ご都合主義の主人公補正
体育祭が終わり、グラウンドを支配していた脳筋の運動部どもも体育教師も、さすがに疲弊しているようだ。
だが、俺にとっては今日、あの体育祭よりも重要と言っても過言ではない一大イベントが控えている。
――席替えだ。
なぜなら、もし万が一最前列の席にでもなってみろ。授業中の貴重な睡眠時間はおろか、日陰者としての平穏なプライベート空間すらすべて剥奪されることになる。
我がクラスの席替えは、あみだくじで行われる。
一見、完全な運要素に見えるこのシステムだが……安心していい。このゲームには、明確な『最適解』が存在する。
あみだくじというのは数学的な確率論において、横線がランダムに引かれた場合、選んだ位置の真下、あるいはその周辺に到達する確率が最も高いという性質を持つ。
さらに、黒板に書かれた席の番号とあみだのゴールの並びには、ある程度の規則性があることを俺は最初の席替えの時点で確認済みだ。
あとは、自分が望む席の番号の真上、あるいはその前後のラインを選ぶだけ。それだけで、生存確率は跳ね上がる。
テンプレなラブコメの主人公であれば、ご都合主義の
『主人公補正』が発動して、勝手に「窓際の後ろから二番目」の特等席を引き当てるのだろうが、現実の俺にそんな都合のいい奇跡は訪れない。
だからこそ、俺は自力で当てにいく。
黒板に張り出されたあみだくじの結果と、座席表の番号が照らし合わされていく。
クラス中に歓声と悲鳴が渦巻く中、俺は自分の番号を確認し、胸の中で静かに勝利のガッツポーズを突き上げた。
結果は、窓際の一番後ろ。
勝った。
期待値通りだ。
ここなら授業中にどれだけ寝ていようが教師の視界に入りにくいし、何より教室の隅という「世界の果て」は、誰とも関わりたくない俺にとってこれ以上ない聖域である。
意気揚々と自分の荷物をまとめ、その特等席へと移動する。
机にカバンをかけ、ふう、と満足のいくため息を一つ。
これで向こう数ヶ月の平穏は約束された。
そう確信した、次の瞬間だった。
俺の真ん前の席の椅子が引かれた。
「よいしょ」
そこに荷物を置いたのは、長い黒髪を揺らした、見覚えしかのない少女だった。
――おい。
おいおいおい、待て。嘘だろ。
窓際の後ろから二番目。
テンプレなラブコメ小説で、主人公が必ずと言っていいほど指定席にしている、あの『主人公席』。
そこに彼女がスポットライトを浴びるようにストンと収まっていた。
(本当の主人公はお前かよ……)
激しいツッコミが脳内を駆け巡った直後、ガタンと右横で椅子の音が聞こえた。
かと思えば、カチャリと、いかにもアニメでメガネのブリッジを押し上げた時に鳴る“あの音”が聞こえてきた。
いや、あの音、現実で鳴ってんの見たことないんだが。
たまらず横を向くと、そこには鉄筋コンクリート並みにキッチリとした姿勢をした男が座っていた。うちのクラスの規律の権化、学級委員の吾妻糺だ。
「おっ、椥辻じゃないか」
吾妻は俺の視線に気づくと、教科書を机に整頓しながらそう言った。
(……何で俺の名前を知ってるんだ?)
一瞬身構えたが、いや、相手は学級委員長だ。クラスメイトの名前くらい把握していて当然か、と自己完結しかけたその時、吾妻がメガネの奥の目をわずかに細めて続けた。
「嵐山から聞いている。帰宅部のエースらしいな。勉強の方でも、一度手合わせをしたくてな」
あの胃袋ブラックホール、余計なことを……!
脳裏に、あの底抜けに陽気なサッカー部の顔が浮かぶ。
なぜ吾妻といい嵐山といい、妙に俺と張り合おうとしてくるんだ。いや、それ以前に嵐山の人脈は一体どうなっている。
「そういえば嵐山から聞いていてな。これから中間考査だろ、僕と嵐山で勉強会をする予定だったのだが、椥辻も入るらしいな」
おい、本当に信じたのかよ。あいつが勝手に言っただけなのに、これじゃ余計に断りづらいじゃないか。
「放課後、この教室に嵐山が来る。椥辻も残っておいてくれ」
また、メガネのあの妙に律儀な音がした気がした。
――その後、授業中のことである。
いつも通り机に突っ伏して眠りについていた時、頭にカサリと軽い違和感を覚えて目が覚めた。
ゆっくりと頭を上げると、クスクスと楽しそうに笑いながら、プリントを片手に持ったまま振り返っている御陵さんの姿が目に飛び込んできた。
何がそんなに面白いんだろうか。
「本当にいつも寝てるんだね」
彼女は、あの体育祭の日の涙なんて微塵も思い出させないような、完璧な笑顔でこちらを見て囁いた。
そのまま前を向いた彼女の背中は、あの時の頼りない背中とは何かが決定的に違っていた。
◇
そして、放課後。
中間テスト前だからだろう、黒板付近には問題を出し合ったりしているクラスの陽キャたちが、男女関係なく集まって賑やかに勉強していた。
もちろん御陵さんもその中心にいて、楽しそうに男子生徒と喋っている。
俺は、その光景を見て妙に落ち着かなかった。
ただ周囲が騒がしいから、という理由だけではない気がした。
つい先日、誰もいない校舎裏で、ボロボロと大粒の涙を流していた「あの頼りない背中」を、俺の脳がどうしても忘れられずにいるからだ。
いま目の前で男子生徒に完璧な笑みを返している彼女は、一体どちらが本物なのだろうか。




