第13話 酒商会の圧力
初めての執筆で読みにくいところもあると思いますが楽しんで読んで頂けましたらうれしいです。
どうぞよろしくお願いいたします。
「カイル、ですか」
俺がその名前を繰り返すと、マルクは苦い顔をした。金獅子亭の営業前の店内には、昼の光が斜めに差し込んでいた。夜になれば冒険者や商人たちの笑い声で満ちる大広間も、今は椅子が整然とテーブルの上に逆さに置かれ、床には掃除を終えたばかりの水の匂いが残っている。酒場という場所は不思議だ。夜にはあれほど欲望と熱気を飲み込むのに、昼間はまるで酔いから覚めた人間のように静まり返っている。
マルクはカウンターの向こうで腕を組み、しばらく言葉を選ぶように黙っていた。いつもの豪快な店主の顔ではない。商売人の顔だった。
「カイル・バルドン。バルド酒商会の営業責任者だ。会長のバルドとは血縁じゃねえが、長年商会にいる古株でな。現場の酒場や小売店との取引は、だいたいあいつが握ってる」
「つまり、実務担当ですか」
「ああ。しかも面倒なタイプだ。会長みたいに大きく物を見るんじゃなく、目先の縄張りを守るのに必死な男だ」
なるほど、と俺は内心で頷いた。組織にはよくいる。上にいる人間は意外と柔軟でも、中間管理職が一番厄介な場合がある。自分の守る範囲を荒らされることを嫌い、新しいものを脅威と見なし、上の判断が下りる前に潰しにくる。前世の夜の店でも似たような人間はいた。系列店のマネージャー、古参スタッフ、常連ぶった客。立場は違っても、根っこは同じだ。
「そのカイルという人は、具体的に何を言ってきたんです?」
「昨日の酒を今後も出すなら、酒商会を通せと言ってきた。仕入れ元を明かせ、販売量を報告しろ、価格は商会の基準に合わせろ、とかな」
「随分と親切ですね」
俺がそう言うと、マルクは鼻で笑った。
「親切なもんか。要するに首輪を付けたいんだよ」
その通りだ。新商品を見つけた時、商人が取る行動は大きく二つある。協力して利益を広げるか、管理下に置いて独占するか。カイルは後者を選んだ。しかもこちらの事情を聞く前に圧力を掛けてきたということは、相手を対等な取引先とは見ていない。金獅子亭を自分たちの流通網の末端として扱っている。
俺はカウンター席に座り、指先で木目をなぞった。古い傷がいくつも刻まれている。酔った冒険者がナイフを突き立てた跡かもしれないし、荷物を乱暴に置いた跡かもしれない。酒場とは、人間の感情が形として残る場所だ。だからこそ面白い。
「マルクさんは、どう返したんです?」
「うちは酒場だ。仕入れ先を選ぶ自由はある、と言った」
「それで?」
「笑われたよ。自由はあるが、今後も商売を続けたいなら空気を読めとな」
露骨だった。だが分かりやすい。そういう相手は扱いやすい場合もある。何を恐れているかが見えるからだ。
「つまり向こうは、昨日のビールを脅威だと判断した」
「だろうな」
「でも、まだ十杯しか売っていません」
「それであの騒ぎだ。十樽売ったらどうなると思う?」
マルクの言葉に俺は小さく笑った。まさにそこだ。ビールの味はこの世界の酒に対して明確な優位性がある。冷えていること、香りが良いこと、雑味が少ないこと、泡の見た目が美しいこと。それらは単なる味以上の価値を生む。客は酒を飲んでいるのではない。体験を買っている。昨日の十杯は、ただの酒ではなく「誰も知らない特別な一杯」だった。
そして特別な体験は噂になる。
「今日も売るんですか?」
マルクが尋ねた。彼の目には期待と不安が半分ずつ混ざっていた。売れば儲かる。だが売れば圧力も強くなる。商売は常にその繰り返しだ。利益とリスク。前に進むには両方を秤にかけなければならない。
俺は少し考えてから答えた。
「売ります。ただし昨日と同じ売り方はしません」
「ほう」
「今日は十杯ではなく五杯にしましょう」
マルクの眉が上がる。
「減らすのか?」
「はい。昨日より減らします」
「普通は増やすだろ」
「普通ならそうです。でも、今は普通に売る段階じゃありません。昨日飲めなかった客が今日こそ飲もうと来る。そこで数を減らすと、価値はさらに上がります」
「客が怒るぞ」
「怒ります。でも来なくなる怒りじゃない。次こそ飲んでやるという怒りです」
マルクはしばらく俺を見ていたが、やがて喉の奥で笑った。
「お前、悪い商売人になるぞ」
「褒め言葉として受け取ります」
もちろん、俺は客を騙すつもりはない。品質の低いものを高く売るのは詐欺だ。だが良いものを、より価値が伝わる形で売るのは商売だ。前世のキャバクラでも同じだった。高級酒のボトルそのものの価値だけで客は金を払わない。誰のために入れるのか、どんな空気で開けるのか、周囲がどう盛り上がるのか。そこまで含めて商品だった。
異世界でも、人間の心は変わらない。
「ただ、一つ条件があります」
「何だ?」
「今日から俺の名前を表に出さないでください」
マルクの表情が変わった。
「狙われると思うか?」
「まだ分かりません。でも、少なくともカイルという人は俺を探すはずです。酒の出所を知りたいでしょうから」
「昨日の客の中には、お前が関わってると勘づいてる奴もいるぞ」
「それは仕方ありません。ただ、金獅子亭としては『特別な仕入れ先から少量だけ入った酒』という形にしてください」
「仕入れ先は?」
「秘密で」
マルクは呆れたように笑った。
「秘密ばっかりだな」
「秘密があるから価値が出るんです」
俺がそう言うと、マルクは少しだけ真顔になった。彼は馬鹿ではない。むしろ商売人としての勘は鋭い。だからこそ、俺の言葉の意味を理解していた。
「分かった。今日も五杯だけ出す。表向きは俺が仕入れた特別な酒だ」
「お願いします」
「だがレン、気をつけろよ。酒商会は冒険者みたいに分かりやすく剣を抜くわけじゃねえ。もっと嫌なやり方をする」
「例えば?」
「仕入れを止める。噂を流す。税を扱う役人に話を通す。荒っぽい連中を使って店の周りをうろつかせる。いくらでもある」
それは厄介だった。直接殴り合う方がまだ楽かもしれない。だが、俺が目指しているのは商売の世界だ。なら、こういう相手とはいずれ必ずぶつかる。
「分かりました」
俺は頷いた。怖くないと言えば嘘になる。前世の俺は普通の大学生で、黒服のバイトだった。裏社会の大物と渡り合った経験などない。だが夜の店には綺麗事だけでは済まない場面も多かった。酔った客、横柄な客、金を払わない客、女の子を傷つけようとする客。そういう連中を相手にしてきた経験は、少しは役に立つはずだ。
それに俺には、全鑑定がある。
相手の嘘や状態を見抜けるなら、商売の場ではとんでもない武器になる。
◇◇◇
その日の夕方、金獅子亭は昨日以上の客入りだった。まだ日が落ちきっていないのに、入口の前には何人もの冒険者が立っていた。皆、何食わぬ顔をしているが視線は看板に向いている。
【本日限定 特別な酒 五杯限り】
昨日より少ない数字を見て、客たちの間にざわめきが走っていた。
「五杯だと?」
「昨日より減ってるじゃねえか」
「ふざけるな、今日は絶対飲むつもりだったんだぞ」
「早い者勝ちか?」
予想通りの反応だった。俺はカウンターの奥でそれを見ながら、静かに呼吸を整えた。焦る必要はない。客の熱が上がるのを待つ。商売には、商品を出す前の時間も含まれる。期待が高まれば高まるほど、一杯の価値は上がる。
ガイルたちも来ていた。昨日飲んだガイルは当然のように一杯目を狙っている顔をしていたが、サラに肘で小突かれていた。
「昨日飲んだでしょ」
「だから今日も飲みたいんだ」
「まだ飲んでない人に譲る気は?」
「ない」
「最低」
リリアは二人のやり取りを見ながら苦笑していたが、ちらちらとこちらを見ている。彼女も気になっているのだろう。昨日は結局飲んでいない。未成年かどうかという問題はこの世界の基準ではよく分からないが、俺の感覚ではリリアにいきなり酒を飲ませるのは抵抗がある。もっとも、同じ年齢の身体になっている俺が言えたことではないが。
営業が始まると、店内は一気に熱を帯びた。肉料理の香り、焼いたパンの匂い、安いエールの発酵臭、人々の声。それらが混ざり、酒場特有の濃い空気を作る。その中で、客たちは皆、特別な酒がいつ出るのかを待っていた。
マルクはわざと焦らした。最初の注文が入ってもすぐには出さない。料理を運び、普通のエールを出し、客の期待を少しずつ煽る。そして店内の視線が十分に集まったところで、低い声で言った。
「特別な酒、一杯目だ」
空気が止まった。
俺はカウンターの下でビールを精製し、氷魔法で冷やした。昨日と同じようにジョッキへ注ぐ。黄金色の液体。白い泡。冷気。見た目の美しさだけで周囲の客が息を呑む。酒は味だけではない。見た目も香りも温度も、全てが体験になる。
一杯目を手にしたのは、昨日飲めなかった中年の商人だった。彼は周囲の視線を一身に浴びながら、妙に誇らしげな顔でジョッキを持ち上げた。
「では、いただこう」
その仕草には、ただ酒を飲む以上の意味があった。自分が選ばれた側であるという優越感。周囲が羨ましがる中で味わう特別感。これは前世のキャバクラで、高級ボトルを入れた客が周囲に見せる表情と同じだった。
商人が一口飲む。
喉が動く。
目が見開かれる。
次の瞬間、彼はゆっくりとジョッキを離し、震えるように息を吐いた。
「……これは、酒なのか?」
店内がざわつく。
「酒です」
マルクが答える。
商人はもう一口飲んだ。今度は少し多めに。冷たさが喉を抜け、麦の香りが鼻に戻り、苦味の後にすっきりとした余韻が残る。彼の表情が変わっていくのが分かった。困惑から驚きへ。驚きから喜びへ。そして喜びから欲へ。
「もう一杯」
「五杯限定です」
マルクが即答した。
商人は顔を歪めた。
「金は出す」
「五杯限定です」
「倍出す」
「五杯限定です」
店内に笑いが起きた。だがその笑いには羨望が混じっている。成功だ。
その後の四杯も同じだった。飲んだ者は驚き、飲めなかった者は悔しがる。たった五杯の酒が、金獅子亭全体の空気を支配していた。
そして俺は、その光景を見ながら確信していた。
これは使える。
単なる酒売りでは終わらない。人は酒に金を払うのではなく、酒を通して得られる感情に金を払う。優越感、満足感、癒し、興奮、承認欲求。キャバクラはその感情を設計する商売だった。ならば、この世界でも必ず通用する。
◇◇◇
だが、閉店前に空気は変わった。
店の扉が開いた瞬間、数人の男が入ってきた。服装は冒険者ではない。商人の従業員風だが、目つきが悪い。酒を飲みに来た客ではないとすぐに分かった。
その中心にいた男を見た瞬間、マルクの表情が硬くなる。
「カイル」
俺はカウンターの奥からその男を観察した。年齢は三十代半ば。細身で、身なりは整っている。髪も服もきちんとしているが、目が笑っていない。口元には薄い笑みを浮かべているのに、視線は相手を値踏みし、支配しようとしていた。
俺は静かに鑑定を使った。
――――――――
名前:カイル・バルドン
年齢:36
職業:酒商会営業責任者
状態:平常
性格傾向:支配欲が強い/利益優先/保身的
警戒度:高
目的:新酒の出所確認/金獅子亭への圧力
――――――――
やはり面倒な相手だった。
カイルは店内を見回し、最後にマルクへ視線を向けた。
「賑わっているな、マルク」
「おかげさんで」
マルクの声は低かった。常連たちも異変に気付き、少しずつ会話を止めている。酒場の空気は敏感だ。喧嘩が始まりそうな時、客は本能的に察する。
カイルは笑みを崩さず、カウンターへ歩いてきた。
「例の酒は、もう売り切れか?」
「ああ。本日分は終わった」
「そうか。残念だ」
残念と言いながら、少しも残念そうではない。彼は指先でカウンターを軽く叩き、店内の客にも聞こえる程度の声で言った。
「ところでマルク。昨日も言ったが、ルミナスで酒を扱う以上、酒商会との関係は大事にした方がいい。妙な酒を勝手に出されると、市場が乱れる」
市場が乱れる。
便利な言葉だ。本音は自分たちの利益が乱れる、だろう。
マルクが答える前に、カイルはさらに続けた。
「もし安全性に問題があったらどうする? 出所不明の酒を客に飲ませるなど、信用ある酒場のすることではない」
店内にざわめきが走った。
上手い。
俺は内心で舌打ちした。カイルは直接「売るな」とは言わない。安全性という言葉を使って、客の不安を煽る。商売において信用は命だ。そこを突いてきた。
マルクの顔が険しくなる。
「うちの酒に問題があるとでも?」
「そうは言っていない。ただ、確認が必要だと言っている。酒商会としてな」
カイルの視線が一瞬だけ俺をかすめた。
気付いている。
少なくとも、俺が関係者だと疑っている。
俺は前に出るべきか迷った。まだ表に出ない方がいい。だがこのままでは、金獅子亭の信用に傷が付く可能性がある。
その時、ガイルが立ち上がった。
「俺は昨日飲んだが、何ともねえぞ」
続いて商人の男も声を上げる。
「私も今日飲んだ。むしろ体調は良いくらいだ」
店内の空気が少し戻る。
カイルの眉がわずかに動いた。
だがすぐに笑みを戻す。
「個人の感想では証明にならない」
もっともだ。
この男は厄介だ。感情ではなく理屈で攻めてくる。しかも表面上は正論に見える。
俺は静かに息を吐いた。
ここで黙っていれば、次はもっと大きな圧力が来る。ならば、今日のうちにこちらの立場を作るべきだ。
俺はカウンターの奥から一歩前に出た。
「では、確認すればいいんじゃないですか」
カイルの視線がこちらへ向いた。
店内の視線も集まる。
「君は?」
「レンです」
「……ああ。噂の少年か」
カイルの口元がわずかに歪む。
俺は構わず続けた。
「安全性が問題なら、ギルドの鑑定士か薬師に確認してもらえばいい。酒商会だけで判断するより、その方が公平です」
カイルの目が細くなった。
俺はさらに言う。
「もし問題があれば販売を止める。問題がなければ販売を続ける。それでいいのでは?」
店内が静かになった。
正論には正論で返す。
相手が安全性を盾にするなら、公平な第三者確認を提案すればいい。酒商会が本当に客の安全を心配しているなら拒否できない。拒否すれば、目的が別にあると見られる。
カイルはしばらく俺を見ていた。
そして薄く笑った。
「面白い少年だ」
その言い方はバルドとは違った。
好意ではない。
敵意を隠した笑みだった。
「いいだろう。確認してもらおう。ただし、問題が出れば金獅子亭は責任を取る。それでいいな?」
マルクが答える。
「ああ」
俺も頷いた。
「構いません」
カイルは満足そうに笑い、部下たちを連れて店を出て行った。
扉が閉まると、店内に残っていた緊張が一気にほどけた。客たちがざわざわと話し始める。マルクは深く息を吐き、俺の方を見た。
「助かった、レン」
「いえ。でも次はもっと厄介な手を使ってくると思います」
「ああ。分かってる」
俺は扉の方を見た。
カイル・バルドン。
異世界に来て初めて、明確に敵と呼べる相手が現れた。
だが恐怖よりも、胸の奥に別の感情があった。
商売が始まった。
本当の意味で。
味の良い酒を作るだけなら簡単だ。俺にはチートがある。だが店を作るには、それだけでは足りない。敵対勢力、信用、噂、価格、流通、人間関係。全てを扱わなければならない。
これは戦いだ。
剣ではなく、酒と信用と欲望を使った戦い。
そして俺は、その戦いの入口に立ったのだった。
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