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90、終幕の始まり

クララがシモンに首チョンパされたシーンをちょっと変えました。

大筋には関係ありません。


「ちくしょう、ちくしょう! なんだ、なんだってんだよ、一体!?」



 暗く、日も雪も届かない寒い地下。

 囚人の叫びが響く。

 驚愕と恐怖が入り混じり、どうしてこんな事になったのか、と心から思っていた楽天的な男の叫びだ。


 何故そう焦るのか?


 理由は明確。

 必死になって逃げ延びようとした教会の手先が、すぐ目の前で仲間たちを殺しているからだ。



「ひいぃぃっ!」



 誰とも知らない目玉が足元に転がる。

 ついでに血が垂れて、嫌な匂いが充満した。ただでさえ息苦しい地下だというのに、こんな事になったせいで上手く呼吸が出来ない。

 肺が大きく上下しているのに、ロクに空気を吸えている気がしない。

 男は無様に這いつくばりながら、ここではないどこかを目指し続ける。



「なんで、なんで!?」



 もとより、死ぬつもりなどなかった。

 脱獄した者たちの中でも、戦う気のない、異端審問官が怖くて逃げてきただけの者たちの集まりだったはずだ。

 地下には組織と戦う気のある者たちも居たが、彼らのように戦えない者を匿うのと、守るためだ。ここが戦場になる前に、戦う気のないものは逃がすつもりだと説明された。


 なのに、これだ。

 白いフードを被った化け物たちが、同じ釜の飯を食った仲間たちを殺していく。

 聞いていた話とまるで違う。

 違うのだが、違うのだが、



「へ、へへへ……」



 違和感はあったのだ。

 戦う気のない者と、戦う気のある者を、同じ地下に隠している事は合理的だったろうか?

 恐らく、男を含めた囚人たちをはじめからまとめて殺させるつもりだったのだろう。軽く説明された、組織の秘策とやらの生贄と思えばとても納得がいく。


 可能性から目を逸らしていた。

 地獄のような日々だった監獄の中からようやく外に出れたというのに、やはり外でも教会の手の者に追われてしまう。しかも、街に留まれば気が付けば仲間たちが死んでいくのだ。

 だから、必死になって逃げた。

 たくさんの同士たちが集まるというココに、一時の平穏を求めて走ってきた。

 

 ここに着いた時には、安堵した。

 怖くて、死ぬのが嫌で、やっとの思いで逃げ切れたと信じていたのだ。

 だから、他の可能性を排した。

 不穏な可能性を出来る限り、頭の中から締め出そうとしていた。

 

 そのツケが、こうして回ってきた。




「ち、ちくしょう……」



 白フードは目の前に迫っている。

 他の腕利きの囚人たちをあらかた殺し終えた化け物たちが、もう手の届く範囲にまで。

 男は逃げられない。

 腰が抜けて、もう動く事が出来ない。


 そして、もう動く事もない。


 教会の手先である『信仰部隊』は、地下に集まった約八千の囚人たちを、二時間かからずに全て処分した。




 ※※※※※※※※※




「…………」


 

 魔術師たちは緊張から息を呑む。

 重苦しい空気が漂っているし、その場に居る誰も彼もが不安で押し潰されそうになっている。

 まあ、それも仕方がない。

 現在の状況がどうなっているかは分からないのだ。これが計画通りなのか、それとも最悪の事態が起こっているのか。

 頭目からの連絡はなく、合図もない。

 そうなれば不安を感じるのは当たり前だ。

 自分たちの全てがかかった大一番。

 それを脳天気に待っている事は出来ない。


 だから、ケビンは冷静になろうと努める。

 この不安のせいで下手な事をすれば、詰みに変わる可能性が高いのだ。

 間違える事はあってはならない。

 決して、絶対に、動いてはならない。


 ケビンは動かない。

 だが、心まで殺すことはしない。

 あまり長い付き合いではなかったが、確かに仲間であった青年の事を思い出す。



「……フィリップ君」


 

 フィリップは、強い男だった。

 清く正しくを地で行く、高潔な男だった。

 

 妻を愛し、子を愛し、隣人を愛す。

 仮に彼が騎士を続けていたのだとしたら、きっと歴史の教科書の一ページに載る傑物となっただろう。組織の中で特に若い彼だったが、実力で言えば頭目に次ぐほどだ。強い力を有するのと同様に、強い責任も背負っている立派な人間だ。

 だからこそ、彼は今回の戦いで、最前線で戦うと決めた。

 妻子を、仲間を守るために、異端審問官の一人と対峙する事を選んだ。

 ケビンは深く彼に敬意を表するとともに、哀れに思った。



「君がそこまでしなければならなかったのか?」



 彼は確かに強いのだろう。

 体は強く、技は冴え渡って、心は折れない。

 正しくてカッコいい凄い人間を創ろう、と誰かが思って出来たのが彼だ。そう思わせるだけの魅力を持っているのだが、それでも色々なものを背負いすぎだと思うのは気のせいなのだろうか?

 

 聞けば、対峙する異端審問官は彼の知り合いだという。

 運命、という言葉が浮かんだそうだ。

 人間というちっぽけな存在を押し流し、最悪の坩堝の中に閉じ込める、大いなる力。クソ喰らえと言いたくなる、くだらない力。

 組織に所属する人間は大なり小なり、運命とやらに翻弄されてきた経験がある。

 しかし、彼ほどそれに苦しめられた者は居ない。

 不必要に理不尽を押し付けられて、そのせいで正しい彼が割りを食ってきた。



「君の周りに平凡は起きないね……」


 

 才能を見込まれて騎士になった。

 妻は歴史と神に虐げられたルル族だった。

 平和に暮らそうとすれば神に追われた。

 神を打倒せんとする組織に引き抜かれた。

 再会した少女が神の使徒をしていた。

 その少女と、命を懸けて戦っている。


 フィリップという男の軌跡に積み上げられた夥しい死体。

 その死体は、フィリップが作り出したのではない。

 誰一人として殺さなかったフィリップに、何もかもを殺そうとする化け物たちが関わってきただけのことだ。

 そのせいで、彼の人生に長い平穏が訪れる事は決してなかった。


 なんと数奇なことだろうか?

 なんと哀れなことだろうか?

 全てを投げ出したいとは思わないのだろうか?



「君は、少し強すぎたな……」



 どこからそんな強さが生まれるのか。

 理不尽に襲われても折れず、人を救いたいと願い続けた姿を立派と言わずしてなんと呼ぶか。

 その背を押したい、支えたいと思わせる。

 神の使徒と化した少女を、自身の命のある限り救おうとするのを、応援したいと思うのは間違いではない。

 誰もが、フィリップの強さに引き寄せられる。

 けれども、その強さを、真っ当な凡人であるケビンは、呪いのようにしか見えなかった。



「君の幸せは、いつ訪れる?」



 他人ばかりを優先する男だ。

 自分を後回しにしてしまう男だ。


 割を食う事が多いのは確かだが、自ら喰らいに行った事もままある。

 フィリップの人柄があればこそ、それを苦と思う事はないのだろう。

 ただ、ゆるりと過ごす事も許されないのは、少し納得が出来ない。


 ケビンは思ってしまう。

 休んではくれないだろうか、投げ出してくれないだろうか、逃げてくれないだろうか、と。

 ただ自分の平穏を追い求めて、使命など知ったことかと、妻子を連れてどこへなりとも。



「でも、君はそれをしないのだろう?」



 自嘲するように、ケビンは独り言う。

 誰にも届かない無駄な言葉は、ここまでだと心で切り上げた。

 

 あくまでも凡人でしかないケビンは、天才の運命を痛ましく思うだけだ。

 彼の決断を、願いを、横からアレコレ言って捻じ曲げる事は出来ない。

 そして、天才が必死で頑張っているというのに、凡人の自分に休んでいる暇などない。

 ケビンに出来る事は最初から決まっている。



「勇士たちよ!」



 ザワつく声が一瞬止まった。

 強い不安の感情が、困惑で掻き消されたのだ。

 この場を仕切る幹部のケビンを皆が注目し、困惑の後に、何か指示があったのかという期待が満ちた。組織は一応、軍隊に近い形で作られている。だから、上官であるケビンの言葉を、何も言わずに待っていた。

 そして、



「我らは今、窮地に立たされている!」



 魔術師たちは驚きで声を漏らす。

 風の魔術で声を良く通しながらも、上げるのではなく下げる言葉を放った。

 どこまでも威厳を保っている。

 下げる言葉ではあるが、そこに悲壮感や絶望感はまるで感じなかった。



「知っての通り、現在二名の異端審問官、さらに『信仰部隊』が攻め込んでいる! 我らが頭目からの指示はなく、恐らくは未だ戦闘中と思われる!」



 希望的観測だ。

 頭目が簡単にやられるとは思えないが、頭目の話からして勝てるとも思っていない。

 だから、指揮権を任された。

 地下の囚人たちが大体殺された所で、魔術師百人を率いて術を発動せよと、命令されていた。

 

 この場の全員が死ぬ覚悟はある。

 だが、無駄に命を散らすつもりなはい。 

 モヤモヤと広がる不安は、死ぬ心配ではなく、計画が失敗するのが心に引っかかるのだろう。

 だから、ケビンは大丈夫だと言わなければならない。そんなくだらない理由で失敗など、それこそ冗談にもならない。



「だが、我らとはまるで関係ない事だ!」



 不安は確かに分かる。

 けれども、計画に最も必要なのは魔術師たちだ。

 


「我らが怖じれば、計画の全てが狂う! 我らが()()()()()()()()()()かが大切なのだ! 組織の他の誰が死のうが、頭目が死のうが、それは変わらん! 我らの手腕にかかっていると忘れるな!」



 喝を飛ばす。

 それだけで少し、空気が引き締まる。

 ケビンの言葉には芯が通っており、その場の魔術師たちが思わず気圧されるほどの鬼気があったのだ。

 目の前で同じ覚悟を示されて、魔術師たちはこんな事をしている場合ではないと気付く。



「命を、使い果たせ。これから死のう!」


 

 分かっている。

 これから自分たちが命を落とす事は。

 

 ケビンは術式に触れる。

 三年をかけて、人を辞めた頭目が全力を果たして作り上げた最高の術式(芸術)に触れる。

 あとは後ろに控える魔術師たちの魔力と補助を受けながら、術を発動させるだけだ。



「フィリップ君、先に逝くぞ……」



 重い、確かな覚悟をもって、





 

「?」




 突如、赤色が吹き出した。

 燃え上がるような、悍ましい赤色だ。

 その出処はどこかと辺りを見回したのだが、どこを探してもない。

 ただケビンは、顔に違和感を感じていた。

 何かが伝っているような、そんな感触。

 思わず手を顔に触れる。

 すると、



「! 血!?」



 鼻血だった。

 術式にはまだ触れただけだ。発動しようと本腰を入れれば、負荷からこうした現象は起こるかもしれないが、前段階でこんな事になるはずがない。

 ケビンは凡人だが、有能な男だ。

 攻撃を受けている事と、それが毒によるものだという事も即座に見抜いた。

 しかし、



「が、ごぼっ!」



 遅かった。

 その猛毒は、気付いてからでは対処出来ない。

 その空間に入り込み、一滴の血を垂らして逃げた少女に気付けなかった時点で、既にケビンは負けていた。


 後悔しても遅い。

 ケビンの意識は闇へと沈んでいき、沈みきればもう浮き上がる事はないと本能で悟った。

 人生の最期の瞬間が目の前にまで迫る。

 腕利きの魔術師はひとり残らず血を吐きながら倒れ伏しており、詰まされたのだと気付く。

 そして、



「ふ、ぃ、りっぶ、ぐん……」



 安寧あれ、という祈り。

 虚しい願いを胸に秘めたまま、ケビンは死んだ。




 ※※※※※※※



「まったく小賢しい」



 クララは独り言ちる。

 そこに居た魔術師たちが全滅した事を確認してから、魔術で隠されたその部屋を粉々に破壊した。

 中の死体も全て燃やし尽くす。

 一応毒も成分を結界で閉じ込めたために、これで他に被害が出ることも無いだろう。


 

「まったく、とんでもない毒だ。本当に君は優秀な人間だよ、アレン」



 クララは、この毒を調合したアレンの優秀さに戦慄を隠せない。

 実際、兵器として使用するのなら、これ以上無いほどに有能で危険ものなのだ。

 なぜなら、その毒は簡単に空気に溶ける。

 ただでさえ強力で、触れただけでも即座に生物を死に至らしめる猛毒なのだが、本当に恐ろしいのはあっという間に気化してガスに変わる所だ。


 フィリップもそれに気付けなかった。

 この毒を被った腕をすぐに切り落としたのに、途中で血を吐いて倒れたのはこのせいである。

 毒に触れない事に注意しすぎて、毒を吸う事など考えもしなかったはずだ。



「任務完了。魔術師たちは死んだし、頭目らしき男もシモンのジジイ相手に生き残れるはずがない」



 地下には術式と、囚人たち。

 フィリップや頭目の男の足止めまであったのだから、叩かれてはいけない場所だと思うだろう。

 だが、クララは頭がそれなりに回る。

 それが囮だと簡単に気付く。



「まさか、空にも術式を作っていたとはね」



 地下は囮。

 本命は天空に作られた小さな小部屋を核にした、大規模術式。

 かなり手の混んだ隠蔽だった。

 だが、シモンも同じく見抜いていたはずだ。

 クララが見抜けた事を、シモンが予想していなかったはずがない。そういう力は、考える能力は誰よりもある男だ。



「ったく、めんどくさい方任せやがって……」



 恨み言を小さく呟く。

 わざわざ上空まで登って始末をせねばならなんだ。

 自分でも出来ただろうに、放置したという事は、つまりはクララに丸投げしたという事だ。

 少し小言を言うくらいは許されるだろうと、心の中で自身の正当性を確かめる。


 だが、これで終わりだ。

 神に仇なす組織の狙いを叩き潰せた。

 これから計画に使われる予定だった術式を解体して、出処を調べなれけばならない。

 色々後で忙しくなるだろうが、目の前の大仕事はこれで終わりだ。

 

 だから、



「細かな仕事を片付けよう」



 クララは終わりを告げる。

 見知った誰かに向けて。



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