65.歓楽街ゼメル③
パシンと乾いた音が耳に届き、じわじわと頬が痛みはじめる。
ゆっくり目を開けると一人の女性が私を見下ろしていた。
ぼんやりする視界と脳みそはまだ働かず、呆然と眺めているともう一度、今度は反対側の頬を叩かれる。
「ようやく起きたわね」
「……う…」
「はぁ、たかが誘拐されたぐらいで気を失うなんて情けない。始祖がこんなに弱いなんて聞いて呆れるわ」
「………し、そ…?」
嫌悪を滲ませながら再度頬を叩かれ、突き飛ばす。
頬の痛みと腰の痛みにようやく私を叩いたのが温泉街で出会ったこの街の領主、オヴェールさんなことに気づいた。
さっきまでの気持ち悪さも疼きもなくなっていたが、気を抜けば流されそうになるのを食いしばって耐え、彼女の名前を呼ぶと扇子で顔を隠してギロリと睨みつける。
「なんで…あなたがこんなことを…」
「ルルヴァがあなたを探してるからよ」
「……な、んでその名が…」
遅くなったけど誘拐されたことは理解できた。犯人もこの人。
逃げるにしても三方は襖で仕切られ、一方は窓があるのみでここがどこだか解らない。
加護の扱いはうまくなったとは言え、もう少し状況を理解する必要がある…。
うん、大丈夫。頭もスッキリしてきた…。叩いてくれたおかげかな。痛いけど感謝だ。
怯えた姿をできるだけ見せないよう、冷静を装って質問すると彼女の口から久しぶりに聞いた名前にその冷静さが消えてしまった。
ルルヴァはトルティア王国の始祖返り…。
始祖である私に目をつけ、執着心を持っていたのをレグとセトさんが捕まえて阻止してくれたはず…。
なのに…何でこの人が…? それに今さっき私のことを「始祖」って…。
「ルルヴァに頼まれたのよ。あなたがここに来たら捕まえてくれって。自分の番だって」
「っちがう!」
「ええ、まぁそうでしょうね。いくら始祖返りが強いからってあんな醜くて年老いたオスなんていらないわ」
「だったらなんで…」
「どうでもよかったんだけど、あなたがレグルス様の番だからよ。私のものにするつもりだったのにっ…! 誰よりも強く、逞しく、孤高の存在である救世主レグルス様にあんたみたいな弱いメスが番だなんて許されない! 始祖だからって関係ないわ! いいえ、始祖ってのも気に入らない…ッ。始祖様はもっと崇高な存在なはずなのにこんな簡単に誘拐されるわけがないわ!」
喋るたびに興奮していくのがわかる。
彼女はレグのことを欲しがっていた。温泉街のときからその欲望を感じていたから苦手だった…。
でもそれ以上に私が始祖であることが気に入らない様子で殺意を飛ばす。
確かこの国は始祖教が深く根付いていて、熱心な信者もたくさんいるって言ってたっけ…。
始祖への妄信的な信仰。彼女の理想とは違う私(始祖)にひどく憤慨しており、私の存在を拒絶している。
だんだんとそれが暴言へと変わり、最後には持っていた扇子を投げつけられた。
「はぁはぁ…!」
「…」
「ルルヴァが寄越せと言っていたけど、あいつにくれてやるものか…。あなたはここで殺すッ…! こんなメスが始祖だって認識なんてされたら…。屈辱にもほどがあるわ…ッ!」
「わ…私…」
「うるさいッ!」
強烈な殺意の前に身体が震えて頭が真っ白になる。
でもいつも守ってくれる番がいない。抵抗しなくちゃ殺される…!
加護を使って逃げよう。たくさん練習したから大丈夫…!
そう言い聞かせるのに身体が動いてくれない。こんなときのために練習してきたのに何で…!
せめて時間を稼ごうと口を開くと強い力で首を絞められる。
殺される! 抵抗しなければ確実に殺されてしまう!
「はっ…なして…!」
「ギャ!」
目前に迫る死を前に、恐怖を振り解いて彼女の手首を掴みあげる。
ゴキン。と聞き慣れない鈍い音が響き、窓へと駆け寄って逃げる場所を確保する。
痛みで悲鳴をあげる彼女はまだ追ってこない。
窓を開けるとこの街を一望できる高い場所場所だと言うことがわかった。
「絶対に許さないわよっ…。この街から逃げれると思ってるの!?」
いつの間にか彼女の番らしきオスに複数囲まれ、私を捕まえようと迫っていた。
でも空を飛べばそんなの関係ない。逃げれる。
だが、彼女の言う通り、空にもさまざまな動物が私を…建物を囲っていた。
逃げれる…? ただの人間が加護だけでここから逃げることができる? 逃げたあとは? ここは治外法権だし、出入口も一つしかない要塞…。
きっと四人にも迷惑がかかる…。でも…でもここで死にたくない…! ただの逆恨みでみんなと別れたくないッ!
「何してるの! 早く捕まえなさいッ!」
彼女の言葉に部屋にいた男性たちが襲い掛かってきたので無我夢中で空へと逃げた。
だけどそれを待っていた鴉や鷹、鷲から梟までもが私を捕まえようと鋭い爪を向けて迫ってくる。
何人かの攻撃をかわせたけど四方八方から迫って来る魔の手に逃れることは不可能。
「(―――捕まる)」
そう思った瞬間、黒い影が下から飛び掛かり、彼らに噛みついた。
それと同時に低い獣声がビリビリと響き、彼らの動きを止める。
「ッレグ!」
屋敷の少し離れた先に見たことのある大きなライオンが咆哮していた。
助けに来てくれた。
ホッと安堵の息を漏らして油断した隙に一番大きな鳥、鷲に捕まる。
「止めて! 離して!」
叩いて抵抗するけど意味はなく、どんどん屋敷から…レグから離れて行く。
またレグの加護を使って…でもそしたら落ちて死んじゃう…? いや、そしたら今度はセトさんの加護で飛べばいい。
パニックにならないようできるだけ冷静に脱出方法を考え、手に力を込めると上から生暖かいものが滴り落ちてきた。
ふと鷲を見ると何かに攻撃されているようで、羽がむしり取られていた。
「シャルルさん!」
「―――トワコに触んじゃねぇよ!」
黒い豹が人型に変わり、小さなナイフで首を刺すとバランスを崩して急降下。
悲鳴をあげる私をシャルルさんが掴み、鷲を台座にして高く飛ぶとまた鳥が現れた。
「セト、とりあえず屋敷の上だ」
今度は敵の鷹じゃなく、セトさん。
優しく掴んだままさっきまでいた屋敷の屋上へと連れて戻り、シャルルさんは再び黒豹になって夜の闇に消える。
仲間が…番が助けに来てくれた。
彼らがいるといないとでは全然違う。
「トワコ嬢、遅くなってしまい申し訳ありません。お怪我は?」
「ないです。それよりみんなは?」
「三人ともおります」
「っセトさん後ろ!」
「―――問題ありません」
屋敷の屋上に降り立ち、人型に戻ったセトさんは私にケガがないか何度も確認して身体を触る。
もう触られても変な感じはしない。
ケガがないことがわかったセトさんはようやくホッとした表情を見せた。
気が緩んだその瞬間を待っていたかのようにセトさんの背後に鷲の爪が向かってくる。
悲鳴に近い声で名前を呼ぶとニコリと微笑んで片手で抱きしめる。
「……セトさん…?」
「不快になるので見ないほうが宜しいかと」
何か大きなものが落ちる音がした。
抱き締められたまま、視線だけど下に向けると何かの液体が流れていた。
駆けつけてくれた安心感でいっぱいだったけど、彼らは殺し合いをしてる。
誘拐されたから、殺されかけたから彼らが怒るのは当然の権利。それにこの世界は弱肉強食。
メスを争って殺し合いをするのも一般的だし、私もそれなりに慣れてきたはずだった…!
「…」
だけど屋敷から見下ろす光景は目を覆いたくなるほどひどかった。
レグはたくさんの獣人に囲まれているものの素手で叩き潰し、その残党を剣で処理しているのがアルファさん。
目立つ動きをしている二人を助けるようにシャルルさんが背後から攻撃し、群がるオヴェールさんの仲間を徐々に減らしていっている。
セトさんは私の傍でずっと守ってくれている。
相手が戦いの素人だからか、それともこちらが戦いのプロなのか解らないが、いくらたくさんの獣人が彼らに襲い掛かっても誰もケガすることなくゆっくりと確実に屋敷に近づく。
「ああ忌々しい…! ただ守られているだけの始祖なんて…メスなんて嫌いだわッ!」
この状況をどうしたらいいか考えていた。
ここまで大きな騒ぎになれば対立は避けられない。なら私が始祖だってことを知っているオヴェールさんを殺す?
ルルヴァとの繋がりもあるしそうしたほうがいいのは解ってるけど、その決断ができないまま番の到着を待つ。
そこに憎悪をむき出しに髪も服装も乱れたオヴェールさんが現れる。
彼女の隣には白い髪の毛の大柄な男性と黒髪の細身な男性。
「…な、んでそんなに嫌うんですか…」
会話なんてしても無駄なことは解っているけど、思わず聞いてしまった。
「あなたが弱いからよ! いくらメスとは言え、メスも強くなくちゃ生きていけないのに…! それなのにあなたはずっと守られてるだけ。まるでお人形のようにいるだけの存在してるだけ…ッ。それなのにレグルス様だけじゃなく、そこのタカ族もクロヒョウ族もオオカミ族も…! 全員有名な強いオスが番なのが気に入らないわ! 努力しても結局始祖ってだけで番になれるのなんて卑怯じゃない! ああそれとも始祖様と嘘ついて彼らを騙したの?」
「ち、違うッ!」
「始祖は…始祖様はその尊い血だけで許されるのかもしれない…。でも同じメスとして何も考えてない頭空っぽなメスは気に食わないわッ! あなたみたいなメスが始祖様を名乗るのも腹立たしいわ!」
明確な殺意と言葉を放つと、横にいた男性二人が襲い掛かってきた。
すぐにセトさんが間に入って剣で攻撃を受け止めるものの、二対一の不利的状況。
邪魔になるかもしれないけど、離れたら他の誰かに捕まるかもしれない。
自分はどうしたらいい? オヴェールさんを宥める? いいや、絶対に無理。話し合いなんてもうできそうにない。
逃げるのも無理。戦うのは……四人は強いけど多勢に無勢でそのうち捕まるかもしれない…!
考えろ。助けに来てくれた彼らを守るために自分にできることを考えるんだ!
「…止めてっ」
ふと、前に豹族の動きを止めたことを思い出した。あれが今できたら…?
何度か試してみたけどあの時のように動きを止めることはできなかった。
それでも今の私にできることはあの奇跡をもう一度起こすこと。
精一杯叫んでセトさんを攻撃する二人を止めようとするも、斬撃音が激しいせいか声が届かない。
いや、力を発揮できていないかもしれない。
それでも何回も何回も「止めて」と叫んで動きを止めようとするが、何も起こらない。
「お願いだから…!」
「ぐっ…!」
「セトさんッ!」
私を庇っているから守るばかりで攻撃できないセトさん。
反撃しようにも二人の攻撃に動きを制限され、とうとう腕に傷を負ってしまった。
このままじゃ殺される。
助けを呼ぼうにもレグとアルファさんはまだ屋敷の前で戦っているし、シャルルさんもこちらに来れる様子じゃない。
「リオル、さっさとそのタカ族を始末しなさい!」
オヴェールさんの言葉に細身の男性は狼の姿に変身してセトさんに飛び掛かる。
負傷した腕で庇うがそのせいで隙が生まれ、大柄の男性が剣を振りかざす。
「―――動くなァ!」
殺される。
あの時と同じ状況に身体中の血液が沸騰しそうなほど熱くなった。
本能のまま叫ぶと時が止まったかのように二人は動きを止め、困惑な表情を浮かべる。
チラリとレグたちを見下ろすと、彼らもまた止まっていた。
「セトさん!」
「……ト、ワコ嬢…」
「レグ、アルファさん、シャルルさん!」
身体が熱い。心臓がバクバクと音を立てて息が乱れる。
息苦しくなるのを深呼吸で整え、残り三人の名前を呼ぶとすぐに私の周りに集まってくれた。
血だらけになった三人に胸が苦しくなる。
返り血なのかもしれない。でももしかしたらケガを負ってるかもしれない。それでも無事でいてくれたことに嬉しさと申し訳なさで涙が溢れて止まらない。
「っ…!」
オヴェールさんが何かを言おうとするも声すら発することができず、止まったまま私を見つめている。
「トワコ、今のって…」
「よかった…無事で本当によかった…!」
息が荒いシャルルさんの言葉を無視して抱きしめると、生臭い匂いがまとわりつく。
どこかケガしてないか。これからどうしたらいいか。どう逃げようか。
そんなことを考えていると突然、喉の奥がチリッと痛み、喉を抑え咳き込むと次は頭に激痛が走った。
シャルルさんの胸の中で痛みに悶えていると全員が私の名前を呼ぶ。
「トワコ、大丈夫!?」
「いっ…! っはぁ…ううっ…。痛い…!」
頭の中が痛い…。痛みでこのまま気絶しそうだ…。
強い血の臭いと真っ赤に染まっていく視界にそろそろ意識を保つのは無理そうだ。
「レグ、あとまかせていいですか…」
「ああ、安心しろ」
激痛から逃げるように強烈な睡魔に襲われる。
崩れ落ちる私の視線に合わせ屈んでくれたレグにお願いをすると力強い返事で手の甲にキスをされる。
「すみません」
何に対しての謝罪か解らなかったけど、その言葉を最後に再び意識を失った。




