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3 アルバインへ到着

 ひとつ目の城門を潜った後、ふたつ目の大きな城門の前で馬車が停まる。


 重苦しい黒の鎖帷子と鎧を着込んだ衛兵が、馬の前に立ちはだかった。窓から顔を覗かせていたシエルは、慌てて首を引っ込める。


 御者の老爺が大きな声で「ブランデンブルグ様のー!」と説明してくれたので、何とかなりそうだ。ここで降りろと言われないかとドキドキしていたシエルは、ホッとした。


 自分の鞄程度なら持てるが、叔母が別途用意したという荷物はそこそこ大きな衣装箱で、ひとりで持ち運べる気がしなかったからだ。


 馬車へ積み込む場面は見ていない。でも、箱の大きさからして重そうだ。ブランデンブルグの使用人の手を煩わせたのかと思うと、申し訳なさに胸が苦しくなった。


 最後の最後まで迷惑な存在でしかなかったシエルの身の回りの面倒を見てくれた彼らには、感謝しかない。不気味で不快だっただろうに。


 衣装箱は一度、何をいただけたのだろうと開けてみた。中には見覚えのあるアリエスが着なくなった服や靴が入っており、見苦しくないようにと用意してくれた叔母の厚意に感謝する。


 ただ残念なことに、シエルにはアリエスの服も靴も大き過ぎた。以前はそこまで変わらなかったが、成人に近付くにつれ、アリエスはどんどん女性らしい身体へと変化していったのだ。


 シエルに裁縫の腕があれば仕立て直すことも可能だったのだろうが、以前使用人に教えてほしいと尋ねたところ、業務外だと断られてしまっていた。


 叔母にも尋ねようとしたが、近寄ろうとすると顔を顰められるので叶わない。


 ならばひとりで頑張ってみようと針と糸だけ借りて挑戦してみたが、如何せん仕立て方の知識が皆無なのでうまく縫えない。だが胸元がだらしなく開くのは問題だから、胸元だけは縫い方がガタガタでも詰めた。


 大きな胸飾りがひとつでもあれば隠せたのだろうが、それもない。ほしいとねだれば、居候が何を高望みしていると思われる。


 どうしようもなくなったシエルは、ならばと唯一の趣味で道楽である読書から裁縫を一から学ぶことにした。もう着られない小さな服を使って練習を始めて、ここ最近はようやくある程度真っ直ぐに縫えるようになってきたところだった。


(アルバインでも針と糸を貸してもらえるかしら)


 そうでなければ、衣装箱に詰められた服は着られない。やってきていきなり要求されたら先方も不快に感じるだろうが、ここは勇気を出して聞いてみようと心に決めた。


 しばらくして、馬車が再び動き出す。そっと窓から覗くと、暗い城門の下を抜け、広い中庭に出たところだった。


 後ろを振り返ると、城壁の周りを堀が囲んでいるのが分かる。跳ね橋になっているのだろう、馬車が渡ってきた橋と城門を太い鎖が繋いでいるのが見えた。


 本でしか知らなかった知識は、実際にこの目で見ることで現実のものなのだと実感できて、シエルは感動した。


(わあ……!)


 興奮を抑えきれないまま、今度は横を向く。深い緑色の中庭をぐるりと囲んでいるのは、灰色の城壁だ。中庭から上がれる階段があり、城壁の上には巡回中の衛兵たちの姿も見えた。


 物々しい雰囲気に、ここは国境に位置しており、いつ敵襲があっても対応できるよう備えているのだと知る。


(ああ、あれは!)


 城壁に所々ある窓は、狭間窓と呼ばれるものだろう。外側から見ると壁に空いた模様にも見えるが、内側から見ると穴の周りを石壁が囲っている様子がよく分かる。あそこから石弓などで敵を狙うのだ。


 城からは出してもらえなくても、せめて城内を見学させてはもらえないかとシエルは願った。


 見たところで、シエルはここに住まう人たちの役には何ひとつ立たない。だが、これまで言葉としてしか知らなかった事柄に色が付けられる経験は、シエルにとっては何よりの楽しみだ。


 人に忌み嫌われてもこれまで気鬱になることなく過ごせてこれたのは、この知識欲のお陰だった。人には感情があるが、知識に感情はない。物にも感情はないが、感情は込められる。だが両親の形見は何も残されず、両親が大切にしていた物はどこへ行ったのかと聞いて叔父に頬を叩かれてから、物に込められる感情も求めてはならないと知った。


 でも、知識だけは色褪せない。一度得たものは、シエルの前から消えてなくなりはしない。手の中には何も残らないが、シエルの頭の中ではいつも光り輝いているものだった。



 馬車が中庭の奥にある噴水の横を通り過ぎる。ずんぐりとした堅牢な造りに見える主塔と、居館らしき建物が見えた。


 居館も城壁と同様に灰色の石壁で作られていて、華やかな印象には欠ける。ブランデンブルグの屋敷は外観も中も絢爛だったので、シエルはいつも「何か汚したり壊したらどうしよう」と思っていた。


 外観だけしか分からないが、壁に手を付いたら「汚れる!」と怒鳴られることはないかも、とシエルは少しだけ安心する。いずれにしても、なるべく汚さないようできるだけ小範囲で過ごすべきだが。


 居館の前で、馬車がとうとう停まった。


「お嬢様、到着しましたですよ!」


 老爺の嗄れた大きな声が、シエルを呼ぶ。シエルは大慌てで立ち上がると、老爺が扉を開けて踏み台を置くのを待った。


 最初、踏み台を用意してくれるとは思ってもいなくて、飛び降りようとしたら老爺を慌てさせてしまった。このことから、シエルは「待つ」ことを学んだ。


 ひと通りのマナーは文字としては認識しているし叔母やアリエスの仕草からも大体は理解しているが、見たことがなかったり本に書いてなかったりすることまでは、さすがに分からなかった。


「お嬢様、お手をどうぞ!」


 相変わらず大きな声で、老爺がシワシワの手を差し出す。最初は、これもどうしたらいいか分からなかった。恐る恐るシエルが老爺の手に手を重ねると、老爺がにっこりと笑ってくれたことを思い出す。


「あ、ありがとう、お爺さん」


 老爺の手は固くて皺だらけだったが、暖かかった。人肌に触れたのなんて、何年ぶりだっただろうか。こんなに暖かいものだったのかと思い出すことができて、老爺には心から感謝している。


 と、老爺が目を見開く。


「おお、お嬢様! お顔をお出ししているんですね!」

「あ……っ」


 そういえば、髪の毛を結んだままだった。醜い顔を見せてしまった。優しい老爺を不快にしてしまうのではと目線を彷徨わせていると、老爺が笑顔のまま言う。


「お顔が見えている方が愛らしくてよろしいですよ!」

「え……?」


 この老爺は何を言っているんだろう。色弱だけでなく、視力も相当悪くなっているのかもしれない。


 それでも、これまで温かい言葉を掛けてこられなかったシエルにとっては、お世辞でも老爺の言葉が嬉しかった。


 短い草が生える地面の上に降り立つ。嫌がられるかもしれないとは思いつつも、老爺に向き直り皺くちゃの手を両手で挟み込んだ。


「お爺さん、ここまで本当にありがとうございました……!」


 目頭が熱くなり、老爺の顔がぼやける。老爺はぽかんとしてシエルを見ていたが、再び笑顔になると、そろりと遠慮がちにだがシエルの頭にもう片方の手を乗せる。


 シエルは一瞬、何が起きているのか分からなかった。


「お嬢様は悪路にも文句ひとつ言わず、とても忍耐強かったですよ! こちらこそ感謝しております!」

「お爺さん……!」


 シエルの頭を撫でる老爺の眼差しは、遠い記憶の中にある両親のものに似ていた。


「ああ、お嬢様の頭を撫でるなんて失礼しました」


 優しい笑顔で手を下ろした老爺に、シエルは自然と笑みを浮かべる。


「いえ……。帰りもお気をつけ下さいね」


 できるだけ声を張り上げたお陰で、老爺にちゃんと聞こえたらしい。老爺は頷くと、「さ、荷物を下ろしますからね!」と馬車の後ろへと歩いていく。


 シエルも慌てて一緒についていき、自分の鞄をまずは下ろそうとしたところ。


「――シエル・ユースタイン様でいらっしゃいますか?」


 若々しい男性の声が、背後から降ってきた。

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