疲弊した王国
1. 疲弊した王国
「まだ王都からの軍隊は到着しないのか?」
茶色のカールした髪に同じく茶色の口ひげを蓄えたやせぎすの中年男性は、いらだちを隠せないように執務室奥のデスクから立ち上がると、ドアのところで立番している配下の者へ幾度目かの問いかけをした。
厚手のスーツは仕立ては良いもののように見受けられるが、両肘に膝や裾部分など所々継ぎ当てが施されていて悲壮さは感じないまでも、配下の者がいるという待遇にも拘らず決して裕福という印象は受けない。
「はっはあ……そのぉ……町はずれの台地で王都方面主街道の様子を何度も確認に行かせておりますが、一向に……何より王都から軍を派兵したとの連絡もまだでして……。
ちょ……町長様がお叱りになられるので……むっ……無理をして町の外にまで何度も人を出してはおりますが……その……そろそろ夕刻となり辺りが暗くなりますと荒野は特に危険となりますもので……出来ましたらその……確認に行かせるのは派兵の連絡が届いてからでも良いのではないか……と……?」
すると、これまた栄養が行き届いていないことが一目瞭然の、やせぎすで血色もよろしくない、継ぎ当てだらけの作業着然とした両胸や腰部分にポケットが多くつけられた灰色の服を来ている配下の者が、恐る恐る言葉を選ぶかのように、手に持つ端がほころびたハンカチで汗を拭きつつ慎重に答えた。
どうやらこの町の町長に対して町役場の担当者が応対しているのであろうが、担当者は町はずれまで何度も人を出すことには不満がある様子だ。
「だっ……だから……町の若者たちに手間をとらせるわけにはいかんと……わし自ら丘迄見に行くと言っておるのに町長業務が滞るからと、役場から出してもらえぬではないか……。
流石に軍隊も危険な夜間の行軍は行わないはずだから、もう見張り番を引き上げるのは構わぬが……明日も早朝から頼むぞ……出来ぬのであれば役場を欠勤してでも、わし自ら丘へと向かう……」
町長は覚悟を決めたような厳しい口調で、配下の者に告げた。
「でっですから……大変危険ですので腕に覚えのある若いもの数人のグループで、明日も確認に行かせるとお約束いたします……ですが……本当に……派兵の連絡を受けてからでも十分に事は足るのではないのでしょうか?要請を受けてすぐに王都から出立したにしても、これまで何の連絡もない筈はございません。
ですので恐らく未だに軍の派遣は行われていないものと……。」
配下の者は少々言いづらさは感じているものの、強情な上司に対して現実をきちんと見るよう当たり前のことを進言する。
「なっ……なんだとう?むっ……わしの娘を含めた女学生たちが、城壁の向こうの森の中に薬草を採りに行ったまま、戻ってこなくなって最早5日だぞ!その日のうちには王都へ捜索のための軍隊派兵要請をしたというのに、何を愚図愚図としているのだ?
恐らく娘たちは魔物どもに捕らわれておるのだ……この町の力自慢が何人集まったところで、森の中に巣くう徒党を組んだ魔物たちには到底敵うことはないと……助役のお前も含めて皆が申すから、恥を忍んで王都へ救難要請を出したのだぞ!それが……どうして……未だに???
王都からここ迄……大の男なら2日……軍がゆっくり行軍したとしても3日あれば到着すると皆が申しておったではないか!なのになぜ、未だに何の音沙汰もないのだ?」
椅子から立ち上がった町長は振り返り、ガラス窓から外へと視線を移しながら苦々しそうに後ろ手で先ほどまで掛けていた自分のデスクに向かって握りこぶしを作って叩いた。
「そっそれはその……近頃王国の各地で魔物どもが暴れまわっているという報道がされておりまして……恐らく軍隊もそちらの対応で手一杯ではないかと……。
そもそも現王さまが隣国に向けて無茶な領海宣言を発し……反対する隣国に対して宣戦布告を行ったものですから……我が国を取り囲む三国の連合軍相手に敗戦濃厚となり戦況は最悪……それでも莫大な賠償金など支払う当てがない為敗北宣言すらできないありさま……切迫した財政難にあえいでいるのがこの国の実情ではないですか……。
地方の町にまで兵力を向けるような余裕は……でっ……ですが……すぐには無理でも何とか近日中には派兵頂けるのではないかと……国内の有事でございますから……流石に国王様も無視はしないで頂けるかと……。」
助役は怒り心頭の町長を何とかなだめようと、言葉を紡ぐ……。
「近日中ー……?!近日中とはいったい何時になるというのだ?
低級の魔物どもは人間を生きたままその場で食いちぎるが……魔物達を使役する魔族ともなると、捕らえた人間に水だけ与えて内臓を空にして……3日ほどしてから首を刎ね、逆さに吊るして生き血を飲み……皮を剥ぎ捌いて焼いて肉を食うと聞いておる。
なのにもう……既に5日だぞ!これ以上どう待てというのだ?娘たちはもう……とっくに食われて骨だけになっているのかもしれんのだぞ!」
町長は目に涙を浮かべながら、悔しそうにうなだれる……。
「お気持ちは分かりますが……その……我々の力ではいかんとも……」
助役は申し訳なさそうに上目づかいで町長の機嫌を窺う……こんなやり取りが、もう5日も続いているのだ。その間は当たり前だが町長は日常業務をすべてキャンセルして、王都から派遣されてくるはずの軍隊の動向を探ることに集中している。
たまりにたまった業務の催促も助役には頭の痛い事であったが、流石に実の娘のことであるため気を使い、彼も口に出すことは憚ってきたのだ。
「わー……わー……」「やったぁー……」「でかした……」
出口のない問答の繰り返しに二人が困り果てていると……突然窓の外に歓声があがり騒がしくなってきた。
「うん?なんじゃ?人々の歓声のような……おお、そうじゃ……町の人々が役場前の広場で、娘たちの無事を願いお祈りしておったはずじゃが、祈りの声が歓声に変わっておるようだぞ!
ようやく軍隊が到着したのだろ?すっ……すぐに行って町はずれの森の場所までご案内差し上げるのだ!最早一刻の猶予もないのだぞ!」
両開きの窓を勢いよく開けて外の様子を眺めてから、町長はすぐに助役に指示を出した。勿論町長の視界には軍隊の姿など、どこにも映っていないのだが……だが今の状況で人々が歓声を上げることなど、おおよそ軍隊の到着以外には考えられないのであった。
「ははっ……かしこまりました……。」
助役は急いで執務室から出ると、勢いよく階段を下ってエントランスを横切り、木造2階建ての庁舎から外の広場へと向かった。
「ふうっ……娘たちが全員無事であってくれるとよいのだが……いや……多くは望むまい……我が娘とは言わん、せめて一人だけでも……命があって助かってくれるのなら……。」
町長は窓を閉めるとデスクの椅子に腰掛け、天井を仰ぎ見ながら大きく息を吐き、そうしてから両手を合わせて祈るように目を閉じた。
ところが四半刻ほどして……予想外の言葉が町長の下へと届けられた。
「何事だ?」
到着したはずの軍隊を先導しているはずの助役が、勢い良く執務室へと駆け戻ってきたのだ。余りの必死の形相に町長も一瞬たじろいだが、すぐに気を取り直して問いかけた。
「ぜっ……ぜいぜい……ははっ……町長様のお嬢様……含め……薬草摘みに行った娘全員が……無事に……戻って来たようです。はぁはぁ……」
助役は息も絶え絶えに……それでも何とか朗報を告げる。
「なんと!娘たちが戻っただと?では魔物たちに捕らわれていたのではなかったのか?自力で戻ってきたというのじゃな?いやあ……あっぱれ!
それで娘はどうしたのじゃ?戻ってきたのなら、すぐにここへ……いやいや……腹も減っておるだろうからすぐに家へと戻って行ったのか?だったらこうしてはおれん……すぐに家へ……」
無事に娘が戻ったという朗報に満面の笑みを浮かべて町長は飛び上がって喜び、部屋を出て行こうとする。
「いっ……いえ……それが……その……はっ……はっ……」
助役は未だ息が上がり、床に跪いて苦しそうにしている様子だ。
「なんじゃ……どうしたというのだ?ちょっと階段の上り下りをしたくらいで情けない……日頃の運動不足がたたっておるのじゃぞ……。」
娘の無事を知り上機嫌の町長は自分のデスクの上の水差しからなみなみとガラスコップに水を注ぎ、中腰になって助役の口元へと飲み口を近づけてやった。
「はぁはぁ……ごくごくっ……ふうっ……。」
助役は町長に助けられながらコップ一杯の水を一気飲みし、大きく息を吐きながら呼吸を整え始めた。
「そっ……その……ですね……当初、お嬢様たちを救出するため自警団を組織しようと人を募るために、町長様が町の冒険者組合に仕事を依頼されたではないですか……。」
「ああ……だが経済的に窮しているこの町には冒険者たちも素通りする始末で、ましてや町の若者たちなどでは魔物の集団には到底太刀打ちできないと言われ……仕方なく王都へ伝書バトで救助要請したのじゃぞ!」
助役の問いかけに町長は首をひねりながら、当たり前のように当時の状況を答えた。
「私も軍隊が到着しているものと勘違いして城壁の門へと向かおうとしたのですが、すぐさま冒険者組合だと皆に言われ……焦って駆けていってきたのです。」
助役はそう言いながら腹を押さえてようやく呼吸が楽になったようで、ゆっくりと立ち上がった。成程……冒険者組合までは役場から片道半里ほどはありそうだ……そこを駆け足で往復したのであれば……ここ迄息が切れていたのも納得と、町長は何度も頷いた。
「ところが……一昨日の晩に流れ着いた冒険者が組合に立ち寄り依頼を受けて森へと向かったそうで、なんと娘さんたちを救出して戻ってまいったのです。
ですがその……町長様はその……依頼を出しただけで礼金を冒険者組合へ納めていらっしゃらなかった為……礼金を頂くまでは娘さんたちは引渡しできないと主張しているようです。」
助役が申し訳なさそうに、俯き加減に応える。それはそうだ……どうせ引き受け手のない依頼……いちいち礼金など預けておく必要性などないと、強く町長を制したひとりであったわけだから……。
「そうであったか……冒険者一行がな……じゃがまあ……軍隊が未だに王都からやってくる気配も見えない時に、冒険者の活躍は有り難いのう……まあよい……礼金は急いで揃えることにするが……いかんせんもう夕刻故、銀行も閉まっておるではないか。
確か銀貨2百枚で依頼したはずで……我が家の全財産に等しい額であるが……まあ娘には代えられん……払うぞ払う……じゃが明日になるから……その……冒険者様ご一行は丁重に応対して、町の一番いい宿の一番いい部屋をあてがってやってくれ。勿論飯代含めて全額わしが負担しよう。
支払いは明日になるが必ず払うから……と約束して、娘たちはずいぶんと疲れているじゃろうから、どうにか家へ帰してもらえるよう交渉してもらえんか?何だったらわしが直々に行っても構わんのだが……なんせ銀貨2百枚じゃろ?
国中不景気で金が回っていない現状では、銀行の頭取の家へ行って今晩から夜通しかけて手配してもらわんと引き出せず、明日も無理かもしれんからな……。」
町長はそう指示をすると、すぐに手提げかばんを掴んで身支度を整え始めた。
「礼金に関しては……町の商工会会長の娘さんや町議会議員の娘さんも一緒にお戻りのようですから、皆さんで出し合えばよろしいのではないかと……恐らくそのほうが、手早く準備できるでしょうし……。」
「ああいや……冒険者組合へは焦ったわしが独断で出したものだからな……今更皆で割り勘……とはいかんじゃろ。それに町の緊縮財政の折……どの家も生活は厳しいはずだ……わしの家は代々受け継がれた耕作地からの収穫があるから取り敢えず飢えることはないはずだ……だから、うちだけの負担にしておくよ。
礼金の件は、皆には内緒にしておいてくれ。」
助役の申し出に口元を緩ませながら、町長は首を横に振った。
これと言って大きな産業もない小さな田舎町……王都にそこそこ近いとはいえ、裏を返せば大きな商売は全て王都に持っていかれてしまうという事になる。それでも国として栄え発展していた時には、地の利を生かして物流の中継点としての倉庫業などで潤っていた時期はあった。
だが敗戦濃厚で国庫が空になってしまうと、物流という言葉が生じるだけの物の往来はほぼ発生せず、食品以外は衣類などの生活必需品ですら国民は買い渋り、地域によっては成り立たなくなってしまった。
おかげで町長ですら継ぎ当てが施されたよれよれの背広を着用して、日々通勤するしかなくなってしまったのだ。まともな税収が望めなくなった町では、町長や町議会議員などの大半は無報酬で勤めざるを得なくなり、助役や秘書に役場の公務員などは賃金50%カットを甘んじて受けている状況だ。
今回の薬草採取に関しても、苦しい町の財政を鑑み町民のためを思って娘たちが自発的に行った事であり、その顛末の責任は全て長である自分にあると自覚している……ならば財産をなげうってでも報酬を準備せねばならない。
「かしこまりました……冒険者様はお一人のようでしたので……スイートは必要ないでしょう。最高級のキングサイズベッドの部屋を手配いたしましょう。では、お嬢様たちが今夜中に帰宅できますよう、何とか交渉してみます……。」
助役はそう言って頭を下げると、町長よりも先に部屋を出て行ってしまった。
「おおそうか、1人……ええっ?たった一人で娘たちを救い出したというのか?いやなにより……たった一人だけで、魔物の群れがひしめく森の中に入って行ったというのか?
手練れの冒険者ですら1人では森の奥になんか絶対に行かないと聞く……今回娘たちが行った入り口近くまでなら春前の間伐のおかげで木立が開けて視界が良いという話を聞いたから……それでも心配で一度は止めたのに五人以上で向かうというから……魔物だって人間の群れは怖がると聞いたから許可したのに……。」
余りに意外な助役の言葉に、暫しぼおっと呆けたかのようになっていた町長であったが、すぐに気を取り直して急ぎ足でそのまま町一番の銀行の頭取の下へと向かった。
その晩遅く……町長の娘がようやく帰宅してきた。どうやら念のために診療所で検査してから帰宅させたようで、礼金目当ての冒険者が渋ったためではなさそうであった。
町長としても明朝の午前中には礼金が準備できる目途はつけてきたので憂いはなく、大喜びで娘を迎え入れた。
「なんと……当初3日間は森の中を逃げ回っていたというのか?」
「はい、父様……森の入り口の花畑の薬草はほとんど荒らされていて収穫できず……仕方なく森の中を探索したのです。以前の安全な時に来ていた子が少し奥に薬草が生い茂っている花畑があったと思い出し……でも奥に行ったところで魔物の群れに取り囲まれてしまい……魔物除けの煙玉を使ってその場を逃げ出しました。
あとはもう……どこをどう逃げ回ったのか、朝露を掬って水分を補給しながら何とか逃げまわっておりましたが次第に森の中心へと追いやられていたようで、3日目には逃げ場を失って囚われてしまいました。
そうして後は……泥水のようなものだけ与えられ……いずれ捌かれて吊るされるというところへあの方が、救出に現れて下さったのです。」
緑色の髪の毛を後ろでまとめて束ねている快活そうな面立ちの娘は、町長のリクエストに応えて森の中での出来事を克明に説明した。
厚手のシャツに麻製の厚手のズボン姿は夏を迎えた今の季節には不向きだが、それでも他に継ぎ当てのない余所行きはこれまた厚手のロングスカートだけで、さすがに動き回るであろう薬草採取には向かず、町長の娘としての品位を保つためのいわば一張羅であった。
それでも肌の露出を押さえ厳しい日差しから日焼けを防ぎ、虫刺されなどから防御できると言い訳染みた理由を持ち出し笑顔で出かけて行ったのだった。
娘は準備された食事は少しつまんだだけで食卓の席へはつかず立ったまま、部屋の中を歩き回りながら興奮気味に今日起きた痛快な出来事を延々とまくし立てている。




