18 陰の半結界
風太は、もう一度確認するように店内を見回した。
向かって右のサラダバー側はパーテーションで塞がれ、正面の窓側は遮光カーテンが閉められていた。照明は光量をギリギリまで絞ってある。その中で、左奥のテーブルのところだけダウンライトが点けられており、まるでスポットライトが当てられているようだった。
「さてと、まずは姫の出番だな」
そう呟くと、風太はバッグから女の子のパペットを取り出し、右手にはめた。
パペットの目がパチッと開き、みずち姫の声で「始めるのかえ?」と訊いた。
「ああ。念のため、陰の半結界を張る」
風太はパーテーションの近くまで寄ると、パペットの顔をそちらに向け、呪文のような言葉を唱え出した。例によって数式かもしれないが、幸い広崎のところまでは聞こえなかった。
そのままパーテーション沿いに移動し、パペットの顔を窓側に向けながらカーテンの前を通り、左奥のテーブルのさらに奥側を回って元の場所に戻った。
「いいかな?」
風太が尋ねると、みずち姫は「うむ」とだけ答えた。
息をつめていた広崎は、風太の作業(?)が終わったと見て、「何? どういうこと?」と訊いた。
「これから何が起きるかわからないから、ちょっと特殊な結界を張った」
「特殊って?」
「一方通行の結界さ。とりあえず、野球帽の彼にここに来てもらわないといけないし、勝手に出て行ってもらっちゃ困るからね。陰の半結界は、魔界の存在や、その影響力を受けたものが中に入ることはできるけど、外には出られないんだ」
「なるほど。逃げられないようにして退治するんだね」
風太は苦笑した。
「違うよ。話し合うためさ。たぶん、彼に悪気はない。でも、彼の背後にいる存在は、危険かもしれない」
『背後にいる存在』と聞いた瞬間、広崎はゾクッと寒気を感じた。
「やだなあ。やっぱり気味が悪いよ。おれ、いなきゃだめかな?」
広崎の質問には笑顔だけで答え、風太は、その後ろに立っている伊藤に話しかけた。
「すみませんが、お願いが二つあります」
「あ、はい、何でしょう?」
「そろそろ相原さんを呼んでいただきたいのと、もう一つは、注文したいものがあるんですが」
「注文?」
「はい。受験生用の特別メニュー、『ニュー塩カツサンド』というのを一人前お願いします」
伊藤は少し困惑したような顔になった。
「はて、今の時期はやってないメニューかもしれませんが。わかりました。野口シェフにお願いしてみます」
「すみません」
伊藤が厨房に向かうと、待ちきれないように広崎が質問した。
「その何とかサンドって、何?」
風太は苦笑した。
「おいおい、ちょっと不勉強だね。フロントはホテルの中のことは、全部知っておかなきゃ。慈典が教えてくれた、ダジャレ好きのシェフの作ったメニューだよ」
「ごめん」広崎は顔を赤らめた。
「ふふ。冗談だよ。これは裏メニューさ。ぼくもネットで調べて見つけたんだ。受験生が喜ぶように、『入試を勝つサンド』ということで、シェフが考えたらしい」
「なるほど。でも、どうしてそれが野球帽の彼と関係あるんだい?」
風太は、珍しく笑顔を消した。
「慈典が寝てる間に、最近の地元のニュースを色々調べた。その中にちょっと痛ましい事故のことが出ていたんだ。この近くの学習塾の主催で、受験生向けの日帰り旅行の企画があった。ここから少し南にある学問の神さまに参拝した後、ドーム球場で野球観戦をする、というコースだった。その日の試合で、地元のコンドルズが逆転サヨナラ勝ちをし、興奮したそのツアー参加の高校生数人が、遊泳禁止の海にダイブしたらしい」
「ああ、そうか。テレビのニュースで見た気がするよ。不幸にも、その中の一人が亡くなったって」
風太は黙って頷いた。
「でもさ、もし、その高校生の幽霊だとして、どうしてうちのホテルが関係あるの?」
「野球観戦後は流れ解散の予定だった。でも、受験生の間ではオリオン座ホテルの『ニュー塩カツサンド』は割と知られていたようだから、ここに寄って帰る子も多かったんじゃないかな。受験生とこのコーヒーラウンジの接点としては、それしかない」
「食べ物の恨み、ということか」
「まあ、それだけじゃないと思うけどね。ん、どうした、慈典?」
急に震え出した広崎に風太が声をかけるのと、いつの間にか出入口まで来ていた相原が声を発するのが、ほぼ同時だった。
「もう、そこに来ています」




