92、幕
男は、その昔好奇心旺盛な性格だった。
全ての事象には原理があると信じ、一つ一つ身の周りにある不思議な出来事を解き明かす。
子どもにしては、下さい少々ズレた性格をしていたと言わざるを得ない。
しかし、男にはただの知りたがりの子どもとは決定的に違うものが一つだけあった。
ざっくりと言ってしまえば、才能だ。
男は天才だった。
やろうと思った事は大抵なんでもすぐにこなしてしまい、教えられれば綿が水を吸うように習得する。ルル族という、北の奥地の民族でなければ、その名を世間に轟かせただろう。
男は困ることなど何もなかった。
どうすれば世界の全てを解き明かせるのだろうか、とそれだけを追い求める人間だった。様々な摂理を見つけていくのは、本当に面白かったのだ。満足という想いのために、男はいつまでも少年のように瞳を輝かせながら駆け回った。
幸せだった。
一つに満足すればすぐにまた別の何かに興味が移り、多くの物事を知ることが出来た。
それに、仲間や家族も居たのだ。
知りたいという事にそれなりの情熱を持った幼馴染みに、自分と同じくらい知る事に目を輝かせる妻、これから多くの事を知っていくはずだった息子たちも居た。
変人扱いを受けていたが、それは冷遇されていたという訳ではなく、一族の少しズレただけの、優しい人という認識だった。
幸せだった。
不満など何もなかった。
ただ解き明かし、知るだけで良かった。
それだけで満足していたし、それ以上は何一つとして求めてはいなかった。
だというのに、
神がそれを壊したのだ。
※※※※※※※
「まだ終わりではない。そうだろう?」
『…………』
シモンは混乱激しい街の中で、どこかに居る誰かに向けて、確実に語りかけた。
混乱とは言っても、実は静かなものだ。
ヒロベストの国王にはシモンが既に話をつけており、この日一日は都の住民を外に出さないように指示されている。
だから、外に出て一人語りかけるシモンの声は、とても良く通っていた。
「素晴らしいね。地下の術式は生贄によってエネルギーを集めるためのもの。地下にあれだけ多くの異端を集合させたなら、私達は分かっていても彼らを殺すしかない。さらには上空に集めたエネルギーを増幅させる術式。かなり複雑で勘違いしそうだが、アレは本命ではない。来たのがクララだけなら、マズかったかもね?」
『…………』
「本命はココ、地上だ。この場に描かれた陣こそ、神を打倒し得る術式の核。まったく、千年という執念も推して知れる。君はよくやったよ、本当に」
返事はない。
だが、どこか圧力が高まっていったようにも思える。異質な空気が流れ始め、心なしか気温が下がっていったようにも思えた。
確実にそこにはシモン以外のナニカが居る。
しかも、尋常ではないナニカが。
「いい加減、何か返事をくれないか? 君は既に生きた術式として存在しているんだ。さっきの写身の首をハネた程度で死ぬ訳がないと分かっているよ?」
『忌々しい』
シモンが言うと、今度は返事が返る。
あいも変わらずに、敵意や殺意といったものすら生温い、憎悪という感情で出来たような声色だった。
姿はやはり見えない。
男は既に概念として世界に存在しているのだ。言葉を作り出す舌と口など、不必要なものになっている。上位にして、不滅の存在と化しているのだ。
男の怨嗟は止まらない。
ドロドロとした憎しみを頼りに生き続けた男には、正気などもう通用しない。
『千年だ、シモン。千年経っても貴様も、神も変わらない。いつも、どんな時でも、貴様らは世界を使って「ままごと」を繰り返す。壊して、直してを繰り返す』
「…………」
『このクズめ』
ただ一言だ。
恐ろしく端的にされた、憎悪の対象を言い表す言葉は、男の見てきたものの全てが込められていた。
強い語気ではなかったはずなのに、どうすればこの五文字にここまでの感情を込められるのか不思議なほど、嫌悪と憎しみと怒りと苦しみが込められている。
『貴様らの遊びに、何故我々が付き合わねばならない? やるなら貴様らが勝手にやっていろ』
本来なら関わりたくもない。
男の凄まじい嫌悪が、男を神たちから遠ざけようとする。気持ち悪すぎて、話す事もしたくないし、存在も認知したくない。
だが、それではどうしても駄目なのだ。
嫌悪という感情が、主である男をどれだけ遠いどこかに、神とは関係ない方向へ運ぼうとしても、それ以外の激情が報復しろと訴えかける。
『私はただ、知りたかっただけだ。この世界の不思議を解き明かして、ただ満足したかっただけだ。その権利を剥奪する資格なんぞ、この世の誰にも持っていない』
「…………」
『知っているか? 魔力とは、この星から漏れ出るエネルギーを生物が取り込み、その肉体の中で自身が使えるようにカスタマイズされたものだ。知っているか? 魔術を発動するには表現が必要だが、それは陣や詠唱でなくとも、舞踊などにも適応される時がある』
「…………」
『世界には謎が満ちている。そんな美しき摂理を隠匿し、あまつさえ研究者を殺すなど、絶対にあってはならない。俺たちは、一族郎党皆殺しにされるような事をしていない!』
シモンを責める。
神を責める。
何も間違ってなどいないのだ。
幸せだったあの日々も、楽しかった宝石のように尊い時間も、何一つ間違いなどなかった。
だというのに、それを壊したのは神だ。
先に手を出してきたのは、向こうからだ。
『死ね。神も、その使徒たる貴様らも! 貴様ら愚物が踏み荒らしていいほど、この世界の価値は低くない!』
「…………」
シモンは何も言わなかった。
ただ、静かに男の言い分に耳を傾けていた。
ただのシモンとして、言い返せる要素など一つたりともなかったからだ。
シモンという人間として、男の言葉を全て間違いだと、声を大にして言えるとは思えなかった。奪った者たちが、奪われた者たちの言い分を否定出来る道理はどこにもない。否定する道理を持つ者は、自身を人の理屈など通用しない畜生だと認識出来る者だけだ。
だから、ここからは恥知らずな外道として振る舞うしかない。
「はあ……。悪いが、君が間違っているよ」
『……あ?』
「君が、間違っていると言っている」
異端審問官シモンとして、男の言い分を肯定する訳にはいかないのだ。
確かに男の言い分は間違ってはいない。だが、全てを肯定するほど甘やかすつもりもなかった。
「私が君たちを根絶やしにしようとしたのは、君たちが神の秘密を暴こうとしたからだ。神としては防衛のために君らを全滅させたとしても仕方ないだろう?」
『……黙れ、クズが。私たちはただ、世界にある「存在」について魔術的に知ろうとしただけだ。神の事など調べるつもりもなかったし、それで害を為そうなど考えてもいなかった!』
「だが、知られた。歴史でも数えるほどの賢者しか辿り着けなかった真実に、君らは手をかけた」
シモンは人間離れした笑みを浮かべる。
優しく、柔らかで、男の存在しない背筋が凍るほどきみの悪いものだった。
何が悪いのか分からないとでも言ってそうな、男の嫌悪を最大限刺激するものだ。
「ま、運が悪かったね」
『なんだと?』
「運が悪かった。偶々入った藪に毒蛇が居たようなものさ。君も、運が悪かったと諦めればもっと有意義な人生を送れただろうに」
だが、嫌悪などこの言葉で吹き飛んだ。
奪う側の人間が、恥知らずにも奪われた事を運が悪かったと切り捨てたのだ。しかも、それを理由にさっさと諦めて平穏に暮せば良いと言い放った。
さらには、
『意義、だと?』
「そうだよ。全てを忘れれば良かった。私から逃げ延びてそうして生きているなら、ね。適当な人間と恋でもして、過去の事なんて全部忘れれば良かった。子どもでも一人こさえれば、その頃には全部忘れて、」
『黙れ!』
男の全てを嘲笑う。
その心意気も、千年の妄執も、取るに足らない些事だと笑ったのだ。
激怒するどころでは済まない。煽るにしても限度があるほど、男の傷を抉る言葉だった。男を傷付け、その傷に猛毒を塗ってもなおシモンにとっては足りない。
「なんて実りのない人生だ。哀れとしか言いようがないね。君の人生にはなんの意味があったんだい?」
『――――――っ! その実りも、意味も取り上げたのは貴様らだ! ふざけるな、ふざけるなふざけるな!』
力が高まっていく。
男の怒りに呼応して、街全体からの圧力が増していき、この時点で住民たちはことごとく失神した。
男の思念の声が爆音としてシモンの頭の中に響く。これだけで攻撃になり得るほどの音だが、シモンは小さく眉をひそめるだけだった。
その態度すら、男の癪に障った。
青筋が浮かぶ音まで聴こえそうなほど、男の激怒が湧き上がっている。
「ふむ、やはりこの街全体に陣を張り巡らせていたか。面倒な事になっているな」
『その余裕、いつまで続くかな!?』
地下の陣と上空の陣、そして地上の陣は三位一体だ。
シモンが言った通りに、地下で生贄のエネルギーを集め、上空でそれを増幅し、地上で発現させる。
地下では万近い人間が生贄として既に死んだ。上空は人を配置してはいたが、それは本命らしく見せるためで、そもそも人を必要としない。
そして、地上の陣は今発動した。
「君の意識を記憶させた術式も転用しているな? 確かに神を殺すという術式を発動させるのに使う陣として、凄まじいスペックが必要になる。その点、人間の意識全てをコピー出来るソレは確かに足りるな。だが、」
男は自身の意識を術式として記録した事で、生きた術式と化している。
今話している存在も、いわばオリジナルから別れたコピーでしかない。分かりやすく言えば、一個人の全てを再現した人工知能のようなものだ。シモンをもってしても、その術式がどれだけ膨大で、複雑なのか想像も出来ない。
そして、今回の神を殺せる術式。
恐らくは男の存在を記録した術式を最後のピースとして、陣を構築しているのだろう。膨大で、過分が過ぎるほどの能力を持った術式を転用する事で、神殺しの術式を机上の空論から、現実可能なものへと変えた。
しかしそれは、
『我が存在の全てをもって、消えろ』
男も完全に消える事になる。
実体のない生きた術式として、ほぼ不滅と言ってもいいだろう。しかし、男はそれを放棄して死を選んだのだ。
集めてきた組織の人員、開放した囚人たち、そして頭目である男の存在を犠牲にして、神殺しは為される。
その特攻に見合う効果はあった。
そして、ここまで進めば止められない。
これだけ甚大なエネルギーが集まり、きちんとした形をもって使われなければ、恐らくは北の戦線まで吹き飛ばすほどの大爆発が起きるだろう。
これは確実に詰んでいる。
男の執念が、ここまで事態を持っていった。
相手がシモンでなければ、成功していただろう。
「仕方がない、本気を出すか」
シモンの声は男には届かない。
術式を発動しようとする男の術式、意識は既に摩耗して、どこにも存在しなくなっている。
あれだけ強かった憎しみや怒りもなく、後はただ淡々と神殺しを発動させるための装置と化した。
もう、シモンを妨害する知能はない。
シモンは軽く瞳を閉じる。
エネルギーが集まり、小さな地鳴りを起こす中で、ただ一人だけ穏やかに佇む。
だが、すぐにまた目を開けた。
そしてその時、シモンは先程とはまるで異なる、別の存在になっていた。
「さて、はじめましてだ。今は私が本体さ。とはいえ、もう何も聞こえていないだろうがね」
シモンのエネルギーが高まった。
神殺しの術式に負けず劣らず。
けれども、神殺しのように地を揺らすほど凄まじい爆発力を見せることはなく、むしろその逆で、高まっているのにそれを外にまるで出さないほど静かだった。
気味が悪くて仕方がない。
いつも浮かべる柔らかな笑みをスッと消して、真剣な表情が貼り付いている。
「お前が奥義を見せたように、俺も奥義を見せてやろう」
異変は止まらない。
シモンの顔の皺が急激になくなっていく。
白かった毛髪も、健康的で若々しい黒色に染まっていき、あっという間に好々爺然とした老人から、二十代前半ほどの青年に変わってしまった。
そして、変身と共に、体内に押し込められた凄まじいエネルギーが形として外に吐き出される。
魔術の最奥。
第十階梯の魔術。
「『楽園』」
男の創り出した世界が、神殺しを呑み込んだ。
「名前も知らない哀れな男よ、俺の創った楽園の中で眠るがいい……」
街にいっさいの被害はなく、神殺しの術式だけを消し去ったシモン。
最後に、一度だけ祈りを捧げた。
次第に皺が肌を埋め尽くしていき、髪は黒から白へと戻っていく。
一人佇む老人は、千年という長い年月を知る人間を殺めたという感慨を胸の中に仕舞った。
「終わりだ」
シモンの宣言と共に、全てが終わる。
生き残りはただ、一人だけだった。
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