35、台無し
クララが去ってから、少しだけ時間が空いた。
狭い空間の中で、男は近くに落ちている肉片を眺めていた。
静かな時間だ。
クララの暴力には、それほど大きな音が立たない。今回に限っては、立たせるほどの暴力を使う必要が無いのだから。
だから、この瞬間に終わっているかもしれない。
もしかすれば、まだ生きているのかもしれない。だが、生き残ることはないだろう。
クララとはそういう存在なのだ。
神経質なほどに、一人ひとり殺していくはず。
だが、それを男は黙殺していた。
男は目を瞑って、ただ祈る。
はじめの内は死んでいった仲間たちが、精霊の御元へ帰れるように。誇り高く散った彼ら彼女らが正しく魂を導かれるように、と。
それから先は、自身の生への感謝を捧げる。これまで生き長らえさせた精霊の意思と、最期まで力を貸してくれた事への深い感謝だ。
深く深いその想いは、男の意識をこれまでとは全く異なる世界へと連れて行く。いわば、無我と呼ぶべき極限の集中である。
それは、かなり長い時間だった。
長い時間をゆったりと願っていた。
もしも祈っていなければ、男が時間に対して疑問を覚えるほどの時間だ。クララがその気になれば二十秒もかからないはずなのに、もう三分は経過している。
異常というほどではないが、違和感を覚える時間だ。
だが、男は祈る。
疑問を覚えようと何だろうと、祈る事しか出来ない。
それは生き残ってほしいなどという淡い期待ではない。ただ一つの確固たる意志によるもの。
死の間際にまで追い詰められて洗練された男の意思は、いっそ穏やかなほどに凪いでいた。
怒りもない。
苦しみもない。
完全だ。
深い集中は五感を高め、小さな変化も敏感に感じ取れる。
だからか、男ならば聞き取れない音が聞こえる。
森の奥から微かに響く、足音。
男にとって、それは誰かは考えるまでもない。
見知った相手が逃げてきたなどという希望は、絶対に叶わないと分かっている。見知った仲間への殺戮が今終わったのだと分かっている。
予感はしていたし、覚悟もできていた。
だから、男は目を開く。
辺りに飛び散る肉片も、体の一部を失くした残骸たちも、無念そうに顔を歪める頭も、男の覚悟がその心を乱れさせない。
男は、予想通りの人物をただ静かに見つめた。
「こんな事がしたかったのか?」
とても低い声だった。
あらん限りの負の感情が込められた、煮え滾るような声だ。
それを言うのは黒い髪の、少女だった。
男が改めて見れば、彼女はかなり小さい事に気付く。無骨なメイスと神官服は似合わず、十七と聞いてはいたがもう三、四歳は幼く見える。
不機嫌そうに眉をひそめる姿は、この状況でなければもっと微笑ましく思えただろう。
何もかもが、似合わない少女だった。
「お前の仲間は、家族は死んだぞ?」
少女は何かを放り投げる。
丸くて、重い何かは地面に落ちるとゴロゴロと転がり、男の足元まで辿り着いた。
茶髪と浅黒い肌に、男とよく似た目元をした何かだ。
男が飽きるほど見てきた何かだ。
「リグ……」
男は、自身の息子の名前を呟く。
もう動かない、頭だけの息子だ。
どこか愛おしそうに、けれども悲しそうに男は名を呼ぶ。
それがさらに少女の機嫌を損ねた。
少女はさらに声を低くして言う。
「コイツはお前のせいで死んだんだぞ? ボクに無様に負けて、その上で戦えなんて無責任を言いやがった。だから、誰も彼もが命を投げ捨てた。もっと足掻くべきだったんだ。もしかすれば、それで生き残れたかもしれないのに」
「俺たちの戦いを、無駄とほざくか……?」
「事実無駄だった」
少女は己の言う事が真実だと疑わない。
彼らは男のエゴによって死に追いやられたのだ。
可能性を切り捨てて、選んだのはよりにもよって犬も食わないプライドだけ。
選んだものは、命でも愛でもなかったのだ。
それは少女にとっては、冒涜に等しい。
「お前は、命を何とも思っていないのか?」
「それを奪う、お前が、言うな……」
「奪うからこそ分かっている。命とは尊いものだ。命の使い所を間違えて、命を適当に扱うお前と一緒にするんじゃない」
吐き捨てるように少女は言う。
彼女にとって、こんなにフザけたことはない。
少女は、命の大切さを理解していない男を心から軽蔑した。
「お前は家族を愛していないのか?」
「……しているとも」
「嘘だね。しているのなら、何を犠牲にしてでも生き残らせるはずだ」
吐き捨てるように少女は言う。
彼女にとって、こんなにフザけたことはない。
少女は、愛を蔑ろにする男を心から軽蔑した。
「お前は人間失格だ。愛を知らず、命を捨てられるお前は人間じゃない」
だから、男は少女を笑った。
息を軽く吐くように、浅く笑う。
それを少女は強く睨みつける。
顔を大きく歪めて、冷静さを少しずつ失くしていく。
怒りを隠そうともせずに男へ詰め寄った。
「何が可笑しい?」
「可笑しい、とも。それを踏みにじる、お前が、言うことでは、ない……!」
だが、男はそれを否定する。
瀕死の体では抱えきれない志を胸に秘めて、少女を全力で否定した。
お前が言うなと、声を大にして。
狂人の戯言と切り捨てて、少女のあらゆる言い分を切り捨てる。それらしいことを言ったところで、男にとっては今更響くことではない。少女の言葉に乗って怒るような愚はもう起こさない。
ここにきてようやく、男の集中が切れた。
切らした。
する必要がないと判断したからだ。
「…………!」
男の力が跳ね上がる。
これまで弱々しかった姿が嘘のようにエネルギーに満ちていた。
それこそ、少女に負けず劣らずなほどだ。狭められた『聖域』には収まりきらないほどのその力は少女の神聖力と合わさり、檻である至高に近い結界をほんのわずかに軋ませた。
その内部に存在する物体は、力の圧力に耐えられずにぺちゃんこだ。木々の残骸も、人間だったものも、今生きている人間も関係なく。
男は強固な結界によって絶えず守られていたためにダメージはなかったが、生身で居た少女は反応が遅れたことによって力の暴発をまともに受けてしまった。
「クッ……!」
怯んでしまった少女にそれは止められない。
男が仲間の死すら黙認して隠し通し、命を削って発動した術だ。このために時間をかけて集中してきた男には、その一瞬の怯みは大きすぎる隙だった。
術は瞬く間に成立した。
天才と呼ばれた男の渾身の渾身だ。
「星を描くはその智慧の剣にて、地を繰るうはその力の盾にて! 遍く力の結晶にして、精霊の頂点よ! あなたの御力は天地を制す! そこに在るもの全てはその手の内にあり! その威光にて手の内の我らを照らし給え! 『召喚:精霊王』」
現れるのは人間のように見えた。
剣と盾をもった、人型の何かだ。
背は高いような、顔は整っているような。雰囲気的には穏やかなような、けれども警戒しなければいけないような。
だが、それは頭には残らない。
人間という規格では、ソレを理解できない。
上位精霊たちとは比べものにならず、力だけでいうならクララすらも上回っていた。
人の手に負える存在ではないのは明らかだった。
人間の人生で、誰もが経験したことのない化け物。
だが、少女はソレと似たものを知っていた。
(あ、コイツ神か……)
「殺せええええええ!!!!」
男の焦ったような声が響く。
すると、その声に呼応するように何かは動いた。
剣が振るわれる。
それほど速度は速くはない。さらに言えば、射程範囲の遥か外側から振っている。
これは絶対に当たらない。
だが、少女は本能が訴えかける警戒の指示に従った。
全力で後ろへ飛ぶ。
何かは剣を振り終える。
それで少女の体は消えた。
頭の左半分と下半身を残して、バッサリと。何かが少女の体を斜めに通り過ぎて、その跡が消え去ったのだ。
頭と下半身がドチャリと落ちる。
遅れて血と内臓がどくどくと流れ、死んだ。
その残った左目は驚いて見開いたまま硬直し、ポカンとした間抜けな顔だけが転がっていた。
結界が解除され、男は地に落ちる。
それから動かない少女の体を見て、大きく息を吐いた。
「こふ……!」
男が吐血する。
弱った体に鞭を打ち、体に凄まじい負担のかかる術を行ったのだ。
おそらく、かなりの寿命を削っただろう。
その男の弱化に伴い、何かは姿を揺るがし、消えた。もう影も形もなく、何かが居たであろう物理的な痕跡は見られない。残ったのは、空中に漂うあり得ない量のエネルギーだけだ。
『召喚:精霊王』
遍く全てを制する存在である、精霊の王を呼び出す術だ。
呼び出せれば、無敵の精霊王が敵を屠る。概要は本当にただそれだけの術である。
精霊王は上位精霊よりも遥かに格が高い。あらゆるモノを従えるという存在なのだ。場に出せば絶対に勝てる、まさしくチートやバク。
呼び出した術者が敵の死を願えば、それは絶対に叶えられる。
それはあの少女にも例外はない。
「はあ……はあ……終わりだ……」
上位精霊たちが概念にすら干渉したように、精霊王にも同じことは出来る。
概念に触れるその一撃は、必中であり必滅だ。距離や時間、防御にとらわれず絶対に対象に当たる。そして、受けた攻撃は必ず致命傷となり、即死する。
相手が神聖術を完璧以上に使いこなす、不死身の怪物でも同じだ。即死すれば『回復術』を使う間もない。
確実に死んだ。
「俺たちが、俺たちの、戦いが、無駄なものか……!」
男は死体へ叫んだ。
何もせずとも、男は死ぬだろう。
だが、死への絶望よりも、誇りを汚す怪物へ一矢報いた事が上回った。
死体とわかっていながらも、声を抑えられなかった。
「お前は、俺たちの誇りを、侮った……だから、死んだ!」
男はこれまで死んでいった者たちへの追悼の代わりに、滂沱の涙を流し続けた。
仲間たちを侮辱された分、存分に少女を罵れる。言葉を否定する事ができる。
何もかもは、無駄ではなかったのだ。
「おおぉぉおおぉおお……!」
悲しく響く慟哭だ。
守る仲間も、家族も、歴史も踏み潰された。
その悲しみを吐き出すように、男は泣いた。
「終わった……これ、で、悪夢は、晴れ……」
「やられたよ」
「…………!」
悪寒が走る。
言いようもない、不気味で恐ろしい感覚だ。
まるで蛇が背筋をなぞっているような、気色の悪い最低な怖気が男を襲った。
その正体は、驚くほどに変わらない少女の声だ。
(馬鹿な……!)
だが、少女は死んだはずだ。
心臓どころか上半身を丸々、ついでに脳も大部分が削られた。
これで死なない生物は居ない。間違いなく即死していた。それに、死んでしまえばもう術は使えない。あの状況からは絶対に勝敗は動かないはずだった。
しかし、
「確かに策はあった。ボクを殺すために、仲間たちを犠牲にしたんだね。君は命の使い所をよく分かっているね」
そこには少女が居た。
黒い髪に、不機嫌そうな表情のままの少女だ。無骨なメイスと似合わない神官服がアンバランスで、何とも言えない。
子どものような少女は何事もなかったかのように、男を見下ろす。
それから、抑えた声でただ語った。
「でも、君は愛を優先しなかった。そこだけは、ボクらは合わないみたいだね」
「……馬鹿な」
男は衝撃に声を漏らしてしまう。
仕方がないだろう。
『精霊王』の事は誰よりも男が分かっている。歴代でも、男と初代戦士長にしか出来なかった事だ。その力を振るわれれば確実に、絶対に、因果的に間違いなく死ぬ。
だから、今少女がそこに立っているのは、死んでから術を発動したということになる。
意味が分からない。
理不尽すぎて、男は目が回った。
「馬鹿な、そんな、馬鹿な……」
「馬鹿なもんか。ボクのした事は君と同じさ。あの神を降ろした術を発動した時みたいに、ボクは魂で術を使った。頭で考えて使う小手先のものじゃない。これくらい、当然だよ」
少女は淡々と事実だけを語る。
彼女は当たり前のように言うが、言っている意味が分からない。
その様を見て男が震えるほどの寒気を感じた。血を流しすぎて死に近付いたために感じたのか、少女の得体のしれなさに怯えたのか、あるいは両方なのかは分からない。
「『伝心』」
動揺する男をよそに、少女は魔術を発動した。
これまでの攻防に使われた高位で、かつ複雑な術ではない。遠くにいる相手と言葉を交わせるというだけの魔術だ。
間違いなくこれからろくでもない事が起きるが、男にそれを止める手立てはない。
精根尽き果てた抜け殻に、少女は止められない。
「……ああ、鬼ばば、ルシエラさん。……違うって何も言ってない。マジだって、ちょっと術が乱れただけ。……マジだって! 相手が強かったんだって! ちょっと、ゴメンって!」
間抜けな会話を続ける少女。
これまでとは違う種類の焦りが滲んでおり、慌てて掘った墓穴を埋めていた。
「……そう、そうなんだよ。情報を吐かない。……他? 全部殺したに決まってんじゃん。……そう。だから頼んでいい? わかった。ありがとう。じゃあ、代わって」
男には意味が分からない。
分からないが、未だにろくでもない事が起きるという確信は変わらない。
回らない舌を必死に回して、疑問を口にする。
「な、にを……?」
「今に分かるさ」
少女の答えにならない答えは、さらに不安を掻き立てる。
一体どういうことかと尋ねても、教えてくれる人間は居ない。
男は無意識に後ろに下がる。確実すぎる死以上の何かが、男にべったりと貼り付いたようだった。それは、抽象的にしか言い表せない、ただ最悪とだけ分かる予感だ。
地獄に引きずり込まれる寸前のような不安を感じる。
そして、不安は明確な脅威へと変わった。
「『ほう?』」
「…………!」
変わったのだ。
少女の雰囲気が、明らかに、突然に。
「『このバカ娘が手を焼いたというから来てみれば、なかなか良いのう。お主のような類の人間は、敵に有利になる事は死んでもせんじゃろうて。バカ弟子からすれば相性の悪い人柄じゃのう。まあ、ワシにかかればどうという事はない』」
「誰、だ?」
歳とはかけ離れた言葉使いだ。
さらに、先程までニコリともしなかった少女は朗らかに笑っている。
まさしく、別人のように。
「『ワシか? ワシはルシエラ。神から呼ばれしは「法王」のルシエラ。人呼んで「万象の魔女」ルシエラ。この小娘を鍛え上げたルシエラ。東の戦線で人類を守っとるルシエラ。異端審問官のルシエラ・カルトリーラじゃ。分かったか、小僧?』」
少女とはまるで異質だった。
圧倒的で暴力的な少女とは違い、老獪な怪しさが感じ取れる。
少女が化け物なら、これは妖怪だろう。
怪しい何かは息を呑む男へ手を伸ばし、その頭を掴む。
「『じゃあ、記憶を見るぞい。心配するな、お主はちゃんと立派に戦った。それはこのワシが覚えておこう』」
「なっ! 待……!」
「『じゃあの』」
男の意識は闇へと葬られる。
二度と、目を覚ます事はない。
※※※※※※※※※※
ラフィーニアは待っていた。
友達になれそうな彼女をずっと待っていた。
彼女の優しさを知っていた。
だから、きっとまた会えると思っていた。
クララはまた会いに来てくれると確信していた。
「ラフィーニアちゃん。今日も待ってるの?」
「リーザさん! こんにちは」
のんびりと待ち続けていた。
知り合いと話をしながら、役目と勉強の合間を縫って毎日待ち続けた。
「クララちゃん、だっけ? 本当に仲良いんだね?」
「そうですよ! もう相思相愛です!」
「ふふふ、良かったね。そんな子に会えて」
優しく笑う。
優しく話す。
優しさだけの世界が広がる。
「早く帰って来るといいね」
「はい! プレゼントも用意してるんですよ。早く渡して、困る顔が見てみたいです!」
ラフィーニアの言葉に、リーザは苦笑いだ。
袋の中には、先日リーザの店で購入した服が入っている。クララという少女に似合う可愛らしい上着と、それに合うスカートだ。
ラフィーニアはこういうかわいい服は、クララは貰って困るだろうと分かっていた。
だから、少し困った顔が見たいという平和な発想である。
「もう少しだと思うんです。きっとクララ様は、帰って来ます」
優しさを知っている。
悪い人間ではないと知っている。
だから、
「あ、クララ様!」
ようやく見つけた。
ずっと待っていた少女だ。
ずっと会いたかった少女だ。
駆け寄った。
その少し後をリーザが追うが、ラフィーニアはそれを気にせずにクララへ走った。
「クラ……!」
「やっぱり、君だったか……」
抱き着こうとした。
飛び付いて、愛を囁いても良かった。
だが、
拒絶された
「え?」
弾かれて、飛ばされた。
少し遅れて、殴られたのだと理解出来た。
「ラフィーニアちゃん!?」
リーザがラフィーニアに駆け寄る。
袋が地面に落ちる。
冷たい表情のクララが見下ろす。
「君が、最後の異端だよ」
冷たい以上に、残酷だった。




