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152、劣勢


 ただの呪いの塊でしかなかった屍王が理性と記憶を保持出来た理由は、人間と結び付いた故に他ならない。


 どこまで行っても、屍王には人間らしさなど求められない生命であった。

 例えばだが、微生物に高度な思考は行えない。それは発展した脳を有する存在だからこそ許された、いわば専売特許な行いである。脳など存在しない微生物に、それを望むこと自体間違っていると言っていい。

 屍王もそれと同じ存在だった。

 脳髄、内臓、皮膚骨筋肉、何一つとして彼は持ち合わせておらず、そもそもとして、屍王はこれまでの出来事の記憶を行ったり、思考を行うような性質ではなかったのだ。

 

 そこで彼は人間の頭脳を借りることにした。

 偶々、その形に落ち着いただけの事なのだが、その偶々が彼の在り方を形付けた。

 人間の頭脳、知識、人生を借りることで、屍王は人間について深く知る。人間を深く知り、人間を多く殺してきたことで、彼は人間を大いに愛したのだ。

 繋がり、使命、覚悟、勇気。

 彼に挑んだ人間たちは、常にそういう尊いと思えるものをもっていた。だから屍王は、自分が何も持たないということが分かってしまったから、他に何かを持てる人間を愛した。

 そして、その在り方以外を選ぶことが出来なくなってしまった。

 だから、彼は憑り付き続ける他なかった。

 思考出来なくなる事は、最早彼にとって死に等しかったのだ。

 

 屍の王と呼ばれながら、死を恐れるとは皮肉である。

 全力で嘲笑われても仕方がない。

 だが、彼からすれば笑い事では済まないのだ。

 思考する事、空想の上でしか存在しない財産。他人からすれば無価値なものでも、彼からすればただ一度の生における、ただ一つの宝物だ。

 これまでの全てが詰まっているのだ。

 体を捨てるという事は、己の全てを無に帰すという結果にしかならない。

 まさしく、今の状況の事である。



『吾は死ぬ』



 そう、屍王は死ぬのだ。

 死体に取り憑き、人間としての能力の一部を拝借していた呪いから、ただの呪いの塊に戻った。

 今は能力の残滓から話が出来ているが、それもすぐに消えてなくなる。悲しい事に、それが能力の限界なのだ。呪いの群という存在は残るだろうが、それは最早屍王ではない。

 

 屍王は、確実に死ぬ。

 このまま取り憑く死体が無ければ。



『このまま時間を稼ぐだけで、汝らは吾に勝利する。あまり長く記憶も、知性も保持できんのだ』



 これまでかなり無理をしてきた。

 数十年の間慣れ親しんだ体をいきなり捨てたのだ。

 体の交換は、知識に陰りがないように、知性が曇らないように、慎重に慎重を重ねて行う。

 今回は持ち出せるものを最大限、大急ぎで引っ張り出して体から出た。この時点でも屍王からすればかなり苦渋の決断だったのだが、それだけでは終わらない。

 時間の経過と共に屍王の宝物は失われていく。

 記憶を出来る存在から、そうではない呪いの群に成り下がったのだから、必然であった。

 彼は、自分で自分の命に区切りを作ったのだ。



『吾は死ぬ。ここで勝たねば、死ぬ』



 ここに居る人間は、全員が屍王を殺すためにわざわざ南の端までやって来た。

 何かしらの理屈や葛藤はあろうが、彼らは最終的に屍王を殺せるだろう。そう覚悟を決めた人間は、これまで星の数ほど見てきたし、そんな彼らを殺して奪ってきた。

 どうあれ、ここでは確実に命が減る。

 一か二、もしくは五かもしれないが、多かれ少なかれというだけのこと。

 手を取り合い、分かり合う事は絶対にない。

 話が出来たとしても、関係ない。 



『己が宝を切り捨ててまで、吾は生き延びようとする。簒奪者たる吾を滅そうとする。この構図、何故か分からぬが、焦がれていたような気もする』



 ずっと生きる意味を知りたかったのだ。

 ただ蓄えるだけで、何も為さず、何のためにもならない空虚な人生。

 これまでずっと、人間ならいつかは来るはずのゴールを探し続けた屍王。

 ここに来て、運命を信じてしまう。

 なるべくして、あるべくして落ち着いた。

 命を削るという状況に陥って、ようやくそれらしい、納得出来る答えに至った気がした。



『さあ、ここで殺し合おう。吾から言いたい事は、もうそれだけだ』



 誰かの糧になることなど、今の今まで考えた事もなかったのだ。

 それが心地よいなど、予想外だったのだ。

 


 ※※※※※※※※



 非実体の存在をどうやって倒すのか?


 これは、とても困った問題だ。

 空に浮いている雲や、地を覆う霧を殺してくれ、と言っているようなもの。どれだけナイフを突き立てても、銃を乱射したとしても、雲や霧は殺せない。

 しかも、屍王の呪いは雲や霧とは違って、自然と無くなるという都合の良い事にはならないのだ。

 屍王が言った通り、呪いは何かを苦しめようという負の感情にエネルギーが発生した猛毒。薄れる事はあれども、完全に消え去る事は、実はとても難しい。


 屍王は、そんな力の塊、いや、海だ。

 粘着質で、陰湿で、危険極まりない力の掃き溜めと呼んでも良い。

 仮に戦って極限まで薄められたとしても、一時期活動不能になるだけ。時間と共にゆっくりと寄せ集まって、数年から十数年で再び活動を始めるだろう。

 ただし、今度は理性など削れて消え失せた呪いの塊でしかなく、しかも、一度倒されたという怨を覚えて、さらに強力になる可能性がある。

 では、どうすれば良いのか?

 手段として言うならば、その海にある全ての水を蒸発させた後に、蒸発した水が雲を作って雨を降らせて海に水が戻らないようにしなければならない。


 どんな超人でも匙を投げる難行だ。

 最早、人間がすべき事でもない。

 無理難題どころか、挑む事すら笑い話としてバカにされる。

 こういう不可能を成し遂げるのは、いつだって神と呼ばれる存在の奇跡なのだ。

 人間に出来る道理は塵一つ分だってない。


 そう、為すのは神の奇跡なのだ。

 呪いという粘着質な猛毒を、洗い流して消し去るのは、神の力だけ。

 憎しみや恨みを救うのは、神の慈悲。

 そして、人間には神の奇跡を借りる術がある。

 

 つまりは、屍王を倒すためには、強力無比な神聖術が必要となる。




「アイリス!」


「『神よ、神よ、神よ! 偉大なるその掌で包み給え、導き給え、救い給え!』」

 


 リョウヘイの焦りが滲む呼びかけに、アイリスは応える暇がなかった。

 普段なら『分かりました』の一言でも返すだろう。だが、この時間、この瞬間はどうしても応えられない。一瞬でも気を緩めれば、あっという間に戦況は瓦解する。


 死への恐怖を糧にして、アイリスの神への祈りは純度を増していき、さらに強力な神聖術を発動する。

 だが、それよりも早く、多くの呪いがアイリスたちへ向けて雪崩れ込んでいく。

 防戦一方な状態だが、曲がりなりにも戦いが成り立っているのはアイリスの神聖術のおかげだ。彼女が神聖術で『海』を抑えてくれているから、まだ全滅していない。


 アイリスの詠唱付きの神聖術。

 その効果の強力さは、神官の中でも最上位。

 これ以上ないくらいにアイリスは優秀だ。

 アレンの去り際の言葉は、不足と言っても良いほどにアイリスは勇者一行の中心だったのだ。

 

 彼女こそ、南の戦線の要である。

 


「おおおおおおお!」



 だからこそ、虚しい。

 何度も言うが、屍王を倒すのはまさに海を果てさせ、そこから生まれる『次』をさせないという無理難題。

 海を攻撃してもただ波紋が走るだけ。特殊な攻撃で蒸発させても、形を変えてそこに残る。

 そして、特殊な攻撃というものは、恐ろしくエネルギーを消耗する。


 カイルの槍は、高位の魔槍だ。

 ただ突くだけでなく、特殊な炎を纏わせ、操る事も可能である。

 そして、その炎は呪いをも焼ける。

 呪いというエネルギーを燃焼させて、自身が熱を発する力を取り込むのだ。

 その炎は呪いを薪にして燃え続ける。

 呪いの海はまるで油のように、どんどん消費されて、力を無くしていくだろう。


 しかし、



「はあ……はあ……はあ……」



 カイルの息が荒くなる。

 新しい火種を生み出すほどに、自分の中のナニカが削れていくような気がした。

 これ以上続ければマズイとは察しつつも、カイルはさらに自分の中のナニカを燃やして火種を作る。

 

 恐ろしく苦しい。このままなら、死ぬ。

 だが、考えてみれば当たり前だ。

 呪いを焼き払う強力で特殊な炎が、何の代償もなく、タダで生み出せる訳がない。

 彼の生命力を削る事で、カイルは屍王に対する有効な攻撃手段を得た、ということ。

 

 だが、その命を削る努力も恐ろしく虚しい。

 何故なら、屍王の力が膨大過ぎるからだ。

 確かに呪いを燃やし、蒸発させる炎は凄まじい。だが、あくまでもそれは火種でしかない。

 マッチ数本で氷山を燃やし尽くすようなもの。

 つまりは、焼け石に水なのである。



「ああああああ!」



 リョウヘイは少しだけマシだった。

 命を削る、という事は無いが、それと同じ勢いで、カイルと変わらず命の限り戦っている。

 全力の全力を出し尽くして、十秒後に倒れても仕方がないと思えるほどの全霊だ。

 戦い嫌いが、戦いに没頭するほど必死だった。


 光り輝く『聖剣』を全力で振るい、黒い呪いの海を切り拓いていく。

 前哨戦の時のような余裕はない。

 深淵とも言える暗い海を、松明一本で掻き分けていくような途方も無い作業。一つでも失態があれば、もしくは働きを弱めれば呑み込まれてしまう。

 

 苦しい、苦しい、苦しい、苦しい



 骨が軋み、肉は断ち切れる。

 心肺は広がる度に激しく痛む。

 光を広げて、少しずつだが黒い呪いを取り除いていかなければならない。

 ほんの少しでも呪いが掠ればアウトだ。

 そもそも、気性が戦いにあまり向いているとは言えないリョウヘイ。そんな彼が、ぎりぎりの綱渡りをさせられているという状況は、凄まじいストレスだ。

 しかも、疲労によっていつかは果てる。

 果てればもちろん呪いに呑まれて殺されて、何一つとして残らない。

 

 慣れているカイルならともかく、リョウヘイがいつまでも耐えられるという保証はない。

 死への恐怖を感じるほどに、生への渇望は大きくなり、さらに恐怖は強くなる。

 慣れるなどあり得ない。リョウヘイは普通の人間だと確信している。

 だから、いつまでもは保たない。

 リョウヘイが人間だから、出来ない。



「『清浄の星はあなたの北に、不浄の大地はあなたを覆う。遠く、尊きその星を、あなたは眺めて動けない。手を伸ばしても届かない。あなたの心は閉じたまま。あなたの星は、あなたの元には宿らない』」



 ラトルカに出来る事は、魔術を放つ事だけだ。

 こちらも向こうも、悔いなく戦う用意は済んでいたと理解した。

 語るべき事はもうないのだと感じ取った。

 だからこそ、ラトルカは屍王を全身全霊で殺しにかかる。

 彼女は独りよがりな己との区切りを付けたいと大真面目に戦っているのだ。

 己に与えられた試練を越えるという大願を、胸に抱いて戦っている。

 


「『星天聖滅砲(メテオレーザー)』」



 第七階梯魔術『星天聖滅砲』


 定めた一つの星から、裁きの如く愚者へ降りかかる熱線を生み出す攻撃。

 より対象を滅ぼす事に特化した光の魔術。

 対屍王の魔術としては、彼女が出来る中でも最上位の術である。

 他の三人にも負けず劣らず、光は呪いの海の表面を焼いて消滅させる。

 凄まじく高度な魔術であり、彼女の歳で扱える者はいないだろう。いや、そもそも扱える魔術師が世界でも一握りしか居ない。

 だが、言ってしまえばそれだけだ。

 人間の中でどれだけ凄くとも、本物の化け物に通じるかどうかは別問題であった。



「…………!」



 呪いは絶えず襲ってくる。

 アイリスの結界が(すんで)のところでラトルカを覆わなければ、呪いは彼女の指に触れ、腕に広がり、心臓へと手を伸ばし、あっという間に握り潰していた。

 殺し合いということを理解しているが、殺されそうになってから本気でひやりとしてしまう。

 死がピッタリと己の背に付いている状況が、気持ち悪くて仕方がない。

 叫び出したくなるのを抑えて、次の魔術に備えるために詠唱を唱え始めた。


 しかし、それもいつまで続くか……



「う、」



 神の奇跡を借り受けた上で行使する神聖術に比べて、魔術というものは燃費が悪い。

 魔術は、あくまで自分の中のものを使うのだ。

 上限は決まっているし、しかも、使いすぎれば行動不能に陥ってしまう。

 しかも、体の中にあるエネルギーを無理矢理出し続ける事も、悲しい事に体に悪い。

 エネルギー量に余裕があったとしても、無理を重ねて身の丈に合わない量を一度に使おうとすれば、体はオシャカになるだろう。


 今突然ラトルカの鼻から流れた鮮血は、彼女の体が訴えた救難信号だ。

 これ以上はイケないと訴えている。

 リョウヘイやカイル以上に、ラトルカは無理をしながら戦っている。

 無理をしなければ戦えないから。




「―――――――――――!」



 声にならない、音にならない叫びがあった。


 呪いは、彼らを殺しに来ている。

 苦しめて苦しめて、その末に苦しめるのが呪いの在り方であるからだ。

 手心などあるはずもない。

 今勇者一行を襲うのは、本能のままに、設計のままに、人間を苦しめるためだ。

 

 理性は既に、満足しながら消えたのだ。

 納得した上で死んだのだ。

 だから、残された彼には『苦』しかない。

 全てを呑み込み、呪いで埋め尽くし、この『苦』を地上に広め尽くしてやろうという、一つの指向性しかない。




「――――――――――!!!!」



 勇者一行たちに、たった四人の人間如きに、呪いの津波を止められる道理は存在しない。




 

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