだ」


 俺は、所見の冒頭へ一行を追加した。


【事故査定課所見】

【空白を、同意の代わりにはできない】


 続けて、正式な文言に変換する。


【正式所見】

【担当者側処理ログ欠落箇所は、説明済み処理および異議なし処理への移行根拠を確認するための重要部分である】

【当該箇所が欠落している以上、欠落をもって利用者側同意または異議放棄を補完することはできない】

【むしろ、欠落前後のログ上、利用者側操作を起点とする因果接続が確認できないため、当該支払済み処理については予備再査定の対象とする必要がある】


 相沢が、別の画面を出した。


『三件を、十一件比較表に戻します』


「お願いします」


【KG系テンプレート適用候補十一件 再評価】

【朱ヶ丘案件:利用者側明示同意操作なし/異議申立導線展開なし】

【北杜案件:利用者側明示同意操作なし/担当者側処理ログ欠落あり】

【西苑案件:利用者側明示同意操作なし/担当者側処理ログ欠落あり】

【白浜案件:利用者側明示同意操作なし/担当者側処理ログ欠落あり】

【その他七件:利用者側明示同意操作なし/異議申立導線展開なし/例外相談導線到達なし】


 相沢が続ける。


『欠落があるのは三件です。ただし、十一件すべてで利用者側明示同意操作はありません』


「つまり」


『欠落の有無に関係なく、利用者側の同意を直接示すログは十一件全部にありません』


 真鍋課長の顔から、冗談の気配が消えた。


「十一件全部か」


『はい』


「朱ヶ丘だけではない」


『その通りです』


「三件だけでもない」


『はい。欠落があるのは三件ですが、同意ログ不在は十一件すべてです』


 真鍋課長の表情から、冗談の気配が消えた。


 俺は、再評価欄を更新する。


【予備再査定範囲評価】

【担当者側処理ログ欠落が確認された三件については、説明済み処理および異議なし処理への移行根拠が直接確認不能である】

【また、欠落が確認されていない案件についても、利用者側明示同意操作が確認されていない】

【したがって、KG系テンプレート適用候補十一件について、説明・同意・異議放棄成立条件の再確認を行う必要がある】


 入力を確定する。


 画面上の十一件が、灰色から白に変わった。


【予備再査定候補】

    ↓

【予備再査定対象】


 御園さんの手が、面談記録の上で止まった。


 真鍋課長が、ようやく胃薬を一錠取り出した。


 飲まずに、机に置く。


「判子を押す前に、胃が逃げたがっている」


「生存するための退避反応です」


「今それを言うな」


「失礼しました」


 課長は、錠剤を見たまま、短く言った。


「だが、押す」


 決裁欄が開く。


【決裁事項】

【KG系テンプレート適用候補十一件を、予備再査定対象へ移行】

【根拠一:利用者側明示同意操作ログ不在】

【根拠二:異議申立導線展開ログ不在】

【根拠三:例外相談導線到達ログ不在】

【根拠四:担当者側処理ログ欠落三件】

【根拠五:利用者側操作を起点とする説明済み処理および異議なし処理の因果接続不成立】


 真鍋課長は、決裁欄に指を置いた。


 その指は、すぐには動かなかった。


 十一件。


 支払済み。


 本庁。


 久我式。


 そこに手を入れる。


 戻れないのは、俺たちも同じだ。


「御園」


「はい」


「再確認手順を、今日中に十一件用へ落とせ」


「分かりました」


「自動遷移は使うな」


「使いません」


「時間制限も」


「ありません」


「相沢」


『はい』


「十一件のログ凍結状態を、決裁資料に添付しろ」


『添付済みです』


「黒木」


「はい」


「この所見で行くぞ」


「はい」


 真鍋課長は、胃薬を飲んだ。


 それから、決裁した。


【決裁完了】

【KG系テンプレート適用候補十一件】

【予備再査定対象へ移行】


 モニターに、短い通知が出た。


【事故査定課内部処理】

【予備再査定対象登録:完了】


 音はしなかった。


 紙も動かなかった。


 判子の赤い跡もない。


 ただ、画面上の分類が変わっただけだ。


 けれど、その瞬間、支払済みの蓋は、確かに浮いた。


 相沢の通信欄が、すぐに赤く点灯した。


『課長、黒木さん』


「何だ」


『本庁側のログ保持ポリシーに、更新要求が走りました』


 真鍋課長の目が細くなる。


「何のログだ」


『KG系テンプレート関連の担当者側処理詳細ログです』


「対象は」


『同系統の処理ログ全般。少なくとも、今回の十一件以外にも影響します』


 画面に、別の通知が出た。


【本庁側ログ保持ポリシー更新要求】

【対象:KG系テンプレート関連 担当者側処理詳細ログ】

【区分:保持期限短縮】

【実行予定:本日二十三時五十九分】


 御園さんの顔が硬くなった。


「消すんですか」


『建前上は、保持期限の整理です』


 相沢の声は、冷たかった。


『ただし、実行されれば、同系統の詳細ログはかなり薄くなります』


「十一件は」


『前回協議前に凍結済みです。本庁の保持期限がどう変わっても、こちらの保全データには触れません』


 相沢の声は、淡々としていた。


『削られてからでは遅いので』


 真鍋課長が、低く息を吐いた。


「本当に、手回しが良すぎるな」


 俺は、更新要求ログを保存した。


【追加保全対象】

【本庁側ログ保持ポリシー更新要求】

【対象:KG系テンプレート関連 担当者側処理詳細ログ】

【保持期限短縮要求あり】

【十一件外の同系統案件に影響する可能性あり】


 入力を確定する。


 その空白は、無ではなかった。


 そして本庁は、まだ空白を増やそうとしている。


 俺は、決裁済みの十一件を見た。


 支払済みの蓋は、浮いた。


 次は、戻れる画面で聞く。


 まだ、彼らの判断ミスとは認めない。

第40話をお読みいただき、ありがとうございました。


欠けたログは、何もなかった証明にはなりません。


次回、第41話。


『戻れる画面で、もう一度聞きます』


十三秒で閉じる画面ではなく、戻れる画面で、十一件の再確認が始まります。


引き続き、見届けていただけると嬉しいです。

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