49、底無しの笑顔
魔術師は、魔術を用いて超常の力を巻き起こす存在のことを言う。
例えば火を飛ばす、水を操る、風を生み出す、土を豊かにするなど、出来ることは多彩だ。その幅ならばどんな術にも負けはしないかもしれない。
術としては、本当に出来る幅が広いのだ。
魔術師に求められることも、求めることも大きい。
町や村に一人はお抱えの魔術師が居る。冒険者のパーティーには必ず魔術師が居るし、国が宮仕えをさせる魔術師も少なからず居る。
つまりは、技術職ではあるのだが、どこかには必ず居るほど当たり前な存在ということだ。
さらにいえば、魔術師の歴史は魔術の歴史に伴うものである。
人間は有史以来、ずっと魔術を使い続けてきた。そこには多くの魔術師たちが作り上げた魔術が存在し、さらに多くの魔術師が作られた魔術の改良を重ねてきた。
もう数え切れないほどの魔術が生まれては消え、その中で魔術師たちが生み出した体系はもう常識レベルにまで浸透している。
つまりは、悠久の時間を経て、今の魔術と魔術師は成り立っているということだ。
使用人口は多く、便利で、積み上げた歴史も長い。
だから、魔術は長らく人類の発展を裏で支えてきたのだ。人間が生活や文明を発展させるためには魔術が必要不可欠と言われるまで、魔術は根付いている。
ここで本題に入るのだが、魔術師の中でも天才と呼ばれる者はどれほど貴重かということだ。
魔術師の天才は、本当に使い道が多い。
戦闘、強力な武具の制作、難解な術の陣の用意などなど、伸ばせる手の範囲は広いのだ。
ピンとこないだろうが、凄まじいことに変わりない。
戦闘ならば、超一流の魔術師がクレーターを作り出すのは珍しくない。武具なども、カイルが使う槍がそうだが、最上位の魔道具は気軽に使用者に圧倒的な力を与える。陣の準備に至っては、その究極系が『勇者召喚』である。
だから、腕が良ければ良いほどに、その魔術師には特権が与えられるのは当然だろう。
資金や物資の融資もそうだが、立ち入る事を禁止された場所への調査も、大きな権力を握ることも、実験のために人の命をもてあそぶ事も、全てが許される。
それだけもたらすだろう恩恵は大きい。
どんな恩恵がと具体的に問われれば、再び言うが、その最たる例は『勇者召喚』だ。人間全てを危機から救ってしまえる存在も作り出せるのである。
だが、何事にも限度というものはある。
滅多にないことではあるが、その天才性ゆえにタガが外れてしまったバカも居るのだ。
そういうバカがやり過ぎてしまうと、動き出すのは世にも恐ろしい異端審問官である。
※※※※※※※※※※
「テメェが、最後の一人?」
「いっえーす! 私こそが、あの『大賢者』の弟子なのですよ」
胡散臭いことこの上ない女だ。
身長は背の高いアイリスよりは低めで、けれども低すぎることはない。髪も長すぎるほど長いことはないが、短くもないだろう。可愛らしいと美しいの中間のような顔立ちをしているが、怪しさ全開の笑みで台無しだ。
底抜けに明るいその声から、性格が陽気なのではなく、騙そうとするために近寄ろうとしていると思わせるのは、一種の才能だろうか?
薄紫に輝く宝石を先端に嵌めた彼女の身の丈ほどの杖と、少し床にズッている、彼女の髪の色に近い紺色のローブが魔術師らしい特徴だが、魔術師よりも先に詐欺師が思い浮かぶ。
それに、
「…………」
「ちょっとちょっと! 私が敵じゃないことは分かるっしょ? 君たち、無事、怪我ない。これ、何よりも証拠」
確かに、あの状況なら二人をどうとでも出来たはずだ。後ろから刺されたとしても、対応出来なかった。
何らかの魔術の影響だろうが、凄まじい腕だ。
だが、それは警戒の理由にしかならない。
「じゃあ、その抱えてるアイリスはどういう事だ? 何故気を失ってる? 俺にはこっそり侵入してきた敵にしか思えないけどな?」
「ああ〜、言われてみれば確かに。でも、ホントに違うの。言い訳させて?」
相変わらず真剣なのか、フザケているのか分からない。ラトルカは胡散臭い笑みを止めなかった。
困っているような言葉でも、表情も仕草も声音も困っていないのだ。
矛盾の塊のような存在が気持ち悪い。
「君らさぁ? ここは異端審問官、『法王』のルシエラが守ってるんだよ? 少なくとも千年生きてる大英雄だ。それなのに、本当に敵が入り込めるとでも?」
否定できないのが辛いところだ。
カイルは知らないから分からないが、リョウヘイにその理屈はとても効いた。
そう言われれば、何も言えない。
ルシエラが聖国を守護しているのは『勇者』たちを守るという目的もある。普段から意識して、いつでも守れるように気を張っているのは二人は知っていた。
だからこの状況で、ルシエラが何もしてこないというのは、ラトルカが敵ではないということだろう。
だが、
「だからって、テメェを信用する理由にはならねぇよ。そこで寝てる、ソイツの説明はどうした?」
「あ、そっか」
手の平に拳をポンっと当てて、得心いったような顔をしているのが腹が立つ。
バカにされているようにしか思えない。その存在の全てが、他人の癪に障るようだった。
「でもねぇ、これは必要なことなのだよ」
「コイツ……」「何が必要だってんだ?」
「いや、カイル君? 君は私のこと言えないよ?」
「あ?」
肩をすくめて、やれやれとでも言いたげな様子でカイルのことを見る。
カイルはそれに青筋を立てた。
リョウヘイはハラハラしながらやり取りを見ていたが、警戒を顕にしながら言う。
「じゃあ、何が目的でこんな事を?」
「うん。よくぞ聞いてくれました」
杖を振る。
薄紫に妖しく光っていた宝石は輝きを強め、凄まじいエネルギーが集まっているのが分かった。
そしてこの時気付いたのだが、二人にはラトルカの力の全容が感知出来なかったのだ。力を見抜くことに長けているカイルにも、霞がかかったように理解出来ない。
何が起きるのか予測出来ない。
このレベルの魔術師が行使する魔術なら、どんな事が起きてもおかしくはないのだ。
二人は身構えて、出方を伺う。
「君を試したいんだよ、リョウヘイ君」
空中から花が現れた。
赤青黄色、様々な花弁が飛び散る。とても美しく、そしてバカらしい光景だ。
不意を突かれて固まるリョウヘイとカイルだったが、寒気と共に即座に飛び退く。
バカバカしく、滑稽に、拍手が鳴った。
「そう、正解だ。よくその花に害があるって分かったよね。勘はなかなか鋭いらしい」
カイルはラトルカを睨む。
手で口と鼻を覆いながら、片手で愛槍をいつでも振れるように握っていた。リョウヘイもそれに倣って口を隠しているが、警戒しつつも別の感情で彼女を迎えている。
花弁のもたらす変化は三名とも無視だ。
赤は床や壁に触れればジュウジュウと音を立てて溶かし、青はスルリと中へと潜り込んで傷を付け、黄色はどこにも触れることなく空中に消える。
第六階梯魔術『冥華葬送』
赤は熱、青は斬撃、黄は毒。
三色の花はそれぞれが敵を死に至らしめる害を秘めた、人の世界では生息させられない花たちだ。
花弁は多く、風に乗るために回避はかなり難しいが、ただ蒔いただけなら二人には簡単に対処出来た。
「試したいって?」
「そうだよ。カイル君がやったんだからさ、私がやっても良いよね?」
カイルは苦々しげに顔を歪める。
そこを言われてしまえばカイルは何も言えない。そして、カイルの挑戦を受けたリョウヘイも、試すと言われれば受けるしかないと考えている。
真面目な顔を一度としてしないラトルカ。
ふざけて、馬鹿げて、不真面目なままに言った。
「明日、鍛錬場に来てほしい。君が仲間足り得るか、見てあげる。この娘はそのためのスパイスさ」
暗にラトルカは、逃げれば、つまらないものを見せれば、アイリスはどうなっても知らないぞ、と訴えていた。
「じゃあ、楽しみにしているね?」
ラトルカとアイリスの姿が幻のように掻き消えた。
まるではじめから居なかったかのようで、本当に底を見せない魔術師だと確認させる。
そして、残されたリョウヘイとカイルは、
「…………」
「……チッ」
最後に見せた、脳裏に焼き付くほどに歪なラトルカの笑みに不快感を隠さなかった。
※※※※※※※※※
何もない空間だった。
あらゆるものは黒色で、どれほど遠くまで続いているのか分からない。
はじめから全てが設定されていなかったような虚無だけが感じられる。
暗闇に包まれているのかと思ってしまうが、そうではない。あらゆる存在がその場所にとっては異物であり、黒色ではないものの方がおかしいのだ。
そんな場所で、黒色ではないモノが集まっている、異質さがあった。
ソファとテーブル、燭台やロウソク、食器棚やその中身まで、生活のための物は全て揃っている。人が居そうにない場所に、生活スペースがあることはかなりおかしい。
真っ黒な空間に、真っ黒ではないものがある。それだけだが、ここが特別な場所であることは明らかだった。
そして、物があるだけでも異質な空間だが、まだ無視できないものはある。
草一本ない空間に、人が居るのだ。
「……ここは?」
「お、目覚めたね?」
白髮の少女、アイリス。
藍髪の少女、ラトルカ。
ラトルカはアイリスの目覚めに合わせるように、魔術を使って湯を沸かしている。
茶葉入れから茶葉を取り出す姿は、とても楽しそうだ。嬉しそうな、楽しそうな顔で彼女を迎え入れた。
「ここは私が作った異空間。君は私に誘拐されて、憐れ、ここで囚われのお姫様になったのさ」
「……ああ、思い出してきました。貴女は確か、ラトルカ・ラヴルージ、でしたね?」
「せ〜いか〜い」
アイリスは即座に状況を把握した。
手足を縛られている訳ではないが、逃げるのは絶望的だ。
場所はおそらくラトルカの創った異空間。空間操作という、極一部の魔術師しか使用出来ない、魔術の中でも難関の部類に入る高位魔術の一つだろう。
空間に作用する力を用いなければ対処出来ない術を、神聖術しか使えないアイリスが突破するのは無理がある。
そして、人質のように扱われているのは、リョウヘイを焚きつけるためだろう。
アイリスは『聖女』であり、『勇者』とは最も関わりが深いであろう人間だ。異世界人に効く人材で言えば、アイリス一択になる。
さらには、異端審問官のルシエラが動いていないということが決定的だ。
あの老婆は『勇者』と『聖女』を守るためにある。その使命を受けた彼女が、最強の異端審問官の一人である彼女が動かないのならば理由は限られた。
「およ? 泣き叫んだりしないのかい? お嬢様ならきっとそうすると準備してたのに」
「そんな程度で動じたりしませんよ。それより、話でもしましょうか? 私たちは仲間になるんですから」
フザケている道化のラトルカも、流石にアイリスの言葉に面食らった。
訝しむような表情で首を傾げる。予想外すぎる出来事に、うっかり道化の面を取ってしまった。
だが、それも一瞬のこと。
茶葉と沸かした湯をポットに入れて、ティーカップをテーブルに二つコトリと置く。
いつものように、小馬鹿にするようにニヤリと笑って、アイリスに向かい合う位置に座った。
「なるほど、肝が座ってるね」
「ええ、まあ。私は絶対安全ですから」
笑みを深くして、ラトルカは聞く。
興味深そうに、どこか楽しそうに。
「ルシエラ様が動いていないのなら、貴女に私を害する気はなかった。もしくは、自分が動くまでもなかったということ。つまり、貴女は私を絶対に殺せないか、殺さない」
「分からないよぉ? 私がルシエラに上手いこと出し抜いたのかもしれないじゃん?」
試すような言い方は変わらない。
ラトルカはアイリスの動揺をさそう言い方、言い分で攻めてみる。
だが、アイリスは変わらなかった。
朗らかな、ラトルカとは違う優しさが含まれた微笑みは変わらない。
「あり得ませんよ。貴女ほどの魔術師なら、実力差はしっかり分かるでしょう?」
「…………」
実力があればあるほど、より強い者との差は理解出来るものだ。
アイリスでも、自分とルシエラとの差は分かる。絶望的な違いは一目見るだけで分かってしまう。
アイリスは、師であるルシエラを超えられると思ったことは一度もない。実力差が分かるから、ラトルカがルシエラを超えられるとも思わない。
これは、絶対の確信だ。
「じゃあ騙し討ちの可能性は? ルシエラを適当に言いくるめて、それで君らを殺す気かもよ?」
「あのバ、妖怪に口先の騙し? 冗談にしても出来過ぎですね」
生きた年数の桁が違う。
積んできた経験の厚みが違う。
生まれて十数年の若造が、何を言ったとしても関係ない。ルシエラを騙し通すなど、絶対の絶対にあり得ない。まだ天が落ちてくると言われた方が説得力があった。
「……つまんない」
「私は楽しいですよ? 勇者一行で同性は初めてですから、話すだけでも……」
「もう! 案外意地悪だね」
ラトルカは童女のように頬を膨らませる。
それをするには適齢期がいささか過ぎているが、彼女の愛らしさでそれをするなら可愛らしい。
そのふざけた態度のまま、彼女は言う。
「でもさ、やるかもしんないじゃん。あらゆる準備と対策を立てて、持てる力も持てない力も全部振り絞って、必死になって成し遂げたかもしんないじゃん」
「…………」
ほんの少し、真剣味がこもったかもしれない。
まるで、自分がそうした事があるかのようだった。
「動機はあるよ」
「ええ。『大賢者』ルーメン・ラヴルージは、異端審問官に殺されました」
ルーメン・ラヴルージは天才だった。
だが、天才ゆえにやり過ぎた。
踏み込んではいけない領域に足を踏み入れ、そして異端審問官に殺された。
僅か二年前のことだが、有名だ。
高名な魔術師でも禁忌に触れれば、異端審問官に殺されるという例だった。異端審問官の武名を知らしめ、誰であろうと容赦はないという証明だ。
「私の試練はしんどいよ……」
「リョウヘイ様なら乗り越えますよ」
ラトルカは初めて、笑顔を曇らせる。
殺意のこもった冷たい瞳を、アイリス越しに、知らない誰かへ向け続けた。




