十六「今後のこと」
翌朝、レイレイはいつも通り起き、ルーシュイが作ってくれた粥を食べた。ふぅふぅと冷ましながら粥を頬張るレイレイを、ルーシュイは優しく見守っていた。
そこでふとレイレイは気づいた。
「ねえ、ルーシュイ。明日、朝のお粥をわたしが炊いてもいい?」
以前、ルーシュイの負担を減らすために教わろうとしたけれど、ルーシュイが炊くほどに上手くできずに諦めてしまった。それではいけないと気づいたのだ。
「構いませんが、どうされたのですか?」
不思議そうに問いかけるルーシュイに、レイレイは照れを交えつつ言った。
「うん、あのね、鸞君の任期を終えたら、今度は私が作らなくちゃいけないのでしょう?」
「レイレイ様が?」
「だって、お嫁さんにしてくれるっていうのなら、そうでしょう?」
妻とはそうしたものではないのか。家で食事を作り、夫の帰りを待つ。そんな生活になるのだ。帰ってきた夫に料理をさせる妻などいるとは思えない。
ルーシュイはレイレイの言葉に驚き、何度も瞬くと、それから照れた。
「まあ、そうですけれど、レイレイ様に御不自由をさせるつもりはございません。使用人をつけられる暮らしができる程度には稼ぐつもりです」
「でも、ここにいる間はルーシュイがずっと食事の用意をしてくれていたから、これからはわたしがそれを返していきたいって思うの」
特に朝、鸞君の力を使った後の疲れた心にルーシュイの粥はとても優しく体に染みた。だから、これからは疲れて帰ってくるであろうルーシュイを、レイレイが癒したいのだ。
ルーシュイもそんなレイレイの心を感じたのだろう。
「ありがとうございます、レイレイ様」
そう言って幸せそうに微笑んだ。
この鸞和宮を出て二人が夫婦になり過ごす日々はもうすぐそこだ。着実に近づいている。
それを二人が信じ、感じていた。
● ● ●
五日後。
レイレイとルーシュイは、事後報告があるというユヤンの呼び出しに応え、宮城へと向かう。ユヤンの執務室に通された時、そこにいたのはユヤンだけではなかった。次官の双子たちはもちろんのこと、蹄鉄椅子に腰かけたシージエがいたのである。
装いは簡素で、また城下へ出歩くのかと思うような格好であったけれど、さすがに今、ユヤンがそれを許すはずもなかった。気心の知れたレイレイたちと会うにあたり、堅苦しい皇帝の装束が嫌であったのだろう。
「陛下!」
レイレイが思わず声を上げると、シージエはにこりと朗らかに笑った。
「やあ、レイレイ。世話になったな。助かったよ」
砕けた物言いも懐かしい。思わず涙が滲む。
そんなレイレイに、双子たちが椅子を勧めてくれた。シージエ、ユヤン、レイレイが机を囲む形で座り、ルーシュイと双子は壁際に控えた。
「今回は本当に鸞君の働きのおかげです。情けないことですが、私がユエディン様まで辿り着くにはもう少し時間を要したことでしょう。早期発見が叶ったのも鸞君がいてこそでした」
と、ユヤンまでもがくすぐったくなるような賛辞をくれた。恐縮するレイレイにシージエはうなずく。
「うん、兄があそこまで俺を恨んでいたとは、まあ、感じていなかったわけじゃないんだが、呪術だの人身売買だの、そこまでやるほどとは思っていなかった。俺が甘かったな」
「ユエディン様があそこまで術を扱えるようになっていたのは、ユエディン様の持つ金銭に目のくらんだ者どもがその怨念につけ入って知識を売り、手ほどきしたからです。こちらに報告をしていた周囲の者たちが甘い汁を吸っていたなら、彼らを信じてしまった私の不手際でもございます。……しかし、万が一ということも今後ございますので、陛下には単身で城下へ行かれないことをお約束して頂きたく思います」
それを言われると、シージエも反論できないようであった。小さくため息をつく。
「まあ、仕方がないな。その代わり、俺の目と耳になってくれる優秀な人材を育ててくれないと」
「それは承知の上です」
二人のそんなやり取りをレイレイは穏やかな気持ちで聞いていた。けれど、ユヤンは厳しい面持ちになり、言った。
「鸞君、君も関わった以上、ユエディン様の顛末を聞きたいかい?」
そのひと言にハッとする。
ユヤンの表情から、それは厳しい処罰が下されたのだと読み取れた。それを聞いても、レイレイの気が晴れることはない。
ゆるくかぶりを振ったレイレイに、シージエが悲しく笑った。
「俺自身は兄の顔もよく覚えていない。最後に会ったのはいつなのかもわからないくらいだから、思い入れもそうない。……もっと身近に、互いの意見を述べ合える仲であればよかったのだが」
立場が立場だから、それも仕方のないことであったのかもしれない。
シージエは急にユヤンの顔を見た。
「俺の子たちにはこういう思いはさせたくないものだ。仲良く、互いを支え合う関係を築けるような環境で育てたいと思う。そうじゃないと、不安で世継ぎのことも考えられないからな」
ユヤンは少し難しい顔をすると、嘆息した。
「陛下は何かと風習を壊すようなことばかり仰いますが、そのよい手本となれる自信はおありなのですね?」
「ああ、そのつもりだ」
あっさりと言いきる。シージエは出会った頃よりもさらに強くなったとレイレイも感じた。それがとても眩しい。この国は、きっとよい国になる。
「……ご説明しましたが、神鳥たちは五方神鳥の力をあてにしないようにと願っておりました。次の鸞君をもし立てた時、我らとの関係が悪化することを思うと、諦めた方がよいかと思いますが」
もし、今回のようにどうしようもない問題が起こった時、普段から礼を尽くしておけば、もしかすると救いの手を差し伸べてくれるかもしれない。けれど、今、礼を欠けば今後助けてくれることはない。それはレイレイにも感じられた。
シージエはうなずく。
「鸞君はレイレイで終わりだ。それは今回のことがなくとも考えていたことだ」
「鸞君が見通さずとも、民自らが意見を訴えられる国にしたいと、陛下は以前からそう仰っておられましたね。それは難しいことではあるのですが、陛下には今さら何を言ってもいけませんね」
呆れているのか、期待しているのか、わかりづらい笑みをユヤンはシージエに向けた。それから、もう一度レイレイに語りかける。
「鸞君、最後の鸞君としての君の任期は残り僅かだ。その後のことを少し話そう」
「は、はい」
レイレイは背筋を正した。後ろでルーシュイも緊張しているのが伝わるようであった。
ユヤンは軽く息をつくと改めて口を開く。
「歴代の鸞君であった女性たちの大半は任期を終えた後、後宮へ入った。けれど君がそれを望んでいないことはわかっている。だから、今後どうすべきかをしっかりと話しておかねばならない」
シージエはレイレイを気遣う目をしていた。
「レイレイにはとても世話になった。だから、せめてもの礼としてレイレイの望む通りに願いを叶えてやりたい」
至らないことも多くあった。それほどの働きができたかはわからないけれど、それは嬉しい言葉だった。この言葉に甘えてもいいものだろうか。
レイレイは胸の前でギュッと拳を握ると、思いきって二人に告げた。
「あの、私、ルーシュイと結婚したいと思います」
後ろでルーシュイが慌てたような気配があった。けれど、事実そうするつもりなのだから、報告はいつかしなくてはならないだろう。
シージエは目を瞬かせると、それでもクスクスと明るく笑った。
「そのキッパリしたところがレイレイらしいな。うん、いいんじゃないか? 彼ならレイレイのことを大事にしてくれるだろうから」
その言葉に、レイレイはほっとした。シージエはもう、レイレイに少しも気持ちを残していない。淡い恋ではなく、心から大事に思う人ができたからだとレイレイは感じた。それを喜ばしく思う。
けれど、ユヤンと双子はどことなく表情を曇らせていた。




