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186、許してあげる

ぬああーー!

書けないよおおお!


 強引に、流れが出来ていた。  

 それは他の誰でもない、怪人たるクララが創り出した強大な渦である。

 それは、何人も逃れられない引力を有していた。

 身動ぎの一つですら、死因と片付けられても仕方なしと思えるほどの圧だ。視線、呼吸、手の震えなどなど、どれが逆鱗に触れるのか分かったものではない。

 殺気の濃さは、戦場のものと何も変わらない。

 

 これは、本番というやつだ。


 圧倒的な強者による、絶対の搾取。

 小綺麗な館の中だというのに、そこは汚れた戦場のようにも思えてしまう。

 濃密な死の気配という曖昧な印象。

 だが、曖昧なイメージというものが、色を帯び、熱を帯び、具体性を帯びていく。

 心臓を握られている感覚が、弱者たちを襲った。

 頭の天辺から爪先まで、目の前の怒れる怪物の存在を感じている。


 そう、怒れる怪物だ。

 怒髪天を突く勢いで感じる怒気は、彼らに痛いほど伝わっている。

 顔は無表情だが、声には怨念が込められている。

 余計な事をしようとしている者たちへの、ありったけの殺意と呪いだ。

 犯されざる聖域を土足で踏み入ろうとする不届き者への、正当な憤怒の感情。もしも返答を間違えたなら、ただでは殺してやらないと、声なき声が聞こえてくる。

 

 クララに恐怖を覚えるのは、初めてではない。

 だが、ここまで恐れを抱いたのは初めてだ。


 ヴァウは、一気に血の気が引くのを感じた。

 すぐ隣を見てみれば、あのカールすらも脂汗を流している。

 現状がどれだけ危険なのかを、瞬時に悟った。

 そして、何かを間違えた、一秒先のもしも、も明確に、鮮明に思い浮かぶ。

 首をへし折られる自分、心臓を穿かれる自分、頭をかち割られる自分、四肢を分断される自分。

 全ての殺され方を脳内で想起する。

 その想像の一つ一つが、クララにとっては容易い事なのだと、気配だけで分からされる。


 そこにあるのは、『絶対』だった。

 先のある生死、言われる命令、従順、平服。

 逆らえるはずもなく、覆るはずもない。

 これまでのような、目に見えて()()()力の塊ならばまだ良かった。

 だが、今はソレとは比較も出来ないナニカに成り果ててしまった事が分かる。

 


「あ……」



 しまった、とヴァウは思った。

 張り詰めた空気の中で、緊張のあまり思わず息を吐いてしまったのだ。

 息というものを忘れていたから、不意に吐き出す生理現象を抑えられなかった。息すら忘れるほど、クララの存在感に呑まれてしまっていた。

 こんな事は、彼のかつての主を相手にした時もなかった。殺される、潰される、消される以上の嫌な予感が、圧倒的な暴力への畏怖が、ヴァウの心を揺らして止めない。

 吐息程度の干渉だが、してしまった。

 事実は、過去は変える事が出来ない。

 後悔したとしても、何も変えられない。



「……正直、お前たちはやると思ってた」



 重い、重い声が響いた。

 巨岩程度なら軽々持ち上げられるヴァウが、あまりの重さに頭を垂れたほどだ。

 もちろん、それは物理的な重さではない。

 重く感じるというだけで、本当は空気のように軽い、ただの振動だ。だが、そんなものが巨岩の数倍、数十倍の重さを錯覚させたのである。

 

 重々しい威厳と、棘々しい殺気。

 人に向けてはいけない、攻撃的な意志。

 クララの発する害意は、触れれば侵される毒のように凶悪で、凶暴だ。

 だが、口元以外はピタリと、ゾッとするほど、彼女は完全に静止していた。石像のように、服のシワや指先に至るまで、何一つ動かない。呼吸をしているのか疑問なくらいに、本当に生きているのか分からないくらいに、ピタリと。



「カール、カール、カールよ。ボクはアンタを評価してる。人格は最低だが、力は最高だ。質が悪くて、鬱陶しくて、身の程をわきまえているアンタが、一番厄介だった」


「それはそれは、お褒めに預かり……」


「だが、部外者にズケズケと土足で踏み込ませるのは、気分が悪い。カレン先生なら、まあ良いさ。あの人には、おおよそ悪意なんてものはない。でも、アンタは駄目だ」



 いつの間にか、カールの肩にクララの左手が置かれていた。

 ほっそりとした白い手で、いとも簡単に折れそうなくらいに弱々しい。

 だが、漏れ出る邪気のなんとおぞましい事か。

 生身の、ただの女の細腕であるはずだ。

 けれども、ヴァウの本能に訴えかける『力』は、決してそんな弱々しいものではない。

 太い、太い鬼のような手を幻視した。

 鋼のような硬い皮膚、丸太のような太い腕、肉と骨は幾重ものハリガネによって構成されている。

 人の外側の、化け物の手だ。

 人の外側の、恐ろしい怪物だ。



「目的なんぞ知らん。だが、ソイツがボクを嗅ぎ回ってるのは分かってる」


「…………」


「別に、好きにさせようとは思っていた。ちゃんと、わきまえて、見てるだけなら放っておいても良かった」



 そのガラス玉のような目は、薄気味悪くて夢にも出てきそうだった。

 まっすぐカールを見つめるそれは、何も映していないと思えるほど空虚で、けれども、それだけではないと思わせる激情が隠されている。

 マグマのように、煮え滾る怒り。

 全てを燃やし尽くしても消えない、有り余るほどの過剰な怒りだ。

 


「だが、それ以上は許さない。アンタは、一応、殺しちゃマズイ人間だ。気軽に消せないんだよ、困った事に」


 

 そんな手が押し付けられたカールの肩は、見てみれば服が少しずつ凹んでいる。

 耳を澄ませば、ミシミシと音が聞こえる。

 顔を見れば、あのカールが僅かながらに眉間にシワを寄せ、苦悶の表情を浮かべている。


 

「多少は許す。でも、ボクは気が短い」



 クララは、基本真実しか語らない。

 だから、これは嘘など一切ない真である。


 多少ならば、必要と呑み込める。

 いや、本当に必要とさえ思えるのなら、クララはいくらでも待つし、何でもする。

 けれども、()()には付き合えない。

 少しくらいは付き合ってもいいが、それでも少しだけだ。少しという、低い天井を過ぎれば、クララはキレる。

 怒りのままに暴れ、激情に身を任せて壊し、全てを灰にするのがクララだ。

 仕事でも、そうして任務をこなしてきた。

 今はまでが大人しすぎたのだ。

 怒り、燃えるのがクララの本領だと言える。



「……少し、会わない間に、ずいぶん、余裕がなくなったようだね」


「は、知ってるよ、そんな事は」



 恐ろしい気配だった。

 身の毛もよだつとは良く言ったもので、産毛の一本に至るまで、言葉通りになっている。

 格の違いが、それだけで分かる。

 向けられた気配、しかも他人に向けたものの余波でそうなのだ。

 どれほど違うのかなど、考えるまでもない。

 圧倒的かつ、絶対的だ。

 逆らう事など、あり得ないし許されない。



「あとは、お前だ」



 これまでは、余波で怯えていた。

 本流から流れ出た、小さな、細い流れでだ。

 だというのに、それだというのに、恐ろしくて、身も凍る思いをした。

 だが、今、ついにクララの意識はヴァウに直接向いてしまった。

 ギョロリと目を向け、魂を捉える。

 


「お前は、何だ?」



 意識が飛んでいないのが奇跡だった。

 部屋の温度が一気に数十度下がったのではないかと勘違いしそうだ。

 恐ろしくて、おぞましい。

 息も出来ないほどに、圧が押し迫る。

 吸えば肺が凍る吹雪の中のようで、何という事もないただの意だけで、良くここまで思わせるものだ。

 そして、これで良くカールはモノを言い返せたものだと、感心出来る。

 だが、精神がカールほど太くないヴァウは、身動きも出来そうにはない。



「部外者がズケズケ入り込む」



 凍る。

 魔術でも何でもない、ただの言葉で。

 あまりの恐怖に、寿命が大きく縮みそうだ。



「くだらない事で喚き立てる」



 命に楔を打ち込まれる。

 魂を鎖で縛られる。

 


「その舌を引き抜き、耳を壊し、目をえぐる。そこまですれば、この怒りも収まるかねぇ?」



 殺される。

 殺される。

 殺される殺される殺される。


 ただ、恐怖で埋め尽くされる。



「だがまあ、許そう。今回だけは」


「…………?」



 だが、一瞬で怒気も、圧も無くなった。

 はじめから、全てが霞の見せた幻であったかのように、消え去った。

 まさかと思って、クララの方へとヴァウは顔を向ける。果たして、彼女が何を思っているのか、と。

 すると、


 

「怒ったのは、ボクの聖域を売り飛ばそうとしたコイツにだけさ。君は、別に構わない」



 朗らかと言うべきだろうか?

 

 笑いかけている気がする。

 ニコリともしていない、なんでもない無表情に見えるが、少しばかり機嫌が良くなった気がする。

 ヴァウには分からないが、もしかすれば、最初の怒りは嘘だったのかもしれない。いや、本当に怒っていたが、言葉の通りにカールに対してだけだったのかもしれない。

 真相は、クララにしか分からない。

 だが、

 


「少しだけ、付き合ってくれたら許そう。君のこれから、あと一週間ほどは全てを許そう」



 とにかく、良くない事が起こる気がした。



 

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― 新着の感想 ―
[気になる点] カールの肩に左手を乗せるところが文章繰り返してる気がします
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