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【第一話】鍵の音

 夜の街は、どこか静かすぎた。

 街灯に照らされた帰り道。

 瀬戸ハルは、いつも通り“なんとなく”歩いていた。

 やりたいことはない。

 なりたいものもない。

 ただ、毎日が過ぎていく。


「……つまんねぇな」


 思ったことが、そのまま口に出た。

 別に不満があるわけじゃない。

 でも、満足もしていない。

 何かが足りない。

 それが何かも分からない。

 そんな、空っぽのままの人生だった。

 ——そのときだった。

 足元が、淡く光った。


「……は?」


 思わず立ち止まる。

 地面に、円形の光。

 複雑な模様が幾重にも重なっている。

 見覚えがあった。


「……魔法陣、かよ」


 思わず、笑った。

 こんなところに?

 誰かのイタズラか、イベントの仕込みか。

 どっちにしても——


「……ちょっと、入ってみるか」


 理由なんてなかった。

 ただ、ほんの少しだけ。

 退屈を壊したかっただけだ。

 ハルは、何の躊躇もなく踏み込んだ。

 ——瞬間。

 視界が、弾けた。

 光。音。感覚。

 全部が一気に引き剥がされる。


「……っ!?」


 身体が、落ちていた。

 いや——違う。

 空だ。


「は……?」


 理解が追いつかない。

 足元に、何もない。

 ——落ちている。


「はああああああああ!?」


 遅れて、叫びが出た。

 風が身体を叩く。

 重力が、容赦なく引きずり下ろす。

 終わった、と思った。

 意味もなく生きて、意味もなく終わる。

 ——そんなもんか。

 妙に冷静だった。

 そのとき。

 視界の端で、“何か”が動いた。

 ——人?

 いや、違う。

 人が、飛んでいる。


「おいガキ! 目ぇ開けろ!!」


 野太い声。

 次の瞬間、腕を掴まれる。

 落下の勢いが、強引に止まった。


「ぐっ……!」


 身体が引き裂かれそうになる。

 でも、落ちていない。

 ——浮いている。


「間に合ったな……ったく、最近の若いのは空から降ってくるのが流行りか?」


 軽口混じりの声。

 目の前には、筋骨隆々の男。

 雷のような気配を纏っている。


「……は?」


「大丈夫か。顔が死んでるぞ」


「……あんた、誰だよ」


「ムス・ロッジーニだ。まあ、ただの通りすがりのおっさんだな」


 全然“ただ”じゃない。

 そう思ったが、言葉は出なかった。

 ロッジーニは軽く笑い、空を蹴るように進む。

 信じられない光景だった。

 だが、それ以上に。

 ハルの胸の奥に、奇妙な感覚が残っていた。

 ——さっきの光。

 あれは、何だったのか。

 そして。

 なぜ、自分はそこに飛び込んだのか。

 答えは出ない。

 ただ。

 何かが、変わった気がした。

 それだけは、確かだった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 ——その夜。

 眠れなかった。

 理由は分かっている。

 ここがどこなのかも分からないまま。

 知らない場所で、知らない人間に助けられて。

 それでも、不思議と恐怖はなかった。

 代わりにあるのは——


「……なんか、違うな」


 胸の奥のざわつき。

 今まで感じたことのない感覚。

 それに、少しだけ似ていた。

 外に出る。

 静かな夜。

 見慣れない星空。

 そのとき。

 ——カチッ。

 小さな音がした。

「……?」

 振り返る。

 古びた井戸のそば。

 そこに、それはあった。

 鍵。

 黒とも銀ともつかない色。

 妙に、目を引く。


「……なんだこれ」


 近づく。

 しゃがむ。

 手を伸ばす。

 触れた。

 ——ドクン。

 心臓が、大きく鳴った。

 その瞬間。

 世界が、静かになった。

 風が止まり。

 音が消え。

 ただ一つ。

 見えない“流れ”だけが、はっきりと分かる。


「……これ……」


 何かが、ある。

 この世界に満ちている“何か”。

 それが——

 鍵に触れた部分だけ、止まっていた。


「……は?」


 理解できない。

 なのに。

 手放せなかった。

 鍵が、手に馴染む。

 まるで最初から、自分のものだったみたいに。

 ——カチッ。

 また、音がした気がした。

 無意識に、振る。

 その瞬間。

 空気が、ひび割れた。

 何かが、一瞬だけ消えた。


「……今の……」


 自分の声が、少しだけ震えていた。


「……それ」

 背後から、静かな声。

 振り返る。

 そこにいたのは、白髪の少女だった。

 片方が黄色、もう片方が青の瞳。

 感情の読めない表情。

 けれど——

 どこか、寂しそうに見えた。


「……それ、持ってると……危ない」


 声は小さい。

 でも、はっきりしている。


「いや、もう触っちまってるし」


「……そう」

 少女は、少しだけ目を伏せた。


「……なら、もう遅い」


「え」


「……それは、たぶん……」

 言いかけて、やめる。

 言葉を飲み込むように、口を閉じた。


 少しだけ、間があって。


「……壊れるかもしれない」


「は?」


「……あなたか、周りか……どっちかは」


 静かな声。

 脅しているわけじゃない。

 ただ、事実を言っているだけのようだった。


「……なんだよそれ」


 意味が分からない。

 でも。

 その言葉は、妙に引っかかった。

 少女は、鍵から視線を外さないまま。

 ぽつりと、呟いた。


「……でも」


 ほんの少しだけ。

 声が柔らかくなる。


「……それ、あなたには……合ってる」


「え?」


「……だから」

 一瞬だけ、目が合う。

 その瞳は——

 ほんの少しだけ、揺れていた。


「……手放さない方が、いい」


 理由は、言わない。

 でも、その言葉には。

 不思議と、重みがあった。

 沈黙。

 風が戻る。

 音が戻る。

 世界が、元に戻る。

 でも。

 ハルの中だけは、戻らなかった。

 何かが、確実に変わっていた。

 理由も分からないまま。

 ただ一つだけ。

 分かったことがある。

 ——退屈は、終わった。

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