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虹彩異色の夢見の巫女は隻眼の辺境伯の幸福を夢見る  作者: ミドリ


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21 魔物出現

 ハアハアと肩で息をし、一体どこにいるのかと落ち着きなく視線を彷徨わせる。


 真っ先に視界に飛び込んできたのは、見慣れた天蓋だ。自分は寝台に寝ているのだ。


(私の部屋……!? 何がどうなってるの!?)


 窓の方を振り向くと、穏やかな朝日が部屋に差し込んでいる。あれが夢ならばいい。だが、もし見えない魂のような存在になっていた自分が見たものが、現実だったとしたら。


(リュス様……!)


 今すぐ確認しなければならない。急いで身体を起こすと、靴を履き肩掛けを羽織る。部屋の外へと続く扉の取手に手を触れようとした、その時。


「シエル様!」


 扉が勢いよく外側へと開き、シエルはつんのめりそうになった。シエルの名を呼びながら部屋に飛び込んできたのは、焦り顔のエリザだ。


「シエル様! どうされまし――」

「エリザ! リュス様はご無事!?」


 エリザの言葉を遮り、エリザの腕を揺さぶる。シエルの勢いに、エリザは零れ落ちそうなくらいに目を見開いた。


「へっ!? リュス様がどうかされたのですか?」

「リュス様は怪我をされてない!?」


 訳が分からないといった様子のエリザだったが、シエルの言葉を聞くとホッと息を吐き、笑みを浮かべる。


「リュス様は朝早くから鍛錬場におられましたよ。先程クラウスが執務室へ朝食を持って行ったのを見かけたので、鍛練が終わられたのかと思いますが」

「あ……っご無事なのね……!」


 途端、シエルは膝から崩れ落ちた。


「シエル様!?」


 エリザが慌ててシエルを支える。先程の恐怖からくる涙ではなく、安堵の涙が溢れた。ではあれは夢だったのだ。リュスは死んでいないのだと思った途端、止まらなくなってしまった。


「よかった……、夢だったのね……」


 リュスが死んでしまったかもしれないという恐怖は、これまで感じたどの恐怖よりもシエルの心を締め付けた。知らぬ間に、リュスはシエルの中でとても大きな存在になっていたのだろう。


 失われるかもしれないと考えただけで、夢と分かった今でも恐ろしさに震える。


「夢? ああ……怖い夢を見られたのですね」


 エリザはシエルが度々夢を見ては瞼を腫らしているのを知っている。可哀想に、と頭を撫でる手は優しい。シエルの中の焦りと恐怖が、ようやく萎んでいった。


「温かい飲み物でもお持ちしましょうか」

「……ええ、お願い」


 エリザに助けられながら立ち上がり、長椅子へと向かう。


「今日はお部屋でゆっくりされませんか? 顔色が真っ青だから心配です」


 エリザは気遣わしげな顔になっていた。今日も礼拝堂に行く予定にしていたが、無理をしてこれ以上心配を掛けたくはない。


「ええ、そうするわ。ありがとうエリザ」


 答えると、エリザがホッとした笑顔に変わる。


「それでは今日は刺繍でもどうでしょう? リュス様へのハンカチに刺繍を入れてみたら、喜ばれると思いますよ」

「えっ、私の刺繍の腕前はエリザはよく知っているでしょう……?」


 先日頑張って刺繍に挑戦してみた。すると、我ながら「これは酷い」と思える代物が出来上がったのだ。あんな物を贈ったら、恨みでもあるのかと思われかねない。


「ですから練習ですよ、シエル様! 納得のいく物が出来上がったらリュス様に差し上げればいいのでは?」


 及び腰だったシエルだが、エリザの言葉に、もしかしたらリュス様の笑顔を見られるかもしれない、と思い直す。まだ一度も見たことのないリュスの笑顔を見てみたいという願望が、むくりと頭をもたげる。


「が、頑張ってみるわ……!」

「その調子です、シエル様!」


 エリザがあえて明るく振る舞ってくれているのは理解していた。


 優しいエリザには、身体の芯が冷えたような感覚が抜けないのを悟られたくない。


 シエルは意識して笑顔を作ると、どんな刺繍にしようかとエリザとの話に花を咲かせたのだった。



 結果から言うと、刺繍は歪な模様が出来上がった。


 同じお手本を見ながら刺しているというのに、エリザとシエルの刺した刺繍は明らかに違う。


「難しいわ……!」


 布が引き攣れてしまい、結局は刺繍糸をエリザに解いてもらった。布には盛大な穴が空いてしまっている。


「これまで殆ど触られなかったのですから仕方ありませんよ」


 エリザはこんな時でも優しい言葉を掛けてくれる素敵な女性だ。彼女の優しさに応えたい。シエルは胸の前で拳を握り締めると、深く頷いてみせた。


「練習あるのみね……!」

「その意気です、シエル様!」


 これまでは全てに於いて消極的だったシエルだが、少しずつだが前向きに物事を捉えられるようになってきていた。シエル自身、明らかに自分は変わったと認識している。


 アルバインに来たばかりの頃のシエルは、自分から見ても卑屈に過ぎたと思う。何事にも怯え、何もかも自分に非があると考えるシエルの扱いは、相当面倒なものだっただろう。


 エリザの献身とクラウスの度量の広さがなければ、早々にブランデンブルグに追い返されていた可能性もあったかもしれない。己の信念を貫き領地を脅威から守り続けているリュスから見たら、何を甘ったれたことをと思われていたとしても不思議ではない。


(いえ、リュス様こそ慈悲を具現化したようなお方だわ)


 情けないとは思われてはいたとしても、きっと蔑むことはなかっただろう。お金の為に婚姻を結んだだけのシエルの顔色を見ては心配する、優しい人だから。


(私が彼らと同じような優しさを持つには、どうしたらいいのかしら――)


 難点だらけのシエルにでも、いつか誰かの心を救える機会が訪れるかもしれない。その時、シエルはアルバインの人たちのような優しい心を持てるだろうか。今はまだ、自信がなかったが。


 両親が命を賭けてシエルの命を救ってくれたのは、シエルの命を誰かの為に使う為。その考えは、悪夢から覚めた今でも消えてはいない。


 前までは、誰かの大切な命を守れるならば、この生を手放すのは怖くも何ともなかった。だが、何故か今は少し怖く思える。


 疲れた目を休ませようと瞼を閉じていると、扉を叩く音が聞こえてきた。


「――失礼致します」

「あら? シエル様、お待ち下さいませ。……今開けます!」


 エリザがパタパタと駆け寄り、扉を開く。顔を覗かせたのは、今日も茶色い短髪を後ろに綺麗に撫でつけているクラウスだ。柔和な顔に申し訳なさそうな笑みを浮かべている。どうしたのかと思いながら、シエルはクラウスの次の言葉を待った。


「実は、今宵予定されていた晩餐なのですが、リュス様は先程お出かけになってしまい、ご一緒できなくなってしまいました」


 広間でひとりぽつんと食事を取るのは居心地が悪い。シエルは何も言わなかったが、リュスの不在が何日も続いたある日、クラウス様が「お部屋でお食事を取られますか?」と遠慮がちに提案してくれたのだ。以来、リュスがいない夜は部屋で食べるようにしている。


 だが、クラウスの様子がいつもと違う。どことなく落ち着きがなく、ソワソワしているように見えた。


「……リュス様はどちらへ行かれたの?」


 すると、クラウスが言いにくそうに返す。


「実は先程、城の裏手に大型の魔物が出まして……」

「えっ!? 大型!? みなさんお怪我は大丈夫なの?」

「負傷者は今のところ出てはいないようですが、相手が相手なので気が気でなく……。すみません、顔に出ていましたね」

「いえ、それは構わないけど……。町への被害などは大丈夫なの?」


 以前よりも魔物の発生率が上がったアルバイン領だが、出現するのはほぼ小型の魔物だけだ。こちらに来てから読んだ本に書いてあった内容が正しければ、大きさは大きめな犬程度。大抵は群れていて、集団で襲ってくるのが特徴だった。


 反対に、大型の魔物は基本群れない。衝突すると互いに無傷ではいられない為、他の大型の魔物の縄張りには滅多なことでは入らないそうだ。身体の大きさは様々だが、大の男が見上げるほどの大きさであることも多いのだとか。


「城で警戒にあたっていた兵が、町の方角へ向かっているのを発見しました。討伐となるとこちらもかなりの戦力を注ぎ込まなければなりません。ですが、狩猟組が山に入っており戦力に不安が残ります。なので今回は山の方へ戻すように誘導することにしたようなのですが」

「誘導……それって」


 ゾクリとして、自分の両腕を抱いた。


 クラウスが、不安を隠しきれない顔で頷く。


「リュス様が囮となって山へと誘導している、と……」

「なんてこと……!」


 こんな時、自分にできることと言ったらひとつしかない。たとえそれがただの気休めだったとしても。


 パッと立ち上がると、エリザを振り返る。


「エリザ、礼拝堂へ行きたいの!」

「え、今からですか?」

「リュス様のご無事を祈らせて、お願い……!」


 不安で胸が潰れそうな気持ちを抱えながら、シエルは急いで礼拝堂へと向かったのだった。

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[一言] リュス様、ご無事でありますように……!
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