23、どうもありがとう
夜
教会の一室で、クララは考える。
これからするべき行動と、どうするのが正解かをだ。
クララは異端狩りのためにトロンに派遣された。
そして、その相手は『精霊信仰』。万物に精霊の加護ありを掲げる集団で、今回の件ではかなりの数が関わっているだろう。
ここまでに間違いはない。
神がそう言ったのと、自分の価値を鑑みた結果だ。
どうあったとして、上の三つは絶対条件。変わることのない前提の話。
そして、ここからは確証のない話。
「まだ一日目だけど、影も形もなかった。あの辺りには人が住んでいる形跡も、踏み入った跡もない」
ブツブツと一人で喋り続ける。
理論を組み立て、推測していく。
クララの予想は、人の居ない森の中に異端が居るというもの。
もしかすれば異端は、森という人間が住むのに絶望的な条件の場所に根を張っているかもしれない、と思ったのだ。
なぜなら、隠れ場所がないから。
数人から十数人ならいざ知らず、村や街が出来る規模の人間が、人間の住む場所で活動すれば必ずボロが出る。ボロを出さない賢い人間よりも、ボロを出す普通の人間の方が遥かに多いのだ。
だから、人間が住む場所はあり得ない。
「あの魔族の件もあったな。なら、もしかして前提を間違えたか? いや、そんな事ははないずだ。人間には人間の領分がある。魔物みたいに強くないのに、目を付けられるような事をするメリットがない」
なら、本当に数人だけなら?
前回の魔族のように、大きな目的のために暗躍する数人が居るとするなら?
前提に関わる問題だが、これもやはりあり得ない。
それは、する理由がないのだ。
魔族などの王者に付随する魔物は、王者という絶対の切り札がある。
だが、人間の領域は神が作った結界に守られている。それは王者のような規格外、単体で人間を滅ぼせる存在を通さないためのもの。
王者は神が作った結界を越えられないのだ。
だから、王者たちと人間の戦線は、結界を外から力で時間をかけて攻略しようとする魔物と、それを防ぐ人間とに別れる。
上質な生贄によって裏ワザで飛ばそうとするのも居るが、それは異端審問官の仕事だ。
そして、『精霊信仰』には、そんな切り札はない。
確かに『精霊信仰』だけが使える特殊な技能はあるが、それは絶対ではない。
もしも先の魔族と同じ手法を取ったとして、せいぜい一国を滅ぼせるくらいだろう。
だが、百回に九九回失敗する手段を用いたとして、それで一国では旨味が少なすぎる。神の影響は世界中に広がっているのだ。
一国滅ぼす程度では『精霊信仰』が、宗教モドキが求める最良の結果、『宗教になる』という目的は果たせない。
むしろ世界中から危険視され、殲滅戦になるかもしれない。
戦いになれば負けるのだ。
だから、戦いになるような事をしてはいけない。
「そもそも、どこからここに異端が居るって気付いたんだ? 神が認知できるのは神聖力を持つものだけ。『精霊信仰』は分からないはず。何かしらの気配を感じたか、神官を通して集まった情報からここを調べたかった? あり得るなら後者か。なら、もう少しできる事があるな……」
時間はある。
余裕もある。
だから、やりたい事は大抵できる。
結局、『精霊信仰』はネズミの立場なのだ。
どれだけ人数が居たとして、どれだけ強力な兵器を持っていたとして、それでも逃げるしか選択肢はない。
そして、大人数で隠れられる場所は森しかない。
少なくとも、トロンではそうだ。
クララは自分の価値が分かっている。
自分にどんな能力があり、それを用いて何をする事を求められているかを理解している。
「森しかないかぁ……」
司祭から報告は聞いていた。
トロン中の教会へ呼び掛け、異端が居れば即座に報告するように指示したのだ。
連絡手段を持つのは、聖職者の資格を持つ者、神聖術を操れる人間だけである。
だから、その中に異端は居ないし、嘘もない。
信用できる目がばら撒かれたのだ。
クララからすればとても助かる。
これまでの理論から外れ、何らかの理由で街に居た場合、森を探しているクララでは感知できないからだ。
念の為という程度だが、その念の為のおかげで心置きなく動く事ができる。
自分のやる事は変わらない事を確信したクララは、体をベッドに投げ出した。
森に居るときと変わらず、顔をしかめる。
アレンと話をした時のように、機嫌が悪いようにしか見えない。
何の成果もなかった事が腹立たしいようだった。
だが、その原因が体調不良とは誰も思わない。
苛ついていた訳ではなく、体が不調であったからなど、クララをよく知らない司祭には分からない。
「……ちょっとシンドイな」
少しだけ、司祭に苦言を呈されたのだ。
身に纏う神聖力が威圧的すぎる、と。
クララも協力者を怖がらせたい訳ではない。そして、貯めたエネルギーを消費したくはない。
だから、今は自分の内側に神聖力を隠している状態だ。
莫大なエネルギーを溜め込むのは苦しい。
普段は自分の周りに留めているだけで、霧散させる事もなく、付かず離れずを維持している。技術的な話で言うなら、クララの他に二人しかできない超絶技巧だ。クララは寝ながらでもそれができる。
だが、体の中に押し込むのは苦しい。
体という器にヒビが入るまで中身を詰め込むようなもので、ただただ苦痛だ。
技術的な話で神経を使っているから苦しいのではなく、肉体に負荷がかかるから苦しい。
「気ぃ使うのも、シンドイな……」
脂汗が出るし、顔色は悪い。
項垂れて、息が浅くなる。
クララはきちんと線引は分かっているために死ぬことは絶対にないが、ずっと気怠いし、痛い。
「……シンドイだけだし、寝ようかな?」
視界も暗くなった気がした。
関節が痛み、筋肉が引き絞られるように軋み、内臓が浮いているかのようだった。
そして、
「あ、あの、お、お食事をお持ちしました……」
ノックの音と、扉を開く音。
空腹を刺激する良い香りが部屋に充満するが、クララには食欲などない。何も入りそうにないのに持って来られても困るだけだ。
とにかく下げてもらおうとクララは思う。
重たそうに横を向けば、そこにはトレイを持った少女が立っていた。
紺の法衣を着た、茶髪の少女だ。
おそらくだが、十歳を少し過ぎた程度の変わった所のない普通の子どもだろう。
「え、あの、審問官さま!?」
一瞬呆然としていたが、すぐに机にトレイを置いてクララの方へ駆け寄った。
明らかに体調の悪そうな顔を見て、何事かと思ったようだ。
「だ、大丈夫、だから」
「何が大丈夫なんですか! 何があったんですか?」
とにかく、説明をする所から始まった。
※※※※※※※※
「申し訳ありません、気が至らぬばかりに」
司祭は深く、深く頭を下げる。
まさかこんな事になるとは思いもしなかったのだ。
あの神聖力による威圧感は、近くの住民にすら及んでおり、それなりに苦情が来る案件だった。
だから、出来ればいいなぁ、くらいの感覚でお願いをしてみれば二つ返事で承諾され、そのまま安心して過ごしていた。
だが、まさかだ。
まさか負担をかけていたとは思いもしなかったのだ。
失礼をしないように、などという小さな事を言っている場合ではないほどやらかしてしまった。
足を引っ張るとはこの事だ。
異端審問官という役職は、地方の司祭が意見を出していい存在ではないのだとようやく思い至る。
司祭はただ頭を下げ、罰が自分にしか下らないように頼み込むしかないと覚悟を決めていた。
「いえ、別に構いません」
「し、しかし、私は貴女様に……」
「本当に大丈夫です。ぼ、私も自分を過信していました。少しカッコつけすぎましたね」
ここまで言っても、まだ司祭は眉を下げている。
後悔やら、心配やら恐怖やらで、そこそこ老けて見えた司祭がもう五つは歳を取ったように見えた。
言っても無駄だとため息を吐くクララ。それを見て体を大きく震わせる司祭。
仕方がない、とクララが気を遣う。
「なら、そちらの捜索範囲を広げてください。冒険者ギルドから、冒険者で行方不明になった神官が居ないかを聞いて、まとめてほしいのです。異端審問官の名を出せばある程度の無茶は通るはずですよ」
それを聞いて、一瞬ポカンとする司祭。
だが、すぐにクララの意図に思い当たり、ハッと彼女の顔を見た。
未だに居心地悪そうにする司祭だが、クララが頼んだ、というように親指を立てると、再び頭を深く下げて部屋を出ていった。
そして、残ったのは二人だけ。
クララと、それを心配していた少女である。
凄まじい神聖力を纏うクララを前に、少女は変わらない憂いを帯びている。
クララは気まずそうに手慰みを始め、チラチラと少女に視線を送っていた。
「えと、あの……」
「取り敢えず、良かったです。もう元気みたいですね」
クララは歳下の少女に気を使われた事に顔を赤らめつつ、似合わない咳払いで場を濁す。
立場に見合わず、威厳もへったくれもない姿だ。
それを見た少女はようやく頬を緩めた。
仕方がない子を見るような目が生暖かく、クララにとっては余計に居心地が悪い状態だ。
眉間にシワを寄せると、少女が面白そうに吹き出した。
それを見てさらに不機嫌そうにするクララと、機嫌が良くなる少女。
放っておけばずっと続きそうで、流れを切ることにした。
「まあ、ありがとうございます。私だけなら、あのままでいる所でした」
「いえいえ。あんなに体調が悪そうにしていて、ほっとくなんて出来ませんよ。当然の事をしただけです!」
元気良くそういうと、にこやかに笑う。
その太陽のような笑顔を見て、クララはほんの少しだけ、表情を変えた。一見では分からないくらい僅かに。本当の本当に少しだけ。
クララ本人すら気付かないほどだ。
少女もクララも、変化に気付かず次へ次へと進んでいった。
「それでも、助かりました。ぼ、私はクララ・ランフェルス。異端審問官の一人です」
「あ、私、ラフィーニアです! ここで、見習いをしてます!」
クララの差し出した左手に、すぐに少女、ラフィーニアは応じて自身の手を差し出す。
司祭は恐れ多くて応じなかったが、ラフィーニアには関係ない。向けられた誠意に誠意で返すだけの事だった。
それに、クララは少し驚く。
散々人から恐れられ、逃げられるばかりであったが、こうして物怖じしない人間は珍しかったのだ。
他人と関わるのに基本煩わしさが優先するクララだが、それは何の関わりもない人間に対してだ。助けてもらって邪険に扱うような事はしない。
必要最低限関わる人間にしかしない握手と自己紹介を、木っ端の、別に関わる必要のない彼女へしたくらいだ。
クララを知る者なら、珍しさに眼を見張るだろう。
それを分かってか、ラフィーニアはの距離感は近い。
「あ、そういえば私、クララ様がこちらにいらっしゃる間のお世話を任される事になりました! 何か御用がございましたらなんでもお申し付けください」
「そうですか。なら、もう下がって大丈夫ですよ」
「そんな! さっきまであんなだったのに一人でいるなんて! 失礼ですが、おやすみになられるまで一緒に居ます」
遊んでほしい犬のようにまとわり付くラフィーニア。
人と距離を置きたいクララからすれば、完全に予想外のアプローチだ。
会って話せば友達、とでも言いそうである。
クララはそんな陽の気配を漂わせるラフィーニアをジッと見た。
黙っていると、変化が如実だから困る。
ぱあっと笑っているのだが、十秒過ぎれば曇りが見え始め、二十秒経てば不安げにクララを見つめ、三十秒すれば捨てられる子犬のような顔をする。
罪悪感に駆られて、仕方なしに話してしまうのは必然だった。
「……はあ、何ですかもう」
「ほらほら、ご飯を食べてゆっくり寝てください。あ、一人で食べられますか?」
「子どもじゃないんですけど……」
グイグイ来る上に、クララから引けば悲しそうにする。
される側からすれば厄介極まりなかった。
ラフィーニアのペースに飲まれたクララは、ただ困るだけだ。
クララからすれば、助けてくれてありがとう、が言えたらさようならで良かったのだが、出て行けとは言えなくなってしまう。
「私! クララ様のこと凄いなって思ってるんです! 私とそんなに歳も変わらなそうなのに、異端審問官なんて。たしか皆さん全員司教なんですよね? 私は司祭様よりも偉い方を見たことがないから、一回お話してみたいなって! 神聖力も私の何百倍あるんですか? こんな凄い力をどうやって維持してるんですか? どうやったらこんな風になれるんですか!?」
「暑苦しい」
「うみゃ!」
いや、やはり追い出すのは簡単だったかもしれない。
今なら出来そうだと思うクララだが、本気で追い出そうとすればまた子犬のようになると何となく悟ってしまう。
口を塞がれてモゴモゴと言葉にならない声を出すラフィーニアを見て残念な気持ちになるクララ。
こんなに自分は人に甘かったか、と疑問に覚えながら口を自由にしてやる。
やはり変わらず、嬉しそうに口角の上がった顔がしっかりと見えた。
「やっぱり、神様って偉大なんですか? 異端審問官は神への謁見を許されているんですよね?」
「あ? ああ、すみません。神は偉大ですよー。一般人なら腰を抜かすんじゃないですかねー」
棒読みでしかないのだが、それを聞いてラフィーニアは嬉しそうだ。
神が偉大、などというセリフを言ったからか、それを聞いて喜ぶ存在が居たからか、微妙な表情のままクララは固まる。
それに気づかず、ラフィーニアは言葉を走らせるばかりだ。
クララは知るはずもないが、ラフィーニアはこういう少女だった。根が明るく、人と関わるとなると基本多く喋る事が一番だと信じている。
相手が喋るなら普通よりも多い程度の言葉数だが、クララのように返る言葉が少ないと、変な気を回して自分が相手の分まで話そうとするのだ。
基本は可愛がられているが、偶に鬱陶しいと思われる子どもだった。
「私みたいな下っ端は夢のまた夢でしかないですけど、やっぱり凄いんだろうなあ。神様に会って言葉を貰うのって、全神官の憧れっていうか! ホント、私と歳も変わらないのに! 私と歳も変わらないのに!」
「…………」
「それに、クララ様って私みたいなのにも丁寧に接してますよね? 貴族としての位を貰ってるのに、横柄じゃないだけでもう懐の深さが知れますよね! カッコいいなあ。あ、そうだ! クララ様は『聖女』様と会ったことがあるんですか? たしかちょっと前に決まりましたよね?」
歳を下に見られるのも、『聖女』の話もクララにとって地雷でしかないのだが、知らずに踏み抜かれる。
クララは不快さと、事情の知らない一応恩人相手に大人げないことはしたくないという思いがせめぎ合い、こめかみを痙攣させた。
それから気を紛らわせるために、差し出された料理に手を付け始める。
清貧をモットーにする地方の教会から出されたのはただの塩を味付けにした麦粥だったが、癪に障る言葉を流すための道具と思えば悪くなかった。
「あ、食べさせてあげようかと思ったのに!」
まさかそこにも食い付くとは思いもしなかった。
クララはマジかコイツ、という顔で固まる。
「髪綺麗ですね! 黒い宝石みたいで、ツヤツヤですね! 肌綺麗ですね! 白くてスベスベですね。私は、というかこの辺りの人は皆日焼けで肌が焼けてるから、ちょっと羨ましいです。クララ様はかわいいですよね! 私にこんな妹居たらなあって思っちゃいます!」
「…………」
ブレーキというものがないのだろうか?
少しずつ、少しずつ、無視できなくなっていく。
人と話すのが煩わしいクララは喋らず、人と話すのが大好きなラフィーニアは喋り倒す。
クララも助けてもらった相手を無碍にするのはどうかと我慢してきたが、流石にイライラしてきた。
ラフィーニアよりも自分は大人だという認識はあったし、知り合いにするような乱暴な態度は出してはいけないと、クララは注意していた。
しかし、次第にイライラが大きくなる。
クララはそう気が長い方ではない上に、無駄に絡まれるのが得意ではない。
だが、初対面のラフィーニアにそれが分かるはずがない。
「制服以外はどんな服を? 普段からどんな事をしてるんですか? お休みってありますよね? 私、色々興味あるんです。そんなに若いのに異端審問官なんて、どんな風に生きてきたんでしょう? 師匠はどなたですか? 何歳から神聖術を使えて、何歳で異端審問官になったんですか? やっぱりそうなるまでに凄い努力をしてきたんでしょうね。どんな鍛錬をしてきたんですか? あ、そこに立て掛けてるメイスってすごく珍しい素材使ってますよね? 異端審問官にもなるとお金かかってそうですもんね。そういえば、『私』って言う前に偶にボって言いますよね? なんて言おうとしてるんですか? 他にも、」
「ああぁぁあ、うるせえ!」
乱暴に、めちゃくちゃに叫ぶ。
目を白黒させるラフィーニアの肩を掴んで大きく揺らす。
「分かったから一回黙れ! そんでボクの邪魔をしないためにも早く帰ってくれ!」
これまでの丁寧さをドブに捨てる態度だ。
確実に大人げなどがあるとは思えない。
言った後になって、教会とは良好な関係のままでいたいと思っていたのに、これでは子ども相手にキレるろくでなしにしか観えない。
気まずそうな顔で視線を下げる。
それに対して、ラフィーニアはやはり嬉しそうな顔のままでクララを見ていた。
「……思ったより背、低いんですね」
「はあ……今日はもう下がってくれ……」
ラフィーニアは十二歳である。
手足も伸び始め、どんどん身長が高くなっている彼女と成長しきったクララを比べてみれば、背は十センチも変わらない。
それを聞いて疲れたように言うクララの言葉に、ラフィーニアは意外と素直に従った。
掴まれた手を離させ、鼻歌でも歌いそうなほど機嫌良さげにしている。
それは、クララの言葉からはラフィーニアを世話係から交代させろ、という言葉が出なかったからだろう。もしくは、異端審問官という特殊な立場の少女が、彼女の知る悪人とは明らかに違っていたから、嬉しかったのかもしれない。
怒っても酷いことをしないのだ。
できるのにやらないのは、それだけで評価が高かった。
後で交代を告げられても別にいいか、と思いながらラフィーニアは扉に手をかける。
それをされても、きっとそれ以上の事はしないだろうから、安心して部屋を去る気だった。
すると、
「ああ、あとボクは十七歳だ。立場も歳も、君よりずっと高い事を忘れないで接しろ……」
「! はい! これから宜しくお願いしますね!」
ラフィーニアは、突如現れた異端審問官の少女が思った以上に優しい事を確信した。




