138、屍王の迷宮(15)
やっと夏休み入った!
これからめっちゃ書きます。
「…………」
考えていた。
道を見失った彼女。
先が見えなくなった彼女。
どこにも行けなくなった彼女。
彼女は、今自分がどこに居るのか分からない。
前を向けない、後ろしか見えない。
怖くて怖くて仕方がなくて、子どものように頭を抱えてしゃがみ込んで目を塞いで。
酷く惨めなのに、その事も隠してしまいたい。
虚栄と自尊が入り混じり、通したい道理が鎖のように絡み付く。
苦しくて、苦しくて、泣きそうで。
にっちもさっちもいかなくて、それでも彼女は誰にも頼る事が出来なかった。
愛を知る彼女は、愛に臆病だった。
昔、愛を失ってしまったから。
そのくせ、彼女は愛に餓えていた。
家族は既に死に絶えて、彼女一人残されたから。
だから、彼女は知りたかった。
他の事なんて分かるはずがないから、せめて自分の全てを知っておきたかった。
知らない今が、不安で仕方がないから。
己の行く先が定められず、己の在り方に納得出来ず、己の未来を想像出来なくなったのだ。
この不安定な状態が、受け入れられない。
「…………」
己を嫌悪する。
ラトルカは、迷ってなどいないように見せかけて、迷い続ける自分が嫌いだ。
考えるまでもなく、自然とそうなってしまった。
自分の浅ましさが露呈した証拠だ。
だから、何でもいいから、ナニカが欲しかった。
「…………」
骨に説教されて、打ちのめされて。
守りたかった矜持すら、己の手に余る。
こんな無様を晒して、何も言い返せない。
意味を知りたい。
行方を知りたい。
けれども、ある種それを拒否しているのは、ラトルカ自身である。
無為で、無意味で、無価値だ。
ラトルカの業は、彼女の胸を大きく抉る。
せめてあと少し、素直になれたなら。
もっと単純な人間になれたなら。
もう少しだけ、真っ当になれたかもしれない。
ウジウジと悩むだけで、自分では何一つとして生み出す事は出来ない。
己が無知で、無力で、愚かなただの子どもだと、何度胸に刻み付ければ良いのだろうか?
何度事実に傷付けば良いのだろうか?
何度、嘆けば赦されるのだろうか?
答えは出ない。
せめて夢なら、悪夢なら、いつかは覚めたのに。
「…………」
※※※※※※※※※※
そうして答えられずに数瞬。
ラトルカも、屍王も、リョウヘイも意識に隙を作ってしまった数瞬。
問答だけに意識を向け続けた数瞬。
仮に戦闘なのだとすれば、長すぎる時間が無為に流れた瞬間のことだ。
「…………?」
ある瞬間、ラトルカは初めて屍王から目を離し、テーブルでの話し合いを止めた。
横から、眩い光が見えたから。
あまりに眩しくて、ついそちらを向く。
すると、遅れて魔術の気配を感じ取った。
(あ、光の魔術……)
第四階梯魔術『光線』
光は凄まじい熱を帯びる。
魔術としては中位だが、込められた魔力、魔術としての攻撃性を考えれば決して侮れるものではない。
人体を溶かすに余りある光源は、高速で無防備なラトルカへと真っ直ぐに伸びた。
※※※※※※※※※
『なんの、つもりか?』
屍王の不愉快な声が辺りに響く。
あいも変わらず、無数の羽虫の羽音を耳元で聞くかのような嫌悪感が湧いて出る酷い音だ。
屍王の声以外には、こんな気持ち悪さは感じさせる事が出来ない。唯一無二の不吉さ、無比のおぞましさというものを感じさせる魔音である。
だが、いつもの不愉快さとは違うのが分かる。
明らかな怒気を含めた声音。
それに伴って、自然にこもってしまう呪い。
一音で万の生命を死に至らしめ、川も湖も山も谷も、全てをまとめて崩す破滅の音色だ。
無造作に仕掛けられた攻撃だったが、これに命を保てる者など、本当に限られている。人間に限定するなら、世界でも二十足らず、といったところか。ほとんどが、はじめの一音で、安らかな死へと誘われる。
コレに耐えられる人間が居るとすれば、呪いに対する強い耐性を備えていなければならない。
腕力や技術だけでは、決して止められないのだ。
必要なのはとある素質だけ。
とても限られた、ある種の才能。
例えば、神の力を色濃く受けている勇者一行や異端審問官がそうである。
「な、なにを……」
「…………」
味方であるラトルカが、リョウヘイが反応出来ない中で、動けたのは、皮肉な事に敵である屍王だけであった。
話し合い、という形をブチ壊したのだ。
真っ直ぐに伸びた光の束は、ラトルカと屍王のテーブルを木っ端微塵に粉砕する。残ったのは、残されて呆然とした少女と、怒気と呪いを顕にする骸骨だけだ。
骸骨は、その虚ろな眼窩でアレンを睨む。
瞼も眼球もないが、確かに睨んでいる。
睨まれているアレンの方だが、こちらもこちらで、既に臨戦態勢だ。
これまで静かに待っていたのが嘘のように、鋭い殺気を屍王へ向けていた。
屍王に敵意をもって意識を向けられるという事は、そこに自然に生まれる夥しい、凶悪な呪いを一身に受けるという事だ。直接悪意を向けられてはいないリョウヘイでも、周囲が極寒の地に変わったのではないかと思うほどの寒気を感じる。人間程度、数十万人は呪い殺せる。
だが、当のアレンは本当に涼しい顔で屍王と向き合っている。
数十万を殺す呪いを、たった一に向けられて。
けれども、それは効果を発揮するに至らない。
涼しい顔は歪まない。
悪い事を、悪いと認識しない。
『汝、今、小娘ごと吾を狙ったな? 気の抜けた小娘に防げるはずもなし、そうなれば、確実に死んでいたぞ?』
「…………」
アレンは、ラトルカごと屍王を攻撃した。
範囲、殺傷性から考えても、言い訳は出来ない。
仲間であるリョウヘイも、その殺意の高さは感じ取れていた。
確実に殺す気だったと、彼がこれまで積み上げてきた経験が告げていた。屍王の言葉には何一つ間違いはなく、アレンはその事を誤魔化そうともしていない。
『答えよ。汝は、何を……』
「お前こそ、何のつもりか?」
アレンにあるのは、義だ。
仲間を攻撃して殺しかけた事など、彼にとってはどうでもいいこと。罪悪感など、端から微塵もあるはずもなし。
義を前にして、そんな些事は放置だ。
アレンには、アレンに託された使命と、アレン自身の使命がある。
成し遂げなければならない仕事と願い。
そうする道を選んだ事を後悔しない覚悟と、道を突き進んできたという自負が、アレンに馴れ合いをさせない。
彼は、茶番に付き合うほど暇ではない。
「人を脅かし、人を壊し、人を殺すのが魔物だ。それが性なんだよ。それを、お前はいったい何なんだ? 理性を示し、話し合いをし、まるで人であるかのように振舞って」
『…………』
「理知があるかのようにするんじゃない。仲間であるかのようにするんじゃない。違和感だらけで、気持ち悪くてしょうがねー」
あまりに厳しい非難、いや、それは最早難癖のようにも見えてしまった。
屍王が被害者で、アレンが加害者であるかのような。
それに仲間殺し未遂も加わって、信用は落ちる。
そうなる空気になってしまっていた。
「アレン……」
「リョウヘイ、お前は、理解出来ないだろうな」
アレンは、聖剣をこちらに向けるリョウヘイを見た。
さも『ああ、やっぱり』とでも言いたげな。
理解と憐れみが混同した、敵に向けるものではない目で。
リョウヘイはそんな視線に気づきながらも、己が取るべきだと考えた行動は変わらない。
その背と剣は屍王とラトルカを守るように。
友だと思った男に向き合い、これまでで培ってきた本気を出そうとしている。
これまでのように、ただの手合わせでない。
事と次第、場合によっては本気で殺し合いをする事も、密かに覚悟を決めていた。
アレンにとって、失笑ものの覚悟である。
「理解って、分かる訳ないだろ……お前は、今ラトルカごと攻撃したんだ」
「ああ、そうだな」
「仲間だぞ……付き合いはそんなに長くなかったけど、俺たちは、お前はそんな簡単に……」
「はあ、だから、お前らは認識が甘いんだ」
その時、その場の全員がアレンを見た。
リョウヘイやラトルカだけでなく、屍王すらもアレンの不気味さに呑まれていた。
アレンは、これまで底を見せた事がないのだ。
誤魔化して、はぐらかして、適当に全力を見せないようにしているのだと思っていた。手の届く範囲の中にしか、彼は居ないと思い込んでいた。
けれども、それは違った。
今はただただ、深いのだと分かる。
底を見通せないほど深く、深く。落ちればどこまでも沈んでいくような、真っ暗な深淵を見た。ゾッとするほど恐ろしい、ナニカを見ていた。
「ソイツは、魔物だ。理性があって、話し合いの余地があるように見えても、まったく信用に値しない」
「なんで、そこまで……」
「お前らの認識が甘いからだって、何回言わせれば気が済むんだ?」
というのも、アレンは誰かに理解されない事が一番の強みだからだ。
アレンはあらゆる者から、かけ離れている。
ただ生きているだけの存在からは、決して辿り着けない領域に居るのだ。
アレンは誰かに理解ようとも思わない彼だから、彼の世界を誰かと共有出来ない。彼が見えているものは、誰にも分からないまま終わってしまう。
「魔物っていうのは、人を苦しめるためだけに存在するんだ。そんな相手に、人間の俺たちが通じ合えるはずがないだろ?」
「いや、そんな事……」
「あるのさ。それが摂理なんだ」
分からないものを、人は不気味と表現する。
気持ち悪い、気味が悪い。
アレンが理解出来ないから、遠ざけたい。
感じてしまうのが、そんな想いだ。
根源的に、自分とは似ているが別物であると感じた生物を向こう側に置いておきたい。
恐ろしい化け物はそこに居る。
しかし、同じ化け物である屍王にも、その全容を窺う事は叶わない。
『矛盾、だ……』
「ん?」
だから、アレンにとっては全て素っ頓狂なものに映っている。
彼は人の心が分からない訳ではないが、ちゃんと想像を働かせてからでないといけない。
屍王の言葉の意図を察するのに数秒、そして『こうするべき』と思い付いて親切に言葉にしてあげる事にする。全ては、アレンの想像の通りに動いていく。
『汝は、吾を魔と断じた……なら、ひとでなしの吾が、何故小娘を庇うと……? 確証など、ないではないか……』
「かもな」
『人ではないと、吾を信じぬのは分かる。だが、そのお前が何故、吾の「人」を確信する? いったい、どういうつもりなのだ、汝は……?』
破綻でしかなかっただろう。
散々屍王を貶めて、人ではなく魔物であると訴えたというのに、だ。
自分ではなく、他の誰かを庇うなど、おおよそ人間にしか見られない行動である。他の動物にも見られるだろうが、一般的にあるのは人間だ。人間は頭が発展している分、生き抜くのに不必要に思える『優しさ』というものがある。
そして、『優しさ』というものは魔物には決して存在しない感情だ。
「魔物は本質的に自分勝手だ。仲間を庇うなんてあるもんか。むしろ、仲間の死体を食い荒らして糧にする。それが魔物の本能ってやつさ。俺は、他の奴らよりも魔物に詳しい」
『ならば、そこまで信じていないのなら、』
「でもまあ、だからなんだって話さ」
何よりも正しき知識だった。
これまでの歴史が何よりの証拠であるし、それを教えてくれた相手から考えても、間違いはなく正しいはずだ。
理論的に考えて、そんな事はあり得ない。
だから、生物の本性が垣間見える『咄嗟』を作り上げた瞬間、アレンが信じるべきはなのは、屍王の『理性』ではなく、魔物としての『本能』だ。
その瞬間を作り出せば、屍王はラトルカを庇う事なく、己の身を守り切り、ラトルカは死んでいた。
やるべき賭けではなかった。
まず間違いはなく負ける賭けだった。
しかし、
「お前は守ると思ってた」
『…………?』
きっとこうなる、と思えばそれだけだ。
それはほぼ間違いはなく現実になる。
アレンの視点からはただ当然の摂理なのだろうが、他人から見れば支離滅裂な行動だ。
彼は、そういう天才であった。
何もかもをこなす事が出来るのは、全てを見通し、望む方向へと事態を転がす事が出来る。
誰に習うでもなく、彼は気が付けばそれが出来た。
「俺はお前の事なんてこれっぽっちも信じてないが、この瞬間の行動だけは信じてた。理性ってのは、強く保てば一瞬はちゃんと働くから。それに、お前は、光の属性に弱いよな? 別に神聖術でも良かったが、あれは速度が足りない。ラトルカを庇って魔術で防ぎきるだろう。だが、光の魔術なら、完璧な防御の術式を展開するのは間に合わない。俺の読み通り、お前は攻撃を避けることも、防ぐことも出来ずに大ダメージを負った訳だ。あの時俺が思いついたのは、たぶんこんな所さ」
『…………』
自分の中で理屈を立てるのは、感じた直感を後でまとめて考察するためのものだ。
とても他人事のようにも思えるが、彼のそれは自分事で他人事なのである。
そして、それはきっと殆どが正しい。
「で、ここから先が重要なんだ」
『…………』
「アレン、お前は……!」
憤慨、ではない。
話合えたかもしれないのにテーブルを叩き割った事への驚異も既にない。
手に負えないのは分かっていた。
味方だというのに、恐ろしくて仕方ない。
けれども、アレンの最善手も驚くほど理解する事が出来るから質が悪い。
裏切られたようでそうではない。殺そうとしたようで、実はその気は全くなかった。ただ敵を攻撃しただけの事で、それ以外の意図は誓って無かっただろう。
正しいのがアレンで、間違っているのがラトルカとリョウヘイなのだ。だから、ここで文句を言う資格なんて、どこにもあるはずもない。
「お前は今、ダメージを負った。それも、お前が生まれて初めてと言える規模だ。これは辛いよな? お前に痛覚があるかは知らないが」
『…………』
「これだけ広い迷宮の維持。眷属、特に死霊の創造。その大怪我も治さなきゃあな。これは大変だ。エネルギーの減りは凄まじい」
アレンは淡々と事実を語る。
彼が言いたい事はもう分かる。
どうなるか、この先の展開はリョウヘイも理解出来た。アレンの意図は明らかである。
リョウヘイたちに魔物の本質を見せつつ、相手に手傷を負わせる方法。
「別にお前のエネルギーを枯らそうなんて思わない。というか、その程度じゃ無理なのは分かってるし。重要なのは、お前がかつてない危機に陥ったってことさ」
『…………』
「さあ、マズイな屍王。お前が理性で押さえ付けてる魔物の本能は、どうしろって訴えかけてる?」
受けたダメージは甚大。
エネルギーはマックスから大幅に消耗中。
目の前には侮れない強敵。
理性どうこうの話ではない。
もう既に、そんな状況ではない。
生命を維持するために、屍王の本能は最大限、もう抑制出来ないほど警鐘を鳴らす。
『aaaa、OAaaaa……!』
「さて、いい兆候だ」
明らかに様子が違う様を間近で見る。
ビリビリとした威圧感が広がって、ドクドクと湧き上がる気持ち悪さが高まっていく。
こんな状態で、ただ突っ立ってはいられない。
屍王と同じくして、生命を維持させるために本能が警鐘を鳴らす。
「……あ……」
「ラトルカ!」
リョウヘイはラトルカを抱えて走り出す。
屍王から一刻も早く離れるために、既に術を用意しているアレンへ向けて。
はじめに説明は受けていた。
屍王の迷宮は、いわば屍王の体の中だ。
そこには屍王の凄まじい魔力が、独特のルートを巡っている。全容など全く分からない。どこに何があるかなど、絶対に分からない。そこは、まるで覆いをかけられたような異世界になっているのだ。
だから、屍王の迷宮で転移は使えない。
魔力感知、または五感による感覚で空間を認識する事ではじめて使えるようになる。だが、屍王の迷宮では、中を認知する事がとても難しい。
しかも、気まぐれに中の構造が変化するために、認知抜きのなんとなくで行く事も出来ない。
外からショートカットして、直接下の階層へ飛んでいく事が出来ないのだ。
外から中へは行けない。
だが、既に知っている、魔力の乱れもない、外へは簡単に行く事が出来る。
「ほーら、逃げるぞ」
「…………!」
「あ、」
魔術は発動する。
空間はねじ曲がり、人間たちは消える。
残るのは、一体の魔物だけ。
理性を失った、化け物だけ。
『aaa aaaaaa aaaaaa!!!』
そして、数百年沈黙を続けた南の戦線は、突如として終わりを告げる。
☆とブクマをください。




