018 夢で逢えるように
魔術書の調査を終え、エフリールたちは書庫の入り口近くへ集まる。
残念ながら全ての書物を読み解いたわけではない。
カイルにも判読できないものや、あるいは触れること自体が危険な魔術書もあった。
だがここで時間を浪費しすぎるわけにもいかない。
ひとまず判明した情報だけを突き合わせる。
説明役として、一番魔術に造詣の深いカイルが口火を切る。
「まずここが悪夢、文字通り夢の領域だってのは、なんとなくでも分かってるな?」
エフリールは頷く。同時に、今まで聞かなかった疑問が湧いて出る。
「でも何で寝てないのに夢を見てるの? それにみんな同じ夢を見てるの?」
「お手本のような出来の悪い回答だな。まあ言ってることは分からんでもない。正確にはここは、無意識領域を利用して存在を確立している街だ。人々の潜在意識に刻み込んで街のことを共有させることで、現存する物として認識させようとしている」
知らない単語やいまいちつかみどころのない説明をされて、エフリールは首を傾げる。
「理解出来ないんなら気にするな。とりあえずこの街は夢で、外に出て現実になりたがってるって話だ。世界を同じものに染め上げるためにな」
「それなら分かる。前にグレースにも言われたから」
エフリールの言葉を受けて、グレースが隣で頷く。
カイルは話を続ける。
「さて悪夢の何が厄介かっていうと、時間や空間の概念が全く違うってのがひとつ。もうひとつは、性質が夢である以上、変質をしないって点だ。夢っていうと案外思い通りになりそうなもんだが、見ただけで現実に影響を及ぼすわけじゃないのと同じで、基本的にこちらから変化を与えづらい。具体的に言えば、いくらこの街にいる異形を倒したところで、奴らは根本的には数を減らさない」
「死なないってこと? それ、大変じゃない?」
「そうだな。だがしょうがない。この街の根幹部分はそもそも奴らが握ってるんだ。向こうに都合がいいのは当たり前だ。その上で、悪夢の中には現実の存在も取り込まれている。一番代表的なのが俺たちだな。まあ俺は自分から入ったんだが」
「自ら悪夢へ入った? 初耳ですが?」
「そりゃそうだろ。今初めて言ったんだからな。……悪夢が作られたとき、外に全く影響がなかったと思うか?」
カイルの問いかけに、グレースが息を呑む。
「それは……ではどこかで異形の被害が?」
「そうさ。わずかに現実へはみ出てきた連中は、俺のような狩人が向かうまで好き放題しやがった。おかげで……いや、何でもない」
カイルは一瞬苦々しい表情を浮かべたが、すぐにそれを引っ込めた。
「しかし、貴方はよく入り込めましたね。ここは檻のような場所だというのに」
「そう難しいことでもない。この手の閉じ込める性質の領域は、入る分には意外とあっさり行くもんだ。魔術協会の手引きもあったしな。まあそもそも、誰がここを檻のように閉じたのかは」
カイルがグレースの顔をうかがう。
「……分からんがな」
「……………」
カイルの視線の意味に気付かなかったエフリールは、何度か話に出ている魔術協会について、疑問を口にする。
「魔術協会って人たちは、味方なの?」
「いや。むしろ連中はこの件の共犯者側だろうさ」
確信を持って告げるカイルに、グレースは目を瞠り、エフリールは首を傾げる。
「ここまで大規模な魔術を構築するのには恐ろしく時間が必要だ。その間、協会にバレずにうまくいくはずがない。つまり狩人は、魔術協会が自分たちで手に負えなくなった分の始末と、中の確認を任されているわけだ」
エフリールは分かったようなふりをして、ふんふんと頷く。
グレースが、やや顔をしかめながら、カイルへ尋ねる。
「そこまで分かっていて、よく中へ入り込もうと思いましたね」
「単なる利害の一致さ。……何が何でもこの悪夢をぶちのめさなきゃ、気が済まないんでな」
忌々しさと、どこか哀愁の漂う口調だった。
沈黙が下りる中、エフリールは茫洋と書庫を見渡す。
「でも、じゃあ魔術協会とかは、何のためにこんなことをしているの?」
「さあな。世界の破滅を望んでいるか、でなけりゃ支配しようとして失敗したか。どちらにしろロクでもないことだけは確かだ」
カイルは帽子を目深にかぶり直し、鷹のような目つきで説明を続ける。
「話を元に戻すぞ。俺たちは現実である以上、奴らと違って死ねばお終いだ。しかしどうにかしてこの悪夢を終わらせなけりゃならん。で、核となっているのが、この街の中心だ。そこに辿り着けなきゃ、まずどうしようもない」
「やることは変わんないんだ。じゃあ、これ聞いておきたいんだけど、終焉を喰らう御子って?」
「あん? 何だ、そいつは。初耳だぞ」
カイルへ事情を打ち明けた時には話していなかった。
エフリールは、グレースから聞かされたことを改めて伝える。
「……つまり、異形共の親玉、か」
どこか含みのある言い方でカイルは呟く。
エフリールは気に留めず、もうひとつ抱えたままの疑問をぶつける。
「あと、鍵って何?」
「鍵は鍵だろうよ。……まあ平たく言えば、お前はこの悪夢に普通より影響を与えられるって話だ」
「そっか。それもグレースに教えてもらった。カイルと僕とで、怪物を倒した時の様子が違ったし」
カイルが倒した場合、異形は黒い染みとなって地面に溶けた。
しかしエフリールの時は、白い灰となって果てていた。
この差異によって何が生じているのかは不明だが、鍵とそうでない者の違いであることは確かだ。
「だとすると、よっぽどお前は重要なんだろうさ。せいぜい気を付けろ」
「うん。頑張るよ」
「気の抜ける返事だな……本当に大丈夫か? まあいい。そろそろ出発しよう。いい加減、黴臭くて死にそうだ」
◆◆◆◆◆◆◆◆
教会の外には、枯れた木々と濃霧の立ち込める墓所が広がっていた。
揺らぐ霧が、幽魂のようにそよいで見える。
「エフリール様」
声をかけられ、エフリールは振り向く。
グレースの不調は既に分かっている。ここが限界であることも。
「どうかこれを」
儚げな笑みと共に、彼女はごく小さな白い袋を渡してきた。
袋の口には長い紐が通っており、ちょうどペンダントのように、首にかける形状になっている。
「お守りです。何の役にも立たないかもしれませんが、どうかお持ちください」
袋は固く閉じている。
微かに、花のような匂いがする。
最初にグレースと出会った時と同じ、懐かしさを想起させる香りだ。
「私はいつでも貴方の無事を祈っています。どうかお気を付けて」
「ありがとう、グレース」
エフリールはお守りを首にかけ、肌に触れるように服の内側へ入れた。
カイルが気を利かすように先へ歩く。
どちらともなく、抱擁を交わす。
「また会おうね」
「……はい。必ず」
二人は互いの手を握り、そして離れる。
エフリールはカイルの背に追いつくように小走りで向かう。
遠くなっていく主人の姿を、グレースは万感の思いを込めて見送った。
2020/08/29 カイルの口調を若干修正