昇級試験 三
苔むした洞窟はじっとりとした湿気に満ちている。蒸し暑いということはないが、装具の下が身体に貼り付いてどうにも不快さが拭えない。
村について消耗品を補充してから、早速グレイヴァットの迷宮へ潜っている。迷宮の至近にある村は小規模ではあるが栄えており、特に必需品である毒消しや傷薬の品揃えは多い。俺もアルヴァに言われて毒消しを多めに購入しておいた。傷薬は最低限どうにでもなるが、毒消しは現場でどうにもならないから多めに持っておいた方がいいとの助言からだ。
「しかし……不思議な場所だな迷宮って」
前列は俺とレェン、中衛にアルヴァ、最後尾がカロラという順番で探索を進める。とはいえ、水晶花が咲くのは第二階層らしいので、第一階層のここでは敵の奇襲と罠にだけ気をつけている。
いくつか罠の手前でレェンの警告が入り、解除しては進んでいる。
「どうしてですか?」
「いや、だって入るたびに罠の位置やら細部の形が変わっているんだろう? そもそもこの迷宮の位置だって山の麓にあるけれど、全体図は山の裾よりも大きいっていう話じゃないか。どういう仕組みなんだろうなって」
「世界の記憶による魔術、らしいですが」
最後尾のカロラが答えてくれる。初めて聞く単語に興味を惹かれたのを察したのだろう、歩きながらカロラが続きを聞かせてくれる。
「私たちが魔力を操って魔術を行使するように、世界そのものも魔力を行使するという考えです。魔力を使うといっても私たちのように系統立てた術式ではないので魔術と言っていいのかは分かりませんが……ともかく、この迷宮のようなものは世界が魔力を使って錬成したと考えられています」
なるほど、と思う。迷宮というものはいつの間にかできあがってそこに存在しているらしい。昨日までなにもなかった場所に、ある日突然入り口があるのだ。なにか超常的なものと考えてもおかしくない。
「その、世界の記憶っていうのは?」
「それは――そうですね、ちょうどいいですから、見てもらった方が早いと思います」
疑問符を浮かべながら、足を進める。そうしてとある境目へと辿り着く。薄暗い洞窟にあってなお、そこは闇を湛えたような真っ黒な口を開き、闇の霧に覆われて指先ほどの距離すら見据えられない。
「ここは第一階層と第二階層の境目。ここをくぐったらカロラの言うことが分かると思う」
そう言ってレェンが躊躇なくくぐり、俺も後を追ってその闇へ身を投じる。なんの抵抗もなくくぐり抜け、目の前の景色が一気に変化する。
これは――。
「潮の匂い……?」
俺の呟きにレェンが頷き、後からついてきたカロラが答えを紡ぐ。
「ええ。ここは恐らく太古の昔、海賊が根城にしていた島が再現された場所だと言われています。先ほどまでは山の中で苔むしていたのに、一転してここは海に囲まれた洞窟となっている。こんなもの、通常の法則ではあり得ないでしょう?」
「因みにここなんかまだマシで、迷宮によっては日照りの砂漠からいきなり豪雪地方へ繋がっていたりするらしいですよ」
カロラの説明をアルヴァが引き継ぐ。耳を澄ませば、微かに潮騒の音も聞こえてくる。確かにこれは通常ではあり得ない。
「だから、世界の記憶か……」
「そうです、世界がいつかどこかであった場所を魔力によってこね上げて一つの迷宮として作り上げる。そうして産まれてくるというのが通説になっていますね」
普通なら到底信じられないが、迷宮の荒唐無稽さを思えば否定はできない。とすればここで産まれてくる魔獣や魔物もその記憶によるものだろうか。
「世界が魔術を使う……面白いな。そう言われるとそう思えてくる」
「圧縮袋、ご存じですか?」
「ああ。見た目以上に物が入る袋だろう?」
フィー曰くアイテムボックスらしいが、こちらの世界では圧縮袋と呼ばれているらしい。
「ええ。あれはこの迷宮ができる術式を一部解析して作り上げたものと言われています。入り口がある場所からは想像もつかない深さの迷宮という特性を調べ上げて、ようやく再現できたのがあの圧縮袋という話です」
「圧縮袋、欲しいよね。補充品とか気にせずに持ち歩けるし。大がかりな罠解除の道具だって持ち込めるし」
レェンが心底羨むような声で呟き、そんな罠師の少女へ二人が苦笑する。やはりというかなんというか、圧縮袋は高価なもののようで、駆け出しの俺がもっているのはいかにも不自然だ。
だからクロエにもイルシュカにもまだその存在を告げていないし、活用もしていない。フィーからもらった金貨が手つかずで入っているだけだ。普段の荷物は大きめの背嚢を買ってそこにしまっているから、二人は腰に提げた圧縮袋は小物入れだと思っているだろう。
ただ、ヴェルだけは時折圧縮袋の辺りをふらふらと匂いを嗅ぐように飛んでいることがある。あるいは精霊という存在としてなにかを感じているのかもしれない。
「私は馬車が欲しいな。幌着きの馬車。個室の馬車ならもう最高」
「アルヴァったら、あまり欲を出しすぎてはいけませんよ」
純粋な物欲を口にするアルヴァをカロラが窘める。だが、アルヴァは口を尖らせながら言葉を紡ぐ。
「なによー、カロラだって欲しいでしょ。最低でも幌着きの馬車」
「それは……そうですけど」
「そんなに欲しいものなのか?」
何気なく問うた俺の言葉に、アルヴァが勢い込んで頷く。横目で見たその瞳は爛々と輝いており、なにか押してはいけないスイッチを押してしまった気がする。
「そりゃもう当然! 馬車があれば荷物を沢山運べるし、遠くの依頼に行くときに野営するときだって地面じゃなくて床で寝られるんですよ。それにほら、幌があれば着替えとか、よからぬ奴からの視線からも守れますし。天幕は普段持ち歩くにはどうしてもかさばりますから」
「ああ……」
その一言で察してしまう。数日滞在していた霧吹き竜討伐の時も、クロエとイルシュカは天幕の中で何度か水やぬるま湯で身体を拭いていたが、必ず入り口に俺かもう一人へ見張りを頼んできていた。
二人の他にも女性の冒険者は何人かいたが、同じようにしているのも見たことがある。つまりは、そういうことなのだろう。自身の身を守るためにも視線だけでも隠せるものがあるというのは重要なことであるに違いない。
「それに馬車があれば行動範囲が段違いですから。遠くの依頼だって受けやすくなる。いいことずくめですよ!」
「その代わり車体の維持と馬の世話がありますけどね。どっちみち、圧縮袋と同じで銅石級の私たちには手の出ない値段と維持費用ですよ」
「うぐっ……これから鉄洞級になるんだもん……」
反論するアルヴァだが、その声は消え入りそうなほど小さい。その様子から察するに、個人所有の馬車は相当高価なもののようだ。それが快適な物であればあるほどなおさらだろう。
要は前世でのキャンピングカーのようなものだ。そう考えると薬草採取で銅貨数枚やゴブリン討伐でせいぜい銀貨一枚を稼いでいる銅石級には難しいだろう。銀翼級の依頼を定期的にこなして貯蓄して安い物をどうにか、というところか。
「まあしばらくは地面で我慢だろう。着替えはやらは……小さい天幕でも特注で作ってもらったらどうだ? 使わないときは背嚢になるような感じの袋で」
前世のキャンプ用具でそんなものを見た記憶から言ってみる。ソロキャンプ用のテントではかなり小さい物だが、その分素材を丈夫な物にして、設置用の金具は最小限にする。そうして移動時にはキャンプ用の道具、いわゆるキャンプギアを運ぶための袋にする。そうするとリュックとは別の輸送道具になるという仕組みだった。
「それ……いいかも。そうか、馬車じゃなくても小さな天幕を使えば……ねえカロラ、これなら安くなるんじゃない? 小さいなら荷物も少なくなるし。カロラだって露天で着替えたりするのは嫌でしょ?」
それを告げると、やはりアルヴァが食いついてくる。
「う……まあ、それはそうですが」
「それならいい鍛冶師を紹介してあげられると思う。腕は保証するよ」
レンの顔を思い浮かべながら告げる。彼女なら俺のうろおぼえの発想でもきちんと形にしてくれるだろう。
「是非! お願いします!」
アルヴァが勢い込んで返答する。残り二人から異議がでないところを見ると、賛成らしい。それにしても、女性の冒険者はやはりこういう問題が付きもののようだ。帰ったら、クロエやイルシュカとも一度相談してみよう。
そうして探索を進めていくと、ふとなにかが意識に引っかかる。その瞬間手を横に広げてレェンの歩みを遮り、後ろの二人も足を止める。前方からは、波が洞窟の道へ打ち付けられる音が聞こえてくる。
だが、そこへなにかを引きずるような音が混じっている。そして微かに匂うのは魚特有の生臭い匂いだ。
どうやら、敵がいるらしい。俺が刀を抜くと、レェンが後ろへ下がり、アルヴァが前へ出る。その顔からは、先ほどまでの和気藹々としたものは欠片もない。
「……敵ですか?」
「音と匂いがする。そこの角を曲がった先だ」
顔を見合わせ、頷く。その間にカロラとレェンも体勢を整えたようだ。
さすがに魔獣や魔物へ一度も遭遇しないというのは虫がよすぎるらしい。
「相手が気付いていないのであれば、奇襲を仕掛けます。いいですか?」
「了解」
じりじりと慎重に距離を詰める。角の向こうでなにをしているのか、引きずる音やなにかを潰す音がはっきりと聞こえてくる。
一呼吸、二呼吸、文字通り、俺とアルヴァの呼吸を合わせ、一気に飛び出す。
視界に入ったのは、青い鱗を持つ半魚人だった。




