290.挑発
「よくきたな。弱え人間の領主」
ナイガは嘲りを隠そうともせず、アールスに獰猛な笑みを向けた。
「見ろ、こいつを、一対一なら俺がこんな奴に負けるはずがねえ。俺は卑怯な手を使われたんだ。人間はみんなそうだぜ」
ナイガがアールスに指を突きつけ、群衆に呼びかけると、周辺から歓声が上がる。「卑怯者」という言葉が各所から上がった。
調子を得たナイガはさらに長広舌をふるった。
「出てきて意地を見せたつもりだろうが、俺と戦う根性があるのか?強えものが地位を得るんだ。弱えお前にはその資格はねえ!てめえも、ノマダス王も弱えくせにでかいツラすることは許されねえ!ノマダス王は戦いさえしてねえ。屁理屈捏ね回しているが、単にビビって闘技場から逃げ出しただけだろうが。そんなことを認めるアンティノキアはノマダスにはいねえ!」
アンナは自分が指差されているも同然の気分だった。
そう見ているひともいるのだろうか。ただ怯えて逃げた結果、地位が転がり込んできたと……。
人々が歓声で答えようとした直前にアールスは初めて口を開いた。
「うるせえ、うす汚えブタが」
広場は一瞬で沈黙に包まれた。
(うすぎたねえ……ブタ……?)
アンナは息を呑んだ。
アールスの表情が一瞬、粗暴な色を帯びた。しかしすぐに先ほどの落ち着いた表情に戻った。
「本来なら、ここまで陛下の事を公衆の面前で批判すりゃ、死刑だ。文句があるなら挑めってのがノマダスだろうが。それをぐちぐち眠たいことを抜かしやがって」
(ねむたいこと……ぬかしやがって)
いつも自分に丁寧に接してくれていたアールスの口から、聞いたこともないような言葉を聞きアンナは眩暈がした。
「まあいいや……いつやるんだ?」
アールスは杖を肩に担ぎ、ナイガを挑発的に見据えた。
「あ?なんだ」
予想外の問いかけに、ナイガは一瞬、間の抜けた声を出した。
「あ、じぇねえだろうが、領主の俺がてめえの挑戦を受けてやるって言ってるんだよ。ついでにてめえの不敬の処罰も兼ねてな」
群衆がどよめき、歓声を上げる者もいた。はっきりとクロム領主のアールスが、人々の前で挑戦を受けたのだ。
(アールス!何を言ってるの!?)
アンナは叫びそうになった。なぜ地位安堵の期間があるにも関わらず命をかけるようなことをするのだ、と恐怖で胸が詰まった。
「な……なんだと。本気かてめえ」
思いの外早くアールスが挑戦を受けたことに、驚いたようである。ナイガは少しうろたえたように答えた。
「本気で悪いか。大体領地の端からここまでちまちまと難癖つけながら俺に挑戦させろって喚いてたのはてめえだろうが、焼き豚が」
(……ひどくない?)
ナイガがアールスの作戦によって大火傷を負って敗れたことはアンナも聞き及んでいた。
アールスが戦う恐怖で身を固くしていたアンナだったが、あまりのアールスの口の悪さにその恐怖を少し忘れた。
「お前……ふざけやがって……」
アールスの発言がナイガに火をつけた。
「二対一で勝負したビチグソが偉そうなことを抜かしやがって、お前程度が俺に勝てるわけないだろうが。俺が領主の座をいただく。そしてお前は死ぬんだ」
ナイガが地響きのように怒鳴り、アールスに獰猛な目を向けると、広場は大きな歓声とどよめきに包まれた。
「……どうして?ナイガを支持する人なんてそんなにいないんじゃなかったの……」
アンナは想定外の大きな歓声に驚いて、グリエラを振り仰いだ。
「やはりここはノマダス。戦いが至上の国ということだ」
グリエラは群衆の様子を無表情に眺めた。
「それにやはり、領主が人間というのはやはり拭い難い不信があるんだろう」
アールスが領主となりまだ2年も経っていない。その間アールスは税金を半分にし、街の整備や、人々不満といった事にも積極的に対応しようと日々奮闘している。
しかしそれが本当にクロム領を盛り立てようという全くの善意なのか、アンティノキアを油断させるための作戦なのか、はっきりと判断するには時間が足りなかった。
その判断もつかぬうちにアンナが戦わずして王座についたのだ。
疑念がクロム領民の中でさえ強まっても無理はない……。
グリエラがそう説明を加えると、アンナは肩を落とした。
「私のせいだわ……」
「そんな……アンナ様のせいでは……」
悄然としているアンナの肩にマリアナは手を置いた。
「いや、明らかにそなたのせいだろう」
グリエラは素っ気なく答えた。
「グ……グリエラ様……」
マリアナは思わずグリエラを睨んだ。
「なんにせよ我々はそなたを支える。改めて覚悟を決めよ」
「……」
悄然とするアンナにグリエラは笑みを含んで言った。
歓声が静まりつつある頃、今度はアールスが口が挑発的に笑みを浮かべた。
「まあ確かに前回は二対一だったからな……、今回がてめえが二人でかかってきてもいいぞ」
「ふざけるな!」
ナイガが逆上して叫んだ。
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