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そのダンジョン事故、保険金は出ません。 〜元査定員の俺はログ鑑定で無謀な探索者の嘘を暴く〜  作者: 平八
第二章 その判断ミスは、誰に教え込まれたものですか

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第24話 説明済みは、理解済みではありません

説明済み。


 その言葉は、便利だ。


 説明しました。


 伝えました。


 確認欄にチェックがあります。


 本人も反省しています。


 保護者にも説明済みです。


 だから、処理は終わっています。


 そう書けば、書類の上では、すべてが片付いたように見える。


 だが、説明されたことと、理解したことは違う。


 聞いたことと、選べたことも違う。


 まして、事故直後の痛みと恐怖の中で差し出された言葉を、本人の自由な理解と呼ぶには、かなり厚い根拠が要る。


 俺、黒木司は、端末に表示された通知を見ていた。


 椎名遥斗案件。


 本人過失割合案、四〇%。


 その数字を止めるための申請に、本庁から回答が来ていた。


 朝。


 事故査定課の端末に、教育訓練支援室からの意見回答が届いていた。


【教育訓練支援室 意見回答】

【対象:椎名遥斗案件】

【件名:本人過失割合案四〇%の適用停止申請について】

【回答区分:再検討要】

【添付:教育訓練支援室意見書】


 再検討要。


 嫌な言葉だ。


 否定ではない。


 肯定でもない。


 止めずに、戻すための言葉だ。


 俺の背後で、真鍋課長が胃薬の瓶を開けた。


「受理されたと思ったら、再検討要か」


「はい」


「胃に悪いな」


「はい」


「今回は定量化するなよ」


「していません」


「よし」


 真鍋課長は、瓶の蓋を閉めて椅子に座った。


 御園ミミは、端末の横から意見書を覗き込んでいる。


 俺は添付ファイルを開いた。


【教育訓練支援室意見書】


一、退避ゲート未開放ログについては、訓練環境上の不備として確認中。


二、ただし、椎名遥斗本人が恐怖反応により退避行動を完了できなかった事実とは別事象である。


三、本人は事故後反省文において、恐怖による判断遅延を認識している。


四、よって、本人過失割合案四〇%については、現時点で維持を相当とする。


五、訓練環境不備については、学校側管理責任として別途評価予定。


 御園さんが、声を出さずに息を吸った。


 真鍋課長は、胃薬の瓶を机に置く。


「来たな」


「はい」


「二つに分けてきたか」


「はい」


 退避ゲート未開放は、学校側の管理責任。


 恐怖で動けなかったことは、本人側の判断遅延。


 本庁は、そう切った。


 一見すると、筋は通っている。


 事故原因が複数ある場合、それぞれを分けて評価すること自体は間違っていない。


 設備不備と本人行動。


 環境要因と個人要因。


 別々に評価する。


 査定上、よくある整理だ。


 だからこそ、厄介だった。


 雑な言い逃れではない。


 制度の言葉で、きちんと逃げている。


「黒木さん」


 御園さんが言った。


「これ、読む人によっては、本庁の言い分も正しく見えます」


「はい」


「ゲートが開かなかったことと、遥斗くんが怖がったことを分けている」


「はい」


「でも、分けていいんですか」


「分けてはいけない場合があります」


「どういう場合ですか」


「その恐怖反応が、退避不能な環境によって発生、または増幅した場合です」


 俺は意見書を閉じた。


「原因を分けるには、分けられるだけの独立性が必要です」


 ゲートが開いていた。


 安全な退避路があった。


 その上で、本人が退避しなかった。


 それなら、本人行動を別に評価できる可能性はある。


 だが、今回の退避ゲートは開いていなかった。


 訓練生は、逃げるはずの場所へ進み、その先が閉じていた。


 その状況で発生した恐怖反応を、本人だけに戻す。


 それは、原因の切り分けではない。


 原因の押し戻しだ。


 午前十時。


 本庁とのオンライン照会が始まった。


 出席者は、事故査定課から俺、真鍋課長、御園さん。


 本庁側から、教育訓練支援室の榊原里央係長。


 資料管理補助として、相沢圭吾。


 榊原係長は、今日も整っていた。


 昨日より疲れている。


 だが、表情は崩していない。


 本庁の壁として、まだ立っている。


「椎名遥斗案件について確認します」


 俺は言った。


「意見書の通りです」


 榊原はすぐに答える。


「退避ゲート未開放については、訓練環境の不備として確認中です。ただし、本人が恐怖反応により退避行動を完了できなかった事実とは、別に評価されるべきです」


「別に評価する根拠は」


「事故原因は複合的に評価されます」


「はい」


「環境不備があったとしても、本人の行動選択に判断遅延が認められる場合、その要素を過失評価から完全に除外することはできません」


「一般論としては同意します」


 榊原の視線が止まった。


「一般論としては、ですか」


「はい」


 俺は、椎名案件のログを表示した。


【椎名遥斗案件 確認済ログ】

【退避ゲート開放ログ:なし】

【訓練中止指示ログ:なし】

【魔法弾瞬間最大出力:六七・九%】

【適応負荷補正:恐怖反応遅延検知により発動】

【教官承認ログ:未確認】

【反省文作成:疼痛下】

【反省文語彙:指導記録と高一致】


「今回、本人が向かった退避先は開いていません」


「それは環境不備として確認中です」


「開いていない退避先へ向かった訓練生を、退避判断遅延と評価する根拠は何ですか」


「本人は途中で行動停止しています」


「行動停止の直前に、退避不能状態を認識した可能性があります」


「可能性です」


「はい。だから確認しています」


 榊原は黙らない。


 むしろ、淡々と押し返してくる。


「黒木査定官。恐怖反応が発生したこと自体は、医療記録上も確認されています」


「はい」


「本人が恐怖により行動を止めたことは、反省文にも記載されています」


「はい」


「その事実を評価対象から外すことは、訓練事故の実態把握として不適切です」


 強い。


 本庁の防御としては、かなり強い。


 恐怖反応があった。


 行動停止があった。


 本人も反省文に書いている。


 だから、本人要素は残る。


 一見、正しい。


 御園さんが、少しだけ眉を寄せた。


 だが、口を挟まない。


 ここは、原因評価の話だ。


 俺の仕事だった。


「恐怖反応を評価することには同意します」


 俺は言った。


「ただし、その恐怖反応を本人過失として評価するには、恐怖反応が本人の選択可能性をどの程度残していたかを確認する必要があります」


「当然です」


「退避ゲートが開いていない環境で、その選択可能性を評価できますか」


 榊原の表情は変わらない。


「ゲート未開放は、学校側管理責任として評価予定です」


「質問に答えてください」


 俺は資料を一枚追加した。


【訓練設計条件】

【目的:退避判断訓練】

【前提:退避先ゲート稼働】

【安全条件:退避失敗時の負傷回避措置】

【実際:退避ゲート開放ログなし/魔法弾高出力/負傷発生】


「退避判断訓練は、退避可能な環境を前提としています」


「はい」


「退避不能な環境で発生した恐怖反応を、本人の退避判断遅延として扱うなら」


 俺は、少し間を置いた。


「その訓練は、最初から負傷を前提にしたシミュレーションになります」


 榊原の声が、一拍遅れた。


「……表現が強すぎます」


「機能評価です」


 真鍋課長が、机の下で胃のあたりを押さえた。


 御園さんは、画面を見たまま動かなかった。


「退避不能な環境に訓練生を置く。魔法弾出力を上げる。恐怖反応を検知する。動けなかったことを本人過失とする」


 俺は、一つずつ置いた。


「これは、本人の判断を測る訓練ではありません」


「では、何だと」


「負荷をかけ、退避不能にし、その結果を本人の責任として記録する処理です」


 榊原は黙った。


 初めて、言葉が途切れた。


 俺は続ける。


「本人の恐怖反応を評価するなら、まず退避可能性を評価してください」


「……」


「退避可能性がない状態で発生した恐怖反応を、本人過失割合四〇%として残すことはできません」


 相沢が、画面の端で小さく頷いた。


 すぐに視線を戻す。


 ログを追加している。


 動きが早い。


 榊原は、姿勢を整え直した。


「事故査定課としてのご見解は理解しました」


「理解済みとして記録しますか」


「いえ、説明を受けたと記録してください」


 榊原係長は、すぐに訂正した。


 理解ではない。


 同意でもない。


 説明を受けた。


 その線を、彼女は自分で引いた。


「承知しました」


 俺は端末に入力する。


【教育訓練支援室は、退避不能環境における恐怖反応を本人過失とする根拠について、現時点で合理的な反証を提示せず、事故査定課の指摘に対し説明を受領するに留まった】


「黒木査定官」


 榊原係長の声が、少し低くなった。


「語弊があります」


「事実の機能評価です」


「説明を受けた、という意味です」


「はい」


 俺は頷いた。


「反証は、提示されていません」


 榊原は、すぐには返さなかった。


 真鍋課長が、画面のこちら側で小さく息を吐く。


 説明済みは、理解済みではない。


 そして、説明を受けただけでは、反証済みでもない。


 俺は次の資料を開いた。


 ただし、朱ヶ丘案件へはまだ踏み込まない。


 今日の主対象は、椎名遥斗案件だ。


 広げすぎれば、論点がぼやける。


 ここでは、椎名案件で使われた本人自認資料の様式だけを確認する。


「KG系テンプレートの過去適用実績を提示してください」


 俺が言うと、榊原係長の表情がわずかに硬くなった。


「それは椎名案件の範囲を超えます」


「超えません」


「過去適用実績の照会は、支払済案件の再検証につながります。事故査定課の個別案件照会としては、権限範囲を慎重に確認する必要があります」


「確認は不要です」


 俺は椎名遥斗の反省文を表示した。


「本人過失割合四〇%の根拠資料として、このKG系テンプレートが使われています」


 榊原係長は、すぐには返さなかった。


「この様式に誘導性や瑕疵がないと主張するなら、本庁はその妥当性を示す必要があります」


「本庁は、様式全体の妥当性をこの場で審査する立場にはありません」


「では、椎名案件においても、この様式の妥当性は未立証として扱います」


「黒木査定官」


「はい」


「その記載は、支援室全体の運用に影響します」


「影響するのは運用ではありません」


 俺は端末に入力する。


【KG系テンプレートの過去適用実績および妥当性根拠について、教育訓練支援室は現時点で提示を保留。よって、椎名案件における本人自認資料の補償減額根拠としての妥当性は未立証】


 エンターキーが静かに沈む。


 画面の向こうで、榊原係長がわずかに視線を彷徨わせた。


「影響するのは、この反省文を減額根拠として使えるかどうかです」


 榊原係長の視線が、画面から俺へ戻った。


「現場が混乱します」


 そこで、真鍋課長が口を開いた。


「混乱はすでに起きている」


 課長は、胃薬の瓶には触れなかった。


「ただ、そちらの帳簿に載っていなかっただけだ」


 榊原係長は黙った。


「黒木」


「はい」


「その記載のまま、上申書に入れろ」


「はい」


「本庁が嫌がるなら、嫌がる理由も一緒に記録して出せ。……判は俺が押す」


 短い言葉だった。


 だが、その一言で、画面の向こうの空気が変わった。


 これは黒木司の個人的な所見ではなくなる。


 事故査定課長が責任を持つ、正式な上申になる。


 オンライン照会が終わった後、事故査定課の空気はいつもより乾いていた。


 勝ったわけではない。


 本庁はまだ譲歩していない。


 本人過失割合四〇%は、書類上、維持されたままだ。


 だが、本庁は反証を出していない。


 KG系テンプレートの妥当性も、示されていない。


 穴は開いた。


 そこへ、上申書を差し込む。


 午後。


 椎名遥斗案件の上申書を作成する。


【上申書】

【件名:椎名遥斗案件における本人過失割合案四〇%の適用停止および補償再試算について】


一、退避ゲート開放ログが存在しないこと。


二、魔法弾出力が訓練用出力として相当性を欠く疑いがあること。


三、適応負荷補正が恐怖反応遅延検知により発動していること。


四、本人反省文の語彙が教官指導記録と高く一致していること。


五、反省文作成時に疼痛および心理的負荷が存在したこと。


六、退避可能性が確認できない環境下で発生した恐怖反応を、本人過失として評価する根拠が不足していること。


七、KG系テンプレートの妥当性根拠が提示されていない以上、本人自認資料を補償減額根拠として扱うことは相当でないこと。


八、本人過失割合案四〇%は、現時点で採用不可であること。


 俺は、最後に再試算条件を加える。


【再試算条件】

【本人反省文を事故原因資料として扱わない】

【退避ゲート未開放を環境側不備として評価】

【魔法弾出力および適応負荷補正を学校側管理責任として評価】

【本人過失割合は、退避可能性の有無を確認するまで設定不可】

【KG系テンプレートの妥当性確認完了まで、本人自認資料を補償減額根拠として扱わない】


 送信前に、真鍋課長へ回す。


 課長は、画面を黙って読んだ。


 いつもより長い。


 胃薬の瓶には手を伸ばさない。


「黒木」


「はい」


「六番、強いな」


「必要です」


「退避可能性が確認できない環境下で発生した恐怖反応を、本人過失として評価する根拠が不足」


「はい」


「七番はもっと嫌がるぞ」


「想定しています」


「噛みつかれたら」


「退避可能性と様式妥当性の立証を求めます」


「よし」


 課長は少しだけ息を吐いた。


「出せ」


「課長決裁で提出します」


 俺が確認すると、真鍋課長は画面から目を離さずに頷いた。


「俺が判を押す」


 まだ、判は押されていない。


 だが、その一言で、上申書はただの所見ではなくなった。


 事故査定課として、本庁へ差し出す書類になる。


 夜。


 上申書の最終版を保存した。


【椎名遥斗案件 上申書案】

【提出予定:翌朝】

【決裁者:事故査定課長 真鍋】


 真鍋課長は、俺の席に来た。


「まだ送るな」


「はい」


「明日、俺が読む」


「はい」


「一晩置く」


「理由は」


「胃と同じだ」


「はい」


「熱いうちに判を押すと、たまにろくでもない」


「承知しました」


「お前は承知した顔をするな」


「していましたか」


「してない。だから嫌なんだよ」


 課長は、資料を持って自席へ戻った。


 御園さんは、本人保護手順の草案を書いている。


 相沢は本庁側で、KG系テンプレートの過去適用ログを掘っている。


 事故査定課に、一瞬だけ静けさが戻った。


 上申書は、明日、真鍋課長の目を通る。


 そこで判が押されれば、椎名遥斗案件は次の段階へ進む。


 そう思った直後だった。


 相沢から、新しい通知が届いた。


【朱ヶ丘案件 保護者説明画面ログ】


 画面滞在時間、四十二秒。


【説明担当者メモ:保護者、沈黙。説明済として処理】


 四十二秒。


 説明済みと呼ぶには、あまりに短い。


 大人が並べた言葉を、ただ受け入れることしかできなかった沈黙だ。


 誰も、それを「納得」とは呼ばせない。


 俺は画面を閉じなかった。


 まだ、本人の判断ミスとは認めない。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


第24話では、本庁側が「退避ゲートの不備」と「本人の恐怖反応」を別々の事象として扱い、本人過失四〇%を維持しようとしました。


一見すると、事故原因を分けて評価する正しい処理にも見えます。


ですが、退避できない環境で発生した恐怖を本人過失にするなら、それは訓練ではなく、負傷を前提にしたシミュレーションではないか。


黒木は、そこを切り分けました。


また今回は、KG系テンプレートの妥当性にも踏み込んでいます。


そしてラストでは、支払済み案件である朱ヶ丘のログが届きました。


説明したこと。

理解されたこと。

納得されたこと。


それらは同じではありません。


次回は、椎名遥斗案件の上申書と、真鍋課長の判へ進みます。


引き続き、黒木たちの査定を見届けていただけると嬉しいです。

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