16 選手交代
「え? 今の何?」
驚く広崎に、風太は笑顔で「後で」とだけ答えて黙っている。
「まあ、いいか。とりあえず、加山マネージャーの部屋に急ごう」
再び、広崎が先になり、南棟の一番奥の部屋をノックした。
ドアが開き、伊藤が「どうぞ」と、二人を中へ導いた。
部屋のベッドには、上着を脱いだ加山が、薄い毛布だけ掛けられて横になっていた。顔が赤く、苦しそうに喘いでいる。
伊藤は風太に頭を下げた。
「ご足労いただき、申し訳ございません。帰って休むか、病院へ行くように言ったのですが、半井さんとお約束したからと申すもので」
「いえ、こちらこそ無理を言ってすみませんでした。それに、加山さんの熱は、たぶん、ぼくのせいです」
「は?」
「エネルギーが低下して魔界の影響を受けやすい状態のように見えたので、少し陽の気を送ったのですが、効き過ぎてしまったみたいで」
風太の言葉をどう判断したらいいのか困惑している伊藤に代わり、広崎が訊いた。
「治せる、ってこと?」
「ぼくが送った陽の気が原因ならね。ただ、……」
「何?」
「いや、今は加山さんを楽にしてあげるのが先決だね」
風太はベッドの横に移動し、小さな声で加山に尋ねた。
「加山さん、ぼくがわかりますか?」
加山は薄く目を開け、黙って頷いた。
「良かった。では、今からお体に触れますが、少しの間だけ、ご辛抱ください」
風太は毛布をめくると、加山の左胸に右手を乗せた。そのまま、ブツブツと呪文のような言葉を唱えたが、広崎が耳をすますと、『インテグラル』だの『コサインエックス』だのといった数学用語のようだったので、アレルギーが出ないよう、慌てて耳を塞いだ。
加山の顔の赤みは、見る間にスーッと消え、荒かった呼吸も穏やかになった。すぐに、パッチリ目を開き、驚いたように「楽になりました」といった。
風太は加山の胸に当てていた手をゆっくり離した。
「効き目があって良かったです。辛い思いをさせて、すみませんでした」
「あ、いや、謝らないでください。夢うつつに聞いていました。おれのためにしてくださったのでしょう。さあ、これで夜の現場検証に立ち会えますよ」
しかし、風太は笑顔のまま、首を振った。
「それは結構です。どうか、ゆっくり休まれてください」
「いや、おれは平気ですよ」
「違うんです。陽の気が滞って出た熱を早く下げるため、陰の気を送って中和しました。当分の間、霊感がなくなるはずです」
加山は意味がわからず、キョトンとしている。
広崎が、ハッとしたように、「そうか!」と言った。
「今の加山マネージャーには、オバケが見えないんだね」
風太が苦笑して「言い方」と注意した。
伊藤が心配そうに風太に尋ねた。
「それでは、今夜中の解決は無理でしょうか?」
「うーん、多少は、慈典も気配を感じると思いますが、実体化する前に早期発見するのは難しいかもしれません」
その時、コンコンとノックの音がして、「相原です」という声がした。
伊藤が、何か思い出したように、「ああ、そうか」と呟いた。
「加山くんに水分を取らせようと、アップルジュースを頼んでいました」ドアを開け「ご苦労さま。一応、そこのテーブルの上に置いておいて」
「はい。失礼します」
相原がジュースとストローをサイドテーブルにセットし、部屋を出る前に、広崎が話の続きを始めた。
「たとえ見えなくても、少しでも何か感じたら教えるから、オバケ退治を早くやろうよ」
すると、部屋を出かかっていた相原が立ち止まり、振り向いた。
「わたし、見えますけど」




