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そのダンジョン事故、保険金は出ません。 〜元査定員の俺はログ鑑定で無謀な探索者の嘘を暴く〜  作者: 平八
第二章 その判断ミスは、誰に教え込まれたものですか

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第16話 未成年に「なぜ逃げなかった」と聞くな

未成年への聞き取りは、事故現場より難しい。


 現場は、嘘をつかない。


 血痕は、そこに落ちた理由を持っている。


 傷は、向きと深さで語る。


 ログは、欠けていても欠けた時刻を残す。


 だが、人間は違う。


 特に、未成年は違う。


 大人の顔色を見る。


 先生の言葉を繰り返す。


 親に迷惑をかけたくないと考える。


 自分が悪かったことにすれば、誰かが許してくれるのではないかと思う。


 だから、聞き方を間違えれば、こちらの質問そのものが新しい傷になる。


 事故査定課の会議室。


 俺、黒木司は、椎名遥斗への聞き取り質問案を作成していた。


【聞き取り対象】

【椎名遥斗】

【年齢:十五歳】

【事故時状況:模擬ダンジョン訓練中に負傷】

【学校側見解:本人の退避判断遅れ】

【目的:本人発言の確認、訓練ログとの照合】


 質問案。


【質問案】

一、退避指示を受けた時点で、なぜ即時退避しなかったのですか。

二、退避方向を誤った自覚はありますか。

三、恐怖反応により判断が遅れた可能性を認識していますか。

四、事故直後に「僕が判断を」と発言した理由は何ですか。

五、今後、同様の場面でどのように判断すべきだと考えますか。


 俺は入力を止めた。


 必要項目は満たしている。


 事故原因の確認としては、妥当だ。


 だが。


 隣で資料を読んでいた御園ミミが、じっと画面を見ていた。


「黒木さん」


「はい」


「その質問案、見直してもいいですか」


「お願いします」


 御園さんは、俺の端末を見た。


 眉を寄せる。


 怒っているというより、痛いものを見たような顔だった。


「これ、全部、本人が悪かった前提です」


「事故原因確認のためです」


「分かります。でも、聞かれる側にはそう聞こえます」


 彼女は、一つ目の質問を指差した。


「『なぜ即時退避しなかったのですか』は、退避できたのにしなかった前提です」


「はい」


「でも、まだ退避できたかどうかが分かっていません」


「退避ゲートの状態が未確認です」


「なら、この聞き方は危険です」


 御園さんは二つ目を指差す。


「『退避方向を誤った自覚はありますか』も、誤ったことが前提です」


「学校側説明ではそうなっています」


「学校側説明を確認するために、本人に学校側説明を飲ませる聞き方になっています」


 妥当な指摘だ。


 三つ目。


「『恐怖反応により判断が遅れた可能性を認識していますか』も、恐怖が悪かったみたいに聞こえます」


「恐怖反応は事故要因になり得ます」


「はい。でも、恐怖そのものは悪ではありません。怖いから逃げる、怖いから止まる。どちらも人間の反応です」


 御園さんの声は静かだった。


 だが、言葉ははっきりしていた。


「未成年に『なぜ逃げなかった』と聞くな、ということですか」


「はい」


 即答だった。


「少なくとも、最初に聞くべきではありません」


「では、修正案を」


 御園さんは少しだけ息を吸った。


 そして、自分のメモを開いた。


【御園案】

一、その時、どこへ行こうとしましたか。

二、退避ゲートは見えていましたか。

三、誰の声が聞こえていましたか。

四、痛くなる前に、一番怖かったことは何ですか。

五、先生に何を伝えようとしましたか。

六、今、話したくないことはありますか。


 俺はその質問案を読む。


 事実確認としては、少し遠回りだ。


 だが、未成年への聞き取りとしては、こちらの方が安全性が高い。


「御園案を採用します」


 御園さんが、少しだけ目を丸くした。


「いいんですか」


「妥当です」


「黒木さんの質問も、必要だとは思います」


「後半に回します」


「はい」


「最初に本人の体験を確認し、その後、ログとの矛盾点を整理します」


「その方がいいと思います」


 俺は質問案を修正した。


【聞き取り方針】

【本人責任を前提としない】

【体験順に確認】

【退避可能性、ゲート視認、音声、恐怖反応、教官発言を分離】

【本人発言は、未成年・負傷後・教官指導下での発言として評価】


 御園さんが、それを見て小さく頷いた。


「ありがとうございます」


「必要な修正です」


「でも、黒木さんがすぐ採用してくれるとは思いませんでした」


「専門所見として妥当でした」


「……そういう言い方、黒木さんらしいです」


 御園さんは少し笑った。


 俺は返答に迷う。


 そこへ真鍋課長が入ってきた。


「聞き取り設計はできたか」


「はい」


 課長は資料を読んだ。


 最初に俺の旧案を見て、顔をしかめた。


 次に御園案を見て、深く頷いた。


「御園、よく止めた」


「はい」


「黒木」


「はい」


「お前の質問案、未成年相手にそのまま投げたら俺の胃が死ぬ」


「修正済みです」


「修正前に俺へ回さなかったことは評価する」


「ありがとうございます」


「褒めてない」


 課長は胃のあたりを押さえた。


「学校側は同席を求めている」


「認めません」


 俺は即答した。


 課長が眉を上げる。


「理由は」


「本人発言への影響が大きすぎます。教官、学校安全管理室、教育訓練支援室の同席は、事故原因確認において誘導要因になります」


「保護者は?」


「同席可。ただし、本人が望まない場合は別室待機。御園さんは同席。必要なら中立心理士の手配」


「学校は抵抗するぞ」


「抵抗も記録します」


「だろうな」


 課長は溜息をついた。


「よし。俺が学校側を止める」


「よろしいのですか」


「よくはない。だが、教官の前で子どもに『先生は悪くありません』と言わせるよりマシだ」


 課長は書類に判を押した。


 朱肉の赤が、白い紙に沈む。


 静かな会議室に、判の音だけが重く響いた。


 その赤が、一瞬だけ、治療記録に残っていた椎名遥斗の血の色に見えた。


 学校側の綺麗な言葉で、その赤を塗り潰させないために。


 真鍋課長は、自分の権限を紙の上に叩きつけた。


【聞き取り実施方針】

【学校関係者の同席不可】

【保護者同席は本人意思を確認】

【御園補助員同席】

【必要時、中立心理士手配】

【事故査定課長確認済み】


 判が押される。


 それだけで、こちらの方針は個人の思いつきではなくなる。


 組織の手続きになる。


 課長の胃と引き換えに。


 椎名遥斗との聞き取りは、午後三時に設定された。


 場所は、ダンジョン庁内の被害者連絡室。


 病室ではない。


 学校でもない。


 会議室でもない。


 白い壁。


 柔らかい照明。


 机は小さめ。


 椅子は四つ。


 部屋の隅に水差し。


 録音機器は見える位置に置く。


 隠し録りはしない。


 本人に説明する。


 未成年案件では、手続きの透明性そのものが保護になる。


 扉が開いた。


 入ってきた少年は、想像よりも細かった。


 椎名遥斗。


 十五歳。


 右肩は固定具で支えられている。


 歩き方に少しぎこちなさがある。


 顔色は悪い。


 だが、制服の襟元だけはきちんと整えていた。


 隣には母親。


 疲れた顔をしている。


 それでも、息子の背中に手を添えようとして、途中で止めていた。


 触れていいのか、迷っている手だった。


「事故査定課の黒木です」


「御園です」


「……椎名遥斗です」


 遥斗は小さく頭を下げた。


 その頭の下げ方が、妙にきれいだった。


 何度も謝ってきた人間の動きに似ている。


 俺は録音機器を指した。


「聞き取り内容は記録します。目的は、事故原因と補償判断の確認です。話したくないことは、話さなくて構いません」


 遥斗は一瞬、こちらを見た。


「話さなくても……いいんですか」


「はい」


「でも、ちゃんと説明しないと、補償が」


「話したくないことを無理に話させることは、事故原因確認を歪めます」


 遥斗は意味が分からない顔をした。


 御園さんが、少し柔らかく言い直す。


「無理に答えなくて大丈夫です。分からないことは、分からないと言っていいです」


「……はい」


 母親が、小さく頭を下げた。


「よろしくお願いします」


「はい」


 俺は最初の質問を読む。


「事故当時、椎名さんはどこへ行こうとしていましたか」


 遥斗は、手元を見た。


 指が膝の上で固まっている。


「退避、しようとしていました」


「どこへ」


「右の通路です。先生が、危険度上昇って言って……退避判断だって」


「退避ゲートは見えていましたか」


「見えて……いたと思います」


「開いていましたか」


 遥斗の肩が、わずかに跳ねた。


 母親が息を呑む。


 御園さんが俺を見る。


 急ぎすぎたか。


 だが、質問としては必要だ。


 遥斗は、しばらく黙った。


「分かりません」


「分からない、で記録します」


 そう言うと、遥斗は少し驚いたように顔を上げた。


「怒らないんですか」


「怒る理由がありません」


「学校では、分からないじゃ駄目だって」


 母親が顔を伏せた。


 御園さんのペンが止まる。


 俺は記録する。


【本人発言】

【学校では「分からないじゃ駄目」と指導あり】


 遥斗は、慌てたように続けた。


「あ、でも、悪い意味じゃないです。先生は、ちゃんと考えろって言ってくれて」


 早い。


 庇う言葉が早すぎる。


「大鳥教官のことですか」


「はい」


「先生は、悪くありません」


 出た。


 その声は、反射に近かった。


「僕がダメだったんです」


 遥斗は、固定具のついた右肩を少し縮めた。


「僕が怖がって、動くのが遅れて……だから」


「学校側から、そう説明を受けたのですか」


「違います」


 遥斗は首を振った。


 強く。


「僕が、そう思ったんです」


「理由は」


「大鳥先生だけが、僕をまだ見捨てないでくれたからです」


 その場の空気が、少し変わった。


 御園さんが、何も言わずに遥斗を見ている。


「僕、訓練でいつも遅れてて。怖くなると、足が止まるんです。同期は前に出られるのに、僕だけ考えてしまって」


 遥斗の声が、少しずつ早くなる。


「でも先生は、才能があるって言ってくれました。怖がるのは、状況を見ている証拠だって。だから、逃げちゃ駄目だって。前に出る練習をしろって」


 逃げちゃ駄目。


 前に出る練習。


 俺は記録する。


【大鳥教官指導内容】

【恐怖反応について「状況を見ている証拠」と評価】

【逃げずに前へ出る訓練を指導】


 遥斗は、今にも泣きそうだった。


 だが泣かない。


 泣いたらまた「弱い」と思われると考えているのかもしれない。


「だから、今回も僕のせいなんです」


「なぜ、そう考えますか」


「先生が、言ってくれたから」


「何を」


「この挫折を糧にしろって」


 母親の手が震えた。


 遥斗は気づいていない。


「才能があるからこそ、自分の判断ミスから逃げるなって。逃げたら、本物の探索者にはなれないって」


 そこで、遥斗の目が少しだけ光った。


 信じている人の言葉に縋る目だった。


「僕が悪いことにならないと、先生が教えてくれたことが全部、嘘になっちゃうんです」


 その声は、反論ではなかった。


 崩れそうなものを、両手で必死に押さえている声だった。


 母親の手が、膝の上で震えていた。


 それは、息子が痛々しかったからだけではない。


 彼女は思い出していたのだと思う。


 入院初日の夜。


 学校から説明を受けたあと、ベッドの上の遥斗に、自分が何と言ったのかを。


『先生がそう言うなら、あなたがもっと頑張らなきゃ』


 励ますつもりだった。


 責めるつもりではなかった。


 けれど今、その言葉が、学校側の説明と同じ方向から遥斗を縛っていたことに気づいてしまった。


 母親の指先が、わずかに白くなる。


 自分の手も、息子を押さえつけた側にあったのだと知った人の震えだった。


「だから、もう調べないでください」


 遥斗は頭を下げた。


「先生を困らせないでください」


 御園さんが、息を吸った。


 何か言いかけて、止めた。


 泣きそうではあった。


 けれど、泣く代わりに質問を変えた。


 傷口に触れる順番を間違えれば、治るものも裂ける。


 彼女はそれを、回復職として知っている。


 俺は、端末に記録する。


【本人発言】

【大鳥教官を擁護】

【自責発言あり】

【調査中止希望】

【理由:教官を困らせたくない】

【補足:教官の指導内容が本人の自己評価に強く影響している可能性】


 そして、評価欄に入力する。


【証拠評価】

【未成年】

【負傷後】

【教官による継続的指導下】

【反省文提出後】

【学校側説明を内面化している可能性】

【事故原因自認としては慎重評価が必要】


 遥斗が、顔を上げた。


「今、何を書いたんですか」


「あなたの発言を記録しました」


「じゃあ、僕のせいだって」


「そうは記録していません」


 遥斗の目が揺れた。


「でも、僕がそう言いました」


「はい。本人発言として記録します」


 俺の指が、端末の上を淡々と動く。


 遥斗の震える声が、感情ではなく、条件付きの発言として分類されていく。


 未成年。


 負傷後。


 教官の継続的指導下。


 反省文提出後。


 その処理は、冷たい。


 自分でも分かっている。


 だが、ここで温かい言葉に寄せれば、発言の評価を誤る。


 俺は、遥斗の言葉を捨てているのではない。


 大人たちがその言葉を、事故原因の自白として使えないようにしている。


「なら」


「ただし、事故原因の自認としては扱いません」


 遥斗が、言葉を失った。


 母親も、こちらを見る。


「なぜですか」


 遥斗の声は小さかった。


「あなたは未成年です。負傷後で、学校側の指導を受け、反省文を書いた後の発言です。さらに、あなたが庇っている相手は、事故時の指導者です」


「……でも」


「その条件下の発言を、そのまま事故原因の自認として扱うことは不適切です」


 遥斗は混乱していた。


 当然だ。


 自分のせいだと言っても、自分のせいとして扱われない。


 それは、彼にとって初めての経験なのかもしれない。


 御園さんが、ゆっくり口を開いた。


「遥斗くん」


 彼女は、黒木の言葉を人間の言葉に直す。


「遥斗くんが先生を大事に思っていることは、ちゃんと聞きます」


 遥斗は、御園さんを見た。


「先生に助けられたと思っていることも、見捨てられたくないと思っていることも、ここでは否定しません」


「……はい」


「でも、そのことと、事故の原因を全部遥斗くんが背負うことは別です」


 遥斗の唇が震えた。


「別……」


「はい」


 御園さんの声は、柔らかい。


 だが、芯があった。


「誰かを大事に思っているからといって、その人の代わりに怪我の理由まで背負わなくていいんです」


 遥斗は何か言おうとして、失敗した。


 口を閉じる。


 目が赤くなる。


 泣いてはいない。


 だが、呼吸が浅くなっている。


 御園さんは、水を差し出した。


「少し休みましょう」


「すみません」


 遥斗が反射的に謝る。


「謝らなくていいです」


 御園さんが言う。


 遥斗は、水の入った紙コップを両手で持った。


 右肩が痛むのか、少し顔をしかめる。


 御園さんは、その動きを見逃さなかった。


「右肩、まだ痛みますか」


「少しだけ」


「痛み止めは効いていますか」


「はい。でも、動かすと」


「無理に姿勢を正さなくて大丈夫です」


 遥斗は、また驚いた顔をした。


「でも、聞き取りなので」


「姿勢がいいことと、正確に話せることは別です」


 御園さんがそう言うと、遥斗は少しだけ背もたれに体を預けた。


 その瞬間、表情がわずかに緩む。


 痛みを我慢していたのだ。


 俺は記録する。


【聞き取り中所見】

【右肩固定具あり】

【姿勢保持時に疼痛反応】

【御園補助員助言により姿勢調整】


 休憩後、聞き取りを再開した。


 俺は質問を戻す。


「事故時、誰の声が聞こえていましたか」


「大鳥先生の声です」


「他には」


「アラート音が鳴っていました。危険度上昇って」


「退避指示は聞こえましたか」


「はい」


「その後、どこへ向かいましたか」


「右の通路です」


「なぜ右へ」


「前の訓練で、退避ゲートは右側だって教わっていたからです」


「今回の訓練でも同じ配置だと説明されましたか」


 遥斗は少し考えた。


「たぶん……はい。いや、分かりません」


「分からない、で記録します」


「はい」


「右の通路へ向かった時、退避ゲートは開いていましたか」


 遥斗の手が、紙コップを握った。


 指先が白くなる。


 御園さんが、静かに言う。


「ゆっくりで大丈夫です」


 遥斗は、目を伏せた。


「見えました」


「何が」


「ゲートの枠です」


「開いていましたか」


「……光ってなかった、と思います」


「光っていなかった」


「はい」


「それは、開いていなかったという意味ですか」


「分かりません。でも、いつも開いている時は青く光るんです。あの時は、暗かった」


 俺は記録する。


【本人発言】

【退避ゲート枠を視認】

【通常開放時は青く発光】

【事故時は発光なし】

【本人認識:開放状態不明、ただし通常と異なる】


 御園さんが、わずかに俺を見る。


 重要な発言だ。


「その時、何を思いましたか」


「戻らなきゃって」


「どこへ」


「先生の声の方へ。でも、戻ったら駄目だって思いました」


「なぜ」


「逃げたら、また止まったって思われるから」


 遥斗の声が小さくなる。


「怖くなって戻ったって、また思われるから」


「誰に」


 遥斗は答えなかった。


 だが、答えはほぼ出ている。


「それで、どうしましたか」


「右に行こうとして、でもゲートが暗くて、どうすればいいか分からなくなって」


「その後」


「横から、光が来ました」


 御園さんが、治療記録に目を落とす。


 右肋部。


 横からの魔力衝撃。


 合う。


「魔法弾ですか」


「分かりません。熱くて、痛くて、息ができなくて」


 遥斗は、急に口を押さえた。


 吐き気か。


 御園さんが即座に席を立ち、横に移動する。


「今日はここまでにしましょう」


 俺は頷いた。


「聞き取りを中断します」


「でも、まだ」


 遥斗が言いかける。


 御園さんは首を振った。


「十分です」


「でも、ちゃんと話さないと」


「今の状態で続けると、正確に話せません」


 俺は補足する。


「体調悪化時の聞き取り継続は、証言精度を下げます。中断が妥当です」


 遥斗は、少しだけ笑った。


 苦しそうな笑いだった。


「黒木さんが言うと、授業みたいですね」


「業務上の説明です」


 御園さんが少しだけ笑う。


 母親も、泣きそうな顔で笑った。


 部屋の空気が、ほんの少しだけ緩む。


 遥斗たちが帰った後、俺たちは聞き取り記録を整理した。


 御園さんは、しばらく黙っていた。


「黒木さん」


「はい」


「遥斗くん、自分の言葉と先生の言葉が混ざっています」


「はい」


「先生を守ろうとしているのに、そのせいで自分が傷ついています」


「はい」


「こういう場合、どう記録するんですか」


「本人発言として記録し、影響下の発言として評価します」


「影響下」


「未成年、指導者との関係、事故後の反省文、補償判断への不安。それらを条件として添えます」


「それで、遥斗くんの言葉は守れるんですか」


 難しい問いだ。


「守れるとは限りません」


「……はい」


「ただし、本人発言を無条件で事故原因の自認として使われることは防げます」


 御園さんは、少しだけ目を伏せた。


「それだけでも、必要ですね」


「はい」


 俺は記録をまとめる。


【聞き取り結果】

【本人は大鳥教官を擁護】

【自責発言あり】

【調査中止希望あり】

【ただし、未成年・負傷後・指導者影響下・反省文提出後の発言】

【事故原因自認としては慎重評価】

【退避ゲートについて、通常開放時と異なる状態を視認した可能性】

【右側通路へ退避を試みた発言あり】

【横方向からの魔力衝撃を受けた発言あり】

【治療記録上の負傷方向と一部整合】


 重要なのは、ここだ。


【退避ゲートについて、通常開放時と異なる状態を視認した可能性】


 本人の判断ミス。


 そう記録するには、退避先が機能していたことが前提になる。


 もし退避ゲートが開いていなかったなら。


 もし魔法弾の出力が訓練用ではなかったなら。


 もし反省文が、事故原因を本人へ固定するために使われたなら。


 この事故は、まったく別の顔になる。


 御園さんが、静かに言った。


「遥斗くん、最後に言っていましたね」


「はい」


「ゲートが、暗かったって」


「記録済みです」


「そこからですね」


「はい」


 俺は端末を開く。


【追加照会】

【青嶺探索者育成学校】

【対象:事故時退避ゲート開閉ログ】

【対象:模擬ダンジョン管理AI自動バックアップ】

【対象:訓練当日のゲート発光制御履歴】

【対象:訓練用魔法弾出力設定履歴】


 送信。


 すぐに真鍋課長へ共有する。


 返信は早かった。


『胃が痛い。だが出せ』


 課長らしい承認だった。


 夜。


 俺は、遥斗の発言をもう一度確認した。


「先生は悪くありません」


「先生だけが、僕をまだ見捨てないでくれたんです」


「僕が悪いことにならないと、先生が教えてくれたことが全部、嘘になっちゃうんです」


 この発言を、事故原因の自認として扱うことはできない。


 むしろ、別の証拠だ。


 未成年が、自分を守るためではなく、指導者を守るために自責を選んでいる。


 それは、教育の成果か。


 それとも、責任転嫁の結果か。


 現時点では断定しない。


 だが、調べる価値はある。


 俺は記録の最後に一文を追加した。


【査定メモ】


【本人が自責を選ぶ構造そのものを、事故原因評価に含める必要あり】


 御園さんが、それを見て言った。


「難しいですね」


「はい」


「本人が自分のせいだと言っても、そのまま信じることが助けになるとは限らない」


「はい」


「でも、否定しすぎると、本人の大事にしているものまで壊すかもしれない」


「そのため、手順が必要です」


「手順」


「事実を分けます。感情を否定せず、原因を分ける」


 御園さんは、しばらく黙った。


「遥斗くんが先生を大事に思っていることと、事故原因は別」


「はい」


「それを、何度も確認する必要がありますね」


「お願いします」


「はい」


 彼女は頷いた。


 もう、ただの補助員ではない。


 今回の事故には、俺一人では届かない場所がある。


 俺だけでは、切りすぎる。


 彼女だけでは、証拠に届かない。


 だから、分ける。


 傷と言葉を。


 感情と原因を。


 本人の思いと、大人の責任を。


 俺は、端末に次の調査項目を並べた。


【次回現場確認項目】

【退避ゲート開閉状態】

【魔法弾出力設定】

【指導員配置】

【危険度上昇アラート時刻】

【本人発話とログ時刻のズレ】

【管理AI自動バックアップ有無】


「椎名さんの主観は確認できました」


 俺は端末を閉じなかった。


「次は、その主観を作った現場条件を確認します」


「現場条件……ですか」


「退避ゲートの開閉状態。魔法弾の出力。指導員の配置。危険度上昇アラートの時刻。本人の発話とログのズレ」


 御園さんが、表情を引き締める。


「現場ですね」


「はい」


「同行します」


「お願いします」


 俺は、最後に一行だけ追加した。


【現場再査定】

【記録と実在のズレを確認】


「学校側は、本人の判断ミスと説明しました」


「はい」


「では、その判断が可能な現場だったのかを確認します」


 そして、短く言った。


「記録と実在のズレは、〇・一秒も残しません」


 事故査定は、続く。


 まだ、本人の判断ミスとは認めない。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


第16話では、椎名遥斗本人への聞き取りを行いました。


遥斗は「先生は悪くない」「僕がダメだった」と繰り返します。

けれどそれは、単なる本人の反省ではなく、教官への依存や、事故後の指導の影響を受けた言葉でもありました。


「僕が悪いことにならないと、先生が教えてくれたことが全部、嘘になっちゃうんです」


この言葉こそ、今回の事故の根深さを示しています。


黒木は、その発言を無視しません。

ただし、事故原因の自認としては扱いません。


そしてミミは、遥斗が先生を大事に思う気持ちと、事故原因を背負うことは別だと伝えました。


次回は、退避ゲートと負傷方向の確認へ進みます。

遥斗は、本当に逃げ遅れたのか。

それとも、逃げる先が閉じていたのか。


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