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異世界キャバクラ王 ~酒チートと氷魔法で、夜の社交界を支配する~  作者: 阿鼻恭介
第4章 育つ店、広がる縁

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第53話 ノアの役割

朝の柔らかな陽射しが、西通りを優しく照らしていた。


Club Moon Dropの前に立ったノアは、小さく息を吸い込む。


いつもと変わらない朝。


それなのに胸の奥だけが、昨日からずっと重かった。


(やっぱり……)


昨夜の出来事が頭から離れない。


見慣れない男が店を訪れた時のこと。


リリアは受付として落ち着いて対応していた。


ロイはすぐに受付の横へ立ち、店全体へ気を配った。


エルナ、セレナ、ミーナも何事もなかったかのようにお客様へ笑顔を向け、店内の空気を乱さなかった。


そしてレンは、店の責任者として静かに対応し、誰一人不安にさせることなく男を帰した。


その間、自分は何をしていただろう。


裏方で、ただ様子を見ていただけだった。


「……私」


小さく呟いても、答えは出ない。


店の鍵が開く音が聞こえ、ノアは慌てて表情を整えた。


「おはようございます」


「おはよう、ノア」


レンはいつもと変わらない笑顔を向ける。


その笑顔が、かえって胸に刺さった。


店内へ入ると、ノアはすぐに裏方の仕事を始める。


制服を一着ずつ確認する。


袖口。


襟元。


ボタン。


糸のほつれ。


テーブルクロスも広げ、汚れや傷みがないか丁寧に見ていく。


どれも大切な仕事だ。


そう思って取り組んでいる。


それでも昨日の出来事を思い出すたび、心の中で別の声が囁いた。


(これだけで、本当にいいのかな……)


営業前の準備が進む。


ロイは入口を確認し、リリアは受付を整える。


エルナたちは客席を見回り、それぞれが自然に動いていた。


誰も迷わない。


誰も立ち止まらない。


その姿を見ていると、自分だけが取り残されているような気持ちになる。


「ノア?」


声を掛けられ、我に返る。


ミーナだった。


「どうしたの?」


「え?」


「さっきから何だか元気がないよ?」


「そんなこと……」


否定しようとして、言葉が続かなかった。


ミーナは少し心配そうに微笑む。


「無理しないでね。」


「ありがとう。」


そう返したものの、胸の重さは変わらなかった。


営業前の準備が終わる。


レンが店内を見回し、小さく頷いた。


「よし、今日も問題ないな。」


その言葉を聞いても、ノアの心は晴れない。


(本当に……問題ないのかな。)


昼営業は穏やかに始まった。


紹介で訪れた女性客が笑顔で席へ案内される。


リリアは落ち着いて受付をこなし、エルナたちは楽しそうに会話を弾ませる。


ノアは裏方から様子を見守り、必要な時だけ静かに店内へ出る。


使い終わったクロスを回収し、新しいものへ替える。


乱れた椅子を元へ戻す。


誰にも気付かれないように。


それが自分の仕事だった。


けれど、お客様が帰る頃にはまた同じ思いが込み上げてくる。


(誰にも気付かれない仕事……。)


もちろん、それが悪いとは思わない。


目立たない仕事も必要だ。


それでも。


昨日のようなことが起きた時、自分には何もできなかった。


昼営業が終わり、店内に静けさが戻る。


皆が片付けを始める中、ノアは制服を畳みながら何度も迷っていた。


(聞いてみようかな……。)


いや、迷惑かもしれない。


レンは店の責任者だ。


忙しいはずだ。


そんなことで時間を取らせるわけにはいかない。


それでも胸の中のもやもやは消えない。


このまま抱えたままでは、また同じことを考えてしまう。


ノアは小さく深呼吸した。


(勇気を出そう。)


制服を棚へしまい、レンの姿を探す。


レンは受付で帳簿を確認していた。


声を掛けようとして、一度足が止まる。


(やっぱり……。)


その時だった。


「ノア?」


レンが顔を上げる。


「あ、はい!」


思わず大きな声が出てしまう。


レンは優しく笑った。


「何かあったか?」


ノアは両手を胸の前で握り締める。


緊張で喉が渇く。


それでも勇気を振り絞った。


「あの……。」


「少しだけ、お時間をいただいてもいいですか?」


レンは帳簿を閉じると、穏やかに頷いた。


「もちろん。」


「奥で話そうか。」


ノアは小さく頭を下げる。


「ありがとうございます。」


店内には営業と営業の間だけ流れる静かな時間が広がっていた。


その静けさの中で、ノアは胸にしまい込んでいた思いを、ようやく言葉にしようとしていた。


営業と夜営業の合間。


昼営業を終えたClub Moon Dropには、穏やかな静けさが戻っていた。


リリアたちは交代で休憩に入り、ロイは入口や店内を見回っている。


レンは受付で帳簿を閉じると、ノアへ視線を向けた。


「ノア。」


「は、はい。」


「二階で話そうか。」


「……はい。」


ノアは小さく頷き、レンの後について階段を上がった。


二階の事務所。


営業に使う帳簿や書類、契約書類などが整然と並び、昼の柔らかな光が窓から差し込んでいる。


レンは椅子を勧めた。


「座って。」


「ありがとうございます。」


ノアは緊張した面持ちで椅子へ腰を下ろす。


向かいに座ったレンは、急かすことなく静かに口を開いた。


「さっき、何か相談があるって言ってたな。」


「はい……。」


ノアは膝の上で手を重ねた。


何度も頭の中で考えた言葉なのに、いざ話そうとすると喉が詰まる。


それでも、今日話さなければ、きっとまた同じことで悩み続ける。


そう思い、勇気を振り絞った。


「私……。」


レンは静かに頷く。


「うん。」


「私、このお店で働き始めてから、ずっと考えていたことがあるんです。」


「うん。」


「私は裏方の仕事しかできません。」


「制服を整えて。」


「テーブルクロスを替えて。」


「お掃除をして。」


「それが私の仕事です。」


ノアは一度言葉を止めた。


昨日の出来事が頭へ浮かぶ。


見慣れない男が店へ来た時のこと。


受付ではリリアが落ち着いて対応し、ロイはすぐ横へ立った。


エルナ、セレナ、ミーナはお客様が不安にならないよう、いつも通り笑顔で接客を続けていた。


レンは責任者として静かに男へ対応し、店の決まりを崩さなかった。


その時、自分は。


「私は……何もできませんでした。」


声が少し震える。


「裏にいただけでした。」


「皆さんはお店を守っていたのに、私は何もできなくて……。」


ノアは俯いた。


「だから、やっぱり私は、お店の役に立てていないんじゃないかって思ってしまって……。」


部屋へ静けさが流れる。


レンはすぐには答えなかった。


しばらく考え、それから穏やかに尋ねる。


「ノア。」


「はい。」


「昨日、制服はどうだった?」


突然の質問だった。


「え……?」


「汚れていたか?」


「い、いいえ。」


「テーブルクロスは?」


「全部きれいでした。」


「椅子は?」


「営業前に全部確認しました。」


「入口は?」


「掃除しました。」


レンは静かに笑った。


「それをやったのは誰だ?」


「……私です。」


「そうだ。」


レンは優しく頷く。


「昨日、お客様が安心して店で過ごせたのは、受付や接客だけのおかげじゃない。」


「店がきれいだった。」


「制服が整っていた。」


「客席も気持ちよく使えた。」


「その状態を作っていたのはノアだ。」


ノアは首を横に振る。


「でも、それは目立たない仕事です。」


「目立たない仕事だからこそ、大事なんだ。」


レンの声は穏やかだった。


「例えば、制服が少し汚れていたら。」


「クロスがしわだらけだったら。」


「椅子がぐらついていたら。」


「お客様は理由が分からなくても、『今日は何か違う』と感じる。」


ノアは静かに耳を傾ける。


「店っていうのは、そういう小さな積み重ねでできている。」


「一つだけなら気にならない。」


「でも、小さなことが積み重なると、居心地は少しずつ悪くなる。」


「その小さな違和感をなくしてくれているのが、ノアなんだ。」


ノアは思わず顔を上げた。


「私が……。」


「ああ。」


レンは迷いなく答えた。


「昨日も奥の席のクロスを替えてくれただろ。」


「はい。」


「俺は気付いていなかった。」


「でも、ノアは気付いた。」


「そういうことに気付ける人は、多くない。」


ノアは言葉を失う。


自分では当たり前だと思っていたことを、そんなふうに言われたのは初めてだった。


レンは事務所の棚へ視線を向ける。


帳簿。


契約書。


備品の管理表。


営業を続けるために必要な書類が並んでいる。


「ノア。」


「はい。」


「これから、一つ新しい仕事を頼みたい。」


「私に……ですか?」


「ああ。」


レンは机の引き出しを開け、一冊の小さな革表紙の手帳を取り出した。


「これを使ってほしい。」


ノアは両手で受け取る。


「手帳……。」


「店内を見回って、気付いたことを書いてくれ。」


「どんな小さなことでもいい。」


「椅子のぐらつき。」


「制服のほつれ。」


「クロスの汚れ。」


「備品の不足。」


「気になったことは全部だ。」


ノアは手帳を見つめる。


まだ何も書かれていない真新しい一冊。


「営業前と営業後に、その手帳を俺へ見せてくれ。」


「一緒に確認しよう。」


「はい。」


「それから。」


レンは続ける。


「帳簿の整理や書類仕事も少しずつ覚えてほしい。」


ノアは驚いて目を見開いた。


「書類……ですか?」


「ああ。」


「在庫の記録。」


「備品の管理。」


「書類の整理。」


「店を続けるには、そういう仕事も欠かせない。」


「もちろん、最初は俺が教える。」


「少しずつ覚えていけばいい。」


ノアは戸惑いながらも尋ねる。


「私に……できますか?」


レンは笑った。


「できる。」


その答えに迷いはなかった。


「ノアは細かいことによく気付く。」


「丁寧な仕事もできる。」


「だから任せたい。」


その言葉を聞いた瞬間。


ノアの目に涙が浮かんだ。


役に立ちたい。


そう思い続けてきた。


でも、何をすればいいのか分からなかった。


今、その答えをレンが示してくれた。


「ありがとうございます……。」


「頑張ります。」


「店を支えられるように。」


レンは優しく微笑む。


「よろしく頼む。」


二人は一階へ戻る。


夜営業の準備が始まる時間だった。


ノアは受け取った手帳を大切そうに胸へ抱く。


まず何を書こう。


店内を見回れば、きっと気付くことがある。


今まで何となく見ていた景色が、今日は少し違って見えた。


受付ではリリアが準備を進めている。


ロイは入口を確認し、エルナたちは客席を整えていた。


その中でノアも静かに店内を歩く。


椅子を確認し。


テーブルクロスを整え。


制服を見直す。


そして、ふと入口近くの花瓶が少し斜めになっていることへ気付いた。


ノアはそっと向きを直す。


誰も気付かない。


けれど、それでいい。


それが自分の仕事なのだと、今は胸を張って思えた。


Club Moon Dropには、それぞれの役割がある。


目立つ者。


目立たない者。


その誰が欠けても、この店は成り立たない。


ノアは新しい手帳をそっと開いた。


最初の一行を書き込むために。


その小さな一歩は、店を支える大きな一歩でもあった。

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