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異世界キャバクラ王 ~酒チートと氷魔法で、夜の社交界を支配する~  作者: 阿鼻恭介
夜の店、その第一歩

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第31話 会員証と忍び寄る影

翌朝、俺は金獅子亭へ向かう前に、オーウェンの工房へ寄った。


腰の袋には、昨日受け取った会員費の一部が入っている。全額ではない。エミリアとガイルから預かった金は、すでに別の革袋に分け、金獅子亭の奥でマルク立ち会いのもと保管している。


これは俺の金ではない。


未来の店のために預かった信用だ。


そう考えると、革袋一つ持つだけでも背筋が伸びた。


旧商業区の朝は、中央区画ほど賑やかではない。けれど静かな分だけ、職人の街らしい音がよく聞こえた。木を削る音。金具を打つ音。布を広げる音。朝の空気には、焼きたてのパンよりも、乾いた木材と油の匂いが濃い。


俺は工房の扉の前で足を止めた。


中から、一定のリズムで刃物が木を削る音が聞こえる。


昨日見た試作椅子の続きだろうか。


少しだけ胸が高鳴る。


椅子。


会員証。


店の図面。


一つ一つが、俺の夢を現実へ引き寄せていく。


「オーウェンさん」


声をかけると、奥から低い返事があった。


「入れ」


工房に入ると、木の香りが濃くなった。


作業台の上には、昨日の客用椅子が置かれている。昨日より少し形が整っていた。角が削られ、背もたれの曲線が滑らかになっている。まだ無骨だが、すでに店で使われる未来が想像できた。


その横には、小さな木片がいくつも並んでいた。


「来たか」


オーウェンは作業の手を止めずに言った。


「今日は椅子の確認か?」


「それもありますが、お願いがあります」


「また面倒なことか」


「たぶん」


「帰れ」


「まだ内容を言ってません」


オーウェンは鼻を鳴らした。


「言ってみろ」


俺は革袋から小さな羊皮紙を取り出し、作業台に置いた。


「会員証を作りたいんです」


「会員証?」


「新しい店の創設準備会員に渡す証です。木札で、小さくて、持ち歩けるもの。名前か番号を入れたい」


オーウェンの手が止まった。


彼は俺を見て、それから並んでいた木片へ視線を落とす。


「店もないのに、会員証か」


「はい」


「順番がおかしい」


「分かっています」


「だが、商売としては分からなくもない」


そう言って、オーウェンは木片を一つ手に取った。


「形のない約束を、形にするわけだな」


「その通りです」


「なら粗末には作れん」


オーウェンは即座にそう言った。


その言葉に、俺は少し救われた気がした。


会員証なんてただの木札でいい、と言われるかと思っていた。


だが、この人は分かっている。


形のないものほど、形にした時の質が重要になる。


「厚すぎると邪魔だ。薄すぎると割れる。持った時に少し重みがある方がいい」


オーウェンは木片を並べ替えながら言った。


「安い木を使うと軽すぎる。だが高級材を使うと、数を増やした時に金がかかる」


「最初は少数です」


「少数だからこそ、最初の出来が噂になる」


俺は頷いた。


会員第一号が持つもの。


それは、ただの証ではない。


見せたくなるもの。


語りたくなるもの。


自分が選ばれたと感じられるもの。


そうでなければ意味がない。


「番号を入れたいです」


「一、二、三か」


「はい。昼会員と夜会員で印を分けたい。昼は月、夜は杯の印とか」


「月と杯」


オーウェンは少し考えた。


「悪くない。昼に月は変だが」


「夜の店を目指しているので」


「理屈は分からんが、覚えやすいならいい」


彼は小刀を取り、薄い木片に軽く線を入れた。


小さな円。


その下に杯。


素朴な印だった。


だが、彫られた瞬間、木片がただの板ではなくなった。


「……いいですね」


「まだ線を入れただけだ」


「でも、雰囲気があります」


「雰囲気で飯は食えん」


「でも、雰囲気で酒は売れます」


オーウェンは一瞬黙った。


それから、少しだけ口元を歪めた。


「言うようになったな」


「鍛えられているので」


「誰にだ」


「いろんな人に」


本当にそうだった。


マルクに現実を教わり、バルドに商売を教わり、エミリアに女性客の視点を教わり、リリアに働く側の不安を教わり、オーウェンに物の重さを教わる。


俺の店は、俺一人の知識だけでは作れない。


前世の黒服知識は武器だ。


だが、それだけでは足りない。


この世界の人間の言葉を聞かなければ、この世界で続く店にはならない。


「最初は三枚作ってください」


俺は言った。


「昼会員第一号。夜会員第一号。あと、予備の一枚」


「特別会員は?」


「まだ売りません」


「賢い」


オーウェンは短く言った。


「欲しがらせてから売れ。最初から高い札をばら撒くと安く見える」


この人、商人ではないはずなのに、時々妙に鋭い。


「バルドさんにも同じことを言われました」


「商人と同じことを言ったか。気分が悪いな」


そう言いながらも、オーウェンの表情は悪くなかった。


「三枚なら明日までに作る。名はどうする」


「昼一号はエミリアさん。夜一号はガイルさん」


「女主人と冒険者か。面白い組み合わせだな」


「俺の店の最初の客層を象徴しています」


「女が昼、男が夜か?」


「最初は。でもいずれ、昼と夜をつなげたいです」


オーウェンは小さく鼻を鳴らした。


「欲張りだな」


「はい」


「欲張りなら、金を用意しろ」


痛いところを突かれた。


「会員費で少しずつ集めます」


「少しずつでは足りんぞ」


「分かっています」


「なら早く次を考えろ。椅子は待ってくれん」


俺は苦笑した。


職人に急かされると、妙に現実感が増す。


「分かりました」


「それと」


オーウェンは作業台の奥を顎で示した。


そこには、まだ組み上がっていない小さな椅子の骨組みがあった。


客用より少し軽く、座面も小さい。


「女用の試作だ。リリアを連れてこい」


「今日の夕方に来ます」


「遅れるな」


「はい」


工房を出る時、俺はもう一度会員証の木片を見た。


小さな木札。


けれど、そこには未来の店の最初の形が刻まれようとしている。


それを見て、胸の奥が熱くなった。


◇◇◇


金獅子亭へ戻ると、入口の木札の前に人だかりができていた。


昨日よりも多い。


創設準備会員の噂が広がり始めているらしい。


通行人が足を止め、常連が説明し、知らない者が首を傾げる。酒の匂いがする昼前の通りに、期待と好奇心が薄く漂っていた。


だが、その中に一つだけ違う気配があった。


店の斜め向かい。


露店の影。


そこに、昨日夜道で見かけた商会服の男がいた。


こちらを見ている。


何もしていない。


ただ見ているだけ。


だが、その視線は客のものではなかった。


全鑑定を使うまでもない。


監視だ。


俺は店へ入る前に、視線だけで男を捉えた。


相手は一瞬だけ目を逸らし、露店の品を見るふりをした。


下手だ。


だが、だからこそ厄介でもある。


カイル本人ではない。


おそらく、商会の下の人間。


情報を集める役。


俺が資金を集め始めたことを、カイル派が警戒している。


「レン?」


入口近くでリリアが声をかけてきた。


「どうしたの?」


「見られてる」


「え?」


「斜め向かいの露店。商会服の男」


リリアの顔が強張った。


「カイルの?」


「たぶん派閥の人間」


「どうする?」


「今は何もしない。見られていることを分かった上で動く」


リリアは不安そうに頷いた。


「怖いね」


「怖い。でも、見られて困ることはしない」


そう言いながら、俺は自分に言い聞かせていた。


会員制度は隠していない。


むしろ木札を出している。


監視されても、表向きは問題ない。


だが、資金状況や会員の名前を知られるのは危険だ。


特に女性会員の情報は守らなければならない。


エミリアが言っていた。


名前を表に出したくない人もいる。


その意味が、今になってさらに重く感じられた。


「リリア」


「うん」


「今日から、会員の名前を客前で言わない。誰が入ったか聞かれても、本人の許可なしには答えない」


「分かった」


「あと、申込書は奥に置く。客席には出さない」


「うん」


「女性客にもそう伝えて。名簿は非公開だって」


リリアは真剣に頷いた。


接客修行は、こういうところにも及ぶ。


笑顔で酒を勧めるだけではない。


客の情報を守る。


働く子の安全を守る。


店の信用を守る。


夜の店に必要な知識は、華やかさよりもむしろ裏側にある。


◇◇◇


昼営業は、昨日より少し慌ただしかった。


会員制度の話を聞きに来る女性客が増えている。全員が入る気ではない。ただ興味があるだけの者もいるし、噂を確かめに来た者もいる。


それでも、店内に新しい熱があった。


冷やし果実酒と蜂蜜果実焼きはよく出た。


リリアは昨日より落ち着いていた。会員制度について聞かれるたびに、無理に勧めず、「詳しい説明はレンからできます」「名簿は公開しません」「女性だけでも安心して使える席を考えています」と丁寧に答えている。


言葉が少しずつ彼女のものになっていた。


エミリアも昼過ぎに来た。


彼女は店の入口で、斜め向かいの商会員にちらりと目を向けた。


気づいている。


さすがだ。


席に着くと、エミリアは小声で言った。


「見られているわね」


「はい」


「会員名簿は?」


「非公開にします。申込書も奥で保管します」


「それでいいわ。女性客の名前は絶対に軽く扱わないこと」


「はい」


「特に商家の女性は、酒場に通っていると噂されるだけで面倒になることがあるの」


「分かりました」


「分かっているなら、今日から徹底しなさい。守れない店には、女性客は戻らないわ」


その言葉は厳しかった。


だが、ありがたかった。


「ありがとうございます」


「私は会員一号なのでしょう?」


「はい」


「なら、最初に苦言を言う権利くらいあるわ」


エミリアは微笑んだ。


その笑顔に、俺は少しだけ救われた。


会員とは、ただ金を出した客ではない。


店を一緒に作る協力者でもある。


もちろん、客に店を支配されてはいけない。だが、良い意見は取り入れるべきだ。


「今日、会員証の相談に行ってきました」


俺は言った。


「木札です。名前は希望名で作れます。表に出したくない場合は、番号だけでも可能です」


エミリアの目が少し柔らかくなった。


「良い判断ね」


「オーウェンさんが作ってくれます」


「職人の木札なら、持っていて恥ずかしくなさそうね」


「明日、最初の一枚ができます」


「楽しみにしているわ」


その言葉を聞いて、胸が少し軽くなった。


良かった。


会員証は正しい方向だ。


◇◇◇


夕方、リリアと一緒に再びオーウェンの工房へ向かった。


店を出る時、斜め向かいの商会員はまだいた。


今度は露店ではなく、壁際に立っている。


あからさますぎる。


だが、何もしてこない。


「ずっと見てる」


リリアが小声で言った。


「気にしすぎるな。でも、忘れないで」


「うん」


「誰が何を見ているか意識するのも接客の一部だ」


「接客って、何でもあるんだね」


「あるよ。特に夜の店は」


「怖い?」


「怖い。でも、知っていれば対処できる」


知らないことが一番怖い。


前世でそれを学んだ。


危ない客も、売上の流れも、女の子の不満も、気づかないうちに大きくなる。早く気づけば対処できる。遅れれば手遅れになる。


だから見る。


人を見る。


数字を見る。


空気を見る。


今、この世界で俺がやっていることは、前世の黒服時代の延長でもあった。


◇◇◇


工房に着くと、オーウェンは女の子用の試作椅子を用意していた。


客用より少し小さい。


座面は浅めで、脚は軽く、背もたれは低い。見た目だけなら控えめだが、近づくと細かな工夫が分かる。足元に引っかかりにくいよう脚の角が削られ、座面の端は滑らかに丸められている。


「座れ」


オーウェンがリリアに言った。


リリアは緊張しながら腰を下ろした。


座った瞬間、表情が変わる。


「立ちやすい」


最初の感想がそれだった。


オーウェンは頷く。


「そう作った」


リリアは何度か座り直し、立ち上がった。


「足が引っかからないです。あと、少し前に出やすい」


「客の横で話すなら、深く座り込むな。すぐ動ける方がいい」


「でも、座っていて疲れにくいです」


「それはまだ分からん。長く座れ」


「はい」


リリアは真面目な顔で座り続けた。


俺も横から椅子を見る。


確かに、客用とは全く違う。


客用は落ち着かせる椅子。


女の子用は動ける椅子。


役割がはっきりしている。


「すごいですね」


俺が言うと、オーウェンは不機嫌そうに言った。


「当たり前だ。違う人間が違う目的で座るんだ。同じ椅子で済ませる方がおかしい」


「普通はそこまで考えないかもしれません」


「普通の店ならな」


「俺の店は?」


「面倒な店だ」


彼は短く言った。


けれど、その声には少しだけ楽しそうな響きがあった。


「面倒な店ほど、家具屋の仕事は増える」


「それは良いことですか?」


「金を払うならな」


「頑張ります」


本当に頑張らなければならない。


椅子だけでも、かなりの金がかかる。


会員費はまだ足りない。


もっと売上を作る必要がある。


ただし、焦って悪い客を入れてはいけない。


そのバランスが難しい。


リリアはしばらく座った後、少し首を傾げた。


「ここ、もう少しだけ丸い方がいいかも」


座面の端を指差す。


「立つ時に、少し太ももに当たります」


オーウェンの目が鋭くなった。


「どこだ」


「ここです」


彼はすぐに指で確かめ、刃物で薄く印をつけた。


「直す」


リリアは驚いた顔をした。


「いいんですか?」


「そのために座らせている」


「ありがとうございます」


「礼はいらん。使う者の感想は金になる」


俺はそのやり取りを見て、胸が温かくなった。


リリアが意見を言い、職人がそれを受け取る。


働く子の声が、道具に反映される。


それは、俺が作りたい店の姿そのものだった。


◇◇◇


工房を出る頃、空は暗くなっていた。


オーウェンは会員証の試作も一枚見せてくれた。


小さな木札。


片面には杯の印。


もう片面には番号を入れるための余白。


まだ名前は彫られていない。


それでも十分に雰囲気があった。


リリアはそれを見て目を輝かせた。


「これ、持ってたら嬉しいかも」


「そう思う?」


「うん。なんか、特別な感じがする」


その感想で十分だった。


会員証は、ただ証明するためだけのものではない。


持って嬉しいこと。


誰かに見せたくなること。


それが大事だ。


「明日、エミリアさんとガイルさんの分を渡せる」


俺はそう言った。


「うん。きっと喜ぶよ」


工房から金獅子亭へ戻る途中、リリアは少し静かだった。


「どうした?」


「今日、椅子に座って思ったんだけど」


「うん」


「私、本当にその店で働くのかなって」


俺は足を止めそうになった。


彼女は前を向いたまま続ける。


「最初は、変な店だと思ってた。女の子が話して、お客さんが楽しくなる店なんて、本当にあるのかなって。でも、冷やし果実酒を出して、女の人たちが喜んで、私のことを覚えてくれて、椅子まで作ってもらって……なんか、少しずつ本当になってる」


「怖い?」


「少し」


「嫌?」


リリアは首を横に振った。


「嫌じゃない。むしろ、見てみたい。自分がどこまでできるのか」


その言葉に、胸の奥が熱くなった。


リリアは、もうただ巻き込まれているだけではない。


自分の意志で、少しずつ前へ出ようとしている。


「無理はさせない」


俺は言った。


「働くかどうかは、リリアが決めていい」


「うん。でも、教えて」


「何を?」


「接客も、店のことも、危ない客の見方も。私、自分で分かるようになりたい」


俺は頷いた。


「教える」


「約束ね」


「約束」


夜の通りに、二人の足音が響いた。


遠くには酒場の灯り。


空には星。


前世の夜とはまるで違うはずなのに、胸の奥には同じような熱があった。


店が始まる前の熱。


何かが形になり始める時の、怖くて楽しい感覚。


◇◇◇


金獅子亭に戻ると、店の前が少し騒がしかった。


マルクが入口に立っている。


ガイルもいた。


そして店の前には、一人の男が立っていた。


見覚えがある。


昨日、特別会員を断った交易商モリスだった。


彼は顔を赤くし、周囲に聞こえるような声で言っていた。


「金を受け取る相手を選ぶとは、随分と偉くなったものだな。この店は客を値踏みするらしい」


周囲に野次馬が集まり始めている。


リリアの表情が強張った。


俺は静かに息を吸った。


来たか。


会員制度への最初の反撃。


金を断った相手が、面子を潰されたと感じて騒ぎに来たのだ。


そしておそらく、その背後には監視していた商会員がいる。


カイル派が火をつけた可能性もある。


俺は一歩前に出た。


「モリスさん」


彼がこちらを見る。


「おお、若き店主様のお出ましか」


嫌な笑み。


酔っている。


全鑑定。


――――――――

名前:モリス

状態:酩酊/怒り/羞恥心

現在の目的:会員制度への不満表明/面子の回復/周囲への印象操作

背後影響:カイル派商会員による煽動あり

警戒度:高

推奨対応:公衆の前で冷静に規律を説明/挑発に乗らない

――――――――


やはり。


俺は胸の中で息を整えた。


ここで失敗すると、会員制度そのものに傷がつく。


客を選ぶ店。


それを高慢と取られるか、規律ある店と取られるか。


今の対応で決まる。


マルクが低く言った。


「レン、俺が追い返すか」


「いえ」


俺は首を横に振った。


「俺が話します」


リリアが不安そうに俺を見る。


俺は小さく頷いた。


大丈夫。


そう伝えるために。


本当は大丈夫ではない。


心臓は少し速い。


だが、前世で何度も面倒な客の前に立った。


怒鳴る客。


絡む客。


金を盾にする客。


そのたびに、黒服は笑顔で前に立つ。


今日も同じだ。


ただし、今守るのは店の会員制度。


そして、未来の女の子たちの安全だ。


俺はモリスの前に立った。


「ご不快にさせたなら申し訳ありません」


まず謝る。


だが、引かない。


「ですが、創設準備会員は誰にでも販売するものではありません。店の規律を理解し、守っていただける方に限っています」


「私は規律を守ると言った!」


「その場で同意しただけでは確認になりません」


周囲がざわつく。


モリスの顔がさらに赤くなる。


「金を払う客を疑うのか?」


「疑うのではなく、全員に確認しています。金額に関係なく同じです」


「偉そうに」


「店を守るためです」


俺は声を少しだけ強くした。


「俺が作る店では、金を払ったから何をしてもいい、という考えは認めません」


空気が変わった。


ガイルが腕を組んでこちらを見ている。


マルクは黙っている。


リリアは不安そうだが、逃げずに見ている。


モリスは口を開きかけた。


その前に、俺は続けた。


「女性客にも、働く子にも、他の客にも安心してもらうためです。会員であっても、暴言、暴力、強要、泥酔しての迷惑行為があれば退店していただきます」


「私がそういう客だと言うのか!」


「今はそう言っていません。ただ、その規律を受け入れられない方には、会員権を販売できません」


沈黙。


周囲の視線がモリスへ向く。


彼は、自分が試される側になったことに気づいたのだろう。


「……ふん。くだらん」


彼は吐き捨てた。


「そんな店、長く続かんぞ」


「続く店にするために、今こうしています」


俺は静かに答えた。


モリスは舌打ちし、外套を翻して去っていった。


今度は誰も笑わなかった。


ただ、静かなざわめきが残った。


その中で、ガイルが低く言った。


「俺は、そういう店なら金を払う」


その声はよく通った。


「女に乱暴する客を入れない店なら、俺は応援する」


続いて、エミリアの声がした。


いつの間にか来ていたらしい。


「私も同じです。女性が安心して座れる場所なら、会員になる価値があります」


空気が変わった。


モリスの捨て台詞より、二人の言葉の方が強く残る。


昼会員第一号。


夜会員第一号。


その二人が、店の規律を支持した。


これは大きい。


俺は深く頭を下げた。


「ありがとうございます」


その瞬間、俺は理解した。


会員制度とは、金を集める仕組みではない。


店の価値観を共有する仕組みだ。


誰を迎え、誰を断るか。


それを最初に示すための仕組みでもある。


◇◇◇


その夜、営業後の金獅子亭は、いつもより少し静かだった。


騒動の余韻が残っている。


だが悪い沈黙ではない。


むしろ、何かが定まった後の静けさだった。


マルクはカウンターを拭きながら言った。


「今日の対応は悪くなかった」


「ありがとうございます」


「ただ、敵は増えたな」


「でしょうね」


「モリスだけじゃない。あいつを煽った奴がいる」


「カイル派です」


俺は短く答えた。


マルクの眉が動く。


「見えたのか」


「はい」


「なら次も来るな」


「来ます」


会員制度は、彼らにとって危険だ。


俺が資金を得る。


店を持つ可能性が高まる。


客を囲い込む。


酒商会を通さない新しい社交場が生まれる。


それは、既存の商売の流れを変えるかもしれない。


カイルが黙っているはずがない。


バルドが静かに口を開いた。


「今日の件で、会員制度の性格ははっきりした」


「性格?」


「金で入る制度ではなく、規律に同意する者の制度だ。これは強みになる」


「同時に、反発も招きます」


「その通りだ」


バルドは頷いた。


「だが、商売とは選ぶことだ。全ての客に好かれる店は、結局誰にも強く好かれない」


その言葉は胸に刺さった。


全員に好かれようとしない。


店を作るなら、必ず必要な覚悟だ。


リリアは女性用の試作椅子の話をしながら、少しだけ笑った。


「私は、今日のレンの言葉、よかったと思う」


「どの言葉?」


「金を払ったから何をしてもいいわけじゃないって」


彼女は少し俯いた。


「そういう店なら、私も働けるかもって思った」


その言葉だけで、今日の緊張が報われた気がした。


俺は静かに頷く。


「そういう店にする」


「うん」


「絶対に」


店の入口の外では、夜風が木札を小さく揺らしていた。


創設準備会員。


その木札は、昨日より少し重く見えた。


酒を売る店ではない。


規律を売る店でもある。


安心を売る店でもある。


そして、未来を売る店だ。


その未来を守るために、今日俺は一人の金持ち客を断った。


それが正しかったかどうかは、これから分かる。


だが少なくとも、俺は後悔していなかった。


翌日。


モリスの騒ぎは街中に広がる。


そしてその噂は、思わぬ形で新たな会員希望者を呼び込むことになるのだった。

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