63、助けを求めて
アイリス視点
嫌だと訴えた事は何度もあった。
投げ出したくなる事も何度もあった。
けれども、一度だってした事はない。
かけられた期待を裏切ったことなんてない。ずっと、言われた通りの事をこなしてきた。
私に落ち度なんて一欠片だってない。
頑張ってきた。
必死にやってきた。
その結果がこれだった。
かつてないほどの死の気配に、私の頭の中に沢山の記憶が溢れた。
きっと、これが走馬灯というやつなのだろう。
※※※※※※※
私、アイリスはそこまで大層な人間じゃない。
十歳になるまで、本当にただのほほんと生きてきただけの小娘だった。
私がどんな人生を送ってきたのか、知れば『聖女』なんて凄い存在じゃないんだって、誰だって分かってくれるはずだ。
その日は、冷たかった。
寒くて、恐ろしくて、凍えそうだった。
私を生んだ両親とやらが、私を孤児院に捨てた所から私の人生は始まる。
別に何も珍しいことはない。
私が生まれた場所は下町で、皆が皆貧乏だった。自分が生きるのに必死で、赤ん坊なんて何の役にも立たない物を、どこかに捨てるのなんて良くある事だ。
そんな昔の事を、私は恨んだりしていない。
恨みはないんだけど、なんとなく私の中にソレが刻まれているような気がする。
私はなんとなく、覚えているのだ。
孤児院に捨てられた日のことを、本当にぼんやりとだけど覚えている。
その日は雨が降っていたような気がする。雨が降っていて、お腹が空いてて、怖くて、寒かったような気がする。
私は特別な力なんてないから、その状況をどうすることも出来なかった。
ただ、苦しんで死にかけていただけだ。
孤児院の真ん前に捨てられて、どうせその後誰かがやって来るのだから別に死んだりする訳ではないけれど、当時の私にとっては訳が分からなくて怖かった。
本当にただそれだけで、当たり前だけど、私は自分が無力な赤ん坊だということすら認識出来ていなかったのだ。
特別なんてモノは、私の中には無かった。
だからかもしれない。
その日、私の隣に居たあの娘を見てから、ずっと彼女と一緒に居たいと思った。
『うぅぅ……あう……』
私はずっと、見ていた。
食い入るように、と言っていいのか分からないけれど、私は多分それだけ注目していたんだと思う。
それだけ衝撃的で、見ずにはいられなかったのだ。
私よりも小さな体を這いずらせて、あの娘は生きようとしていた。蚊が鳴くよりも小さな声で、あの娘はずっと助けを求めていた。
私がこの日を覚えていたのも、あの娘がその幼すぎる身にあまる、膨大過ぎるほどの熱を持っていたからだろう。
その一度見たら忘れられなくなるほど気持ちが悪い目のせいで、私は死の恐怖を忘れていた。ただその時だけは、泣きもせずにずっと見つめていた。
私は、あの日からずっとアレを恐れていたのかもしれない。
それと同時に、憧れていたのかもしれない。
それから、月日は流れる。
私は孤児院で普通の日々を過ごしていた。
シスターと上の兄や姉たちを敬い、歳下の子たちの面倒を見る。家事をして、神様に祈って、毎日を生きる。
貧乏だったけど、私はそれで良かった。
苦しいことは多かったけど、楽しかった。
皆で協力して生きているという事実が、私にとっては何よりも大切だったんだ。
私は、必死になって生きることが出来ているという時間が好きだった。
愛する人たちに囲まれながら、私は全てに満足しながら生きていた。
でも、確か私たちが八歳の時だっただろうか?
同い年のアレンとあの娘と私が偶々三人で集まった時のことだった。
どういう経緯だったかは忘れたけど、私はあの娘に言われたこの言葉と、顔と雰囲気だけは、ずっと覚えている。
『アイリスってしんどくならないの?』
どういうこと?
『ずっと良い子のままで、しんどくならないの? ボクみたいに羽目を外そうとか思わない?』
あの娘は、ボーッとした娘だった。
何を考えているのか分からない無表情で、何を考えているのか分からない事を口走る。私はあの娘とずっと一緒に居たし、一番仲が良かったから大体分かるけど、ほとんどの人はあの娘の理解の出来なさに離れていってしまう。
だからか、私とアレンとシスターだけがあの娘と理解し合えた。
でも、そんな私にも分からない時はある。
何故かスカートをめちゃくちゃ嫌がったり、何故か裏で浮浪者たちに金を与えて何かを指示したり、何故か水浴びの時は一人でさっさと済ませたり。
この発言も、そういう分からない行動の一つだった。
『お前は羽目を外すというか、バカをしてるだけだ』
『失礼な。ボクのする事には全部意味がある』
『どーだか……』
アレンと言い合いをしているあの娘は、何でもないようにしていた。
私の質問の答えも、曖昧なままだ。
ちょっと、ちゃんと質問に答えてよ
この時、あの娘は首を傾げたのを覚えている。
なんで分からないの?
そう訴えているのが嫌でも分かった。
『……まあ、いいけど。そんな君も好きだよ』
どういうことなの?
『君の魅力だけど、危ない所ってことさ』
結局曖昧なままで終わってしまった。
あの娘とは、私が孤児院に居た間はずっと一緒に居たけど、この時の会話の本当の意味は最後まで分からなかった。
私はあの娘のことは大好きだけど、こういう勝手に納得して、勝手に話を終わらせる所はあまり好きではなかった。
結局今の今まで、この意味は分からないままだ。
そういえば、あの娘は、今は何をしているんだろうか?
昔別れたきり、何をしているのか分からない。この後、私は手紙も出せないような環境だったし、あの娘が手紙をくれるようなこともなかった。
いわゆる疎遠になるというやつだが、私はあの娘のことを忘れたことはない。多分だけど、あの娘も私のことを忘れてはいないだろう。
何かに対して、熱を持つ少女だったのだ。
そして、私に対して執着に近い感情を持っていたことは分かる。
いつかは迎えに来てくれるのではないか、と思っていたのは一生内緒にしておかないといけないだろう。
これまで寂しかった。
言葉にならない言葉を何度も出そうと思って、でも言葉にはならないから何も言わなかった。
私が連れて行かれた日もそうだ。
何故かあの娘とアレンはどこかに行ってしまって、見送りに来たのはシスターと他の孤児院の皆だった。
一番来てほしかった人には来てもらえず、もんもんと思いながら暮らしていたものだ。シスターから、何故二人が来ていないのかを尋ねても答えてくれなかった。二人から何か連絡が来る訳でもなかった。
長い別れになるというのに、勝手にどこかへ行ってしまった薄情な二人には今でも怒っている。
だから、当時の私がどれだけ怒っていたかは察してほしい所だ。
私はその時から機嫌が悪かった。
だから、長く揺られる馬車の中で同行してくれたフィリップ様には本当に悪いことをしたと思う。
『僕も知らないんだ、ごめんね?』
いいんです。二人が悪いんですから
馬車の中は暇だった。しかも、目的地の聖国まではかなりの距離がある。
大陸の中央である聖国まで、喋るくらいしかやる事がなかった。だから、二人で沢山話をした。私が聖国に着いて、フィリップ様が帰るまでずっとだ。
二人が何をしているのかフィリップ様も分からないのは驚いた。二人の薄情さについての愚痴を延々と聞いてもらった。フィリップ様の苦労話を聞いた。フィリップ様の人生を聞いた。長い長い話になった。
そうして話している内に思ったのだけれど、私はフィリップ様の事は結構好きだ。
付き合いはそこそこになるし、話も考え方もかなり合っていた。
でも、今となって考えれば、多分私たちが似ていたからだろう。
私たちは、良い子だったのだ。
ずっと良い子でいることが生活の一部になっているのだと気付いた。
もう少しだけ後に。
私が『聖国』に着いてからも、私はずっと良い子でい続けた。
ずっと、ずっとだ。
私は『聖女』として、ありとあらゆる教育を受けてきた。人を観察し、その上で惹き寄せる技術。歴史やマナーといった教養、そして神聖術。
朝から夜まで、休みもなくずっと勉強と鍛錬の時間。毎日毎日、私みたいななんでもない小娘を敬いながら勉強を強いる大人たちが馬鹿らしくて、世の中皆馬鹿しか居ないのか、と本気で思ったこともある。
でも、私にはやる以外の選択肢がなかった。
どれだけ辛くて苦しくても、逃げるなんて出来るはずがなかった。私の世話をしてくれたのは聖国だったし、私の生活を支えていたのも聖国だ。
それで私を縛っている。
逃げても無駄、嫌がっても無駄、何をしても無駄で、私は苦しみを享受し続けるしかなかった。
でも、義務感で何とかやってきた。
私がやらないといけない。私は多分だけど、日を追うごとに、私は疲れていったんだと思う。
一時期、何も上手く行かない時間があった。
例えば人を懐柔する術を覚える授業で、笑顔の作り方で困ったりしたのだ。勇者一行のモチベーションを維持させて、王者討伐を円滑に行わなわせなければならない。それに、『勇者』は戦いのない世界から連れてこられるのだ。なんとかして、その気にさせなければならない。
でも、人に取り入る基本である笑顔が出来なくなった。ある日、突然だ。当時は原因が全く分からなくて、ただひたすら焦り続けた。
どうすればいいかわからなくて、ずっと泣きそうになりながら時間を過ごした。あの時間は本当に苦しくて、初めて何もしたくないと心から思った。初めて、死にたいと思ってしまった。
こんなに苦しいならいっそ、と。
でも、しばらくしてその解決方法も教わった。
『貴女なら出来る』
それを言ったのは、誰だったか?
けれども、これは間違いなく救いだった。
苦しいだけだと、自分みたいな小娘には何も出来ないと信じていたから出来なくなる。だから、心から『聖女』になればいい。
皆が救いを求めるような、皆を助けられるような理想の『聖女』を演じればいい。
私はずっとその通りにした。
きっとこうするだろう、きっとこうなのだろう、という自分の中に居る誰かの声を聞き続けて、自分が誰でもなくなるのを許容した。
そうすると、いつもより素晴らしい働きを見せることが出来た。
沢山の感情を演出し、話術は共感と親和を出し、神聖術も二段は出力が上がる。
元の自分を消すことで、私はより良くなった。
これまで良い子であろうとしたけれど、その究極系がこれなのだと確信している。
私なら出来ると自分に言い聞かせた。
出来ないはずがないと言い聞かせた。
そうやって、出来ないという要素を消していく。心で出来ると信じ込み、そのあと体で出来るように。心という前提がなければ、きっとずっと出来ないままだから。
そうやって、私は生きてきた。
七年という時間を人類と、勇者一行のために使い続けて、私は完璧な『聖女』になった。
あくまでも演技で。
私は演技の『聖女様』を挟みながら、人と接するようになっていた。
自分の事を俯瞰して見られるようになったのは、いったいいつからだったろうか?
『やはり、良い……』
神様はいつもそう言った。
私に神様の神聖力を注ぎ続け、私はそれを耐えるという苦行。
はじめは体がダルくて、辛かった。はじめは、というより、その苦しみに慣れてしまったというだけで、ずっとダルくて辛かったのだけれども。
まあ、私は耐えられた。
神様は私と話をしてはくれなかったけれども、ずっと声だけは聞こえていた。
神様は本当に神様らしい声で私を気にかけていたと分かるけど、それ以上は何もしなかった。
ただ、私の神聖力の許容量を上げ続けた。
『はあ……お主は馬鹿じゃのう……』
ルシエラの鬼婆はいつもそう言った。
神聖術の全てを叩き込んだ私の師匠だけど、いつかから私にいつも呆れたようにこの言葉を言うようになっていた。
具体的にはいつかは分からないけど、多分私が完璧な『聖女』を出来るようになってからだと思う。
あの婆は、言葉が足りなすぎるんだ。
技を教えるにしても、絶対見せてからやれの流れだ。ほとんど言葉で説明しようとしない。
でも、この言葉だけは何故か響いた。
勇者一行になってからも変わらない。
それからもずっと、私は頑張った。
『勇者』のリョウヘイは、私と同じ類の人間だから何とかなった。私と同じく、過度な期待と責任を負わされて、押し潰されそうになっている。
人間、そういう時に必要なのは共感だ。
貴方と同じ、そう思わせて、好きになってもらえばいい。そうすれば、頑張る理由が出来る。頑張る理由が出来れば、あとは惰性でそのままやらせればいい。
当人は悪人でもサイコパスでもないのだ。家族の話でも並べておけば、それでもう十分だ。
そういえば説得の時に色々と言葉を並べたのだけれど、私の本音はどこからどこまでだったのだろう?
大切な人たちのため、というのは間違いはない。間違いはないはずなのに、それを語る『聖女』の裏の私の熱はどこにあるのか分からなくなっていた。
カイルは少し手間がかかった。
でも、そこまで難しいことでもない。
神様から彼の事情は聞いていたし、そこから何を思ったかは簡単に想像出来た。
私の七年の技術はこういう時のためにあるのだ。
人の心に漬け込み、懐柔する技術。私はこういう時のために居るのである。
共感するように優しく、優しく、優しく言葉を紡ぐ。幸い、付け入る隙はいくらでもあった。それを『聖女』が見逃すはずがない。私の中の『聖女』は見事リョウヘイを焚き付けて、カイルを説得してみせる。
丸く収めたというのに、どうしても騙してるのではないか、という疑念が心に引っ掛った。
でも、ラトルカは手強かった。
こんなに頭を悩ませたことはない。
面倒くさいことに、彼女は強い恨みを抱いていたのだ。口では私や教会、神に仇以外の異端審問官を恨んではいないと言っているが、良くない感情を抱いているのは間違いない。
心象が良くない状況から上手く良好な関係へ持っていく、という難易度の高いことをさせられる。
でも、私の中の『聖女』はそれが出来るはずだ。出来るはずだと言い聞かせて、ずっと『聖女』に任せた。
だというのに、本当に上手くいかない。
何を言っても聞かないし、挙句の果てに『嫌いだ』なんて言われた。
心の中でずっと抑えていたけど、私はあの時から怒っていたのだ。ふざけんな、コケにしやがって、と一人寝室で憤った。けれども、どこか彼女の言葉を否定出来ない自分が居て、結局何も彼女に言い返せなかった。
利用してばかりだ。
人を救う事を期待されて、結局私は他人を利用して、騙して、本当にただそれだけだった。
酷すぎて涙が出る。
こんなことをしたかった訳じゃないのに。私は、皆と仲良くしたかっただけなのに。
私は、『聖女』なんて凄い人間じゃない。
ただのアイリス。それだけで良かったのに。
言葉にならない感情が湧いて出る。
死を前にして、初めて仮面が割れた気がした。
ずっと私の顔を覆っていた、分厚くて、外せないはずのものが壊れる。
ヒビは止まらず、全体に広がり、そして、
「助け、て……」
ずっと言えなかった一言が言えた。
これまで、思い浮かぶことすらなかったのに、今になってようやく言葉が出た。ずっと、私が周りに求めてきたことを、このどうしようもない状況になってようやく。
「助けて……」
死にたくない。
まだ生きていたい。
まだ私は何もしてない。出来てない。
家族にも、恩人たちにも、まだ何も返せていない。
仲間と呼ぶ人たちには、まだ私を見せていない。まだ、出会っていない。
「助けて、助けて……!」
腰が抜けて動けない。
意識が乱れて、術も安定しない。
何も出来ないし、逃げられない。
化け物が気持ち悪く笑う。
これから獲物を狩ることが、嬉しくて仕方がないようにニヤニヤと。
でも、その威圧感は本物だ。
王者と呼ばれるのに相応しい、あり得ないほどの力を間近で当てられた。
その鋭い爪が私目掛けて振り下ろされる。
死ぬ
「助けて、誰か!」
死ぬ
「おおおぉぉおお!」
『グギャ!』
え?
目を開ければ、化け物は居なかった。
ずっと奥、何十メートルも横へ吹き飛ばされている。
でも、そんな事はどうでもいい。
私の目の前に、光があった。
「ゴメン、油断してた」
血を吐いて倒れていたのに、彼は私の目の前に立っていた。
手に持つ『聖剣』からさっきまでとは比べ物にならないほどの光量を放ちながら、彼はソコに居た。
「リョウ、ヘイ……?」
「助けに来た」
ソコに居たのは『勇者』だった。
私の声に答えてくれた、『勇者』だった。
面白ければブクマ登録を。
あと、下の星を埋めてくれれば嬉しいです。




