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そのダンジョン事故、保険金は出ません。 〜元査定員の俺はログ鑑定で無謀な探索者の嘘を暴く〜  作者: 平八
第三章 その支払済み案件、まだ終わっていません

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第33話 久我式は、なぜ通ったのか

間違った制度は、分かりやすい顔をしていない。


 悪意があります。


 隠蔽します。


 弱い者を黙らせます。


 そう書いてあれば、誰でも止める。


 だから、通らない。


 本当に厄介な制度は、正しい顔をしてくる。


 迅速化。


 標準化。


 公平性。


 処理遅延の防止。


 現場負荷の軽減。


 不正請求対策。


 どれも、必要だ。


 どれも、間違っていない。


 そして、どれも、人間を削る理由になる。


 久我式は、そこにあった。


 悪意の顔ではない。


 正論の顔をしていた。








 事故査定課の会議室に、教育訓練支援室からの回答資料が届いたのは、翌朝九時二十分だった。


【教育訓練支援室 標準処理妥当性照会回答】

【対象:KG系補償説明テンプレート】

【回答者:教育訓練支援室 標準処理管理班】

【最終確認:上席監理官 久我】

【回答区分:標準処理に重大な瑕疵なし】


 重大な瑕疵なし。


 最初から、そう来ると思っていた。


 真鍋課長は、椅子に座ったまま画面を見ていた。


 胃薬の瓶は、すでに机の上にある。


 御園ミミは、朱ヶ丘保護者面談記録を開いている。


 相沢圭吾は別室から接続している。


 十一件の匿名化比較表も、隣の画面に並んでいた。


「読むぞ」


 真鍋課長が言った。


「はい」


 俺は、回答資料を開いた。


【KG系補償説明テンプレート 設計趣旨】

【一、補償判断の迅速化】

【二、説明内容の標準化】

【三、現場担当者による説明差異の抑制】

【四、感情的混乱による処理遅延の防止】

【五、保護者および本人の心理的負担軽減】

【六、不正請求および過大請求リスクの抑制】

【七、教育訓練現場の業務負荷軽減】


 御園さんが、小さく息を吸った。


「まともですね」


「はい」


「全部、必要そうに見えます」


「はい」


「だから通ったんですね」


「はい」


 真鍋課長が、胃薬の蓋を親指で押した。


「腹が立つくらい、よくできてるな」


「はい」


「どこを突く」


「設計趣旨ではありません」


「では」


「処理成立条件です」


 俺は、次のページを開いた。


【説明済み処理成立条件】

【一、対象者または保護者に対し、標準説明画面を表示】

【二、所定時間の画面滞在を確認】

【三、確認欄表示後、異議申立がなければ説明済み処理へ移行】

【四、処理担当者が支払前説明の完了を確認】

【五、支払済み通知書を発行】


 きれいな文章だった。


 無駄がない。


 短い。


 現場が迷わない。


 管理者が確認しやすい。


 そして、どこにも書かれていない。


 本人が理解したこと。


 保護者が同意したこと。


 異議申立の導線を認識したこと。


 異議を放棄したこと。


 その確認が、どこにもない。


 御園さんが言った。


「表示すれば、説明したことになる」


「はい」


「一定時間見ていれば、理解したことになる」


「そこまでは、書かれていません」


「え?」


「理解した、とは書いていません」


 俺は該当部分を指した。


【説明機会の提供をもって説明済み処理へ移行する】


「説明機会」


 御園さんの声が低くなった。


「理解ではなく」


「はい」


「機会」


「はい」


 真鍋課長が、目を細めた。


「逃げ方がうまい」


「はい」


「本人が理解したとは書かない。説明の機会は与えた、と書く」


「はい」


「だから、理解していないと言われても、説明機会は提供したと返せる」


「その設計です」


 相沢の声が、回線越しに入った。


『この文言、十一件の処理ログ全部に紐づいています』


「表示を」


『はい』


 画面に比較表が出る。


【KG系テンプレート適用候補 説明済み処理文言比較】

【案件A:説明機会提供済み】

【案件B:説明機会提供済み】

【案件C:説明機会提供済み】

【案件D:説明機会提供済み】

【案件E:説明機会提供済み】

【案件F:説明機会提供済み】


 スクロールしても、同じ文言が続く。


 説明済み。


 ではない。


 説明機会提供済み。


 その言葉が、通知書の中で説明済みに変わる。


 相沢が言った。


『内部ログでは説明機会提供済み。通知書上は説明済み。画面上の表示名が変換されています』


「変換」


『はい。内部処理名と利用者向け表示名が違います』


 真鍋課長の手が止まった。


「内部では、理解確認まで取っていないことを知っている」


『はい』


「だが、通知書では説明済みと表示する」


『そうです』


 御園さんが、静かに言った。


「それ、言葉を変えていますよね」


「はい」


「説明の機会を出しただけなのに、受け取った人には説明が終わったように見せている」


「はい」


「それで支払済み」


「はい」


 俺は、所見欄を開いた。


【初期所見】

【KG系テンプレートにおいて、内部処理上は「説明機会提供済み」とされている一方、支払済み通知書上は「説明済み」と表示されている】

【上記表示差異により、本人側または保護者側に対し、理解確認または同意確認が完了したかのような外観を生じさせている可能性あり】


 入力を確定する。


 次の資料を開く。


【確認猶予時間について】

【確認欄表示後、十三秒を標準猶予とする】

【理由:平均画面確認時間および現場処理負荷を考慮】

【異議申立導線は、画面下部折りたたみ表示とする】

【理由:説明画面の簡素化および保護者心理負荷の軽減】


 御園さんが、画面を見たまま言った。


「心理負荷の軽減」


「はい」


「異議申立を見えにくくする理由が、心理負荷の軽減ですか」


「資料上は」


「佐伯さんは、そのせいで見つけられませんでした」


「はい」


「それも、心理負荷の軽減ですか」


 俺は答えなかった。


 答えるのは、資料だ。


 真鍋課長が、低く言った。


「黒木」


「はい」


「この十三秒の根拠は」


「平均画面確認時間と現場処理負荷、とあります」


「読了時間ではないのか」


「はい」


「説明文を読むための時間ではなく、画面確認にかかる平均時間」


「はい」


「事故直後の保護者が読む時間でもない」


「はい」


「過呼吸の子どもの横で読む時間でもない」


「はい」


 御園さんが、手元の面談記録を開いた。


【私は、画面を見なきゃいけないのか、娘を見なきゃいけないのか分かりませんでした】

【十三、十二、十一って、赤い数字がカウントダウンを始めて】

【あの数字に、追い立てられたんです】

【私は、何も選んでいません】


 御園さんは、その証言をしばらく見ていた。


「これ、軽減じゃありません」


「はい」


「急がせています」


「はい」


『その上で、もう一つあります』


 相沢が、本庁側の管理画面を重ねた。


『教育訓練支援室は、このテンプレートの運用結果を集計しています。異議申立ページへの到達率は、〇・七%です』


 真鍋課長の顔から、いつもの渋さが消えた。


「一%未満か」


『はい』


 相沢の声は、低く平坦だった。


『しかも本庁は、この数字を隠していません。それどころか――』


 キーを叩く音が、小気味よく、どこか冷たく響いた。


『大成功の成果指標として、ダッシュボードの最上段に掲げています』


【標準処理改善報告】

【KG系テンプレート導入により、補償説明後の処理滞留率が大幅低下】

【異議申立率の低下により、案件処理の安定化を確認】

【上席監理官コメント:現場判断の揺れを減らし、教育訓練補償の標準化に寄与】


 御園さんが、手元の面談記録を見た。


【あの数字に、追い立てられたんです】

【何かを考えたり、選んだりする時間なんて、最初からありませんでした】


「……安定化」


「はい」


「反論できなくなった人の数字を、成功と呼んでいるんですね」


「資料上は、そうなります」


 御園さんの声に、明確な怒りが乗った。


「佐伯さんは、あの赤い数字に追い立てられたと言っていました。十三秒は、説明を理解するための時間ではありません。何を選べるのかを考える前に、画面が進んでしまう時間です」


「はい」


「それを、異議がなかったことにするんですか」


 俺は、御園さんの言葉を受けて、端末に入力した。


【医療・説明状況補足】

【本庁評価における「異議申立率の低下」は、標準処理の妥当性を示すものではなく、確認猶予不足および導線の認識困難性に伴う反論機会の機能不全を示す可能性がある】

【少なくとも朱ヶ丘案件においては、確認猶予十三秒は説明内容の理解または任意の異議放棄を成立させる時間として機能していない】

【よって、当該処理をもって、本人側または保護者側の理解・同意・異議放棄が成立したものと扱うことは困難である】


 入力を確定する。


「御園さんの所見を、説明状況の補足として記録しました」


「怒りも入っています」


「怒りは記録していません。構造だけ記録しました」


 御園さんは、画面を見たまま小さく頷いた。


「それでいいです」


 次のページへ進む。


【異議申立導線設計について】

【異議申立導線は、説明画面下部に折りたたみ式で配置】

【理由:過度な選択肢提示による混乱を防止】

【異議申立は、明示的に希望する場合のみ展開可能】

【説明済み処理移行後も、後日異議申立窓口にて対応可能】


 後日。


 便利な言葉だ。


 だが、佐伯さんは通知書を受け取って、こう思わされていた。


 もう終わった。


 もう争えない。


 自分が悪かったのだ。


 後日の窓口など、心理的には存在していない。


 相沢が、続けてログを表示した。


【支払済み通知書 異議申立案内表示】

【表示位置:最終ページ下部】

【文字サイズ:最小】

【初期表示:折りたたみ】

【通知受領者操作率:二・一%】

【異議申立ページ到達率:〇・七%】

【再説明要求率:〇・四%】

【処理平均時間:三分十二秒短縮】


 御園さんが、呟いた。


「短縮」


「はい」


「人が異議を出せなくなった数字が、成功指標になっている」


「はい」


 相沢が言った。


『このテンプレート、数字だけ見ると本当に優秀です』


「説明して下さい」


『処理時間は短縮。現場負荷は軽減。支払済みまでの滞留も減っている。管理者から見ると、詰まっていた水路が一気に流れ出したように見えます』


「実際には」


『異議を出す導線が見えなくなって、水が別のところに溜まっているだけです』


 御園さんが、低く言った。


「その別のところが、人間の中なんですね」


 誰もすぐには答えなかった。


 佐伯さんの言葉が、画面の隣にまだ残っている。


【娘はまだ、あの画面の中にいます】

【あの数字に、追い立てられたんです】

【納得なんて、していません】


 俺は、所見欄に追記した。


【KG系テンプレート運用評価】

【教育訓練支援室は、説明画面完了率、支払済み処理移行率、処理平均時間短縮、異議申立率低下を運用成果として評価している】

【しかし、朱ヶ丘案件においては、異議申立率低下は本人側または保護者側の納得を示すものではなく、異議申立導線の認識困難性および確認猶予不足に起因する反論機会の機能不全を示す可能性がある】

【よって、異議申立率低下をもって標準処理の妥当性を基礎づけることはできない】


 入力を確定する。


 真鍋課長が言った。


「久我式は、なぜ通ったと思う」


 その問いは、誰か一人に向けたものではなかった。


 御園さんが、画面を見る。


 相沢も黙っている。


 俺は、資料を見た。


 久我式は、通る。


 なぜなら、正しいからだ。


 処理は早くなる。


 現場は楽になる。


 説明は揃う。


 数字は綺麗になる。


 異議は減る。


 再説明も減る。


 滞留も減る。


 管理者は安心する。


 現場も助かる。


 支払済み件数は増える。


 帳簿は整う。


 どこにも、悪意は書かれていない。


 どこにも、子どもを黙らせるとは書かれていない。


 どこにも、保護者の声を奪うとは書かれていない。


 ただ、反論が起きる前に、手続きが終わるように設計されている。


「正しい数字を出したからです」


 俺は言った。


 真鍋課長が、画面の指標を見た。


「処理時間短縮。異議率低下。現場負荷軽減。標準化率向上。管理者が見たい数字を、すべて改善している」


「はい」


「だから、通った」


「はい」


 御園さんが、静かに言った。


「でも、その数字の外に、人がいました。佐伯さんも、芽衣さんも。十一件の誰かも」


「はい」


 俺は、画面に並ぶ数字から目を離さなかった。


「その数字の外にいた人たちを、これから記録に戻します」


 俺は、端末に新しい照会文を作成した。


【教育訓練支援室 追加照会案】

【照会事項一:KG系テンプレートにおける「説明機会提供済み」と「説明済み」の表示差異について】

【照会事項二:確認猶予十三秒の算定根拠および事故直後保護者への適用妥当性について】

【照会事項三:異議申立導線折りたたみ表示の設計理由および認識率について】

【照会事項四:異議申立率低下を運用成果として扱った根拠について】

【照会事項五:本人側明示同意ログ不在時における異議なし処理成立条件について】

【照会事項六:朱ヶ丘案件保護者証言および保護者側保存データとの矛盾について】


 真鍋課長が、照会案を見た。


「これは嫌がる」


「はい」


「特に四つ目だな」


「異議申立率低下を成果とした根拠、ですか」


「ああ。そこを突かれるのが一番嫌だろう」


「はい」


「反論が減ったことを、効率化と呼んでいたわけだからな」


「はい」


 課長は、胃薬を一錠、口に入れた。


「送る前に、久我本人のコメントも添付しろ」


「標準処理改善報告の上席監理官コメントですか」


「そうだ」


「承知しました」


 俺は、資料から久我のコメント欄を抜き出した。


【上席監理官コメント】

【現場判断の揺れを減らし、教育訓練補償の標準化に寄与】

【今後も説明・確認・支払処理を一体化し、保護者負担の軽減と迅速な給付を推進すること】


 説明。


 確認。


 支払処理。


 一体化。


 御園さんが、その言葉を見た。


「一体化」


「はい」


「説明と確認と支払いを、まとめて流す」


「はい」


「だから、止まれない」


「はい」


「佐伯さんが言っていました。前は止められませんでしたって」


「はい」


 俺は、所見欄に最後の一文を入力した。


【追加所見】

【KG系テンプレートは、説明、確認、支払処理を一体化することにより迅速化を実現している】

【一方で、当該一体化により、本人側または保護者側が説明内容を理解し、異議申立の要否を判断し、必要に応じて手続きを停止する機会が実質的に失われている可能性がある】

【本件標準処理は、補償判断の迅速化ではなく、反論可能性の低下を伴う処理短縮として再評価すべきである】


 入力を確定する。


 会議室に、キーの音だけが残った。


 真鍋課長が、深く息を吐いた。


「黒木」


「はい」


「ここからは、向こうも本気で来る」


「はい」


「久我は、これを個別事故の問題にはさせん」


「標準処理の妥当性に引き戻してくるでしょう」


「その方が有利だからな」


「はい」


「お前はどう返す」


 俺は、佐伯さんの証言と、十一件の空白と、久我のコメントを同じ画面に並べた。


【処理時間短縮】

【現場負荷軽減】

【異議申立率低下】

【案件処理の安定化】


 その隣に、佐伯さんの証言がある。


【私は、何も選んでいません】

【私は何も言わなかったのではなく、言えなかった】

【納得なんて、していません】


 完璧な正論と、踏みつぶされた証言が、同じ画面の中で向かい合っていた。


「正論で人間を削ったのなら、その正論ごと査定するだけです」


 真鍋課長は、しばらく俺の顔を見たあと、胃薬の瓶をパチンと閉じた。


「いい答えだ。本庁の喉元に、その言葉ごと叩き込んでこい」


「ありがとうございます」


「礼を言うな。すでに胃が裏返りそうだ」


「適切な退避反応を推奨します」


「今度それを言ったら、お前の端末の全データを初期化する」


「承知しました」


 御園さんが、ほんの少しだけ笑った。


 だが、その笑いはすぐに消えた。


 教育訓練支援室への追加照会案が、画面に残っている。


 最終確認欄には、久我の名前。


 この仕組みは、たぶん通った時、正しい制度だった。


 少なくとも、帳簿の上では。


 だが、その正しさは、佐伯さんに十三秒を与えた。


 芽衣さんを、まだ画面の中に残した。


 十一件の空白を作った。


 正論は、時々、人を黙らせる。


 だから、正論のままでは通さない。


 俺は、追加照会案を保存した。


【教育訓練支援室 追加照会案 保存完了】

【添付予定:朱ヶ丘保護者面談記録】

【添付予定:KG系テンプレート適用候補匿名化比較表】

【添付予定:支払済み通知書空白パターン比較】

【添付予定:因果接続警告一覧】


 画面の下に、赤い警告が残っている。


【反論可能性:機能不全】


 久我式は、なぜ通ったのか。


 正しかったからだ。


 そして、その正しさが、人を黙らせていた。


 まだ、彼らの判断ミスとは認めない。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


第33話では、KG系テンプレート、いわゆる久我式が「なぜ通ったのか」を確認しました。


迅速化。

標準化。

処理遅延の防止。

現場負荷の軽減。

不正請求対策。


どれも、言葉だけ見れば正しいものです。


だからこそ通りました。


けれど、その中で何が削られていたのか。


説明機会の提供が、通知書上では説明済みに変わる。

異議申立の導線は折りたたまれ、到達率は一%未満。

異議申立率の低下は、運用成果として扱われる。

処理は早くなり、帳簿は整う。


その一方で、佐伯さんのような保護者は、「何も選んでいない」のに異議なしとして処理されていました。


次回は、本庁側がこの照会にどう返してくるのか。


標準処理だから問題ないのか。

標準処理だからこそ問題なのか。


引き続き、事故査定課の査定を見届けていただけると嬉しいです。

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