11 召喚の方程式
広崎は、その時ちょうど口に含んだ紅茶の最後の一口を、吹き出しそうになった。
「うぷっ。で、できないって言ったじゃん」
「違うよ。しない、と言ったはずだ」
「なんでだよ。できるなら、やってくれればいいのに」口を尖らせた。
風太は笑って首を振った。
「お祓いというのは、あくまでも緊急避難的な、一時凌ぎの方法だよ」
「そうなの?」
風太も紅茶の最後の一口を飲んだ。
「ああ。お祓いというのは、文字どおり、その場から『追い払う』ということさ。他所で悪さをする可能性もあるし、時間がたてば、また戻って来てしまう。そこで、戻って来れないように特殊な結界を張る。張る、というより、貼り付けると言った方がわかりやすいかな」
「そうか、わかった。それがつまり、お札だね。新人の頃、館内の清掃作業をやらされたことがあって、汚い紙を剥がそうとしたら、えらく怒られたことがあるよ」
「そういうそそっかしいのがいるから、安全じゃないのさ」
風太はおかしそうに笑った。
「そうだったのか。あれが、いわゆる『封印』ってことだね」
「うーん、ちょっと違う。『封印』というのは逆に魔界の存在が出て来れないように閉じ込めることで、この場合は逆だね。一般的には『護符』と言うね」
「そうかあ」
「じゃあ、紅茶も飲み終わったし、そろそろ始めるか。最初だけでも見とくかい?」
「って言うか、逆に、見てもいいものなの?」
風太は笑って「もちろん」と答えた。
「秘法とか秘儀とか言って他人に見せないのは、その方が神秘的に思わせることができるという、営業用タブーだよ」
「へえ、そんなもんかな。よし、それじゃ、テーブルの上を片付けるよ」
皿やティーカップを下げようとした広崎を、風太が止めた。
「いや、テーブルだとちょっと低いから、奥のライティングデスク(=書き物などをする机)を使わせてもらうよ」
そう言うと、風太はショルダーバッグからパペットを二体取り出した。一体はほむら丸が憑依していたポールという男の子、もう一体は金髪の女の子であった。その二体をデスクの上に左右に並べて置いた。
次に、先ほど見せた金属製のコンパクトのような容器も二個出して、蓋を開けてそれぞれのパペットの前に置いた。容器の底の中心には金属の突起があり、そこにミニサイズの蚊取り線香のような形の香が差し込んである。
香の表面には、びっしりと細かい文字で数式が書き込まれていた。
「あれっ、間違ってない? 渦巻きが逆になってるよ」広崎が声を上げた。
確かに、左側の男の子の前の香は反時計回り、右側の女の子の方は時計回りになっている。
風太はアルカイックスマイルで唇に指を当てた。
「あ、ごめん。静かにするよ」
広崎が黙ると、風太は何かブツブツつぶやきながら、左手の指をパチンと鳴らした。すると、左手の人差し指からポッと青白い炎が出た。
その炎を左側の香の端に近づけると、スーッと一筋の白い煙が上がった。
風太は、人差し指の炎をフッと吹き消すと、「もう、しゃべっていいよ」と言った。
「ごめん。でも、話しかけちゃいけない時は、前もって言ってくれよ」
「悪い悪い」少しも悪びれずに笑い「さっきの質問だけど、もちろん、わざと逆回りのを使ってるんだ。ほむら丸は陽だから左回り、みずち姫は陰だから右回りさ」
「へえ、こっちはお姫さまか。でも、顔はやっぱり外人さんだね」
「ああ。パペットとして使う時にはマリーって呼んでる。PPMっていうチーム名は、ピーター・ポール・アンド・マリーってことさ」
「なるほど。なんか、昔の歌手の名前みたいだな。ところで、ほむら丸さんと一緒に、そのナントカ姫も呼び出したら、半分の時間で済むんじゃないの?」
「残念ながら、そうは行かないんだ。理由は、まあ、いずれわかるよ。さあ、慈典は少し休んだ方がいい」
「うん、そうするよ。でも、風太はずっとお香が燃えるのを見てるのかい?」
風太は苦笑した。
「いや、預かったメニューを調べなきゃならないし、このホテルに関する情報なんかも収集しないと」
そう言いながら、バッグから小型のタブレット端末を取り出し「この部屋、ワイファイ使えるよね」と確認した。
「そりゃあ、使えるさ。でも、ちょっとガッカリだな」
「どうして?」
「いや、もっと超能力みたいのを使って調べるのかと思ったからさ」
風太は笑いながら「ネットを使う方が便利で早いよ」と言った。
「まあ、そうか。数学も」ちょっとポリポリ掻き「必要そうだし、傀儡師って、結構理系の才能が必要だね」
「まあ、それもあるけど、大事なのは三大美徳といわれているよ」
「何、それ」
「よく笑うこと、よく食べること、よく眠ること、の三つさ」
「なんだよ。えらく平凡だな」
「非凡な仕事は平凡な人間がやるべきだ、って格言がなかったっけ」
「ないよ」手で口を押え「ふぁああ、じゃあ、少し寝るよ」
「ああ、そうした方がいい。三大美徳さ」




