深夜にそれは目を覚ます 12
「いそげ!」
大江たちは懸命にテーブルや椅子をどかし続ける。ようやくバリケードがなくなった時、女客が悲鳴を上げた。振り向くとシンクから触手があふれでるきているのが見えた。それは巨大なミミズかムカデのようにも見えた。
「う、うわぁ」
男のスタッフが床を這ってきた触手に足元をすくわれ転倒した。そのままずるずると引きずられていく。
「ちょ、ちょっと、助けて! うあ、い、いあぁ、もごごごおわぁ」
男の全身はあっという間に触手に包まれ見えなくなった。
大江は一瞬助けようと手を伸ばしかけたが、諦める。手のほどこしようがない。首を力なく横に振ると外に大江は飛び出した。
裏口は両脇を雑居ビルに囲まれた裏道になっていた。細く汚い小道がまっすぐ伸びている。
道の先は大通りに繋がっているようだ。
一足先に逃げ出した男客と女客はちょうど、そこまで達していて小道を曲がって見えなくなった。
大江も後を追うように小道を走った。
行き止まりにつくと、小道から慎重に首を出して周囲を確認してみた。予測通り小道は表通りに繋がっていた。歩道と二車線の道路に歩いている人の姿は見えなかった。何台もの車が車道に乗り捨てられていた。みんなガラスが割れ、いたるところが黒ずんでいた。
恐らくは血痕なのだろう。大江は込み上げてくるのもの我慢して飲みくだした。
道に面した周囲の建物も電灯とかはついていたが人がいる気配がなかった。さっきのキッチンでの出来事を考えると建物に逃げ込むのは危ない。水回りのあるところはとにかく危険なのだ。
「森菜東通り、か……」
頭の中の地図と照らし合わして現在位置を特定する。ついでに周囲にマンホールなどがないことも確認した。
「おおーい、助けてくれぇ」
少し先で声がした。男客が車道に出て手を振って叫んでいる。手を振る先を見ると大型車両が走ってくるのが見えた。どうやら、その車に助けを求めているようだった。
確かに車に乗せてもらえれば危険地帯から逃げることも可能だろう。大江もそっちに向かって走り出した。
「おおーい、おお……」
自分の方にも気づいてもらおうと声を上げようとした大江だが、すぐにその手を下ろす。近づいてくる車がゴミ収集車であることに気がついたからだ。
嫌な予感がした。
「こっちだ、こっち! 助けてくれ~、俺たちを乗せてってくれ~!!」
男は車道の真ん中に立ちはだかり両手を振り回す。
「……ダメだ」
声が掠れて、言葉が出てこない。
あれは、きっと……
そこまで思って大江はブルブルと首を横にふった。自分は気が狂っている、いや狂い始めているのではないかと思えたのだ。
「こっち、こっち、早く! 二人いるんだ! 乗せてくれ!!」
「こっちよ~! 乗せてちょうだい!!」
いつの間に女も男の隣に来て同じように叫んでいた。
ゴォーーー
エンジン音を轟かせながらゴミ収集車は爆走してくる。その圧迫感が大江の本能に天啓を与えた。理性をかなぐり捨てて大江は大声で叫んだ。
「ダメだ、逃げろ!
そいつは人喰いゴミ収集車だぁー!!」
グシャリ
ゴミ収集車がカップルを踏み潰した。その後、収集車は急停止する。後部からゆっくりと触手が現れ、まだひくついている男女に絡みつき取り込もうとする。その光景は都市伝説サイトにあった人喰いゴミ収集車そのものだった。
大江はその凄惨な光景を前に息も忘れて立ち尽くしていた。
「うっ?!」
鋭い光が大江の両目を刺した。その痛みが悪夢の連続で思考停止に陥りかけていた大江を現実に引き上げる。
ヘッドライトの光だった。
ゴミ収集車の背後から現れたパトカーのヘッドライトだ。瞬間、「希望」の二文字が頭に浮かんだ。が、すぐにパトカーの異変に気づいた。パトカーのフロントガラスは真っ赤に染まっていた。あれでは運転手は前を見ることができない。それなのにパトカーは物凄いスピードで大江に向けて突進してくるのだ。
ゴミ収集車が人喰いになるなら、どうしてパトカーが人喰いにならないなんて言える?
あれは人喰いの仲間だ
大江の本能がそう告げていた。
くるりと後ろを向くと大江は全力で走り出した。とは言え人の走力が車に勝てるわけもなく大江とパトカーの距離はぐんぐんと縮まっていった。
前に見えるマンホールの蓋が弾け飛び、触手が噴き上がった。
前方の触手。
後方から迫るパトカー。
大江は呆然と立ち尽くす。進退窮まるとはまさにこの事だ。その時だった。
「こっちだ! こっちに来い!!」
突然沸き上がった声の方を向くと、小道から誰かが手を振っていた。大江はその小道に向かって走った。背中にパトカーの圧力を感じながら小道に飛び込んだ。ズンと腹に響く低い衝撃に押され大江はバランスを崩して地面に倒れこんだ。
はあ、はあと息を切らせながら後ろを見る。狭い小道につっかえてパトカーは小道の中に入ってこれないようだった。
助かった
そう思った矢先、パトカーはぶるぶると身をよじらせながら無理やり入ってこようとし始めた。サイドミラーが外れ、ボディがひしゃげ、ガリガリと左右のビルの壁に削られながらもじりじりと小道の中へ入ってくる。
「うわっ?!」
大江は立ち上がろうとして足首に鋭い痛みを感じ、再び地面に倒れこんだ。どうやら、足を挫いてしまったようだ。大江は這いずって逃げようともがく。と、パトカーのボンネットが開き、中からうねうねと触手が現れた。
触手が大江を捕らえようと伸びる。
「うわぁ、うわぁ! 助けてくれ!」
叫びながら、足にまとわりつく触手を必死に蹴る。が、ついに足首に触手が巻きついた。
そのまま、ずずずと体が引きずられる。
もうダメだ、と思った瞬間、触手が斧で切断された。
「えっ?!」
呆然とする大江の腕を力強く掴む者がいた。見るとそれは林正吾だった。
「は、林さん?」
「さあ、奥へ行こう」
驚く大江に肩を貸しなが正吾は力強くそう言った。
「はぁ、はぁ、はぁ。 林さん、ありがとうございます。本当に助かりました」
小道の入り口から20メートルほどのところで大江はほっと息をつきながら林に礼をいった。パトカーはなおも道に侵入しようともがきながら触手を伸ばしていたが、この距離まで触手は届きそうになかった。
「『あれ』は一体なんなんでしょうか?」
パトカー? を見つめながら大江は言った。だが、林は首を横に振るばかりだった。
「ボクは最初、下水道に正体不明の生き物が大量発生したんじゃないのかと思っていました。
でも、あんなのを見るとなにがなんだかわからなくなってしまいます。
いや、確かに下水道や排水口から触手を伸ばして人を襲う生き物も大概ぶっ飛んでますけど……、それも目の前の『あれ』に比べればまだましです。
さっきはゴミ収集車が人を襲っていました。都市伝説サイトでは『人喰いゴミ収集車』って書かれていました。
付喪神とかの一種だとか。
そんな、もう生き物じゃないですよ。化け物……、いや、妖怪っていうのが正しいのかな?
なんにしても、そんなものを現実に見せられるなんて。
頭がくるってしまいそうです。いや、もうくるっちゃっているかもしれない」
大江はひたすらまくし立てる、それは無言になることが怖かったからだ。無言になって、冷静になったら本当に気がくるってしまうのではないかという恐怖に駆られていたのだ。そんな、大江の肩を正吾は無言でたたいた。それが合図のように大江は喋るのをやめた。
「とにかく、奥へ行こう。ここはまだ危ない」
一瞬の沈黙の後、正吾は静かに大江に言った。
小道を少し進むと何もない開けた場所に出た。むき出しの土と砂利の地面に背の低い草が点々と生えていた。
「なんですか、ここは?」
大江の問いに、正吾は少し口元を歪めた。
「私の置き土産だよ」
「置き土産?」
「私が市長だった時、工場誘致の候補になった区画だ」
「ああ、林さん退陣の致命傷になったやつですね」
もともとは市の所有であった土地を不当に安く某企業に払い下げようとしたのを糾弾され、最終的に林正吾は市長の座を降りることになった。その因縁の場所に今、2人は立っているということだった。
「たしか、その後、市民団体が購入した企業相手に返還要求をしたんですよね」
「ああ、そうだ。裁判ですったもんだして所有者はいまだに係争中た。
依頼、15年も塩漬けになっている。実にもったいないことだよ。
まあ、おかげで、上水も下水も整備されていないから、あの妙な触手が出入りする場所もないがね。
ここなら町中よりもずっと安心だろう」
「なるほど。それでこれからどうするんですか?」
大江は、ぐるりと周囲にマンホールとかがないことを確認すると言った。
「とにかく、町からできるだけ離れるしかないだろう。
この道は狭いがこれでも国道の支道なんだ。実は森菜市がもつ唯一の国道だったりする。
だから、このままこの道を歩いてい行けばやがて幹道にでられる。そこから6時間も歩けば隣の森岡市につくだろう」
正吾はそう言うと広場を突き抜ける小道をある生き始めた。大江はいったん、後方の森菜市へ目を向けた。市全体が黒々とした塊に見えた。あそこでどんな阿鼻叫喚なことが起きているか、と考え大江はぶるりと身を震わせた。頭にまとわりついてくる妄想を振り払うと、大江は先を行く正吾を追いかけた。
2022/04/10 初稿




