不穏の種は管理下にしまう
今日もありがとうございます
双方折れることはなく、最後にナタリアが提案した『顔合わせ後の一ヶ月で、準備期間がたりなかったらその時にまた考える』で収まった。
先送り案が採用されるとは思わなかったが、とりあえず良しとして、ナタリアは考えることを止めた。
そして今、談話室から部屋へ戻るナタリアだが、とても落ち着かない。
なぜなら、ナタリアの部屋の手前にテオドールの部屋を造った為、一緒に並んで戻っているからだった。
今までとは違う、部屋の手前まで一緒に、というのは嬉しいけれど緊張する。
隣のテオドールからは、いつも通りの優しい笑みが降ってきている気配はあるが、顔を上げられずに歩いている。
「ああ、もう着いてしまった。残念だけどまた明日の朝。おやすみなさい、リア」
テオドールは心底残念そうに言い、ナタリアの手をギュッと握る。
「おやすみなさい、テオドール」
「ああ、様、が取れただけでも今は喜ばなくてはね。うん、良い夢を」
テオドールは名残惜しそうに手を離し、ナタリアが部屋に入るまで扉の前で見送っていた。
後ろからついている護衛達は『早く二人で生活させないと、テオドール様が溶けて無くなりそうだ』と、あまりにも熱く甘い雰囲気に、二人を直視できなくなっている。
護衛としてそれはどうなんだ、と言われると謝るしかない。
テオドールが部屋に入るのを見届けて、護衛達はナタリアの部屋の前に立った。
「彼氏、欲しいなぁ」
女性の護衛のつぶやきに、ナタリアの部屋から出てきたメイドが『本当それよ』と頷いた。
「あまり夢を見ない方が良いぞ。この二人は特別だ」
既に妻帯者である男性の護衛が説くように言う。
「夢ぐらい見させて。お二人を見ていると、私もあのぐらい愛されたいって思っちゃうもの」
メイドが小声で話す。『わかるぅ、照れてるナタリア様も可愛いのよねぇ』女性の護衛も声のトーンを抑えて話す。
最近はメイドと護衛がこのような話をしている。興奮を抑えて小さな声で話しているが、少しずつ声が大きくなってくると、隣りにいる男性の護衛が注意する。それを二〜三回繰り返すと、メイドが去って行く。
護衛二人で静かに仕事に戻る。
テオドールの部屋が移動してからは毎日こんな調子だ。
テオドールは、ドーレ家の人達の目があろうと、ホークムーンの町民の目があろうと、自分の気持ちを隠すことなくナタリアへ向けている。多少の自重はあるかもしれないが、周りから見たらたれ流し状態だ。
その男が仕事中は無表情で、即断即決。
愛想笑い一つせず、友人でもあるケネスと話す時でさえ表情は変わらない。
ドーレ騎士団内での評判はすこぶる上々で、先日の雨の日に騎士団の鍛錬所で剣をあわせた者達は、またお願いしたいと口々に願い出ていた。
ドーレ騎士団は強者揃いだが、その彼等が一目置く程の腕前で、さらに判断力も備わっている。そのためすっかり騎士団員の尊敬と憧れの人になった。そしてそんな男がナタリアの前でだけ人が変わったようになるのだから、城仕えの女性達の憧れでもあった。
ある日の昼食後、テオドールはいつものように、これからある打ち合わせの資料を取りに、用意された部屋へと廊下を歩いていた。
「クレメンス公爵令息様」
部屋の少し手前でメイドがおずおずと声を掛ける。
テオドールは振り返り顔を見たが、初めて見た顔だった。
「何か?」
テオドールはニコリともせず聞く。
態々呼び止めたのだから、何かあるのだろうと促す。
「あの、ハンナと申します」
「······」
「あの、ハンナと」
「何か?」
「あの······その······お情けをいただきたく」
「···情け?」
「はい、あの、ナタリア様へのお気持ちのほんの少しでも」
テオドールは瞬時に考えた。
見知らぬメイドということは、部屋付きではないということ。
ドーレ家で採用されている使用人は、身元調査をしっかりされていると聞いているから、どこかの貴族が雇った女が紛れ込んでいる訳ではないだろう。
今でこそ平和だがここは国境の地で、ドーレ一族、使用人、領民の結束は固い。それなのに目の前のメイドは、主の娘であるナタリアの婚約者に子種をくれと言っている。ナタリアは前の婚約者に浮気をされたと知りながらだ。
結束というのは、ほんの少しの綻びから簡単に崩れ落ちる。
これは厳しく処理しないといけない案件だろう。
しかしここはドーレ家、自分の一存では決められない。テオドールは内心舌打ちをした。
「少し待っていなさい」
テオドールは部屋に入り、打ち合わせの書類を手に部屋から出てきた。
先程のメイドに『ついてきなさい』と言い、廊下を歩く。
メイドは顔を紅潮させながらついていく。
ついた先はケネスの執務室だった。
「入りなさい」
テオドールに促され、テオドールの後に部屋へ入る。
メイドを連れてきたテオドールに、ケネスは訝しげに尋ねる。
「そのメイドがどうかしたか?」
「ああ、なんでも私の情けが欲しいそうだが、生憎私はそのようなものを持ち合わせていなくてね。どうしたものかと君の意見を聞きに来た」
ケネスは、青白く顔色を変え俯いたメイドを見る。
「指示された仕事はしっかりこなすと聞いていたが、どうやら状況判断ができないようだな。残念だ」
突然暇を出されたメイドだが、結婚するから辞めたことになっていた。
直前までそのような話をしていなかったので、裏には何かあると使用人達は考えたが、余計な詮索はするな、このことに関する噂話も駄目だ、とお触れがまわり、使用人達はハンナを忘れることにし気を引き締めた。
いつも部屋を掃除しているメイドがいないことに気がついたナタリアは、周りの者にどこに行ったのかと尋ねたが、結婚するので辞めました、と皆同じ答えを返してきた。
幸いなことにナタリアは、ハンナに関してそれ以上聞いてこなかった。
ドーレ城で働く者の入れ替わりは殆ど無い。
しかし若い娘が結婚の為に辞める、というのはあり得る話だ。
ナタリアは、せめて辞める前に教えてくれたらお祝いを渡したのに、と祝う機会を逸したことを残念に思うだけだった。
城仕えを辞めたハンナは、家族の元へ戻った。
ハンナの家は、ホークムーンで小さい食堂を家族で営んでいる。
家族はハンナに『城から呼び戻そうと思っていた。ちょうど良かった』と何も聞かずに家に上げた。そして『ハンナに縁談が来ている』とホークムーンから少し離れた町の、宿屋の息子との縁談を持ちかける。
もし、城仕えを辞めた理由が知れ渡ると、この町では後ろ指をさされることになる。それよりもここから離れた町でやり直したい。そう考えたハンナは、縁談を受けることにした。
ハンナの両親は城からの使いにより、娘のしでかしたことを聞いていた。
もうここには住めない、と顔色を悪くした父親に城からの使いは一枚の紙を渡す。
「ここに書かれている場所にある宿屋の息子が、嫁探しをしている。家族で営む小さな宿屋だが、娘にどうか」
もしこの話を受けるのなら、城仕えを辞めた理由は広まらないように口止めをする。一言残して帰って行った。
その一時間後にハンナが帰ってきた。
何も知らなかったふりをした両親は、内心はビクビクしていたが、平静を装ってハンナに縁談を持ちかける。
一瞬驚いた顔をしたが、この話を受けると答えたハンナに、両親は早速返事をしなくちゃね、と急いで手紙を書いた。
宛先はドーレ城の先程の使いの者。噂が出ないようにしなくてはならない。
急いで手紙を城へ届けた。
三日後に、ハンナの結婚相手となる宿屋の息子から手紙が届いた。
一週間後に迎えに行くと認められたそれは、追伸として『約束は守る。この手紙は燃やすように』とあった。
手紙を読んだ両親はすぐに燃やし、灰を火掻き棒でバラバラにした。
一週間後、人の良さそうな雰囲気の男が、貸馬車に乗りハンナを迎えにやってきた。
ニコニコと常に笑みを絶やさないのは、職業柄なのか。両親へもしっかりと挨拶をして二人は馬車へ乗り込んだ。
両親は馬車が見えなくなるまで手を振り続ける。
これで良かったのだろうか、との不安な気持ちは、一月後にハンナから届いた、大切にしてもらっている、と書かれた手紙により少しだけ軽くなり、半年後に届いた、子が宿った、との手紙により安心へと変わっていった。
子が生まれたとの手紙をもらい会いに行くと、夫からは勿論義理の両親からも大切にされている娘を見て、ハンナの両親は何も心配することはなくなった。
ハンナの子供は男の子で、ハンナの夫がつけた名前は『テオハルト』だった。
更新は毎日12時を予定しています。
読んでいただき、ありがとうございました。




