287.弱い領主
正午過ぎ。太陽は中天に輝いているが、凍てつくような寒さが広場を覆っていた。
それと対を成すように、ナイガは取り巻きの者どもや、支持者たちを引き連れて、熱気をはらんで領主屋敷前の広場に意気揚々と現れた。
アールスが以前離れた街で見た集会の時以上の、膨大な人々が広場に集まっている。
アンナの戦い方に大いに不満のある人々、そして、クロム領の領主が人間であるという拭いがたい不信。それが重なり合い、広場の温度は一気に上がった。
ナイガ自身の評価自体は低いものがあるが、主張自体はアンティノキアにとって頷けるものがあるのは確かである。
それ以外にも、とうとう領主屋敷が舞台となり、「何かが起こるのではないか」と考える物見高い人々もいるのだろう。
ファーミアは領主屋敷の門の隙間から、怯えるような目でその様子を眺めている。
アールスは領民の税金も半分に減らし、人々の意見を聞き、街の整備や発展に力を注いでいる。その姿は領民も見ているはずである。
しかし、やはりノマダス国民にとって、「強さ」というものは変えがたいものがあるのだ。
ナイガの酷い統治の方が人間の統治よりマシだという人々が依然としている、というのが広場にこれだけ人が集まっている証左とも言えるだろう。
ファーミアは領主屋敷を振り返った。アールスは執務室にいるはずだが、様子を見にくる気配はない。
ガシュカ、ヨークもその彼女の隣で心配そうに外を伺っている。
広場の奥に即席で据えられた台の上に、ナイガが上がった。
支持者たちから大きな声援が立ち上がった。ナイガは十分に集まった人々を満足げに見渡した。正面には領主屋敷が聳えている。それを嘲るように睨みつけながら、口を開いた。
「とうとう来たぜ!」
右手を高々と上げると、広場は怒号とも歓声ともつかない音が湧き上がった。
「みんなも人間の王の戦い方を聞いただろう。あんなものは戦いとは呼べねえ。我らアンティノキアに対する冒涜だ!」
群衆の中から「そうだ」と言った怒声が呼応した。ナイガはその声に口角を歪め、深く頷いてみせた。
「俺も領主の座を二人がかりで奪われた。だが不覚を取ったのは認めないわけにはいかねえ」
人々がどよめいた。ナイガが自分の負けを正直に認めたのが意外と言うような反応である。
「だがな!」
ナイガが語気を強め、領主屋敷を指差した。
「俺が主に戦ったのはアールスではなく、相手の将軍だ。アールスの野郎はせいぜい防御を張る程度でほぼ何もしていない!」
群衆の人々も、促されるように領主屋敷に首を向けた。
「しかし、領主になったのは主に戦った将軍ではなく、従者に過ぎないアールスの方だ。要するに弱い方がこのクロム領を治めているんだ。それでいいのか!」
これは群衆に大きな反応を引き出した。
人々は口々に領主屋敷に向かって不満の声をあげたのだ。
「アールスもノマダス王同様、ろくに戦っちゃいねえんだ。それは一番俺がよく知ってる。アールスもノマダス王も戦ってねえんだ。これが人間だ。ろくな奴らじゃねえ!」
ナイガが雄叫びを上げると広場の人々の多くが領主屋敷に向かって怒号を浴びせた。
「なかなか痛いところをついてきましたね」
ヨークは門壁の裏側に身を隠し、感心したように呟いた。
同じく身を潜めているファーミアは唇を噛み締めた。
クロム領でもアールスの就任の経緯について詳しく知っているものはほとんどいないだろう。
ナイガは実際に戦い、生き残った存在なだけに、この発言には説得力があった。
「そ……そんなことはありません!領主様のお力があればこそ、ナイガを倒すことができたのです」
ファーミアはヨークを睨みつけて訴えた。
「私にはわかっていますよ。しかし群衆には効果的なようです」
「……」
ファーミアは悔しそうに唇を噛んだ。
集まった人々からすれば、弱いとされる方が領地を治めていると言われれば、不満が出るのも無理はないだろう。
「領主様は弱くなんかありません」
弱々しく呟き、領主屋敷を見た。
「アールス殿はどうするのだろう」
ガシュカも同じく屋敷に視線を向けた。
強い反応を受け、我が意を得たかのように口角を釣り上げたナイガは咆哮せんばかりの声を張り上げた。
「わかったかお前ら。これが人間の統治者だ。王も領主も弱えくせに、汚い手で地位を奪い取ったんだ。いいか、弱えんだ。俺たちアンティノキアが、弱い人間に仕えるいわれはねえ!」
広場から大きな歓声が上がった。
ナイガは胸を逸らし、再び領主屋敷に指を突きつけた。
「出てこいアールス!弱い奴が領主なんて我慢ならねえ。俺はお前に挑戦するぞ。怖気付いて出てこれねえか」
群衆から怒号が上がり「出てこい!」「戦え」という声が領主屋敷に殺到した。
その声は全く収まる様子もなく、執拗に領主屋敷を打ちつけた。
その時、領主屋敷の扉がゆっくりと開いた。
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