少しずつ前進
いつもよりゆっくり歩いたつもりだが、城まではあまり時間はかからなかった。
玄関ホールでナタリアと別れたテオドールは、もう少し一緒にいたかった、と寂しさを感じてしまう。
一方ナタリアは、今日登録に来た警備希望者の書類をケネスに渡すため、ケネスの執務室へと向かった。
この書類を元に虚偽はないか、ドーレの諜報隊が調査に向かうことになっている。
毎日調査に行くのではなく、ある程度纏まってからなのだが、書類は城にある方が安全なので、提出されたものはその日のうちにケネスへ渡す。
まだ机に向かい仕事をしていたケネスは、ナタリアから書類を手渡しで受け取る。
その瞬間、ナタリアの指輪がないことに気が付き『解除できたのか!』と思わず声を張り上げた。
『はい、なんとなく解けたようです』と答えたナタリアも、本当にあれが解除条件だったのか、未だに疑心暗鬼だ。
「で、指輪はどうした?」
「テオドール様が持ってらっしゃる筈です」
「そうか、テオドールが。ああ、詳しくは夕食時に聞こう」
どうやら今夜も質問攻めにあいそうだ。
夕食時、テーブルにつくやいなや父から声が掛かる。
「ナタリア、指輪はどうした?」
「なんとなく解けました」
「なんとなく?」
「はい、なんとなく。その時は解除の条件を知らなかったのですが、解けてからテオドール様が教えてくださいました」
「そうか。では二人共、この話は進めても良いな」
「ぜひ一日も早くお願いします」
父の言葉に前のめりな返事をしたのはテオドールだった。
しかし、続いてナタリアも『お願いします』と小さく答えた。
このやり取りから、やはり父は条件を知っていたのかとナタリアは理解した。そして、知らなかったケネスとディアーズは、教えて欲しかった、と少し拗ねてみせた。
やはり質問は飛んでくるが、テオドールが上手く誤魔化しながら答えてくれた。
そして昨夜とは違うほのぼのとした食卓で、それがテオドールには嬉しく思えた。
今夜の談話室での歓談は、ケネスとディアーズが遠慮した為、テオドールとナタリアだけだった。
メイドもお茶を入れると下がっていき、扉は少し開いているが室内は二人きり。
しかも、今回もテオドールとナタリアは隣に座っている。
テオドールはナタリアの右に座り、ナタリアの右手を両手で包み込み『良かった』と笑う。
「私は一度、王都のクレメンス家へ行き、父に話を通してきます。一刻も早くまとめて欲しいと」
「まあ、では二週間くらいは不在になるのでしょうか」
ここ、ドーレ領地は王都から馬車で一週間は掛かる。それなのでナタリアは往復で二週間と計算した。
「いえ、私は転移が使えますから、せいぜい半日もあれば用事は済みます」
「便利ですが、無理して倒れないようにしてくださいね」
ナタリアが心配していることは、すぐにわかった。
転移魔法は、移動距離によって使用する魔力量が変わる。
馬車で一週間かかる距離は、テオドールの魔力量なら片道は平気だ。
問題は復路だが、ポーションを飲めば枯渇はない筈だ。念の為に戻る前に二瓶飲めば余裕はある。
魔力の枯渇は暫く意識が無くなるらしいし、下手をすると死ぬこともあるという。
きっとそのことを言っているのだろう。
テオドールとしても、やっと想いが通じたのに死ぬわけにはいかない。
テオドールはナタリアが安心できるように優しく手を握り、にっこりと微笑んだ。
テオドールは、先日宝石商に頼んだ品物はもう少し時間がかかりそうだ、指輪はサイズ調整も必要になるから、せめてネックレスかイヤリングでも王都で買って贈ろうか。そんなことをふと考えた。
「ベイジルは、いつ来るか決まりましたか?」
「いえ、まだ何も聞いていません。こちらから連絡した方が良いですよね、きっと」
「その時は私もリアの隣に居たいので、決まったら教えてください」
ナタリアはフワフワとした気持ちでいた。
テオドールの優しい笑顔はいつもと同じ。それなのに右手を握られているだけで、とても嬉しく感じる。
これが恋だというのなら、クロノスに感じていた気持ちは恋とは明らかに違う。
クロノスには、こんなフワフワとした感覚は無かった。クロノスから笑顔を向けられた時とか話をしている時に嬉しさはあったが、テオドールに感じる嬉しさとは少し違う気もする。
でも、好きだという気持ちは確かにあった。あの気持ちは何だったのだろう。
そういえば、ジュードに聞こうと思っていたのに、なんだかんだで未だに聞けずにいることを思い出した。
「リア、どうしました?」
テオドールは思案顔のナタリアに聞く。しかし、さすがのナタリアでも、こんなことは言ってはいけないと思い『いえ、何も』と誤魔化した。
しかし、テオドールは誤魔化されてくれなかった。
「何か思うことがあるなら、話してください。少しずつでもお互いを理解するために、話し合うことが大切だと思いますよ」
「まあ、そうですね」
しかし、ナタリアは迷う。
こんなことを言ってしまうと、テオドールに嫌がられる気がする。しかし、テオドールの言うことはその通りだとも思う。
それにもしかすると、この気持ちの違いを教えてもらえるかもしれない。
ふとそんなことを思うと、ナタリアは聞いてみようか、という気持ちがフツフツと湧いてくる。
いやでもさすがに止めておこう、と決めたのに、
「さ、リア、何を考えているのか知りたいんです」
優しく言われると、言わないという決心が揺らぐ。
聞こうか、止めようか、ぐらつく気持ちのままテオドールを見ると、とても楽しそうにナタリアを見ていた。
「なんだか、楽しそうですね」
「ふふっ、リアが迷っている顔も可愛いなと思って」
「かっ、からかわないでくださいっ」
「すみません。ははっ、でも本当に、はははっ、可愛くて」
「もうっ」
ナタリアは、悩んでいたのが馬鹿らしくなってしまった。そして、やっぱり言わなくて良かったとも思った。
「ふふっ、すみません。ちゃんと聞きます。さ、どうぞ」
「言いませんよ。もう」
ナタリアは恥ずかしくなって、ぷいっと顔を背けた。
しかし今のテオドールにとっては、そんな仕草もただ可愛いだけだった。
今日お互いの気持ちが同じだったことがわかり、テオドールは舞い上がっていた。
ずっと会いたいと思っていたナタリアに会え、話をすれば正直なところも想像以上で、自分の中でどんどん好感度が上がっていく。そのナタリアが自分を好きだと言ってくれたのだから、これは舞い上がってしまっても仕方がない。
本心としては、もっと近づきたいと思っているが、これはちゃんと婚約を整えてからにしよう。真面目なナタリアに誠実に向き合いたいから、とテオドールは決意し、兎に角早く王都にいる父に話をしようと予定を考えていた。
翌日、ナタリアはスッキリと目が覚めた。
自分の中での問題が二つ一緒に解消され、頭を悩ませることがなくなったからだろう。う〜んと伸びをすると、体も軽くなったように感じた。
朝食の為に食堂へ向かう。
ケネス一家がまだ席には居なかったが、父がテオドールに『王都へはいつ向かうのか』と尋ねていた。
テオドールは、午前中はドーレの騎士団、魔法師団と打ち合わせがあるので、それが終わり次第と答えた。
辺境伯へは書類を作成していただくことになるので、その書類を王都から持ち帰る。書類が整ったら近いうちに再度王都へ向かい提出する。とテオドールはわかっている予定を伝えた。
「テオドール殿には何度も申し訳ないが、よろしくお願いします。ポーションは魔法師団から出しますので、お使いください」
辺境伯からのありがたい言葉に、戻ったら一瓶いただきますとテオドールは答えた。
ケネス一家がやってきて、食事が始まる。
近頃のレイソンは、ディアーズよりもケネスに抱っこされていることが多い。
今もそうで、ディアーズの負担はかなり減らせているようだった。
それでも妊娠初期のディアーズに、家族は体調を一番に考えてと言っていた。それを受けて、今後私室で食事をいただくことがあるかもしれない、とケネスが言い、ディアーズは皆から無理はしないように、と労られていた。
レイソンがお腹にいたときに、ディアーズが貧血で倒れ騒ぎになったことがあり、皆それを覚えていた為、暫くの間離れての食事は仕方がないと思った。
ナタリアの出勤時、テオドールはナタリアに、これからの二人の生活について話をしたいと切り出した。
何のことかとナタリアが首を傾げると、『結婚したら王都で生活する気はあるのか、王都に住むなら勿論花火は毎年一緒に見に来よう』と言う。
そこは確かに大切なことではあるが、ナタリアはテオドールへの気持ちを自覚した時点で、ドーレ領から出ると思っていた。そうか、思っていただけで伝えていなかった、と気が付き、ナタリアはそう伝えた。
「それでは、その辺のことも父と話し合ってきます。夜会等の社交の場では、私がいつも隣りにいますから安心してください」
「ありがとうございます。それと公爵様にも、突然のことで申し訳なく思っているとお伝え下さい」
「ああ、父のことですから、私が今回こちらに来ると伝えた時に、ある程度は考えていたと思いますよ。でも、リアが気になるなら伝えておきます」
ナタリアはテオドールの両親である現公爵夫妻を思い出していた。
公爵は国王の次弟で、背も高く威厳のある方だったと記憶している。
テオドールの母である公爵夫人は、テオドールと同じ黒髪で、凛とした雰囲気の方だった。
まだナタリアが婚約破棄をする前に二〜三回舞踏会でお見かけし、ナタリアが両親やケネスと一緒にいた時にご挨拶した記憶もある。
その時は当たり障りのない会話だったと思うが、今の自分は婚約破棄された(実際にはした方だが)『傷物』だ。今更ながらに自分では駄目なのではないか、と怖くなってきた。
「リア、また何か考えてますね」
テオドールはナタリアの表情から、何か良くないことを考えていると気がついた。
ナタリアは、これは聞いておかなくては、と正直に聞く。
「テオドール様、私で良いんでしょうか。私は婚約破棄の過去がありますし、年齢的にも公爵家には相応しくないのではないですか?」
「そんなことは心配ありません」
テオドールは真顔で即答してきた。
「婚約破棄というのなら私もそうですし、初婚の年齢というのなら私も遅い方です。そして、両親は私がリアに会いたがっていたことを知っています。その理由は話していませんが、きっと知っていると思いますよ。だから、全く問題ありません」
会いたがっていた理由。ナタリアは紹介所で再会した時を思い出した。
まさか公爵夫妻の前ではあんな雰囲気ではなかっただろうが、恥ずかしくなってしまう。
ナタリアは赤面しているであろう顔を伏せたまま『よろしくお伝え下さい』と言うのが精一杯だった。
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