第1話 これからヨロシクな!
星宮中央駅の改札の外に広がる地下空間には、潮風の香りはない。
開店の準備に追われる食品売場の店員たち。
美味しそうな惣菜の匂いには、まったく惹かれなかった。
高橋架流が昨日まで勤務していた潮凪線。
海辺を走るのどかで風光明媚な路線だった。
今日から本社に異動になった架流は、鉄道が嫌いなわけではない。
ただ、人生を懸けて語れるほど好きでもなかった。
アストラ電鉄は、地元では名の知れた安定企業だった。
だが、架流は入社してから、厳しい経営の実態を知った。
現場には、鉄道を語り出すと止まらない社員たちがいて、彼らの熱量に何度も置いていかれた。
仕事ができないわけではない。
それでも、いつの間にか自分の居場所を見失っていた。
潮凪線に異動してから、たった1年で本社へ。
架流は自分の存在意義に疑問を持ち始めていた。
周囲は栄転だと騒いでいたが、架流には慰めにしか聞こえなかった。
もう自分の居場所など残っていないのかもしれない。
そんな思いを振り払えないまま、架流は通用口のゲートをくぐった。
その数十分後、そんな重苦しい覚悟など、小さな箱から飛び出した何かにあっさり吹き飛ばされるとも知らずに。
着任の挨拶を済ませた架流は、すぐに事業戦略本部長から業務の概要説明を受けた。
分かっているよな?と言わんばかりの表情に、架流は息苦しくなった。
本部長が机の上に置いた資料には、目を覆いたくなるような数字が並んでいた。
利用者減少。
地域路線の収支悪化。
観光需要の取りこぼし。
これらを改善することが架流に課された使命らしい。
期待ではなく、失敗を許さないという圧力だけが重くのしかかった。
会議室を出た架流は、知っている顔に声をかけられた。
鷹宮白翔。
架流が従事するプロジェクトの前任者だ。
相変わらず、笑顔だけは無駄に整っている。
「やぁ、社運を握る優秀な社員クン」
「それはお前のことじゃないのか?」
「僕は経理部に異動になってしまったからね。関われないのが残念だよ。
本当は、僕が成功させたかったんだけどね」
その言葉だけは、やけに軽かった。
「このプロジェクトをどうやって成功に導くつもりだったんだ?」
「今回の仕事で使う最新の高性能ツールは優秀だぞ。
状況を読み取って、提案して、必要なら現場で勝手に動いてくれる。
人間が余計なことをしなければ、成功間違いなしらしいよ」
人間が余計なことをしなければ。
白翔の口からこぼれたその一言だけが、妙に耳に残った。
自分の代わりなど、いくらでもいると言われているようだった。
「ありがたく使わせてもらうよ」
「そうそう。このプロジェクトに失敗したら、関連会社に転籍らしいな。
君を引っ張ってくれた、安藤課長に感謝するんだぞ?」
何だそれ!?初めて聞いたぞ?
異動初日に、もう転籍の話か。
喉元まで怒りが込み上げたが、架流は飲み込んだ。
白翔のことだ。どうせ挑発に決まっている。
そう思いたかった。
だが、胸の奥に引っかかった嫌な予感だけは、どうしても消えなかった。
架流は軽く挨拶を済ませて、事業改革課へ戻った。
やはり、安藤さんが俺を引っ張ってくれたのか。
自席に着くと、段ボール箱を持った課長の安藤怜人が待っていた。
本部長の話を一緒に聞いていたが、その箱を取りに行っていたのだろう。
安藤は、架流が新入社員研修で世話になった相手だ。
電気や通信に詳しい、現場上がりの技術屋だった。
その安藤とミーティングルームに移動して、長机を挟んで向かい合った。
机の上の段ボール箱だけが、妙な存在感を放っていた。
「潮凪線は、いいところだっただろ?」
「いいところでしたね。でも、俺は潮凪線でも居場所を作れなくて。
安藤さんが拾ってくれなかったら、どうなっていたか」
安藤は、予想外のひと言に大きく目を見開いた。
そして、深く息を吐いた。
「何でそんな話になるんだ……。
お前にしかできない仕事を頼みたい。だから呼んだんだ。
本社に異動となれば、普通は栄転と考えるものだぞ」
安藤が口にした栄転という言葉には、確かな期待が宿っていた。
「つまり、必要で呼ばれたということですね」
「そういうことだ。だが、その責任は大きいぞ。
今回の仕事は前例がないからな」
異動の不安と白翔の挑発に踊らされていただけだった。
白翔にも腹が立つが、弱気になっていた自分も許せなかった。
「誰でも使える最新の高性能ツールを使うと聞いています。
それがこの箱の中身ですか?」
「誰でも使えるという部分は本当だ。
ただ、新しいだけに、その使い方をまだ誰も完璧には知らない」
「安藤さんにも……ですか?」
安藤は、視線を架流の目から机上の箱に落とした。
得体の知れないものを見るような目だった。
「新しいだけなら、何とかできる。
ただ、これはそういう次元の代物じゃない」
架流は段ボール箱を手に取ったが、思ったより軽い。
中身はせいぜい小型の電子機器だろう。
とはいえ、安藤がここまで警戒している。
それを自分に扱えるのだろうか。
「開けてみろ」
安藤に言われた架流は段ボール箱を開けた。
中には、白い厚紙で作られた高級品用の化粧箱が入っていた。
その側面に貼られたシールを剥がした。
その瞬間、箱の内側で小さな音がした。
甲高い始動音のような音だった。
「今、音がしましたよね!?」
「何のことだ?」
耳を澄ませても、さっきの音はもう聞こえなかった。
気のせいだったのだろう。
そう思った瞬間に、化粧箱の蓋が持ち上がり、中から黒と赤の何かが飛び出してきた。
鉄道会社の制服。帽子。赤い髪。
小さな人形のような少女が、机の上で勢いよくポーズを決める。
架流が声も出せずに固まっていると、それは目元でピースを作った。
「情理演算式自律機動ユニットの記念すべき初号機だぜ!
これからヨロシクな!」
お読みいただきありがとうございます。
次話から、箱から飛び出した初号機が本格始動します。
「お前ら揃って各駅停車かよ?」
常識や建前を容赦なく蹴り飛ばす初号機。
「まずは超特急でやってみようぜ!」
自由奔放な初号機に振り回される架流たち。
「あなたは嘘が下手なようだ」
そして、その背後にあるアルカディアの思惑とは――。
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